僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2020/7/31) 夫や友人に励まされる

2020年07月31日 18時25分55秒 | 日常、仕事、認知症
7月も終わる。 味気ない夕飯の前に書いておこう。 夫と会わずに二週間。でもメールで話す。 トモや、ケナガ、ヒカルニ、ナナコ、モーさんのことを たくさん知らせてくれ、その光景を想像して密かに楽しんでいる。 こちらは、血圧の状態とか、家の用事とか。たまに弱音を吐く。 夫はこう言う。「どんなに、医学が発展していても、最後は何千回、何万回のリハビリだ。前進するのみ。」 そのメールを見た後のリハビリは、失点ばかりだったが、何千何万回の初回のような気で落ち込まなかった。まだ序の口。あの、左足をボールに載せる何でもないことが私にとつて至難の技、何千回もやるべきなんだ。 夫よ、ありがとう。何十年も一緒にいながら、まだ掴めていないぞ。 今日は、忙しかった。股関節の水を抜いてくれた先生の診察があった。私の救世主だ。病院を去る前に、会えてよかった。 ラインで、友人(教え子)に、脳梗塞のことを知らせたら、どどっと来て、悩んでいることが吹き飛びそうだった。若さっていいな。
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(2020/7/28)私の左手。

2020年07月28日 15時14分00秒 | 日常、仕事、認知症
仕事をしている人には、大変な雨。
私がいつもと変わらず、仕事をしていたら この土砂降りの中を、買い物しつつ帰ってくる頃である。でも、もう私は、自転車も乗れないのであろう。真夏の買い物はいやだなあ。

私の左手の握力は、17 ・4㎏であった。右手と10㎏以上の差があった。基準が分からないので、 ショックも何もなかった。初めの頃、夫に養生テープを頼んだ。それに名前を書いて、持ち物に貼ろうと思っていた。 普通なら養生テープを難なく
両手でちぎっているはずが、左手に持った テープはたちまち下を向き、固定できなかった。どんなに右手がしっかりちぎろうとしても、押さえている左が全く機能していないので、私はあきらめて、夫にハサミを所望した。夫は、メールに「養生テープは手で切れるようになっている。どうなっているんだ」と返してきた。
あ、この人、ちっとも病状を理解していないなと見た。左手に持つものをことごとく落としたり、こぼしたり。私は、姑にちゃんと意識して持って!と言っていた。意識以上に手の力がなかった。手に何かを持っているという意識、感覚がなかった。
だから、リハビリの先生は、左手と右手、左足と右足を強く触ったり、少ししか触らなかったり、比較しながら直していった。
一昨日、リハビリが休みだったので、私は、パソコンのキーボードを、実習生の置いていった折り紙を細かく切って作っていた。指に合わせたサイズの小さい紙を
切った。それは、両手を使った細かい作業のリハビリになった。次に、それを貼る為の養生テープをカットした。ハサミを使わないで両手のバランスで裂けるか。
できた!!じゃ、1センチ以下で裂けるか。 できた!完璧とはいえないが小さく縦長に切ることができたのである。
紙のキーボードを作って、パソコンを今までのように打てるか、心配だったのである。指の位置、速度、英詞はクリーデンスのHave you ever seen the rain?を選んだ。 なんだか、一石三鳥のような気分になった。
そして、目標の一つに、握力の回復。具体的な数字は明日先生に指導を受けてから。病室での私のダンベルは500ミリリットルのペットボトルだ。それに負荷かけたい時は養生テープをペットボトルにスポッと入れる。私の左手にふさわしい。
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(2020/7/25)歩行器を使って。

2020年07月25日 19時27分38秒 | 日常、仕事、認知症
今日も便秘が大変だったので、座薬をお願いした。
その30分後には、解決し、もっと早めに処方してもらえばよかった。
リハビリでは、歩行器を使っての歩行練習。
立てる、だけでは駄目なんだ。いざ歩こうと進むと、左足の膝裏がカックン、カックンとなって、えー?全然歩けない!立つと歩くの差が大きい。別物。血圧を測りながらの歩行。本当に歩けるようになるのか。

ちぃパパさんへ。
グランドファンクと言えば、ハートブレーカーかな。
ロコモーションと言えば、SMAPのCM。確かグランドファンク。
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(2020/7/24)便秘である。

