僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2023/1/26)久々の雪掻き。

2023年01月26日 14時16分11秒 | ネコ


今日は快晴である。午後の陽射しが雪を溶かしてくれる。
昨日は久しぶりに雪搔きをした。
雪が重くて近所のような綺麗な雪掻きにはならなかったが、左半身のリハビリを兼ねて
危なっかしく雪を運んだ。
夫の職場が北の方角なので、こちらとは景色が違う所に暗いうちから出かけていく。
その時が一番心配だ。
せっかちの夫とのんびり屋の私の対照的な性格。
ゆっくり、を心掛けてほしい。
仙台は、ちょうど良い冬である。
旭川の妹に連絡をすると、雪掻きが毎日大変なようだ。
私が北海道にいたころは中学生までだったので、本格的な雪掻きをしたことはない。
しかし、妹は腰痛を抱えて毎日しなければならないようだ。
寒さと雪の多さ。年を取って来ると本当に身体に響く。
妹一家がこちらに移住することを考えることもある。
娘の一人が仙台のファンなので、先日もこちらの神社のお札を郵送で購入したようだ。
伊達家、片倉家の研究を趣味でしている。一人で仙台の図書館を目的に来仙することもある。
いやはや感心する。彼女の行動力にいつも脱帽。


モーさんやトモについて。

昨年の夏以来、うちのネコとして迎え入れたモーさん、年末年始を通院しながらうちのネコとして夫の布団の中や、
私のベッドの上で寛いでいた。
二階のトモと過ごし、トモの頭の刺激に一役買ってくれた。
そして
今年に入って、階下にいるケナガ、ナナコと一緒に遊ぶことを覚えた。
一階の和室と廊下それに通じる夫の部屋で3匹でダッシュで遊んでいるのである。
その音に更に刺激されて、トモも階下に降りて食堂にやってくる。
今まで、一階に降りてくるというのはほとんど皆無。
二階にいたシンノスケやヒカルたちと過ごすことが彼女の人生だった。
それが一階におそるおそる、否、図々しく降りて、ゴハンの催促をする、他の部屋を冒険してみる、
サンルームなんて入ったことのない16年、入ってくる。
モーさんにつられて自分の意志で行動している。
それが嬉しくてね。

モーさんはモーさんで、トモとはじゃれ合うということはできないから
下の2人と互いに獲物のようにして暗闇や筒テントの中で狙い合う。
ケナガは喜んで夫の部屋で跳んではしゃぎ、廊下をドリフトするのが好きそうだ。
わざとジャリジャリと音を立ててドリフトしている。

ゴハンの時は二階でトモと食べるのだが食べた後、いないなあと思い
下に行って見ると、ナナコと一緒に丸いベッドの上で寝ているのである。
それぞれ、少し前と違った行動が見えてくる。


陽射しに当たって寝ているモーさん。
明日もう少し温かくなってほしいね。










(2023/1/1)平和でありますように。

2023年01月01日 20時44分32秒 | 日常、仕事、認知症


あけましておめでとうございます。
正月からブログに向かうというのはとても良いこと、と自分の姿勢に感心しています。

今日は実家に父の知人家族が集まる日。
その前に
朝、元朝参りに夫と共に歩いて出かける。
私のリハビリ散歩コースの1つである神社へ。夫の通った幼稚園があった神社である。
昨年もその感慨深い思いを書いたような気がする。
本来ならもう少し先の大きな神社にお参りしていたが、私の足では斜面は危険なので
平地にある、程よい距離のいつもの神社へ。

そこでの祈りは
やはり全ての命あるものの平和である。
自分の身近な者たちだけではなく、世界の隅々までの、今生きているものたちが一年平穏に過ごせるように、
と漠然とした言葉であるが頭によぎる。

