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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(9/30)おいしいお蕎麦屋さんへ

2013年09月30日 11時01分47秒 | 東日本大震災
今日で9月が終わる。
私の長期休暇(?)も終わり。
いや、もう少し延長しよう。
なにしろ
やろうと想定していたことがまだ終えていないので。
夫の北海道旅行あたりの中盤は
自分自身、かなりのんびりしていた。
少しずつ手をつけていない清掃などやってはいるが
まだまだ遅々として進まない。
就寝が働いていた頃よりも少し遅くなった。
時間を気にしないでテレビを観ていいんだ、と思って
バラエティ番組とか観ていた。
Mステも途中まで観た。
修二と彰のVTRが出る、ということでそれまで頑張って観た。
いろんな懐かしいグループの映像が流れたけれど
チェッカーズの映像が一番良かった。
カッコイイ、他のものとは違う、と思った。

山Pの金田一のドラマも観た。
意外に面白かった。
山Pはこういうのがいいね。
恋愛ものは自分の中で急にトーンダウンする。
だから、月9のドラマは結局観ることはなかった。


どんなに遅く寝ても、
習慣は根付いていて
4時前後に目が覚める。
5時には夫が起きるので朝食のあとに
30分くらい
ダイジローに胴輪をつけて
の散歩に出る。
ダイジローが便秘気味で、体調不良だったことが続いた。
暑さが残っていたのもあるが。
身体を動かさねば、気分転換させねば、と思って

庭に出してみたんだ。
喜んでね、じっとしていたり、ゴロンとしてみたり
草をかじってみたり・・・
おかげで体調が戻った。
便秘もほぼ解消された。
それ以来
ダイジローは
朝の散歩を要求する。
仕事をしていたときは
こうしてのんびりと時間を使うこともできず
ネコたちの相手もしていなかったなあ、と反省。
二階にいるネコたちは
私たちといる時間が長いので、相手もできるが
ダイジローは一階にいる唯一のネコなので
私が寝る時ぐらいしか相手ができなかった。
ごめんね、ダイジロー。


元の職場に行く、と言っていながら
うちを出るのはせいぜい、近所のスーパーへの買い物くらいで
ほとんど街の中に行っていない。
「トモロッシさん、来ないね・・・」と
Iさん、Eさん話していたそうだ。
そうとは知らず
昨日の朝、Iさんにメールをした。
「行かなくてごめんね、メロン、北海道から送られてくるから
それを持って行くね。」と。
午後に
そのメールを見たIさんから返信。
「ちょうど、Eさんと、来ないねえ、と話していたところだ。」と。
一ヶ月か・・職場を離れて。
行けば、何の話で盛り上がりそうかというと
私が
まだ夫に
職場を辞めたことを伝えていない、ということかな。
夫も義母も
この長期の休みについて
全く触れてこない。
わかっているのだと思うが
全く疑問の言葉も出さない、それが彼らのクオリティ。
私の両親だったら
追及され、説教され、罵倒され・・・・

今月の日曜は
夫の北海道旅行を除いて
遠出をした曜日だった。
被災したところを巡ったり
おいしいものを食べに行ったり
事前にネットで調べることが楽しみだった。
これまでの
日曜も仕事で、夫とはすれ違いだった日々の取り戻しのようなものだった。

先週は
岩沼(名取市の隣の市)の田舎家屋の蕎麦屋を目指したが
閉店していて
結局、名取のビール園のジンギスカン食べ放題に。





夫はその前の週に
札幌でジンギスカンを食べたばかり。
曰く
「札幌の方が美味しかった。ここ(名取)のは初めから味付けをしていて
濃い。札幌のは生のを焼いたので味わうことができた。」とのこと。
それでも
スタッフの気配りや笑顔など、満点だった。

