僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2020/7/18)股関節の痛みの件①

2020年07月18日 06時22分32秒 | 日常、仕事、認知症
昨日飲んだ痛み止めが効いて、意識朦朧として書いたブログも意味不明。

股関節の激痛は、漸く、原因を突き止め、水が溜まっていたことが激痛の元だった。
ずっと左足が、がに股スタイルで外側に向いたままだった。
あの激痛を、看護師たちは、大袈裟として捉え
トイレ、清拭など、彼女たちは毎日どの患者にも
やっているので、少し痛いのは我慢しろと私にもそうした。
私も通常の痛みなら我慢をする。だがこの痛みは
尋常じゃなかった。

痛くて痛くて、寝返りを打つのに少しずつ少しずつ
ずらしてうつ伏せになったとき、暗闇、時刻がわからないことがいっそう
孤独感絶望感で心は死んでいた。紙おむつ交換という何でもない作業に悲鳴を
上げる私を冷ややかに見ていた。私は彼女を拒絶し
彼女もそれをわかってか3日姿を現さなかった。
そして昨日夕方、股関節の水を抜く作業を終えて、採取されたサンプルの一部と共に戻ってきた私は、そのサンプルがナースステーションに届けられるのを見た。

(2020/7/7)股関節に水が溜まっていた。

2020年07月17日 19時26分25秒 | 日常、仕事、認知症
仙台 学生クラスターの為病院面会全面禁止。
夫とも会えない。姑の時とそっくりだ。そのまま
2カ月間会えないまま死んでいった。

股関節のCTを撮っ た。股関節に水がたまっているとのこと。
午前から発熱して、その対応をしたのは実習生だった。

疲れた。39度。整形外科の先生は、対応が素早か
った。何回ストレッチャーで移動したことか。そして、先生もCT検査したあと結果はこの病院のことだから明日以降の結果だと思っていた。ところが、先生は、
「股関節に水が溜まっている。もう少し詳しく検査したいから、尿検査と採血。と、
わざわざ6階まで言いにきた。私が何度もストレッチャーに移動するたびに
悲鳴を上げるので来てくれる。処置の時はレントゲンのモニターを見ながら針を刺し、固定して、注射器で吸い取ってくれた。


すごく頭がボーッとして間違えてばかり。止める。

(2020/7/16)車椅子の操作。

2020年07月16日 19時47分27秒 | 日常、仕事、認知症
今日のメモとして、
二つのリハビリで、車椅子に乗って実際に運転してみる。
左手の力が入らないので、曲がってばかりいる。
車椅子での移動。これが課題。
左足が全く動かない。指も動かない。先生の介助を借りて立ち上がっても、左の足首がぐにゃりとなるので気持ちが萎える。ここから立てるようになるのか。
3回目のMRI。今日急に言われたので、夫の仕事に支障を来す。それでも来てくれた。前回よりもはっきり、大きく見える。もういいや。リハビリについては何カ月かかかるので、この先、リハビリの施設医院に転院。ハァ、やっぱり萎える。トモに会えない。今の病院で何とか立てるようになりたい。
でも、トモロッシさん、明るくなりましたね。と言われる。
だって、先生、実習生は可愛いし、一生懸命だし、私の冗談にコロコロ笑うし、
笑いの傍に笑いが来るし。
先日先生と言った言わないの言い合いや、看護師の乱暴なやり方に悪態をついた一昨日を乗り越えたので。

ところで、記事を書いてからの読み直しはしていない。ごめんなさい。

(2020/7/16)友人からのメール

2020年07月16日 09時16分04秒 | 日常、仕事、認知症
昨夜は消灯前に眠った。ぐっすり、というのは入院以来初めてかもしれない。
3時間熟睡した。そして自然に目覚めて、時計を見ると0時近かった。そこからまた時間が過ぎていくのが遅く感じられるのだ。だから熟睡時間が2時3時までだったらいいなと思う。
昨日夕方、友人からメールが届いた。過去の思い出の中に入っていきそうなら存在になっていた。彼女は元同僚。昨年の6月ごろに辞めた人。そして9月にもう一人の同僚と2人で彼女の家にさ遊びに行った。牛タン弁当を食べて私と姑のやりとりを嬉しそうに聞いてくれた。その日のブログがあるので読んでみてください。
3人で映画を観た。私がおずおずと、「コードブルー観に行きませんか?」と2人を
誘ったら2人とも「行く、行く!」と乗り気だった。この職場でこんなに仲良く過ごせると思わなかった。上司もリーダーである彼女を中心にしてチームワークが良いと褒めていた。そして月日が流れ、彼女が辞め、今年の3月にもう一人の同僚が
辞めた。この時期は、コロナのことで体制も代わりつつあった。そして彼女も娘さん夫妻の所に滞在していたがそのまま移動できなかった。
それがこの度帰ってきて私に連絡してきた次第です。
だから、彼女は私が脳梗塞で入院しているのは知らない。
私は、彼女の連絡も神のくれたものと思っている。関東に行ってしまった彼女もこちらに家族と住んでいる同僚ももう私を過去の人と思っているだろう。また3人でゲラゲラ笑いたいね。また戻りたいね。

