僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2020/8/25)パラリンピックの父の言葉

2020年08月25日 11時59分38秒 | 日常、仕事、認知症
入院して、今日で2週間。午後3時半、夫が来て、主治医などから説明がある。これからどの位入院するか、言われる。私の気持ちはちょっと暗いです。予測できるから。
先日たまたま観ていたテレビ番組で、パラリンピックの父と言われた方の話、そしてその方に影響受けた日本人の話を知った。全部を聴き取れなかったが、おそらく自分が、病気前だったら、目に止まらなかったか、聴き逃していたことだろう。そして、彼が残した言葉「失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ。」を今更ながらに知る。昨日今日出てきた言葉ではない。戦争で手足などを失って絶望、消沈している元兵士達が、生きている実感を取り戻す為の好機として、スポーツを奨める。そしてあの言葉が生きてくる。何十年の間に、彼を取り上げたこと数多あるだろう。世界的にも知られ、知らないのはこの私ばかり。私はこの病気になって、まさに失ったものを数えようとしていた。夫の精神に相反する。まだ失ったのか、停滞しているのか、生き変えるのか分かってもいないくせに。
今日の見える空は雲が多い。まだ30℃超えは続くだろうが、秋が順を押してやって来ている。腐らずに行こうと思う。
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(2020/8/19)リハビリで、分かったことの一部。

2020年08月19日 10時35分29秒 | 日常、仕事、認知症
11時のリハビリまで時間があるので、ベッドから離れて、外の見える食堂まで導かれて、久しぶりに陽に照らされたビル街を眺めつつ、これを書いている。青空も見える。雲一つない。怪しげな看板の掛かるマンションの一室さえ、何故か愛しく感じる。ビルの屋上の陰になった所で、ハトが3 、4羽休んでいるのも愛しい。彼ら少数派の秘密の憩いの場所に違いない。見たことのない街並みは、想像をかき立てられて面白い。 私のベッドの所は、カーテンで仕切られ、灯りも薄暗く、これがずっと続くかと思うと、気分的にふさぐ。すると、ある看護師が、声をかけてくれ、食堂の場所と眺めを提供してくれた。これから、たびたびここを訪れるかもしれない。私の、棟内車椅子走行フリーがトイレ🚻だけではなく、生かされる。 1つ書いておきたいこと。 前の病院でも、今の病院でも、私はベッドの寝起きに非常に苦労していた。ベッドの床の柔らかさ、周りにしがみつく箇所がなかったり、少なかったり。起き上がろうとしても、力がないから、すぐ後ろにひっくり返る。体をずらして、また試みようとしても、その同じ繰り返し。体力も気力も削られてようやく、車椅子に乗る。車椅子の方が腰が安定するので、一度乗ったらずっと同じ姿勢だった。先生方には伝えてきたし、実際に苦労して起き上がる姿を見てもらった。そして、こちらのリハビリでは、体のマッサージから始まった。ほぐし、歪みの矯正、腹式呼吸、無理しない範囲の腹筋、などなど、語弊があるかもしれないが、地味なリハビリだった。 歩き方のは、ほんの少しだった。そして昨日の早朝、🚻に自力で起き上がって行こうと、体を起こしてあちこちに捕まろうとしているうちに、自然に起き上がってしまった!で、また寝て、同じようにすると、自分の腰で、背筋で起き上がれた。嬉しかった。先生方のリハビリは間違っていなかった。「地味」を「着実」「堅実」に置き換える。あのリハビリの繰り返しが、失われた背筋力や腰の力をよみがえらせてくれたんだ。ありがたい。 まもなくリハビリが始まるので、部屋に帰ります。
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(2020/8/17)転院して約一週間。

2020年08月17日 10時09分35秒 | 日常、仕事、認知症
こちらの病院に転院してから、明日で1週間になる。環境に慣れたか、自分の体が順応しているか、自分の環境の改善点などを冷静に見て行かねばならない。ここにおける最終的な目標の為に空いた時間の過ごし方も、工夫して、計画を立て、実行していかねばならない。そろそろ、1日の流れがつかめてきた。今日から、夫、暑い中仕事だ。私も、通常の気持ち で過ごさなければ。ベッドの上でごろごろ、なんてやめよう。皆、働いている。
今日の第1回目のリハビリは11時から。朝一の9時からが多いが、今日は午前の最終である。リハビリの先生は前の病院もそうだったが、皆、優しい。そのように指導されているのかもしれないが、なかなか人間、完璧ではないはず。決して怒らず、冷静に指導している。それが徹底している世界。私の冗談も、弱音も、疑問も、注文も、誠意を持って答えてくれた。前の病院のリハビリの先生に感謝申し上げる。そしてこちらの先生方も、私のそれらに付き合い、目標に向かっていく。
私の文は、序文で終わりそうだ。あ、昨日、パソコンの打ち方を、実物を使って練習したが、思った以上に難儀した。左手が、まず落ち着かない。相変わらず、ユラユラする。指を定位置に置いていると、それが無意識に打ち出す。また、目的の文字を打ち出すと、例えば、「あ」が「ああああああ」と幾つも重なり、その訂正ばかり。自分の左手、左指の実態が分かって消沈したが、今は分かってよかったと思っている。新たな具体的な目標ができた。
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(2020/8/15)夫との面会。