その日は
以前行った閖上というところにまた足を伸ばした。





お彼岸ということで

お花が生き生きと飾られていた。



有名な蒲鉾屋の工場跡。
別な所で再開しています。
ここの笹かまぼこが一番好きだ。
名取、閖上等、今少しずつ活気付いてきています。


そして昨日。

夫は前日(土曜日)に
「明日行くところ、決めておけよ。」と言ってくれたので
早速
ネットで検索。

選んだのは
県南、角田(かくだ)の田舎家屋の蕎麦屋。
角田は、数年前に「はやぶさカプセル展示」を観に行ったところです。
ここは正解だった。
おいしいし、環境も私好み。





これ、個人宅の庭です。
2千坪あるそうです。

私たちは
全然、蕎麦通じゃない。
蕎麦の食べ歩きのブログを見ていると
麺のコシがどうの、つゆがこうの、とあるけれど
私たちは批評するほど食べてもいないし、訪れてもいない。
とにかく
おいしさとサービスが良ければそれで良し、の人間なので
自分たちに合った店にたどり着ければいいな、と、それくらい。

まだお昼前(11時過ぎ)だったので
先客は1組。
私たちが食べている間、帰るころにポツポツと来る。




中はこんな感じです。
いろいろと細かいところをチェックしたかったけれど。


中から庭の眺め。

そして


蕎麦はもちろんのこと、添えられた小鉢料理(きんぴら、ほうれん草の胡麻和え)も
おいしいし、杏仁(自家製ブルーベリージャム載せ)がおいしくてお替りしたかった。
天麩羅もアツアツで、量も多くて、夫に一つやった。
これで1300円(写真は夫の大盛で1800円)。

私がここを選んだ目的の一つは

写真、撮りまくり。
私たちの相手をしてくれて、そのあと家の裏の方に消えていきました。

何よりも
静かでのんびりとしていて、自分の田舎で食べている気分がよかったね。
年越し蕎麦もここに決めた。ネットで販売しているとのこと。
義母を連れてきたいね、ここ。
養蜂もやっていた。
もっとゆっくりとじっくりと眺めていたかった。
仙台に帰るまで
いろんな蕎麦屋の前を通ったけれど
車が駐車場に並んでいて、繁盛しているなあと思った。
きっと、おいしいのだろう、評判がいいのだろう、と。
でも私は
この隠れ家のような
のんびりと緑や花々を眺めながら食べるところがお気に入りです。

ということで
来週はどこになるのだろう、と考えています。
寒くなってくると
出かけるのも億劫になるので
来月いっぱいは
紅葉など楽しんでみたいと思います。


昨日行った蕎麦屋のホームページ
空海工房 壽庵

(9/29)あの鳩は・・・・

2013年09月29日 23時34分16秒 | 私の鳩
早朝6時過ぎに
ダイジローと庭に散歩に出ると
頭上から
鳩の鳴き声が聴こえた。

写真を撮ったのだが
この写真ではわからないね。
電線に一羽、鳩がいるんだ。
拡大してみたら、ちゃんと写っていた。
逆光だったので
どんな模様をした鳩かわからない。
でも
私たちに向かって
野太い鳩の声で呼びかけているように思えた。
思わず
「Pちゃん!」と大声で何度か呼んでみた。
家の中に入って
Pちゃん用の黄色のポーチを持って鈴を鳴らした。
この音、覚えているだろうか、という気持ちで。

それからちょっとした隙に
どこかに飛んでいった。

むろん
あれがPちゃんだとは言い切れない。
そうだ、とは確信などない。
Pちゃんが私の家から去って以来
うちの傍、庭とかで鳩を見たのは皆無。
去って以来の初めての鳩の姿だったものだから
つい
Pちゃんだと思ってね。

まさかね・・・・

(9/18)夫のおみやげは初音ミクだらけ

2013年09月18日 12時31分06秒 | Weblog
夫のおみやげ。
おみやげ、買ってこないと言っていたのだが
こんなに買ってきた。

初音ミクのストラップでも・・と言ったつもりが
まさかのこれ。
千歳空港で初音ミクの何かが売っているはずだから
1つぐらい記念に、と思って言ったのが、これ。
どうする・・・
私の周りにミク好きっていないよなあ・・・


というわけで
昨夜、帰宅。

全国的に台風だった連休、
北海道も雨模様だったらしく
美瑛の青い池には行かなくなったらしい。
雨が降ると、青い池も濁るので、キャンセル。
自然の所なので
トイレも何もないところらしい。

