「父が泣いた」の記事から一週間後の12日、母が逝った。
2つ目の病院に転院してから2週間も経っていない。
急激な変化だった。
食べなくなってから(元々、前の病院でも食べる量は少なかったが、食べる食べないは別として、毎日3食出ていた。それがこちらの病院に来てからは
食べないとなったら、食事が出なくなった)、急に弱り始めた。
こんなことを今更言ってもしょうがないが、あの病院に対する不信感は結局払拭できなかった私だ。
「死」が軽い。
そうだろう、毎日のように誰かが死に、淡々とその日の当番医師が「死亡宣告」して足早に去っていく。
私の目の前で、呼吸が止まったのは8時少し前。
父に電話をしたのが8時、とケータイに記録されているから、その時刻だ。
が、医師の死亡宣告は8時52分。
これが母の死亡の時刻になった。
親の死に目に会えない、とよく言われるが
神様、
私の目の前で、母、あっちに逝ってしまったよ。
私一人で母の最期を看取ったよ。
もう人事不省に陥っているから、苦しむとか痛いとか、見ていてこちらがつらいとかの感情はなかった。
穏やかな、というのもちょっとふさわしくない。
ドラマチックでもない。
静かに呼吸が止まった、もっともっと揺り動かせば、また再開するような静けさだった。
そしてその直後から
非日常の日々が始まった。
それは記録として、後に気持ちが落ち着いたときに書いておこう。
葬儀が終わって、一日休んで、仕事を始めた。
そして、死んだ時も葬儀の時も涙が出なかったのに
今日はいろんなことが思い出されて、いろんな後悔が押し寄せて
スーパーの中をウロウロしながら泣けてきた。
お母さん、ヨーグルトを毎日食べ続ける私です。
毎日、あなたに、ヨーグルトを買って、この味、あの味、と何種類ものヨーグルトを試して
自分も毎日食べているうちに、昨年から気になっていた腸の張りがすっかり無くなって
ヨーグルト効果だ、と思って食べています。
あなたに、あんなに勧めていた自分だから、これからも毎日食べます。
私は
自分の後悔に苛まれるのが怖いのだ。
後悔。
もっともっと、自分が今年の正月以降に
実家に顔を出すべきだった。
父の手紙が届いたときに飛んではいったが
もっともっと踏み込むべきだった。
台所の椅子に座っていた母の首を振った表情をもっともっと
自分のものにすべきだった。
強引にでも、父から引き離し、すぐに病院に連れていくべきだった。
そんなことを言ったって
もうどうしようもないだろう、とつぶやく。
葬儀期間中は
弔問客の接待に追われて、そんな後悔は押し寄せなかったが
どうして
日常に戻ると、次から次へと、押し寄せるのだろう。
実家に正月以来、久々に帰ったとき
母の表情が変わっていたので
「お母さん、大丈夫か。」と尋ねたら
首を横に振った、あの表情。
あれを忘れないでおこう。
私への戒めとして、あの悲しい表情で(もう、だめだ)という首の振り方をした母を忘れないでおこう。