2020年07月24日 16時51分06秒 | 日常、仕事、認知症
便秘である。今日、2回空振りである。きっと、肛門の左半分が機能していない。
看護師には、30分位こもりたい。心配しないで、伝えてこもる。
うちのネコ達が便秘で苦しんだことを思い出す。あまりひどかったら薬をもらうことにした。

どうしても身体、左後ろに傾き、ひっくり返るのは変わらない。
私より年配の女性が、両足を気軽にサイクリングしているのを見ると、自分に自信をなくす。
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(2020/7/24)もう1つの別れ・・・・いつかどこかで

2020年07月24日 11時54分18秒 | 日常、仕事、認知症
彼女の実習最終日。左股関節のことを聞いてくれる。
痛みが去って、左足が上に少し上がるようになったと、足を上げて見せる。すると、彼女は、本当に喜んでくれた。医学に従事する身として、原因がわかって、結果がこんなにすっきりと出る喜び。また、患者の苦悶が開放されている喜び。この2つだけでも1週間という短期間で得られた体験はどういう形で表れてくるだろう。
「こんなに痛みを訴えているには何か他に原因があるのかもしれない、医師に検査の示唆をしてみよう。」いつかそういう時がくるのかもしれない。

彼女はもっと勉強したいと言っていた。大学を受けて、資格を取りたいと言う。私は、喜んだ。向上心を持つ若者に久々に会った。彼女に伸びる枝、芽を感じた。そして、国際的に活躍することもあるかもしれないので、英語、医学用語は勉強しておくといいんじゃないかと、勝手に夢を膨らませて私は言う。しかし、彼女は真剣に聞いていた。彼女の中には、そんな未来像を描いているのかもしれない。

私たちはそのまま別れた。退院したら、連絡するのではって?大学に合格したら、
お祝いのメッセージ送るんじゃないかって?それは、一切なしとした。あんなに精神的にも(私は、彼女の前で何回も涙ぐんでいる。)支えてくれた彼女のことで知っているのは、名前とやぎ座だけである。「私、やぎ座って紹介しましたっけ。」名札に生年月日が書かれているので、すぐ判る私の頭にはインプットされていた。
いつか国際的に活躍している姿が新聞やらTVに映る頃、私は、この世にいない。
世代が変わっていることをしみじみ感じる。もう君の出番なし、トモロッシ。

翌日、彼女の担当教員が、挨拶に来た。

私こそ、世話になったと伝えた。彼女の厳格さ、誠実性を具体例を挙げながら彼女の評価をした。教員も、彼女から痛みのことを聞いていた。
実習の評価は数字で表れるのだろうが、患者の感想も評価に加味していただけたら幸い。大学に合格できるように激励願います、と伝えた。