2020年08月15日 07時58分32秒 | 日常、仕事、認知症
昨日、夫に5分間会った。1ヶ月ぶりである。重要な書類を私から渡さなければならず、転院の日も1人だったので唯一接触する日を逃した。私の手には、前の病院の14日まで支払い請求書があった。コロナでどの病院も面会禁止で、看護師やら、相談員やら間に人を介することの手間、時間、調整などなど、前の病院の相談員、看護師に辟易していたので、こちらの病院の相談員には、何度か呼んで、夫の仕事の事情、休みの日など伝えた。

昨日当日、重要な書類を、いい加減に扱われないように、受け渡しの看護師の名前を聞いて、病院の玄関口に向かって歩いている夫にメールで知らせようとした時に、看護師長が来て、「旦那さんがいらしたら、こちらの病棟に上がってもらうように手配した。話す場所は、廊下、5分間。」と言っている間に、夫は廊下に設置された椅子に座っていた。素晴らしい対応だった。こちらの相談員(彼はその日、休みだった)が、看護師長と事前に打ち合わせしてくれたのかもしれない。面会禁止の緩急は病院の裁量だ。その貴重な5分間を私たちは、ほぼ喧嘩腰口調で話す。そして時間切れ。いつもの私たちである。なんやかんやと言っても私は夫に感謝し、申し訳ないと思っている。後から来たメールは、「あなたはリハビリに専念してください」だった。ありがとう、夫。私は、すっかり涙もろくなっている。
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(2020/8/12)転院。夫とのこと。

2020年08月12日 07時23分55秒 | 日常、仕事、認知症
昨日夜書いた記事がまた消えてしまってあきらめて眠った。
転院して、今までの病院の設備などとの違いの中で、私のベッドが廊下側で空が見えないことが大きい。空の様子を見て、今日の晴れ、曇り、雨が分かる。そして、夫の仕事に思いを馳せる。なるべく、涼しい日であってほしい、と。天気予報が頼りだ。やっぱり私は、夏が嫌いになっている。
昨日は、夫は、仕事が忙しくてそして家に帰って疲れて、私にメールする気力もなかったようだ。以前、全く連絡(基本、メール。)が来ず、電話を2回しても出ず、事故か何かあったのでは、と気が気でなくて、とうとう私は、隣のうちに、夫が帰っているか確認してほしい、とお願いしたのだ。何も見えない、何も情報がない、あの時の不安に泣かせられた。昨日夜もそうなりそうだった。あの時、隣の奥さんはメールで、こう言った。「きちんとやっているようですよ。心配しないで、あなたは治療に専念してね。」と励ましていただいた。夫にして見れば恥ずかしいことだったろう。
夫の状況を考えずに自分だけの考えに固執する自分は、ある意味、病的である。
仕事が暇な時に、小まめにメール送ってくる夫を基準にしては駄目なのである。
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(2020/8/10)朝の眺め。1ヵ月。

2020年08月10日 07時14分43秒 | 日常、仕事、認知症
朝食前のひととき。🚻に行って窓際のテーブルの前に座る。
方角としては、多分北西。普段来たことのない町並み、窓から見える建物はヒントにならなかった。1ヵ月、見える景色の一つに、ハトの群れの朝夕の飛行。今も飛んでいる。大きな窓の割りに空の見える範囲が少ない。北側のせいか、暑い日の照りが今一つ分からなかった。暑さに弱い私にはよかった。それらの眺めも、明日の朝でお別れだ。明日、転院するんだ。歩けぬままにリハビリ転院。歩けるようにリハビリ転院。左足は、最初は死んだように動かなかった。が、今、少し力がいるが、左足自ら右足にかけて組めるようになった。足の指も、親指以外、わずかだが内側に傾くことができるようになった。死んではいない、そう思えるようになった。私のことだから、順風満帆に進まないのだ。そう思って夫の言う、何千回、何万回のリハビリをしていこう。Mさんにいつか見てもらうんだ。
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(2020/8/9)リハビリ転院していった人からメール。