富良野や美瑛のレストハウスくらいに
絵葉書が置いていそうな気がするのだが
それは
旭川にいる妹に頼んでみよう。

帰ってくるのが一日遅れたことで
仕事に支障があり
仙台の空港に着いて、すぐ仕事先に向かったようだ。


旅行は可もなく不可もなく。
なんか、わかります、夫の性格。

私とは正反対だから。
あの人の最も嫌うのは

あてもなく歩くこと
あてもなく旅すること
夕日?なに、それおいしいの?
北国の空?寒くて見る気しない、って言いそうな人。

時間がもったいない、と言う人。

帰ってきて
いきなりあれやこれやとダメ出し。

私はポカ~ンとして聞いていた。
テンション高いよ、夫。
お疲れ様。

六花亭のお菓子を買ってきてくれたので
(なんやらかんやらと食べ物のおみやげも幾つか買ってきた)
それを持って
Iさんたちに会いに行ってこよう。
2日前に
Iさんからメールが届いたんだ。
お客様が愛媛から私たち3人娘におみやげを買ってきたので
来てくださいって。
彼女自ら
メールしてくるなんて初めてのこと。
積もる話もあるのでしょう。
六花亭のお菓子は彼女の好物なのでちょうどよい。
明日か明後日にでも。





(9/16)夫は北海道に留まる

2013年09月16日 16時05分48秒 | 思い出を紐解く
午後3時前、急に雨が強くなりだした。
ずっとテレビの台風情報をつけているのだが
いよいよ仙台にもあの強い台風が来た。
夫とは
朝から連絡を取っている。
今日は午前に小樽。
午後の便は当然欠航。
札幌に戻って、今日泊まるホテルを確保したらしい。
明日は
全国的に晴れマークがついている。
お昼過ぎに帰ってきてそのまま仕事になるそうだ。

昨日も強い雨で
その強さのピークに私は実家に出かけた。
父の友人のファミリーがやってくる。
早めに行って
料理の準備をと思っていたのだが
いろいろと作ってこちらに訪問するということで
あまり用意しなかった。
もう父も母も食が細くなっているので、余ったりしたらこの季節、まずい。
もったいない、もったいない、と言って食べる母だから。

何十年ぶりかに会う人たち。
父の友人は数年前に亡くなっている。
実はこのおじさんに対しては
私は複雑な思いを持っていた人で。



そもそも
私たち家族が、北海道から仙台に来たのはなぜか。

父はもともとこちらの県北の出身。
田舎の優等生だったが(通知表はオール優。生徒会長。)、大学進学はせず
北海道に就職。
父と同窓のそのおじさんも北海道へ。
そして
おじさん家族は先に、こちらの県に戻り
仙台で飲食店の商売を始める。

父は、その頃、道内の転勤族で
2,3年であちこちの支社に転勤になり
そのたびに母と私は付いていく。
そのうち、私も大きくなり
北海道の最終の地、苫小牧に。
そこで中学を卒業して、地元の高校に行くつもりでいたのだが
中学3年の6月ごろに
両親から
「会社を辞めて、仙台に行く、商売をする。」と言われる。
おじさんに誘われたらしい。
私は信じられない思いで
父に内緒で
おじさん宛に手紙を書く。
1通じゃない、2通か3通出したと思う。
おじさんさえ誘わなければ、父は北海道に留まったはずなのに、
なぜこの時期に、仙台に行かねばならないのか、と
抗議の手紙だった。
その手紙をおじさんは
父に全部、送り返して来た。
私の気持ちは一切無視された。
もう決まっていて、その抗議も空しかった。
あのころは日記を書いていたときだったので
今でも
当時の自分の気持ちを紐解くことができる。
どんなに抵抗しても
この親なので
私は条件を出した。
せめて、夏休みは苫小牧で過ごしたい、
飼っているネコも仙台に連れていきたい、と。
両親とネコは先に苫小牧を出発し
私は夏休みの間は
友人の家に居候した。
母は
私に
「仙台は、大学もたくさんあるし、今度住む家は一軒家(苫小牧ではアパート)だし、
いい所だよ。」なんて騙し騙しね。

