僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(12/31)今年の出会い

2014年12月31日 04時43分43秒 | 日常、仕事、認知症
出勤前に。

今年の出会いを考えてみた。

元同僚のIさん。
彼女に今年非常にお世話になった。

日曜日(28日)
どうしても年内に挨拶したくて
この日に会った。
もっと前の日に約束していたのだが
カズのことがあって
仕事が終わったら即帰っていたので
この日に伸ばしてもらった。

彼女と会うときは
イタリアンと決めている。

うちの職場の近くに
つい先日オープンしたばかりのそれがあった。
そこにする。

お歳暮の形で
商品券と彼女の好きなお菓子の詰め合わせ。
ところが
彼女はそれ以上のものを私に用意しており
恐縮した。

彼女は今の仕事に張り切っている。
彼女自身
これまで生きてきて
正社員としてちゃんとしたお給料、ボーナス等の出るところは
初めてらしい。
むろん
元の職場(今、私がアルバイトしている所)でも正社員だったが
給料の面、退職金なしなど悲惨だったために
やめても全く影響のない所だったので
カウントしていないらしい。

その初ボーナスで
トモロッシさんに、といろいろ買ってきたのだ。

私はこの1年
彼女との食べ歩き、いろんな神社などの訪問、
そしてつらいときのアドバイスなど
感謝でいっぱいだった。

来年もまた暖かくなったら
自転車で
古い町並みを探して、イタリアンを見つけて
食べ歩きの
ストレス解消をしたいものだ。

そんな彼女に感謝して
今年を締めくくる。

今日、大晦日。これから仕事。
そして明日元旦。仕事である。
そのあと
私の実家に行く予定。
今日は
午後からおせち作り。
昼寝をしたいが、時間がない。

ではこれから
仕事に行ってきます。

今年は怠慢なブログでごめんなさい。
反省しきり。

では来年もよろしくお願いします。
コメント (4)
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(12/31)遅ればせながら、旅行の話を。

2014年12月31日 04時23分22秒 | 日常、仕事、認知症

旅行に行ってから1週間以上経ち
ブログを書く。

すぐに書きたいところだったが
疲れが取れずに
仕事になり
この年末忙しいときに書き始める。

総じて
楽しい旅行になった。

普段あまりコミュニケーションのない人たちと
楽しく接することができてよかったと思う。

1日目は
横浜に。
皆は八景島に行くとのことだったが
私はジャスさんに久々に会うために
横浜駅で皆と別れる。

横浜駅の複雑さ。
何とか待ち合わせ場所に行けた。





駅に隣接するデパート(?)の地下にある
喫煙OKの軽食喫茶でまずはお話。
そのあと
ラーメン博物館という所へ。
夜の中華が控えているので
私は軽めに小ラーメン。
昭和の雰囲気を出した町並みを再現していたが
やはり本物には勝てない雰囲気。





この感じが好き。
そして
ようやく
落ち着いていろいろとお話。



彼女の飲んだドライジンジャエール。

お互いの生活のこと、彼女の友人のことなど
互いに年を重ねていくと
人生、良いことばかりじゃないことを
若い彼女周辺に起きていることを知る。
ジャスさんは私の教え子です。
もう何十年もお付き合いがあり
教え子感覚より
友人感覚なんですね。
私の
昭和の香りを持つ街の佇まい好きを理解してくれるのも
彼女。

私自ら
東京方面に出かけることができない今
こうして
研修旅行を利用して
彼女に会えたことを喜んでいる。
彼女が帰省したときには
極力会えるように、といつも願っている。


桜木町の駅前で別れて
私は研修の同僚たちと
ホテルで合流。
そのまま中華街へ。
料理はまあまあ。


私たちの泊まったホテル(コンチ何とかというホテル)を
翌日の朝撮る。

この周辺、さすが大都会横浜だった。
あまりに洗練されすぎていた。
海と現代的な意匠のビル群の素晴しさ、絵になる美しさは
よかったが
私の気持ちとは一致しなかった。

それは東京に着いて気づいた。
東京駅で降りて
はとバスのある場所へ。

はとバスの中から見える
銀座の街。
新しいものと老舗のものの混在。
これがよかった。
威風堂々。

そして皇居。
ちょうど翌日の天皇誕生日を控えての
警備などの訓練の場面にでくわした。
それらも写真に収める。

お昼は帝国ホテルのランチ。
う~ん、これは・・・
まあ、はとバスの一環ですから。
本当はすごくおいしいのでしょう。

そして冒頭の写真のスカイツリーへ。
自分が個人的に東京に行くとしたら
スカイツリーはおそらく行かないであろうから
この研修旅行に参加した理由の1つ。


お天気もよく
富士山が見えました。
あまりの人の混雑と
他の人たちとの行動もあって
自分の思うように、じっくりと眺めることは
できなかったが
それなりに堪能できたと思う。