2020年08月09日 11時14分06秒 | 日常、仕事、認知症
あれからこの時間まで書いていた記事がぜ~んぶ消えてしまった。ああ、ショック。慣れないスマホに、書いている文の主語述語が変でもまあニュアンスが通じればいいや、と。また、出直します。
そうそう、91歳の方、昨日退院。背筋、腰、姿勢よろしい。あこがれのおばさんだ。お婆さん、なんて書けない。100歳超えるね。11日に、92歳になる。獅子座だ。獅子座は明るい。ポジティブ。私のグダグダ言う性質と反対。
私の向かいにいた、Mさんからメールが来た。痛々しい傷が印象的だった、頭も坊主で、本当に大変な手術だった人。でも、彼女、歩けたんだ。急性期入院過ぎてリハビリ転院していった。何と、昨日、リハビリの先生と少し走ったそうだ。ヒャー!すごい!歩けていない自分はどんどん置いていかれそうだ。服👚を着るのにまだ難儀しているとのこと。いつか、リハビリが終わったら再会することになっているんだ。楽しみだなあ。
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(2020/8/9)朝のつぶやき

2020年08月09日 07時04分00秒 | 日常、仕事、認知症
朝の6時過ぎである。
夜は夕食後から消灯9時まで長く、9時前からうつらうつらして夜中0時ピタッとトイレ🚻に目が覚め、そこから朝方まで、考えごとをしたり、ネットをしたり、夜明けまで過ごす。その時間の長いこと。全てが長く長く感じられる。昨日から3日間連休。リハビリもない。ほとんどの業務がお休み。時間が長く感じられる半面、暑い日に働いている夫に、休みが続いて良かったなあと思う。
昨日は、私のパジャマ、紙おむつ、猫用の🚻シート、猫缶など、5、6ヶ所のホームセンター、ドラッグストアを巡って疲れて帰ってきたそうな。そこから自分のご飯の準備、猫たちの相手(夫は通い猫(=^_^=)に好かれている)、洗い方、風呂、漸く好きな
ロックを聞けるかなあ。
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(2020/8/8)山P・・・・・

2020年08月08日 09時42分02秒 | 山P
山Pか・・・・・・・・・・・
そういうことに関しては、自制が効いている人だと思っていた。別にヤケになる落ち目の人じゃない。何でこういう時に。嘘であってほしい。せっかく、亀ちゃんとまた、新しいものを作れそうな感じなのに。
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(2020/8/7)また、お別れの話。

2020年08月07日 18時51分55秒 | 日常、仕事、認知症
8月7日、本来なら夏祭りで観光客がどっと押し寄せてどごも賑わっている日だ。うちの会社も店頭でかき氷、飲み物を売ってワイワイやっていただろうなあ。
会社に8月10日付けで退職願いをマネージャーにラインで知らせる。文書で提出できないので。挨拶は何カ月か立ってからか。

一昨日、私の向かいのベッドの人がリハビリ転院していった。
その人が集中治療室からこちらの病室に移動してきた時、かなり大変な手術をしてきたと見てとれた。頭や足等、手術痕があり、まだ目も虚ろだった。点滴棒には、御守りや家族の写真、飼い猫の写真が大きく引き伸ばされ、看護師の手で飾られていた。家族の祈りがそこに集中していた。
私は、自分から気軽に話しかけることができないから、挨拶程度だった。向かいにいるから、互いにどのように過ごしているか、お互いが見えてきた。看護師たちがたくさん話しかけて、彼女に笑顔が多くなった。段々、部屋の他の人(4人部屋)と
も「おはようございます。」「リハビリ行って来ます。」笑顔で声がけできて、話さなくても、良い雰囲気になっていた。一昨々日(さきおととい)、彼女が話しかけてきた。
私は、その位の距離だと聞こえないので、何回も聞き返すかもしれないとコトワリを入れて応じた。便秘の話である。私が、座薬を看護師に感謝している場面を見ていて、今自分も苦しいのだが、どうだろう、と後押ししてほしいようだった。
勿論、私は、いかに座薬があの苦しみから解放してくれるか、座薬の挿入なんて苦しみから比べれば何ともない、うちの猫たちがいかに苦しかったか、今になって知るなどなど、いつもの自分が出た。それをコロコロ笑いながら聞いた彼女は、看護師に座薬挿入決意を伝えることになった。
それからは二人で、堰を切ったように話し出した。彼女は、私の誕生日を知っていた。看護師が血圧を測る度に個人情報を聞かれ、明朗に答えていると、誰もが覚えてしまいそうな声の大きさである。私は、他の人と看護師のやりとりは一切分からない。彼女は、私よりずっと若い。ああ、この年齢でも、不摂生してなくても、病気は突如として襲うものなんだなあと。
彼女は、語った。「死んでもおかしくない状態だった。倒れた時、手術前後、この部屋に移された頃の記憶がない。
私、着替えも分からない、自分の名前も書けないんです。」などたくさん吐き出した。「こうして笑いながら話していると、頭、言葉のリハビリになるね。」と言い合った。そして、「私、明日、転院なんですよ。」と言う。「ええー!?」私の驚きとがっくり感は隠せなかった。後悔もした。だから、彼女は、思い切って私に話しかけたのか。せっかく話が合いそうなのに、またも別れか・・・・そして、写真を撮ろうとなった。
私の隣の人にも声をかけた。そして、その方の病気のことを聞いた。皆、話したいことがたくさんあった。もう一人いたが91歳というお年寄りで、横になっていたので話しかけることは憚られた。もしかしたら、うるさくてイライラしているかも、ということで謝った。すると、その方は、ガバッと起き上がって、自分も話に入りたくてウズウズしていた、と。私たちは大笑いしてその方中心にしてまた話が盛り上がった。髪の毛がしっかりしているところや、肌の艶、言葉が明瞭なことなど、義母を
基準にしていた自分の偏見を恥じた。皆、話したがっていたのだ。皆、優しい心を持ってこのひとときを愛した。
翌日、彼女は、リハビリ転院した。死んでもおかしくないと、家族は覚悟したかもしれないが、それを乗り越えて生還した人生を歩み出した。その刺激から、
私も、連休明け、一人でリハビリ転院をすることにした。
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(2020/8/4)今日は父の誕生日。