そして
仙台に来て驚いたのは
その一軒家に、おじさん家族と住むことになっていたこと。
小さい借家である。
2学期から転入した学校では
「北海道から転校生が来た」と物珍しがられ、いじめもあった。
私の心は北海道にあったから
そこでの生活は「仮」と思って、能面のような表情で過ごした。
成績もすこぶる下がり、というより
こちらの学生は時期も時期だから、皆勉強家に見えた。
私は
卒業するまでの数ヶ月の生活を封印している。
自分の中学校は苫小牧だ、と思って過ごしてきている。

そのおじさんには、何かと突っかかっていた。
おじさんの子どもたちは可愛かった。
その子どもが昨日会った人たち。

おじさんも父も数年後独立して
それぞれ、繁華街に店を持つ。

そのころは
おじさん家族のことは
話に聞くだけで、会うことはなかった。
父は頻繁に会っていたようだが。

おじさんが再び登場するのは
私の結婚の件である。

私と夫は一人っ子同士の結婚。
父や母は
おじさんに愚痴っていたのだろう。
特に私は
養女で、育ててもらった恩がある、というのが付きまとう。
その割には
今では問題になりそうな、言葉と身体への虐待もあった。
M家(実家)を出ていく私を父はあの口調でいろいろと言ったのだろう。

ある日
夫の実家に突如と現れるおじさん。
父が頼んだか、おじさんが勝手に判断したかはわらないが
夫の実家に乗り込んで
「M家ではこの結婚を反対している。考え直してもらいたい。」とかなんとか。
夫の不在のときに
夫の両親に言ったようで
その話を聞いた夫は激昂。
見ず知らずの人間がやってきて、夫の両親を翻弄して帰っていく。
あまりにM家にこだわるので
夫の両親は
「別に、息子がM家に婿になっても構わない、本人同士がいっしょになりたいのだから
それはうちの息子に任せる。」と言ったそうだ。
何を余計なことを知らない人間が言いにくるんだ、と
おそらく今でもその件を許していないだろう、夫。
私は
このことでますます
M家を出よう、早く出たい、と思っていた。
結婚前は、両親のことでよく泣いていた。
あのころのことも封印したい。

そのおじさんが病気で痩せて痩せて今にも死にそうだ、ということを聞いても
あ、そう、という気持ちだった。


そして昨日
おじさんの奥さんであるおばちゃんが

「いやあ、あのころの私たちは商売に夢中で、子どもたちの気持ちを
全く考えていなかった。トモロッシちゃんの気持ちも全然考えていなかった。
手紙を読んでも、全然考えていなかった。ごめんね、トモロッシちゃん。」と
何度も言っていた。
私は
過去を許して、今を肯定することは安易にしなかった。
仙台に来て
しばらくは北海道のことをひきずり
そこで生活をして夫と会い、
ただただ
人生に「もしも」はない、全てのことが流れの中の出会い、出来事だと思っている。
親として、子どもの気持ちを汲んで上げられなかった、と言う言葉は
実は
私の両親の言葉として聞きたい。
しかし
自画自賛の父は言わないだろう、死ぬまで。
それは予測している。

今、仙台を好きだから、許す、ということでもない。

昨日の帰りは
家族で、うちに送ってもらった。
うちのカエルやネコ、義母にも会わせた。
今度また会いましょう、と笑顔で別れた。


歳月である。


(9/14)夫は北海道へ

2013年09月14日 20時38分31秒 | Weblog
9月に入って2週間。
夫は
今日から2泊3日で、北海道へ。社員旅行です。
ベトナム組と北海道組に分かれての旅行。北海道の方が
参加人数が多いとのこと。

おみやげは買って来ないと言っていた。
私はせめて
「青い池」の絵葉書は買ってきて、と伝えた。
そこに立ち寄る予定。
食べ物のみやげも、あまり食指が動かない。
大好物の「よいとまけ」も仙台で売っているし。

