僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(7/3)母の再手術

2013年07月03日 08時11分47秒 | 両親のこと、入院のこと
休日3日目。
夫は6時半に出勤。
私は昨夜8時半に寝たので
3時前には目が覚めてしまった。
朝から
こうしてブログを開いている。


昨日は実家に。
母の病院の付き添いのために迎えに行った。
2時半の予約時間には十分時間があったので
数時間実家で過ごした。
父は既に自分の病院に車で出かけていた。

家には
母ともう一人いた。
このブログに登場していた又甥の母親(父の甥の嫁。私にとって従兄弟の嫁。)。
県北の自分の家に夫を置いて
今ずっと私の実家に宿泊している。(数ヶ月単位)

昨年末に
父から私に
「遺産相続放棄せよ。」と言われて
その遺産がどうなるかの内訳を聞かされたときに
なぜか
その又甥の母親にも幾らかのお金を渡すことを聞かされていた。
私の実家は、又甥に贈与の予定。
その又甥の母親であるから、いずれこの家は彼女も入ることになるだろう。
そして今
数ヶ月に渡って
私の両親と同居し、母の話し相手になったり、食事を作ったり、掃除をしたりしている。
悪い書き方をすれば
ジワジワと実績を作っている。

又甥家族は、うちの近くに住んでいるのだが
そこに寝泊りせずに、私のうちにいる。

で、彼女も自分の病気を抱えている。
頭(脳)に瘤があり、いつ破裂するかわからない状態。手術も躊躇。

昨日はその彼女とじっくり話し込んだ。
彼女の夫、又甥の父、私の従兄弟であるJについて
いろいろと聞かされた。
私の両親から断片的に聞かされたことがあるが
より具体的に聞かされた。
田舎の長男であるJは、遺産を一人で受け継ぎそれをギャンブルに使い果たし
それだけでは飽き足らず、昔のサラ金に手を出し、返済を別な親類(父の姉)から
援助してもらい、それを今細々と返しているそうだ。
遺産を手に入れると人間ダメになる、と彼女は自分の夫を見てきたので
私の父に
進言したそうだ。
「生きているうちに、絶対トモロッシちゃんにお金をやったらだめだ」と。
(これは父から聞いた。)

あまり彼女と話したことがなかったし
そんなことも父から聞いていたし
(父は、彼女の苦労に同情しているが)
私以上に
私の実家に入り込んできていることに私は不快感を持っていた。
それでも
私は父との衝突は避けたいので
父の言われたとおりに
遺産相続放棄に同意した。
その過程は以前のブログに書いた。
同僚たちや、義母から
そんな仕打ちをされて
もうこれ以上、両親の面倒なんか見るな、と言われたが
そうもいかなかった。

最近父が2回も車をぶつけている、と聞いた(いずれも自損事故)。
父も自分の病院通いに精一杯。
そして今回の母の転移。
親子である以上、どうしても面倒を見なければならない。

母を連れて
タクシーで街の中の病院へ。
実家からは遠い。
帰りは
一人で母をタクシーに乗せて帰らせる予定になっていた。

担当医に話を聞くと
肝臓に2箇所の転移。
再手術を勧められる。
放っておくと1年以内に肺などに更に転移、腹部が腫れる等の話。
母は話がよくわかっていないので
先生の言われるままに
「はあ、はあ」と返事。
が、やはりショックは隠しきれず、顔を覆ってしまった。

先生の話をメモして
父に渡すように母に指示。
次回の予約をして(この日も私が付き添い。胃カメラ。)
タクシーに乗せようとしたが
母は不安がる。
頭が正常であれば、それくらい簡単なことだが
自分が不安で、目的地にたどり着けるかどうかわからない。
今はナビがあるから、メモに書いた住所を渡せば大丈夫、と
言ったが、不安だということで
じゃ、私も乗って送るから、と同乗。
結局
実家に私も戻る。
玄関で父に説明。
そして
バスの時刻があるので(1時間に1本のところ)、急いで歩いてバス停へ。
これが疲れたのよ。
歩くのは苦にならないはずが
重たい新聞を持ち(実家からもらってくる。猫のトイレのために。自分の家の新聞だけでは足りず、会社からもらったり、向かいの家からもらったり)、
小走りの10分は疲れた、疲れた。しかもサンダルだし。

