マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

ウイリアム・サローヤンとリンダ

2010-05-01 17:53:19 | 日記

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 リンダの故郷は、カリフォーニア州のフレズノである。
 正確に言うと、フレズノから少し北のクロビスという町である。
 実は、トシは、フレズノに行った事がある。
 お気に入りの作家、ウイリアム・サローヤンの故郷を訪ねて行ったのである。
 その事をリンダに言うと、
 「なぜ、私の家に寄らなかったの?」と言った。
 しかし、これは冗談で、トシが、フレズノに行ったのは、リンダと知り合う前のことである。
 
 ある作家の作品を読み進んで行き、その作家がお気に入りになると、その人の作品を次々読みたくなる。
 2冊、3冊と読むうちに、その作家と、一心同体というか、描かれた作品の世界に入って行ってしまうようになるから不思議だ。
 作品の中で描かれる情景が、たとえば、「あそこに、川が流れている」とか、「主人公の通っていた学校」、「友達が住んでいた家」、「初恋のヨウちゃん!」のことなどが、読む人の心に入って来て、体の中で息づいてくる。
 それらは、作家のものというより、読む人、その人の所有物になってくるように思えるのである。

 その内、ぜひ、その物語の背景になっている土地を訪れたいという気持ちが強くなるのである。
 トシも、若い時には、太宰治の青森にも行ったし、島崎藤村の信州、馬篭などを訪ねて行った。
 石坂洋二郎が教師として勤めていた秋田の横手高校も訪れた。
 東宝映画、「青い山脈」第2作目の映画ロケ地である岐阜県の中津川にも行った。
 高校一年の時、ドイツのヘルマン・ヘッセに憧れて、ついには、ぎこちない英文の手紙を書いてしまった。
 投かんしたものの、ずいぶん長い間、返事が来ないので、諦めていた。
 ある日、トシ宛ての封書がやってきた。
 表紙の横文字を見て、ドキ!ドキ!胸騒ぎがしてきた。
 果たして、ヘルマン・ヘッセからの手紙であった。

 ドイツのカルブと言う町のヘッセの住所宛てに出したトシの手紙が、どうも、スイスのルガノというところまで転送されたようだった。  彼と彼の妻は、その当時、ルガノの別荘に住んでいたことを後で知った。
 封書の中には、ちょっと斜めを向いたヘッセ、その人が写った写真が入っていて、「ヘルン・ヘルマン・ヘッセ」と横文字の直筆のサインが記されていた。
 そのほか、3枚のスイスの絵ハガキと手書きの手紙が入っていた。
 その手紙は、奥さんが書いたようで、英文だった。
 当時、ヘッセは、もう、80歳を超えていて、目がほとんど見えない状態であることが、その手紙に書かれていた。
 毎日の日課として、午前中は、ヘッセは、テラスのアームチェアに毛布を足にかけて座った状態で過ごしていて、奥さんが、ヘッセのために本を音読してやるということが書かれていた。
 「遠い、東洋の日本の少年から、思いがけず、手紙をもらったことがうれしい!」というようなことが書かれていたのを覚えている。

 トシは、有頂天になって、次の日、学校にそれを持って行った。 国語の先生が、「ちょっと、貸して呉れたまえ!」と言って、職員室に持って行って、自分のことのように自慢していた。
 そのうち、国語の授業の時に、他のクラスで手紙を紹介したりしている内にどこに行ったのか分からなくなってしまった。
 先生が、持ちまわっていた間に無くなったのかもしれないし、あるいは、友だちが、「貸せ!貸せ!」とか言いながら、回し読みをしていたから、その間に無くなったのかもしれない。
 先生は、「これは、お前の家の家宝になるのだから、大事にしておけ!」などと言っていたが、どこで、消滅したのかわからない。
 今から、思っても残念で仕方がない。

 ウイリアム・サローヤンを知ったのは、たまたま、友達が、彼の作品を読んでいて、ちょうど、読み終わったとき、「よかったら、あげるから、読んでみない!」と言って、差し出した。
 表紙に、著者であるウイリアム・サローヤンの名前とともに、作品名、「THE HUMAN COMEDY」(人間喜劇)が載っていた。
 その本を与えてくれた友達は、カリフォーニア出身で、
 「サローヤンもカリフォーニアンだから!」と言っていた。
 これが、きっかけで、彼の作品を次々読むことになってしまった。