レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

なんとオータニさんとワタシの共通項

2024-07-25 22:09:57 | 日記
こんにちは/こんばんは。

今週の月曜日から夏休みに入っています。一応八月の5日までの予定。「やったーっ! 休みだー!」的な気分はまったくないですね、今回は。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Kai_gradert@unsplash_com


普通、この時期のお休みに入いる時は -これはワタシ限定の話しですが- 疲れ切っていて、本当に「休むこと」を欲しています。だから、休みに入ると「もうなんもできん。なんもやらん」みたいに、ただただ怠惰に埋もれていきます。

今年の場合は、そのくらい疲れた時期が六月初めにあったので、思い切ってその中旬に一週間の「先取り」休みを取りました。実際には三日しか休みませんでしたが、それでも結構、精神的な休息となりました。

そのせいかな?今回はそんなに疲弊し切っていなかったため「まだ行けるけど?」みたいな気分で夏休み入りしてしまいました。休み入り直前になって、シンガポールのジャーナリズム専攻の学生さんたちから連絡があり、「来週アイスランドへ行くのだけど、移民・難民の人たちの取材のための相手探しを助けて欲しい」とか。

できる限り援助するのが慣わしなのですが、そういうお願いは三ヶ月は前にするのが常識。まあ、学生さんですからね、そういうことも含めて学んでもらわないと。その「お願い」の始末は、夏休み始めに少し食い込んでしまいました。

で、今回そんなにお疲れでもないのに入った夏休み。趣味なし人間のワタシは特にすることもない。三日ほど、You Tubeで行き合った「アンタッチャブルの早速行ってみた」というチャンネルのまとめ見したりしました。ザキヤマさんは昔から結構好きなのです。

前にも何回か書きましたが、私にとって日本の「お笑い」は精神衛生上とっても大切なものです。やってられませんよ、お笑いなしでは。子供の頃から生活の三大要素は「衣食住」と刷り込まれてきましたが、実際は「衣食住笑」と感じ入ります。ああ、牧師さんとしては「信」も足しておかないと。(*^^*)




教会近所の風景
Pic by Me


多くの同僚さんたちも夏休みに入っています。Facebookなどでも -日本と同じくアイスランドでもFacebookはおじさん・おばさんのプラットフォーム化しています- やれパリだのバルセロナだのからのバカンス写真が目に入ってきます。

全然羨ましくはないです。もともと観光旅行にはそんなに関心がなく、行くならトルコのカパドキアかボアズカレ(ヒッタイトの首都ハットゥーシャがあったとされるところ)、はたまたヨルダンのペトラ遺跡くらいのものです。

まあ、趣味なし男の生活感はそんなものです。引き篭もり感ハンパないとお感じのことでしょう。特に反論なし。

ただこの「趣味なし」という言葉について、最近思うことはあります。いや、最近ではなくて、以前から思っていたことですが、仕事がいつまでできるか?という「先」が見えてきている今、また特に頭に浮かんでくることです。

「仕事が生きがい」という言葉は日本ではよく耳にするものですよね。やはり日本人の特に中年期以上の男性に多いのかなあ、という印象を持っています。本当にそうかどうかは検証を要しますが、イメージ的に強いですよね。

でもこの「仕事が生きがい」も一様ではないように見受けられます。例えば調理人として働いていた方が、独立してお店を出し、今一生懸命そのお店を軌道に乗せようとしている、というのは「仕事が生き甲斐」の一例でしょう。これは理解できる気がします。




教会内のピック ユニークな造りの会堂
Pic by Me


あまり大きくはない会社などで、会社の存続と安定のために一生懸命働いている人も多いと思います。小さな会社の場合は、家族感があり「自分が頑張らなきゃ」という思いが出てくるのでしょうね。これは例えば物価高騰のニュースのインタビューなどで、実際に働いている方がから聞くことがあります。これもわかる気がする。

あるいは、大企業に身を置き、とにかく会社のために身を捧げている人もあるでしょう。「上からの命令だから」「会社の方針だから」それ故に家庭を犠牲にし、不正まで働く人もあるようで。不正とかはもちろん共感できませんし、自分の意欲ではなく「上からの命令だから何かをする」というのも正直共感できないです。

私の場合は、立場的には先に挙げた調理人の人や、中小零細企業の職員のような立場にあります。ですが、もうひとつ敢えて強調しておきたいことが。

ここで世界のオータニさんを引き合いに出します。オータニさんについてよく言われるのが「野球大好きな野球少年」心底野球好きで、野球に没頭し、優れた選手として日本で認められ、メジャーでも認められている。

プロとしてオータニさんにとっての野球はもちろん仕事でしょうが、それでもおそらくは人生で一番楽しい「もの」なのではないかと想像します。この「もの」を「趣味」と言ってもいいのでしょうが、「趣味」とは仕事から切り離されたものの感がありますし、他に適当な言葉を思いつかないので「もの」としておきます。

多くのプロスポーツ選手や、あるいはプロミュージシャンの方々も同じなのではないかと思うのですが、基本的に自分の好きなもの、当初は「趣味」だったものが仕事になっていると言って差し支えないのでないかと。

ワタシもオータニさんと一緒です。なんていうと畏れ多いか?(^-^; ですが「趣味」が「仕事」になっている、という点では本当に同じなのです。私も大学時代から、とにかく教会で活動するのが好きで好きで、一番の「趣味」でした。




Forever 野球少年 オータニさん
Myndin er ur USA Today


卒業後、第二の「趣味」だった政治関係の仕事をしていましたが、三年して神学校という牧師教育のための学校に入学。働いていた三年間もずっと、将来は牧師という職務を得ることを夢にして準備していました。

日本で無事牧師として仕事を得たのですが、家庭の事情でアイスランドへ。そこでまた五年近いブランクというか追加教育の期間を経て、こちらの国民教会での牧師として認められました。

ですから、今現在、牧師として働けていることは、非常に嬉しいことなのです。「趣味」では収まらない「義務」「責任」がそこに加わっていることは確かなのですが、それでも好きなことをやっている、という点は変わりません。

というわけで、私は確かに「趣味なし男」の一味ではありますが、実際には「趣味が仕事男」でもあるのです。ビミョーなニュアンスかもしれませんが。「仕事が趣味」なのではなくて「趣味が仕事になった」のです。

現在の私の職務上の責任は、移民や難民の人たちへのサービス、あるいはこれらの人たちとの活動に置かれています。それなりに厳しい現実や精神的な負担が大きいことはありますが、それでも自分いとっては「夢の仕事」であり続けています。

金銭的には儲かるどころか、持ち出しになる部分もあります。コロナ期のライブや動画制作の機材など、随分と貯金を持ち出して賄いました。

同僚のアイスランド人の牧師さんたちには理解できないことのようですし、「そういうのいいことなのかな?」と正論を吐く人もいます。でも仕方ないし、別に気になりません。私には夢があり、その夢は仕事にかぶさり仕事を飲み込んでいます。その夢に近づくためにお金を使っているのですから。(*^^*)

というわけで、特に何をするわけでもない夏休み。ワタシにとっては「何もしない」ということが大切で、別に「趣味」は必要ないのだと思います。休みが終われば「趣味」が待ってますから。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
コメント (2)
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