今日、3回目のMRI。

(20201/7/15)血圧が下がった。

2020年07月15日 18時53分11秒 | 日常、仕事、認知症
リハビリの2人の先生のおかげで少しは 左足の移動が楽になった。
それから、尿道に管を入れてくれた。これで 夜間のトイレの心配がなくなった。
一日に何度も血圧を測るが、低い数字145を見た。モニターも取り外した。点滴も外した。身軽になった。今日は、昨日眠っていないので寝る。

(2020/7/15)漸くレントゲン。

2020年07月15日 13時08分11秒 | 日常、仕事、認知症
お昼を食べての休憩。実習生がいてくれて助かっている私だ。地味で堅実な信頼感のある女性である。20歳。
今日の担当の看護師に痛みを説明。「ここは病院なのに、レントゲンも未定、痛み止めの薬も処方しない、処方するには医師の診断が必要、いつまでも ループ。
清拭の痛さに悲鳴をあげている私の様子を見て、掛け合ってくれた看護師がいた。そして、まず、痛み止め、ベッドのままレントゲン写真。その時も悲鳴を上げた。
何なのだろう、股関節脱臼?股の炎症?
薬が効いてきて眠っていないのもあり、ボーッとしてきた。

(2020/7/15)看護師が怖い。足が痛すぎる。

2020年07月15日 07時12分41秒 | 日常、仕事、認知症
左足の付け根、関節の痛みが激しくて、わずか5ミリを
動かすだけでも激痛走る。痛い、痛い・・・・・・と口走っている。
昨夜別々に来た先生に訴えた。レントゲンを撮ると言っていたが
それがいつなのか、午前なのか午後なのか分からない。
そして消灯前に、トイレに車椅子で連れていってもらうのだが
全く動けないので体を支え、靴履き、椅子載せ、トイレでは立たせ
紙おむつを下げ漸く排尿。そして逆の流れでベッドに戻っていく。
一連の作業を流れ作業にして患者の痛みを無視する人。
実際いるんだ。患者をぞんざいに扱う人。足を載せろ、と足をバンバンと叩く。
その積み重ねで悪化したのを感じたのは11時すぎだった。
しかもこちらが激痛を訴えても、無言で感情的に私の体を投げつける。こんな憎しみ持たれて、私は、医師に訴えることにした。
その後二回トイレに行きたかったが、あんな扱いは嫌だったので、紙おむつの中で排尿した。量が多いからシーツに漏れているのではと頭が休まらない。一睡もしていない。また膀胱にたまってきた時救世主が現れた。あいつが来なくて男の
看護師が来た。漏れそうだ、と言うと「紙おむつの中にしてください。後で交換しましょう。」とおむつ、タプタプの尿取りパットを交換しお尻も熱いタオルで拭いてくれた。足が痛いのを考慮してくれた。
やはり看護師はスピーディーさは一番ではないね。患者の声を聞いて患者の立場に立って事を運んでほしいね。看護師が恐くて
排尿もできない、病院の本末転倒である。

(2020/7/14)病院の美容師に髪を切ってもらった。

2020年07月14日 18時46分01秒 | 日常、仕事、認知症
今日髪を切った。倒れた日から洗っていない。何よりベッドの上を背中で這うように過ごしているので長い髪の毛が絡まって
ブラシが通らない。心電図のパッチに髪の毛がくっついたり
早く切りたかった。20数年ぶりに美容師に切ってもらう。
その間、自分で切っていた。そして今の仕事は
伸ばして束ねて留めていた。その方が衛生的によかったのである。
切るイコール仕事を辞めることを意味していた。後遺症が残りそうな
体なので、もう会社としても私はお払い箱であろう。使い捨ての
アルバイト。血圧を上げながらの肉体労働はもういいだろう。
その意味で髪を切った。坊主でもよかった。自分の中で弾みを付けたかった。
形から入ってしまったけれど。
リハビリ中に、夫が来た。1万回リハビリやって歩けるようになれと言って
手を振ってまた仕事に行った。
夫、何十年ぶりに手を振った?