本当に、私の知る20歳とは違うのである。

そして、私の20歳なんて、バカの極み。

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(2020/7/24)もう1つの別れ①

2020年07月24日 09時30分34秒 | 日常、仕事、認知症
もう1つの別れについて。
それは、実習生のことだ。
最初、頼まれた時は暇つぶし、気楽な気持ちで引き受けた。指導は、他の看護師たちだし、私は、場所、機会を提供するだけと思っていた。シャワーを使用している所、そこで看護師はどうサポートしているか、トイレの付き添いのサポートの仕方、食事、血圧、検温など、1週間という短い期間で、身につくのは基本動作位であろう。それでも、初めて現場に出て1つ1つが実習生にとって勉強になったことであろう。
その彼女に、加わった経験の1つが、患者の痛みの苦しみを目の当たりにしたことだろう。実習対象を頼まれた頃は、左股関節の痛みなかったと思う。それからすぐに、
痛みを感じ出した。私含め看護師たちも、マヒの後遺症だから、多少の痛みは仕方ないと思っていた。だから、私の苦しみ方を大袈裟にとらえる人もいた。夜中、急激に来る尿意と身体を起こして車椅子への(今思えば、何でもないこの動作)
移動のたびに痛がっていた私にかなり苛立っていたと断言できる。実習生は、患者の最も痛がっている時に実習を始めたのである。私の夜中の痛みと孤独な状態の時は彼女は見ていない。朝、彼女は来ると、「痛みはどうですか?」と聞く。その質問は、看護師としてである。ところが、患者の私は、痛みの他に、夜中の孤独感まで伝える。時間に余裕のある彼女は、真剣に聞く。私に、逆に、冷静な質問をする。いつから、痛み始めたのか、どういう痛みか、私は、肉を引き裂かれるような感覚だと答えた。どの姿勢が痛むか。詳しく説明する私。私は、どの看護師よりも
彼女に説明していると思った。来る先生方に痛みを訴えたが暖簾に腕押し状態だった。それらも彼女は見ていた。中には、私の痛がる姿に何かを感じて、「今、先生に伝えるからね。」と言ってくれた看護師がいた。それが功を奏したのか急遽、整形外科で検査してもらうことになった。その時に彼女は午後から往復3回の運搬に関わり、付き添いも一貫して彼女がいた。他の看護師たちはその時手の空いていている人が担当した。ベッドからストレッチャー、診察台への移動も
彼女がつき(もちろん補助役)、私の苦悶の様子を見ていた。そして、水を抜く、という意外な結末の時は、もう彼女の帰宅時間になっていた。この痛みはどうなるのだろう、という疑問を残して帰って行った。金曜日の夕刻、2日連休前、彼女の最終日の前の日だった。そして、2日の休みの間、痛みが去ったことを確信した。整形外科の先生の痛みの原因がわかってから処置への迅速な流れ。彼女はそこまで見ていた。
2日後、月曜日の朝、彼女はあれから痛みは落ちついたかと聞いてくる。
続く。
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(2020/7/23)お別れ

2020年07月23日 10時05分02秒 | 日常、仕事、認知症
さっき私の主治医が来た。足の様子を見たあとに、「私は、今週で
ここを去って、別な病院に行くから、別な先生に引き継きを頼んだから。」とのこと。
皆、去って行く。年度末の予定された別れじゃない。そして、彼もこれからの人だ。
患者の為に頑張ってほしいね。若いから、職場が変わるのは相当プレッシャーだろうなあ。実力がものいう?それとも年功序列?
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(2020/7/23)庭の雑草

2020年07月23日 08時22分20秒 | 日常、仕事、認知症
今日から4連休か。働く者は嬉しいに違いない。
骨休め、普段できないことをやる。
私なら、差し詰め庭の草取り再開かなあ。
2週間も放っておいたら、人も入れない状態だと思う。夫は全然こういうことはやらない。細かく指示すると、益々やらない。後で、玄関の横のアイビーのカットをお願いしてみよう。
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(2020/7/22)重かった。か

2020年07月22日 16時04分36秒 | 日常、仕事、認知症
スマホを使って、検索するにも新規投稿するにも
動かない、重い。そしてドコモからメール。解決しました。軽くなりました。

今日は、青空と白い雲。

左足のぐにゃりは大分緩和された。
シャワーを浴びた。両手でバーをつかんで立ち上がるのが好きだ。
ぐにゃりがない。何回も確認したくなる。
が、左に自覚がないから、いつの間にか、ちょっと痛めていた。

会社のマネージャーからライン。状況を書いて、会社に従うと返信した。
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(2020/7/19)股関節の痛みの件⑦その理由

2020年07月19日 14時19分30秒 | 日常、仕事、認知症
なぜ、神などとそれこそ大袈裟な表現をしているのか。
彼にとって原因さえわかれば、処置は技術的なもので簡単だったかもしれない。

何日も痛みを看護師たちに訴えて、医師に訴えて、リハビリの先生にも訴えて、誰一人本当に痛そうだ、と受け取ったのは幾人いたろう。
身体を転がす、悲鳴、向きを変える、悲鳴、「我慢してね。一瞬だから。」
その繰り返し。リハビリもそう。そんな中、事務の担当者が「主治医から脳梗塞については、もうやることはやったのでリハビリの転院の話になっていきます。」
と話を持ってきた。まだ股関節の痛みがひどかったので、ベッドの上から起きるのも、降りるのも、容易でないのにトイレの介助も必要、痛みも止まっ ていないのに転院するのか。「いえ、すぐではなくて、時間のかかることなので、早めに相談して置いた方がいいと思いまして。」
私の口調は、きついのでソフトに心がける。以前、主治医と 話した時に、 「リハビリの病院に数ヶ月間転院した後、またトモロッシさんに戻ってきてもらいます。動脈瘤があるので。」さあ、それは分からない。その後に股関節の痛みがスッと消える処置をしたら、早くこの病院を去るべきだと思った。私の孤独な激痛を検査から処置まで数時間で直してくれた。病名を病室まで知らせにきて、実は土曜日も
様子を見にきた。腰の痛みは一過性で、動かしているうちに軽減された。
分かりますか、理由。やっと真のリハビリができるのです。
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(2020/7/19)股関節の痛みの件⑥ありがたい神