そのあと、夫と共に帰宅するのだが、その道すがら、とある路地の前で
「この路地、行ったことある?」と夫に聞くと
「行ったことがある。」と答えた。
生まれた時から離れたことのない、この界隈の「主」(ぬし)のような夫は、小さいころか中学生辺りか
通ったことがあるようだ。
私もこの界隈に住んで何十年も経てば少しはわかるのだが、しかし、入ったことのない路地は幾つかある。
迷うように入ってみた。そこに住む人々は毎日通る道なので、私の高ぶった感情は理解し難いと思うが、
とうとうこの路地に来てしまった、と興奮しながら眺め眺め歩いた。
夫は路地の入口で待つ。
またもきっと、「怪しい奴、と思われているぞ。」と言うだろう。
カエル探しの時の私の恰好がまさにそれだったから。

うちの前の路地とは雰囲気の異なる静かな路地であった。
広い庭を持った家はもう誰もいない、というのがわかった。
この界隈はこうして空き家、空き地になり、やがてマンションが建つのであろう。
せっかくのお屋敷のような立派な建物があっても、そこを継ぐ者なければ、どんどん売地となっていくこの辺。
やがて、私たちにも遠くはない未来に、この問題が出てくる。
感傷的に、空き家となった屋敷を眺めているけれど、今この年齢になって、家は大きく建てるものじゃないなあと
つくづく思っている。
若い時は、あれやこれやと部屋を夢見て建ててはみたが、
今、自分の寝ている所は、二階の居間だし、独立的な勉強部屋の自分の部屋は全くと言っていいほどに
利用していない。暖房も切ってしまった。
ここで一日のうち何時間も過ごしていたんだ、と退院したてのころ眺めた。
ここに寝ていたんだ、今は考えられない、猫のいる、にぎやかな、明るい、ゴチャゴチャした居間がいい、
一人はいやだ、と思って居間にベッドを置いたんだ。
夫は自分の部屋を大事に使っている。休み毎に音楽を聴いたり、何か作業をしたりと。
まだまだ、夫の気持ちは私より若い。

最初で最後の、この路地の歩き、こうなっていたのか・・・と漸く納得できただけでも収穫である。
いつかまたこの気持ちを書いてみよう。

実家に。
父は隣の家にいた。
去年と全く同じシチュエーション。
皆で行く、と知らせているのに、留守にして隣の家にいる。
あれ、去年もそうだったのではないかと。

皆と話していると、
大きな声で笑い、初笑いができてよかった、と思った。
愛想笑いじゃない、本当の大笑い。久々である。

そして自宅に戻ると
トモに変化。

食事の時に、身体を起したり、顔を上げてゴハンを待っている様子が戻ってきた。
それまでは、伏したままエサを手の甲につけて舐めさせたり、水も私が運んで飲ませたり、
トイレも抱えていったりと老人のようになってしまい、年齢だから仕方ないと思っていたが、
左後ろ足を引きずる姿に注目した。
元気の無くなる前日に、私のベッドの下で、ナナコとトモが喧嘩したのだ。
それは、唸り声とかではなく、
私は、具合の悪かったモーさんと横になっていたのだが、急にベッドが音を立てて揺れたので、地震かと思った。
モーさんも驚いて起きた。無言の取っ組み合いになったようだ。
慌ててナナコ、トモ2匹、階段を降りていく姿を見る。
それで足をぶつけたのかそのあと、ふさぎこんでゴハンを食べなくなり、排便もなくなった。
すると痩せていく。足腰の筋肉が弱る。
何が原因なのかわからなかった。
足をひきずる姿で、あ、あの時の・・と原因の一因になったのではと思った。
痛かったのだ。すぐに引きずってくれればすぐにわかったのに、一切動かないから、わからなかった。
今日あたりの身体の動きで、回復に向かっているのがわかった。
そして排便も少しあった。一週間以上だ。
写真に撮る。明日、先生に見せるため。

元朝参りのご利益、
大きい声で笑い合ったこと
トモの回復の兆し。
有りがたし。

実家に出かける前、陽射しの中で寝そべるモーさんとトモ。