トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

喰っても良いけど姿は見たくない…

2021-09-19 | 小父のお隣さん
 庭のホトトギス、食痕が目立つようになった、と言いたいところであるものの「葉の残りが少なくなった」と言った方が適切だろう。こうなると嫌でも目につくのがルリタテハの幼虫なのだ。もとより花を見たくて植えた植物でも無いし「食べても良いけど花も観たい」そんな位置づけのホトトギスなのだ。

 フイールドのホトトギスと血縁はあるのだがフイールドのホトトギスは量があるせいか食痕はまだ観ていない。サルトリイバラもあるから観たいなら両方を探さなくてはならないけれど、アカボシゴマダラやコノマチョウのグリーン極まれる美しい体色とは異なるルリタテハの幼虫は目にしたくない存在でもある。もちろん毒々しい感じでも無毒なのは分かりきっていても苦手なタイプなのは変わらない。そういえば親となった成蝶のルリタテハの飛び様は「我関せず」「私は私の路を行く」動き方に見えて、周囲との関係性は拒絶している風にも取れる。

 まあ、チョウ類などはすべてそうなのだが、庭でも繁殖するのなら少しは近くによって恋、いいえ、寄って来いと請いたくもなる。一宿一飯の恩義があるだろうに!。少しは媚びても良かろうに!、と姥捨て山の孤老はチョウにさえ寄って欲しいのであった。良ーくよく考えてみなくても当人が既に「チョウのように舞い蜂の様に刺す」時期など無いままの人生一路の終盤であってチョウのような生態は望むべくもない。しかしながら欲望や業は枯れることなく我が身にあるから「それが悶題だ!」。
 少しはお慈悲にすがりたいと中秋の名月直前の月光でも浴びようかと空を見上げても台風14号の雲ばかり、一条の光も一本のクモの糸も降りては来なかった。窓の外には千切れた天津すだれの糸がはためいているばかり。ああ、我が人生トホホですゥ。

     

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