帰仙する明後日は
台風が直撃する日。
その日は、仙台だけ強い雨のマーク。
台風に向かって飛行機が帰ってくるようなものなのだが
絶対、影響あるよね。
帰ってこられなくても(その方が安心)、会社の旅行だから
焦ることはない。
却って、強引に飛行機を飛ばされるほうが心配。
あちらに滞在中はほとんど雨のようである。


その夫の旅行前に言えなかった、例の件。
とうとう
2週間も不自然な休み方である。
ここ2、3日は
「明日も休み、明後日も休み」というような小細工はしなかった。
夫は追及せず。
おそらく、勘付いているのだろう。

夫と
日曜日毎に
被災地始め、どこかに出かけることが楽しみになっていた。
次はどこに行こうか、南にしようか、西にしようか、北にしようか、と
ネットで調べるのが楽しみだ。
来週は
ネコの缶詰を買いに行かなくてはならないので
近場の「サッポロビール園 名取工場」のジンギスカンが挙がっている。
でも
今日あたり、札幌で本場のジンギスカンを食べている。
2週もジンギスカンが続くと
面白みがないので、もう少し南下するかも。

先月は
私の職場での最後の月ということで
チーフのIさんが
私の休みを日曜日に入れてくれたおかげで
ほぼあちこちに出かけていた。



そのIさん。

昨日、夫の下着とかを買いにうちから20分くらいの大きなスーパーに
行ったのだが
その帰りにバッタリと、もう一人のEさんに会った。
職場のことを聞かされた。
Iさんはクタクタで、来月に辞めようと言っているらしい。
確定ではないが
来年の5月に辞める、と私に言っていたので
それまで身体的に持たないのだろう。
私の後にまだ正式な社員は入っていないとのこと。
上司も今月いっぱいで、別なところに行くことが決まったとのこと。
また雰囲気がガラリと変わるなあ。

今月中には、どっちみち一回顔を出さなければならないので
Iさんとコーヒーブレイク、煙草タイムですね。


2週間経って
庭の雑草取りはあと3分の1残すくらい。
予定では10日ごろに終わるつもりであったが
暑くて挫折。
今日も暑い、暑い。
ちょっと掃除をしただけで、汗が噴き出す。
明日は実家に行くことになっている。
父の友人(故人)の家族が来るのでその集まりに。
彼らの小さいときから知っている私。
何十年ぶりに顔を見ることだろう。

(9/6)まだまだ終わらない。

2013年09月06日 22時15分45秒 | Weblog
今日も
無心に草取り。
仕事をしていた時とほぼ同時刻に起床。
あまり早く動き出すと、音がうるさいので
4時半ごろに家事をし出す。
今日はゴミの日で
大きなゴミ袋7つ出す。
3つは残して次回に。
6時半ごろから草取り開始。
南側のボウボウとしたのをおおざっぱにまず取る。
何ヶ月も庭に出ないから、人の通った道がもうない。
毎日のように
庭に出て、花を眺めたり、カエルを探したりすれば自ずから
雑草が踏まれた道ができるのだが
見事に庭に出ていない。
ササが増えていた。これは悩み。根が取れない。
こればかりは除草剤を使わなければならないかなあと思った。

西側に行くと
蔦が塀に沿って延び、コンクリートの地面、家の壁、北側の風呂釜まで
延びていた。
その模様は不気味だった。
写真に撮って、ここに載せようかと思ったが
ちょっとためらい。
いかに足を踏み入れていなかったかの証拠。
そして北側から東に抜けるドアを2年ぶりかに開ける。
前は
よく開けて、風を通し、空気の澱みに気をつけていたが
それさえも怠っていた2年だった。
草を刈れば、カエルたちが突如現れたりするのだが
この草ではカエルたちも逃げてしまったのだろう。
どこにもいなかった。


本当に自分は
この2年、家を顧みなかった。
仕事中心だった、と言えば聞こえはいいが
仕事で精一杯の生活、帰宅後は最低限の家事で終わりの2年。
夕刻になれば
もう寝る時刻のことを考えねばならない。