バスを降りて、地下の駐輪場に行ったとき、股関節の痛みがあって歩けなかった。

これから
また母の病院の付き添い等を考えて
実家に送り迎えすることや
夫の夕食に間に合うように帰宅することや
自分の仕事の内容の負担が大きくなることや
自分の身体のことや

ああ、これは仕事をやめる方向へ、と気持ちが傾く。
こうして3日間続けて休めたので
今日は身体の回復をしようとしているけれど
実際、家の庭の荒れを見ると、草取りしなくては、と思ってしまう。
家のことも疎かになっているんだ、この仕事をしていると。
そこに介護が入ってくるとどうしても
自分だけでは無理だなあ、と。
だから

実家にいる従兄弟の嫁さんには
逆にありがとう、という気持ちになっている。


少し音楽でも聴きましょう。
70年代のでも聴きましょうか。




コメント (2)
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(7/1)あれから2週間

2013年07月01日 10時37分48秒 | 私の鳩


放鳥して今日で2週間である。
2週間前の月曜日、自分の休みだったので
「戻ってくる」と信じて放鳥した。
だが
この2週間、戻ってきていない。
もう
自分の心の中では半分諦めている。
そして
これがあの鳩と自分の間の最も良い結論であろう、と
強引に言い聞かせている。
時間が心を少しずつ解放してくれる、と思うようになった。
心の片隅に
カップルとなってPちゃんが戻ってくる姿があるが
それさえも厳禁にしないと、自分の心は解放されないね。

7月。
今日から私は3日間お休みです。
1ヶ月に6日しか休みがないのに、一週目で3日も休みになるなんて
あとがひどい。
休みは、チーフが勝手に決めるので
それに従っている私とEさん。

昨日まで10日間、休みなしの勤務。
その間、チーフが旅行に出かけて
私とEさんが2人でずっと働いていた。
身体的にきついが(昨日は腰痛で限界だった)、
精神的に楽だった。
穏やかな空気だった。
チーフが昨日久しぶりに出勤して
おみやげと土産話。
またいつもの緊張の日々が展開される。
チーフが帰ってきて久しぶりの職場での開口一番が
留守の間のEさんへのダメ出しだったらしい。
「長い間、留守にしてごめんね。」とか何とか
労いの言葉もなく、
私には
「天国から地獄に戻ったようだ」と愚痴っていた。
開口一番、それか、やっぱり・・・と私は思った。

公休の申請は
基本、3人で決めるのだが昨年秋くらいから
ずっと彼女(同僚です。そういう権限がないはずだが。)が
決めるようになった。
自分の休み(たい時を最優先して)を入れて
その後に私とEさんの休みを勝手に入れる。
こちらの都合など聞かない。
この辺の疑問がずっとあったので
以前3月に
上司に、退職願を出したときにそのことを言ったのだが
上司と彼女が一度衝突して以来、上司は全く
彼女のことについては触らぬようになっていたので
そんなのはそちらで解決してくれ、と言われた。
こんな問題でさえ解決できない空気だから、上からの何かが欲しかったのだが
甘かったね、私。

Eさんは
私の前、上司の前ではこの仕事に関してスペシャリストになるのだが
チーフの前になると
どうも全く無能扱い。
慰労会でもしなくては。


明日は
実家に行き、母を連れて
病院に行くことになっている。
どうも、定期的な検査で
思わしくないことがあり、
その説明を夫である父よりも
娘の私に説明したい、と主治医から指名されたとのこと。
以前の入院での付き添い、手術の説明、経過説明は
私が引き受けたので
その流れかと思う。
転移しているのかもしれない。
母は至って元気らしい。
明日は何か作っていくか・・・


仙台は
6月はあまり暑くなく、暑さ苦手の私には
過ごしやすかった。
梅雨ではあるが
そんなに降ってもいない。
庭の雑草の荒れた状態、休みのうちに
何とかしたいけれど、一人では無理の範囲。
少しでもやらなくてはね。




コメント (3)
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