浅草の問屋街をバスから眺めるのがよかった。
ここで降りて、もっともっと歩きながら見て回りたいと思った。


隅田川を渡る橋に
ノブタをプロデュースを思い起こさせる。

ブログに載せなかったが
90枚以上の写真。
会社の仲間を撮ったのが多かったが
それらを編集して後に皆に配る。

仙台に帰ると
雪がゆっくりと降っていた。
これが北国なら猛吹雪。
自宅には
歩いて15分ほどで着く。
歩きながら
雪を眺めつつ
火照った心を冷やした。

たった1泊の旅行。
良い体験だった。
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(12/30)カズ、今日戻ってくる。

2014年12月30日 07時33分33秒 | ネコ

病院にて。

元気だったころのカズ。隣は兄弟のトチ。

カズがお骨になって今日戻ってくる。
16日に亡くなって、実に10日うちにいた。
その間に旅行とか祭日、仕事があって
火葬引渡しの日が延びてしまった。
たくさんの保冷剤が効いてくれた。
正月は
お骨になって迎える。

私の失敗は


病院を換えたことである。

いつもお世話になっている病院が遠いため
通院に困難だと思い
そろそろ
新しい、うちに近い病院にシフトしよう、と思い
ネットで探して
比較的近い病院に行った。
これからここにしよう、と漠然と決めていた。

しかし。
よくはならなかった。

そして結局
いつもの病院に頼った。
血液検査をしたら
大変なことになっていた。
「その近くの病院では血液検査をしなかったのか。」と言われた。
70パーセントは覚悟しておいたほうがいい、と言われた。

入院、通院しつつも
カズ、力尽きた。

カズ、ごめんね、という謝罪は
私の選択ミスのことである。




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(12/20)カズ、逝く。15歳。

2014年12月20日 16時48分41秒 | ネコ



カズの小さいとき。皆、兄弟。

目がブルーです。

カズの目がちょっとグチュグチュしています。

兄弟そろって食事です。もう、15年前のこと。





明日、横浜東京へ出発。
1泊2日の研修旅行。
東京よりも、横浜の知識がない。
2、3回行った事があるけれど、昭和の話。
しかも昭和50年代のこと。
元町にも中華街にも行ったことがあるけれど
一体、どうやって着いたんだ?と思うくらいに
何線に乗ったらいいのかなどさっぱり地図を見てもわからない。
ジャスさんに会うので
会社の皆とは別行動。
しかも
彼らもよくわかっていない。
まあ、何とかなると思うけれど。

この話が来たとき
結構喜んでブログに書いたね。

そのあと。

うちのネコ、カズの看病が続き、
とうとう
16日の夜、静かに息引き取りました。
可哀相なことをした、と自分を責めています。

今日で4日目。
まだ眠っているようで、声をかけています。
火葬の日が決まらないんですよ。
今日辺りがよかったのでしょうが
仕事があって、土曜日ということもあって
連絡しそびれてしまって。

もしもまだ生きていたら
旅行、(心情として)行けないと思っていたのですが
カズ
何か察したのでしょうかね。
行ったとしても
心は仙台に、
全然旅行を楽しめないような気がしてならない。

今は
自分の心
落ち着いています。
カズ、ごめんね。

帰宅したら
カズのことを。
旅行のことを。

ヨコハマよ
トーキョーよ
私を楽しませてください。
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(12/4)はやぶさ2打ち上げ成功

2014年12月04日 22時13分15秒 | はやぶさ
残業代の件、昨日解決。
多くは語るまい。

智に働けば角が立つ


とにかく
これに関してすっきりした気持ちで
旅行に行ける。
会社がらみなのでね。

                     

はやぶさ2が昨日
予定通り(延期された予定)、無事打ち上げ成功。
ちょうどその時刻前に帰宅したので
NHKあたりで生放送しているだろうか、とテレビをつけた。
TBSでやっていた。
おかげで
ハラハラドキドキの打ち上げカウントダウンを聞くことができ、
無事旅立った。
その日のニュースをあちこちで見た。

6年の旅立ち。
6年後に地球に還ってくる。
その6年という有限の年数の重みを思った。
自分も6年で成長できるだろうか、と。
その間、はやぶさ2のことを忘れていて
自分の生活に精一杯で
どんな自分になっているのだろうか、と恐ろしくもあり、
こういう限定期間の生き方も選んでみては、と期待したり。
打ち上げ成功のあと
2010年の自分の「はやぶさ」への思いのブログをずっと読んでいた。
なぜか涙が出てきた。
あのころ
ずいぶん、自分は周りの人を巻き込んだ。
あのときは
別な仕事をしていて
生徒たちに
はやぶさが満身創痍で地球に還ってくることを事あるごとに
力説していた。
今回、はやぶさ2が打ち上げ成功のニュースを見て
きっと
誰かは、トモロッシ先生は喜んでいるに違いないとでも
思っていることだろう。
新たなミッションを受けて、はやぶさ2は孤独な宇宙への旅に出た。
それを思うと
再び
こんな強い心を持って生きられるか、と自分に問い
自分の鑑とせよ、と叱咤するのである。
ただひたすらミッションをこなすのみ。
そんな鋼鉄の心、生き方を目指したい。
が、
こんなフニャフニャな私は、並べば、最後尾にいる位置である。
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(12/2)今月は旅行に