この長期の休暇(退職か)は
自分の身体のリセットの意味もあった。
足の指の爪が巻き爪のようになり、爪そのものが黒ずんでいる。
毎日、何千歩の早歩きのせいで、爪が正常に伸びなくなっていた。
指の間にはタコができ、爪にあたって痛い。
魚の目も何箇所かできている。
それらを少し戻したい。柔らかくしたい。
一週間近く、職場の靴を履かないでいるだけで、タコも柔らかくなった。

義母が気を遣って、お昼をご馳走してくれた。
(草取りは)もういいよ、と言われたが
私は
(このために仕事を辞めたんだ。家を顧みたかったから辞めたんだ。)と
自分に言い聞かせて、
仕事と同時間分、草取りに今集中している。

9月の夕刻の空。
懐かしい空の色になってきた。
それを眺めるのも久しぶりだ。
もう少ししたら
自転車で、町の中を散策だ。

(9/5)草取りに終始。

2013年09月05日 17時27分02秒 | Weblog


草取り3日目。
まだまだ細かい雑草が残っているが
大きなものをまず始末。
ここは東側。
南側が残っている。

ハズカシイ~。
この奥と更に北西側がすごい。
一体何日かかるのだろう。
除草剤使え、と言われたが
カマキリやカエルたちに影響があるのではないかと思って、手作業。
蚊に刺されて、泥をかぶって、腰を痛めて、雨に濡れて、結構重労働ですね。
残っている小さな雑草が瞬く間に伸びるから、もっともっと取りたい。

地味にこんな日を続けています。

ネコたちのトイレ(新聞とシート)用の新聞が少なくなってきた。
これまで、会社からもらってきたけれど
もう頼めないね。
向かいの家にも協力してもらっているが、全然足りないのです。
そこで
思い切って
近くの新聞屋に行って
「古新聞を分けてください。」と言ってみた。料金がかかるならそれも言って。
倉庫にはたくさんの古新聞。
これはどうするのか、と聞くと「業者が取りにくる」とのこと。
分けてもらったが、思ったより少なかった。
うちの新聞を取ってくれれば、もっともっとやりますよ、なんて言われた。
でも今の新聞は、更新したばかりだからなあ。
あちこちの新聞屋に行ってみよう。


夫にまた
「いつまで休みなんだ?ずっとか?」みたいなことを聞かれる。
「うん、しばらくは・・・」と言った。
そんな会社あるか?と言われそうだった。
義母も、「あれ?今日も休み?」という表情。
追及はされなかったが、
先月の5日休みが効いているなあ、こういう連続休みもある、と。

(9/3)3日目。そしてこれまで。

2013年09月03日 21時57分55秒 | Weblog
先月の初め、母の再手術のため、連続で5日間休みを取った。
今月に入って、その感覚で長期の休みになった、と思っている。
夫にそのようなことを伝える。
つまり、まだ、仕事をやめたことを伝えていないのである。
夫は9時前に寝た。

いつものように午後寝をしたのだが
仕事の夢を見てしまうね。
起き上がっても、今頃忙しいのだろうな、とか
残った2人がさぞ苦労しているだろうな、とか考えてしまう。
しかしまだ3日。そのくらいの長さの休みはよくIさんが取ったりしていたので
まだ序の口。

8月30日、金曜日。
気になっていた、上司への挨拶。
彼女は、私の退職を知ってから、態度が硬化した。
それはブログに書いた。
わだかまりはあったが、それでも最後の挨拶をしに行った。
落ち着いて話すことができ、たとえ私の直属の上司から、彼女への相談を禁止されていたにしても、やはり相談に来るべきでした、と伝えた。
そして彼女自身も、相談に来てほしかった、と言ってくれた。
円満退職ができた、と思っている。
翌日、最後の仕事。
相変わらず、忙しい。
忙しくて、考える暇もない、それぞれの部署への最後の挨拶の流れも掌握できない。
仕事中、他の部署から2人、わざわざ挨拶に来てくれた。
この2人は
ブログに書いていないが
5月の社員旅行のときに非常にお世話になった人たち。
このエピソードも書いていないくらい、時間がなかったんだ。
あとで紹介できればいいね。