2020年07月19日 12時54分32秒 | 日常、仕事、認知症
私がこの病院に来て、印象的だったのは、皆若い、ということである。
いわゆる中間層の年代の人がいない。否、ほんの一部しか見ていないので
言い変えると、私に関わった人皆20代30代である。そういう方針なんだろうか。
もちろん誰でも若いうちからスタートする。経験の差、あれ聞いたことあるな。
いろいろな患者のパターンを知っている、あれ、こんな痛み方、前にも見たことがあるぞ、この苦しみ方尋常じゃないぞ、大袈裟ではないんではないか、何か重大なことが隠されているのではないか、などなど想像力を働かせられる賢い
人になっていれば。

また前置き長い。

初めて見るレントゲンモニターの中の動き。
大体どれが水なのかわからない。
チラッとモニター室を見ると、私の付き添いの看護師と実習生がモニターに
食いついていた。私も間近なモニターに
痛みも忘れて食いついていた。入院して初めて処置をしてもらっ気分だった。
「はい、終わりましたよ。」後処理してもらった後、また皆に抱えられてストレッチャーに移動したが、その時既に痛みを感じなかったのである。即効である。
信じられなかった。痛みが軽減するまでじわじわと時間がかかると思っていた。
少しまげただけでも悲鳴を上げていたのが、文字通り、嘘のように痛みが消えたのである。サンプルの一部を持って、また長い旅路のいくつもの扉を経る時
「医師っていいね。やはり人を助けるんだね・・・・・・」とつぶやいた。
病室に戻って、ベッドへの移動の際の痛みは取れたが固まった腰の痛みは残った。痛みが消えたつもりでも明日になれば、また感じるかもしれないので油断大敵である。実習生も疲れて(何しろ往復3回も付き添いの世話をしてくれた。)
夕方帰宅した。私も一日振り返っていた。
すると唐突に神登場。また何か?
「どうですか?」「先生、ありがとうございます。痛みが急速に引いていきまして、膝も単独て引き寄せられるんです。」と実践してみた。「よかったね。」腰の痛みについては、寝返りも打てない状態の痛みだろうということで、鎮痛剤を処方しておくから。それから、病名は偽痛風であろうと。また、なるか今後様子見るしかないね。
神、去る。
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(2020/7/19)股関節の痛みの件⑤だから神

2020年07月19日 10時17分54秒 | 日常、仕事、認知症
今朝の空、入院して初めて青空を見た。雲はあるけれど、
きっと、待ち望んだ空の青さだ。
梅雨明けか、それとも一時的か。

昨日は、変な所で更新してしまつた。


2回も採尿しているので、何かは検査しているのだろう、
でも結果は、来週明けだ。そう思っていた。
ところが、予想に反して、先生が直接病室に来た。
「股関節に、水がたまっている。これからそれを抜くので、
こちらの準備でき次第呼び出します。」と言った。
何と、先生は私の主治医(脳外科医)に家族の許可を得るように、と言っていたことが夫のメールであとで知る。手際良い。
私たちもまたストレッチャーに載る準備。今度は男の看護師も来てベッドからの移動。もちろん私の痛みの悲鳴。先生の準備が出来、呼び出しかかり、
長い旅路の1階へ。診察室または手術室(上しか見えない私にはわからない)
に入ると先生方はレントゲンから身を守るプロテクター(正式名称知らず) を纏っていた。
「レントゲンに映された中を見ながら、水を抜いて行きます。ちょっと印を付けたり
穴を開けたりしてチクッとします。」
筋肉の断裂とか、腫れているとかを想像していたので、水という予想外のことに
誰一人辿りつけなかったことになるほどと思った次第です。医師も、看護師も、
リハビリ士も。
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(2020/7/18) 股関節の痛みの件④神登場

