僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2023/12/31)あと2時間で2023年が終わります。今年出会った人。

2023年12月31日 23時27分52秒 | 日常、仕事、認知症
何とか、今年中にブログを書こうと思ってきて、今ギリギリの時間に投稿する。
本当に乏しいブログでした。
胸にあるものをゆっくりと吐き出したい、整理したい、書き留めたいと思ってそれを実行できなかった数年。
過去のものにできない2020年。
今、日常の生活に埋もれているけれど、いつもいつもあの年を総括しなければと思ってしまう。

そんな気持ちを持ちながらも結局今年も貧相な生活になってしまった。
来年こそは、という言葉も空しい。

今年の出会いは誰だろう。
敢えて言うなら、「夫」かもしれない。
彼には今年、父の件でお世話になった。
私の為に(それが主ではないが)仕事を辞めた。
そしてずっと一緒の行動。
すると、時折離れた行動を取ると、不安になってくるのである。
お互いに仕事をしていた時はそんな不安を抱くことはなかった。
帰ってくるのが当たり前、それまで自分の用事を片付けよう、と思って帰宅を待った。
今はどうだろう。
ほとんど離れることはないから安心していいのに、
あの病気以来
「いつ、事態の急変があるかわからない、帰ってくるのが当たり前なんて不変のものじゃない。」
などと思ってしまう。

今月はカレンダーに書き留めたスケジュールがいっぱいだ。
毎週父の件で実家や病院に3,4日取られている。
郊外の病院、実家なので距離的にも往復掛かる。父はしょっちゅう私宛の手紙、託けをよこす。その都度病院から
連絡があり、その手紙の受け取り、用件の為の実家、実家付近の公共の場所に足を運ぶ。
夫がいなければ、私は行動できない。
病院や銀行での複雑な連絡事項、交渉、耳のよく聞こえない私は何度か聞き返し相手を不快にさせているかもしれない。
曖昧な返答を不審に思っているかもしれない。
夫はそれらをカバーしてくれた。
今後も続く。
こんなに長くかかると思わなかった。
3月、5月の父の家の中での2回の転倒骨折入院。5月のは外傷性クモ膜下出血である。一時は人事不省に陥り、これ以上
意識は戻らないだろうという前提で「看取り」の病院に転院する。
しかし父は奇跡的に意識を取り戻し、今ではリハビリ担当者がびっくりするほどに頭、上半身の健康な状態になっている。
そのため、父は早く退院して帰宅したい旨を訴えるのだが、
足元が覚束ず、また転倒の虞がある、一人暮らしは無理であろう、と先日の病院側との話し合い。
私は現在施設を模索中。
その資料も夫が取りに行ってくれている。

夫に感謝しつつ年が暮れる。
(昨日、喧嘩したけれど)

我が家の猫たち4匹、二階の居間、和室で過ごすようになった。
一階にいたケナガ、ナナコが二階に自由に上がってくるようになった。
冬は二階が良い。
暖かい。
夏、ケナガが肺炎を起こして危険だったけれど、今は元気。

来年もよろしくお願いします。


コメント
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