そして
何よりも
いっしょに働いたIさん、Eさん。
彼女たちと最初で最後の外での食事。
私の食べたいもの、ということで
ピザを中心に。

2皿も注文した。その他にパスタ、ライスコロッケなど、量の多いものを注文して
3人とも、残すくらいに満腹になった。
2人にはひときわお世話になった。
私の
「一ヶ月は家のことをやりたい、自分のために時間を使いたい。」という言葉を
そのまま受け取って
「10月にはパートでもいいから絶対に戻ってきてね。遊びに来たときは
すぐに手伝ってね。」と言っていた。
Iさんは
「私も来年の5月にはやめるからね。トモロッシさんのように
自分のために時間を使うことにした。パートに切り替える。」と
言った。
皆、自分の時間、家庭を犠牲にして早朝から働いている。
特に、私たちの職場は、本部があるから(社長もその部下もいる)、
会議が多くて、それの準備等に私たちは本来の仕事プラスでサービス残業で
やってきた。息つく暇なし。
その不満も蓄積されている。
他のところだったらどれほど楽であろうか、とよく話していた。
それを我慢するか、我慢できなかったら辞めるか、という二者択一のようなもの。
私は後者を選んだ。

私は生来、のんびりした性格。
前の仕事(辞めて10数年、2007年に非常勤として4年間復帰)のときは
神経質なくらいによく動き、よくしゃべり、真面目に働いた。
若かったことと使命感と競争力とで、のんびりした性格を押して働いた。
Iさんを見ていると、昔の自分を見ているようだった。



少しずつ、家のことをやっていこう。
焦らずにね。
猫たちの相手も全然できていなかった。
今日は雨と曇りだったので、草取りに適した気温。
一日でできないほどに(腰痛も気になるし)、鬱蒼としています。
まだまだほんの一部。
あの雑草ぶりは
「貧乏暇無し」と言っているようなもの。まさにそれですけれど。
時間とお金があれば、素敵な庭、整然とするのでしょうが、
時間もお金もないので、生え放題。ごめんなさい。
これから少し、スッキリした庭になることでしょう。
カエルの通り道も塞いでいます。
カエルの様子も見なくなった自分。
昨夜久しぶりに出てみました。

あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃと焦って
何もやれなかった1ヶ月ではダメね。
今日、やったことをカレンダーに記入しています。
頑張りましょう、トモロッシ。

(9/1)岩出山「もみじ野」へ。

2013年09月01日 20時58分21秒 | Weblog
暑い暑い9月の初め。
いや、夏の終わりに、最後の30℃越えかな。
今日は
県北の「宮床(みやとこ)」という所へ。
「原阿佐緒記念館」へ。

歌人、原阿佐緒の生家です。








明治、大正、昭和と恋に生きた女性です。
綺麗な方で、昔の女性らしくない、恋多き波乱万丈の人生。
この方は、私の卒業した大学の校章をデザインした美術家でもありました。
生家は洋風建築で、田園の中で当時は映えていたと思われます。
彼女の残した作品が展示され
石原純が利用していた机、椅子も展示されています。
石原純との恋愛についてはウィキなどで検索を。


夫と中華を食べるつもりだったのが
岩出山に行く過程で
「もみじ野」という有名な蕎麦屋があるということに気づき
急遽、そこへ。

仙台近郊の田園や別荘地を検索していて
いい物件だなあ、と思っていたところがちょうどその蕎麦屋の向かい辺りだったので
かねてから行きたいと思ったいた所。






囲炉裏の傍で食事。




夫が食べた、「岩魚の天麩羅蕎麦」が好評でした。
身が厚くて、「おいしい、おいしい」と言って食べていました。
1600円です。
ここに行って、正解だった。

そのあと、もう少し北上して
道の駅に行き、野菜などを買い、帰宅。



昨日は
3人で最初で最後の食事。
これについては長くなるかもしれないので
また後ほど。
もう寝る時刻。
この習慣はなかなかとれないでしょうね。