レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

平らな社会

2012-09-16 05:00:00 | 日記
以前、アイスランドでのカルチャー ・ショックのひとつとして年少者が年長者に対して対等なことば遣いをするということを書きました。これはもちろんこの国の言葉が日本語のように複雑な敬語や謙譲語の仕組みを持たないことから、私たち日本人の目には多少強調されて写るのでしょうが、それでも年齢差による高低が日本より平(たい)らに均されていることは確かだと思います。

平らなのは年齢についてだけではありません。一般にアイスランド人自身は「アイスランドは平らな格差のない社会だ」というような自負を持っています。(この自負は2008年のリーマン・ショックに続いた経済恐慌の中でかなり揺らいだようですが。)これはどういうことかというと、例えば片田舎で農業を営むおじさんが大臣と会ったとしても、二人は対等な立場で話しをします。
これはそう当たり前のことではなく、社会的立場の違い云々だけではなく、ある程度の共通の教育の土台というものが前提となってきます。

これは人づてに聞いたことで、確かめたことはないのですが、例えばアメリカではトラックの運転手をしている人とウォール街に務めている人が食事で同席したとしても、会話はなりたたないとか。良い悪いの問題ではなく両者に共通項がないのだそうです。

アイスランドは超小さな国ですから、共通の話題がないということはありえませんし、ある程度基礎教育が行き届いているので、社会の「職種」間での断絶ということはないようですし、それが上下の「階層」になってしまうということも和らげられているようです。

カフェの隣りのテーブルに大臣が座っていることもありますし、だからといってそれで大騒ぎになることもありません。日本でも人気のあるビョルクのようなスターを通りで見かけても追っかけが始まるわけでもありません。

私自身経験したことがあるのですが、前大統領のビグディス夫人が一人でスーパーで買い物しているのに行き会って挨拶を交わしていただいくことも当たり前の事柄なのです。

一般に北欧はこのような「平ら」な傾向があるようで、政治家にしても随行員が周りをぐるりと取り囲んでいることは少ないようです。それだけ周囲の「一般人」と距離がないのですが、残念ながらそれが仇になることもあります。スェーデンでの1986年の街頭でのパルメ首相暗殺、2003年のデパート内でのリンド外相刺殺事件などは残念な例です。

それでも、この「平らさ」を人々は投げ出そうとはしないようです。この「平らさ」は単に偶然の諸物などではなく、ある意味北欧国民のプライドのようなものが込められているように思われてなりません。
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