僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(2020/7/24)もう1つの別れ①

2020年07月24日 09時30分34秒 | 日常、仕事、認知症
もう1つの別れについて。
それは、実習生のことだ。
最初、頼まれた時は暇つぶし、気楽な気持ちで引き受けた。指導は、他の看護師たちだし、私は、場所、機会を提供するだけと思っていた。シャワーを使用している所、そこで看護師はどうサポートしているか、トイレの付き添いのサポートの仕方、食事、血圧、検温など、1週間という短い期間で、身につくのは基本動作位であろう。それでも、初めて現場に出て1つ1つが実習生にとって勉強になったことであろう。
その彼女に、加わった経験の1つが、患者の痛みの苦しみを目の当たりにしたことだろう。実習対象を頼まれた頃は、左股関節の痛みなかったと思う。それからすぐに、
痛みを感じ出した。私含め看護師たちも、マヒの後遺症だから、多少の痛みは仕方ないと思っていた。だから、私の苦しみ方を大袈裟にとらえる人もいた。夜中、急激に来る尿意と身体を起こして車椅子への(今思えば、何でもないこの動作)
移動のたびに痛がっていた私にかなり苛立っていたと断言できる。実習生は、患者の最も痛がっている時に実習を始めたのである。私の夜中の痛みと孤独な状態の時は彼女は見ていない。朝、彼女は来ると、「痛みはどうですか?」と聞く。その質問は、看護師としてである。ところが、患者の私は、痛みの他に、夜中の孤独感まで伝える。時間に余裕のある彼女は、真剣に聞く。私に、逆に、冷静な質問をする。いつから、痛み始めたのか、どういう痛みか、私は、肉を引き裂かれるような感覚だと答えた。どの姿勢が痛むか。詳しく説明する私。私は、どの看護師よりも
彼女に説明していると思った。来る先生方に痛みを訴えたが暖簾に腕押し状態だった。それらも彼女は見ていた。中には、私の痛がる姿に何かを感じて、「今、先生に伝えるからね。」と言ってくれた看護師がいた。それが功を奏したのか急遽、整形外科で検査してもらうことになった。その時に彼女は午後から往復3回の運搬に関わり、付き添いも一貫して彼女がいた。他の看護師たちはその時手の空いていている人が担当した。ベッドからストレッチャー、診察台への移動も
彼女がつき(もちろん補助役)、私の苦悶の様子を見ていた。そして、水を抜く、という意外な結末の時は、もう彼女の帰宅時間になっていた。この痛みはどうなるのだろう、という疑問を残して帰って行った。金曜日の夕刻、2日連休前、彼女の最終日の前の日だった。そして、2日の休みの間、痛みが去ったことを確信した。整形外科の先生の痛みの原因がわかってから処置への迅速な流れ。彼女はそこまで見ていた。
2日後、月曜日の朝、彼女はあれから痛みは落ちついたかと聞いてくる。
続く。

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