2020年07月18日 17時06分17秒 | 日常、仕事、認知症
ストレッチャーでの移動、看護師も大変だが、肝心の私は痛みとの戦いなので、ストレスがきつい。空振りでも仕方ない。1時間しないうちに2回目の呼び出し。ベッドからストレッチャーに移動。痛みを我慢したいが声も出る。診察室へ。
ここで登場。また若い。いや、私よりも若くて当たり前な のだが。
先生に名前を名乗られたが耳の遠い私は当然聞き取れなかった。CT検査。
そもそも、MRIやCTがどういうものか分かっていない。前日のMRIでは、慣れたとは言え、あの音が恐怖心を誘う。全身平らかにしていると、筋が伸びて動機もしてきた。案の定、「動かないで。」と言われた。そんなこともあったので、CTも不安。
また身体を平らか。股関節や腰骨が痛くてうめき声、表情が歪む。「はい、すぐ済む
から。」
MRIとは全然違った。これで検査は終わった。
後は検査結果を月曜辺りに出してもらって「異状なし」と言われて終わりか。
そしてまたストレッチャーに載せられて戻って行くのである。
あとは2つ目のリハビリが残っていた。熱もあるし、身体の態勢も無理したし、軽くしてもらうつもりだった。
そして、程なくやってきて、採血と尿検査をするとなった。先生の指示だった。私は
この辺りから、なんか動いているぞ、と思いはじめた。しばらくしてから、看護師が
また採尿します。」と採尿。そして
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(2020/7/18)股関節の痛みの件③神登場

2020年07月18日 16時59分15秒 | 日常、仕事、認知症
股関節の水を抜く、医学知識のない私は水が溜まるというのは
膝関節、胸水、腹水くらいの認識である。身体至る所で溜まるのであろうか?
この痛みを、 関わる先生方に訴えた。
「軟膏とか貼り薬出すにしても相談してみるから」
「 明日整形外科の先生にレントゲンを撮ってもらうようにするから。」
「肉が裂けたとかないでしょ。おそらく外側に向きっぱなしなので、
炎症を起こしているのだと思う。」
どれも私の痛みを軽減する明快な答に思えなかった。
次の日レントゲンを撮ってもらえた。だがその世話をした方たちは女性だった。
撮って、次がわからない。どうだったがない。
根本の痛みが消えないままリハビリをすることは拷問に近い。
しかし、私の本来の病は、脳梗塞だから、せいぜい麻痺の炎症位にしか誰もそう
思っていた。17日、朝から熱が出た。38℃何回測ってもその前後であった。
気持ちが暗い。実習生が色々とやってくれた。一番 身近にいたから、気持ちも
痛みも分かってくれた。コロナで面会全面禁止というのも心を削った。夫に会えない、相当答えた。 熱でボーッとしている中、1つ目のリハビリが始まった。支えている右腰の痛みも強烈になってきた。車椅子の練習はしなかった。
そんな時に看護師たちが慌ただしく「整形外科の先生の検査入るから。」
とストレッチャーをベッドの横につけて、4人がかりで私を移動させた。長い廊下といくつもの扉を経て、エレベーターに乗り、外来患者がいる所まできた。
診察室に入ってずっと待っていたが、まだ外来患者に係るのでいったん病室に戻るように言われて、引き上げた。
この時点でまだ神は降りてこない。降りてくるなんて思ってもいない。

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(2020/7/18)股関節の痛みの件②

2020年07月18日 11時18分47秒 | 日常、仕事、認知症
届けられた採取サンプルは、ナースたちの共有
すべき患者の情報である。
先生の要請で採血、採尿、しかも足りないからと2回も
要請されている。先生の声で、3回も1、2時間のうちに
6階から1階にストレッチャーで移動している。ベッドからストレッチャーに移動するのに看護師3、4名入れ替わり立ち替わりやってくる。
移動するたびに、私は、悲鳴を上げている。この件に関して知らない看護師はいない。ここまでは、長い前置きです。私の文は悪文。
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