2020年08月04日 17時06分18秒 | 日常、仕事、認知症
今日は、私の父の誕生日だ。
午後のリハビリを終えて、父にメールした。
現状報告と夫が私のために奔走してくれること、叱咤激励してくれること、
そして、亡き義母の後に父の面倒を見る予定が 狂ってしまい、申し訳ないと書いた。どんな姿になろうとも、また台所に立って料理すると書いた。お盆には、夫が
お線香上げに行くと書いた。夫、父苦手だけど、老いて行く父のためにどうか顔を出してくださいませ。

昨日は、トイレ🚻の自立ということで、看護師の介助無しで、一人で行くことの許可が出た。車椅子であるが、多忙な看護師を何回も呼び出すのが気が引けていた。リハビリの先生が何回か練習を設定してくれて、昨日O.K.が出たんだ。2時間置き、時に1時間も経たないうちに急に来るのだ。よかったね。

私の左足の指、全然動かない。先生曰く、このままかもしれない。だから、靴を履く時、力が無い、左右に動かない、時間がかかる。頑張れよ、私の左足指。
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(2020/8/1)思い出すは、昨年の夏、熱中症。会社のこと。

2020年08月01日 14時24分01秒 | 日常、仕事、認知症
8月。ずっと建物の中にいると、外の気温がわからない。でも、入院した時から、曇天、低気温だった。昨年の夏、今頃、毎日が暑かった。自分たちが働く場所(真夏でも、火を扱う所)と、客のいる所と2ヶ所エアコンが壊れて数日間、工事が曖昧なまま過ぎていった。上司に抗議できない正社員のリーダー、マネージャー。熱中症で倒れるだろうと訴えても、アルバイトの意見は無視。そして、8月3日私が倒れた。あの日のこと、忘れない。暑くなるたびにあの恐怖感が甦っていた。職場ではなかったが、その翌日に 私の代わりにシフトに入った上司が身を持って、現場の危険な暑さを体験し、即エアコン工事となった。リーダーは、「トモロッシさんが倒れたおかげですぐ取り付けてくれたんだよ。」私は、自分の生命を削ってまでエアコン工事の手柄にするなんて毛頭ない。そういう言い方をする同僚を侮蔑する。全く相容れない考え方、言動である。
コロナが騒がれ始めた時も、「会社は、マスクしないという方針らしいから、外してね。」私「はあ?」世間がマスク定着した頃、それに乗った感じだ。
さて、そのリーダー、今頃どうしているだろう。全く連絡が無い。いや、むしろ彼女が、トモロッシさんから連絡があるべき、と思っているかもしれない。
倒れた当日、私は彼女に電話した。シフトのこともあったし、長引くかもしれないと詫びを入れようと。だが、その後も電話したが出なかった。これはマネージャー経由で知らせた方がいいと思った。私は、正式ではないが、こんな体ではもう働けない、退職日付は会社に一任する、と言った。それでも会社は「いいから治療に専念して」ときた。

やはり、もう一度、マネージャーに伝えよう。
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