2014年12月02日 13時22分37秒 | 日常、仕事、認知症
あれよあれよと言う間に
12月に入った。
結局、先月11月はたったの1日だけのブログ。
こんなはずじゃない、トモロッシ。

そのブログで触れた
例の
残業手当がついていないという件、まだ未解決です。
上司から
「現金で渡す、と(上の)上司は言っている、今月末まで。」という言質をとったのはいいのですが
とうとう、12月に入っても、何のアクションなし。
もう少し待ちましょう。
私だけではないので。



その前後、社員旅行の話になった。
私は前々から、参加しないと決めていた。
そして同じ部署の人たちも行かない、と言っていた。
「横浜だってよ。」
「行かない。」と会話はそれで終わっていた。

しかし。

上司が行程表を持って、参加する人は?と聞きにきたとき
それを見ると
「鎌倉散策、自由に。」とあり、夜は横浜中華街での食事、2日目は
はとバスに乗って、東京スカイツリー等に行くとあった。
あ、行きたい、と思った。
まず出発は日曜であること。夫が家にいるので
猫のことや義母のことは心配しなくていい、ということが決め手。
そして
何より
鎌倉で自由時間が取れるということ。

もしかしたら、ジャスさんに会えるかもしれない、とすぐに思い立った。
東京での自由時間があったら、
ブログ仲間のfairyさんとか、しゃちさんに初対面、というのもいいのではと思ったりした。
だが、2日目は個人の自由時間はないとのことだった。

夫に聞いてみると
「行って来い、気分転換してこい。」と留守の快諾をしてくれた。
その気になった。
その気になったら、すぐにジャスさんにメールを送った。
何とかなりそうだ。

翌日
上司が返事をもらいに。
「残業代のことでモヤモヤしていますが、行く予定にしています。」と答えた。
そこであの言質を取った。

「鎌倉で知人に会っていいですか?」
「うん、大丈夫だよ。次の日は皆いっしょの行動だけれど。」

ということで
寒い日ですが、ジャスさん、鎌倉で会いましょうよ。



鎌倉は二度ほど行ったことがある。
一度目は、留学生と富士山、鎌倉、江ノ島、横浜へと珍道中したとき。
独身時代だ。
二度目は
小旅行の引率で。
そのとき、ジャスさんと鎌倉の細い裏道を散策した、と記憶しているのだが
ジャスさんではなかったのかしら、あれは。
彼女と私の趣向は似ているので
裏道の古い民家や豪華な家や小物屋などを見て歩く楽しみを味わったような気がする。

もう何十年も前のことなので
誰と散策したのかしっかりと覚えていないのだが
私の中では
ジャスさんだった、と記憶している。


思えば
2010年の北海道への里帰り以来
どこにも行っていない。
震災後は
被災地に夫とともに
食巡りをしただけに留まっている。

猫たちがいるので
義母がいるので
夫とともに旅行、というのは今では考えられない。
この社員旅行を利用して
初めて乗るはとバスを楽しもうという積極的な気持ちになった。
スカイツリーなんて、これからも
個人的に旅の目的に入れる、ということはないだろう。
だからこそ、行ってみようと思った。

ジャスさんと会うのも
何年ぶりだろうか。

これまで
何度も
東京に行くなら
千葉の市川動植物園にオトメちゃんに会いに行きたいとか
またジャスさんと神田の古本屋街を歩きたいとか
昭和的な喫茶店を見つけたいとか
fairyさんに連れられて、おいしいものを食べたいとか
考えてきたが
夢の夢。







義母は
あれから財布や家の鍵を2回無くして(どこかに隠して不明)
表情が険しい。
オトコのせい、オンナのせい、と相変わらず。
私も、捜すのが面倒で保留にしていたが
昨日
仕事から帰ったら、捜してあげようという気持ちになって帰宅する。
すると
すぐに食堂から出てきて
あれこれと言う。
話の内容は割愛するが
私も急に不機嫌になって声を荒らげてしまった。
そして財布を捜してやろうなんていう気も失せた。

このごろ、
義母の昔からの食器を捨てる決意をして
整理している私。
食器棚は地震のときの状態のままのところがある。
思い切って捨てるからね、と宣言。
一辺にゴミに出せないので何度か分けて出している。
油でベタベタになったものや、欠けているものも仕舞い込んでいるので
これまで言えなかったので実行。
お弁当を食べたあとのプラスチックの空の入れ物も積んである。
プラだけで、まず大きなゴミ袋2つ出した。
年末まで頑張るよ、コツコツ。
とにかく、可愛いもの、色のついたものはとっておく人。
食器用のスポンジは台所に彼女のものだけでも7,8個は置いてある。
それらは、ただカワイイというだけで袋から取り出して飾ってあるもの。
そのうち、未使用でも油でベタベタになっている。
いつかこれも言うぞ。
並べておきたい性格。
そして使うのは古ーいもの1つのみ。
今まで我慢してきたけれど、言います。
コメント (8)
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