(2020/7/14)リハビリ前の静けさ

2020年07月14日 12時58分27秒 | 日常、仕事、認知症
今日の朝の血圧が高い。そして10時頃の測定は低くなる。
看護師にしてみれば、高い。私は200を超えないと、低く感じる。
毎回聞かれるが、頭痛や目まい、吐き気が全く無い。

スマホは、今拠り所。文字の打ち間違いや画面の大小の不便さはあるけれど、
色々調べられるしブログを書けるのがいい。
昨年の秋、半分義務的にガラケーから換えたのが今になって役立つとは。
今まで電話機能とメールだけで十分だった。まだなにも覚えていないが。ま

(2020/7/13)今日は、よく対話した。滑舌が良くなった。

2020年07月13日 17時04分32秒 | 日常、仕事、認知症
もう夕刻4時過ぎ。
西の窓の外の空模様は
入院してから一貫して
曇り空。それでも私のベッドからの
眺めは良い。考えたりするには
気持ちを落ち付かせてくれる。
今日はリハビリを3つやった。
血圧が上がるので、休憩をとりながら。
夫がちょうど来訪したので、その様子を見てもらった。
足がガクンと外側に捻挫の
ようになる所など見てもらった。その先生のアドバイスや説明は妙に納得でき、
希望につながる。
3つ目の言語のリハビリの先生は、「今日は、滑舌がいいですね。」と開口一番言われた。今日から私に看護学校の実習生がついているので、ギャグを飛ばしたり、
色々話したり、必然的に発声のリハビリになっていた。やはり声を出さなきゃ駄目なのだ。3月4月のコロナで、病院の面会禁止で、義母に会えなかったことは、致命的であった。言葉を忘れた義母になっていた。
私の<明>の裏に、義母の<暗>が浮かぶ。

(2020/7/13)リハビリ頑張らなければトモたちに会えない。

2020年07月13日 10時41分17秒 | 日常、仕事、認知症
先程
先生が来て(敬語は省略)話していく。
私は、左足が少し動いたこと、血圧が朝高く午後低くなることを告げる。
すると先生は、「脳梗塞直後、急激に下がるのは危ないんだよ。
ここはリハビリ施設はないから別な所に転院して、何カ月かやらなければ。」

私は3週間 の入院で家に帰れると思っていた。
私を待っている子たちのことを思うと少々泣けて来た。
急に居なくなったものね。

(2020/7/13)先週の今頃は何を。

2020年07月13日 08時46分59秒 | 日常、仕事、認知症
今日は月曜日。先週の今頃は元気だった。当たり前の生活をしていた。

昨夜は寝られなかった。
考え過ぎて、ますます寝られなかった。
昨日も今日も退院していく人がいるが皆一見
どこにも後遺症が見られない。
私も退院する時後遺症のない状態で出られ
るのか。
マヒが残っているのかも。

リハビリと、この間の検査結果を
受けての先生の話。
動脈瘤のこと、など。

(2020/7/12)亡き義母との答え合わせ

2020年07月12日 19時37分10秒 | 日常、仕事、認知症
私が
こういうふうになって。

食事のとき
義母に
「茶碗をきちんと持って。
「ぼろぼろこぼさないで。」
「ちゃんと、両手を使って。」
いつも言っていた。
私、今それだよ。
こぼそうと思ってこぼしているんじゃないよ。
できないんだよ。
何も分かっていなかったね。
分かっていたつもりで、義母を非難していたんだね。
義母が亡くなってまだ2ヵ月余り。
早くも、解答が間違っていたと
おかずやご飯を思うように食べられず、
義母と自分を思いだす。

(2020/7/12)左足、少し上がった。

2020年07月12日 15時00分19秒 | 日常、仕事、認知症
点滴の為に、トイレの頻度が高い。
ヘタすると、30分に1回、急に来る。
夜中は特にその度に呼び忙しい
看護師の無言の表情を見るのが情けない。
そこで紙おむつにしてもらった。そして1回の
量が多くてこれまた悩み。どちらにしても看護師の
手を煩わす。

朝、左の足を上に持ち上げ たらわずかだが上がった。
昨日まで、どんなに力を入れても微動だにしなかったので
先々の自分の悲観的な姿を思っていた。

打つのが疲れてきたのでここで止めよう。

(2020/7/11)訪問したいけれど。

2020年07月11日 18時34分50秒 | 日常、仕事、認知症
訪問してコメントを残したいと思っても
失敗してばかりで進まない。自分のブログに載せる。

ちぃパパさん、こんなことになって、
いまだに信じられない。いつも応援
ありがとうございます。
仙台にもロッド来ました。調べたら84年、
私の第二の人生の始まりの頃です。
人生って有限なのを思い知らされた感じです。