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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(9/30)北海道旅行顛末記 6 苫小牧銘菓よいとまけ

2010年09月30日 20時57分37秒 | Weblog
千歳空港で
おみやげを買う。
まずは
両親と離れて
私一人で自由に買いたかった。
両親は登場口の傍の店で買っているが
私は
あの広い空港の隅々を見たかった。

私の目的は
この
よいとまけ。
以前、よいとまけについて書いたが
どこの記事だったか、いつの記事だったか失念。

よいとまけは
苫小牧の銘菓である。
三星(みつぼし)という老舗である。
おそらく
こちらの萩の月よりも
歴史は長いと思う。

これがまたおいしいんだ。
ハスカップという
ブルーベリーっぽい酸味の効いたジャムが
なかにはさまれている。

これ一回で食べてしまう。

そして
仙台の大きなデパートにも売っている。

でも地元で買わなくては、と思い
友人たちへのみやげとしてたくさん買った。

開けてみると
最初から切れた状態で
非常に食べやすくなっている。
以前は
ナイフで切っていたのですが
表面に包まれているオブラートのようなものが
段々くっついてしまって
見た目が汚くなってしまっていた。
オブラートも食べられるからね、と必ず言って
ごちそうしていた。

それが改良され
このように手を汚さなくても
切り口がグチャグチャにならなくても
食べられるようになっていた。

これは喜ばれるんですよ。
甘ったるい感じがなくて
ペロリと入っていく。

おいしいものは皆に広めていく。
好きなものは皆に広めていく。

母も買いたいというので
今度は母の手を引いて
買いに。
買うことができて満足していた母。

旅の話はまだまだ続きます。
旭山動物園のことも語っていないもの。

(9/30)うちのカエルです。

2010年09月30日 20時24分55秒 | カエル
火曜日に大雨が降った。
ほぼ日中は大雨で
その中をネコたちの缶詰等の買い物に南にでかけていった。

そして夕方から夜にかけて
その雨は上がり

雨上がりと湿度の頃合が良く
これは
カエルたちは出てくるかもしれないと思った。

あの猛暑の中
カエルたちもおそらく巣穴でダウンしていたことだろう。
ほとんど姿を見せなかった。
不安であったが
これも自然のことなのでしかたない、と思ってきた。

火曜日の夕方の私の予想は的中して
カエルたちが
7匹出てきていた。
久しぶりのその数字である。
本当なら
もっともっといるはずなのだが
藪の中にも潜んでいたかもしれない。
私の確認は7匹であった。

そのうちの1匹は
腕が痩せていた。
胴体はふっくらとしていたが
腕が胴体に比して痩せが目立った。
ちょっと心配であるがこれも仕方ない。

昨日の夜
2匹が仲良くいたので
家に入ってカメラを持ってくる。
いいね、この仲のよさ。

今朝は
出かけるときに
干からびた小さなカエルがうちの道路の前にあった。
前日はなかったし
日数が経っているようなので
きっとあの雨で
北のほうから(私の家の方が少し低くなっている)流されてきたのだと思う。
真夏に干からびてしまったんだね。
それを拾って
うちのボウボウの花壇に隠してやった。
そこに棲む虫たちの冬場の食糧になるのだろうか。
それもまた自然のこと。

今日で9月が終わる。
はやぶさカプセルを観に行き
北海道に行き
そして今は
仕事に忙殺されている。
北海道から帰ってきても忙殺の日々。
あと一週間くらいで何とかなりそうだ。

カエルのために草取りを本格的にしなくては。


仕事が忙しいにも拘らず
夕暮れの職場で
いつもの山P仲間と
笑いながらの話になった。
私は笑ってばかりいる。

彼女が独身のときに
何かに落ち込んで(私は失恋だと記憶していたが、彼女はそれを記憶していない)
私と夫は彼女を励ますために、気分転換のために
栗拾いに誘った。

それがなぜか今日、二人してツボにはまった。

なぜに、栗拾いに誘う~って。

笑い出したら止まらない二人だ。

あのときは何も笑わないで
3人で栗を拾っていたと思う。

それが今となったら、可笑しい。

落ち込んでいるときに
カラオケとかなら分かるが
栗拾いだなんて~と笑いが止まらない。

他の人たちが
私たちの和やかな空気に少し入って、帰っていった。
仕事が捗らないよ。

でも
笑うことは楽しい。
いつも書くけれど楽しい。

そういう日が一週間に1度でもあれば
生きていける。

(9/28)北海道旅行顛末記 5 懐かしき人々

2010年09月28日 22時53分48秒 | Weblog
先週の今日
出発したんだ。
あれから一週間か。
朝8時の飛行機で久しぶりに北海道へ。
私個人としては
12年ぶりであった。
個人としては何回か帰っている。
今回は
両親の意向が強く
私の行きたいところははずされた。

初日は
父の元いた会社の人たちとの昼食会とそのあと
定山渓の温泉へ。

この昼食会では
私にとっても懐かしい人たちとの対面であった。

父がいた会社は北海道の主要都市に
支店があり
父含め皆転勤族であった。

今は皆引退したり嘱託であったりと
悠々自適の生活をしている。

以前
思い出を紐解くと題して
7歳からの思い出(札幌時代)を書いていたが
8歳の函館編から中断している。
その函館時代の
会社の人や苫小牧の人が集まった。

私の小学生時代を知っている方たちである。


その函館時代の人が
なんと
私といっしょに撮った写真を持ってきてくれた。
それは
私も持っている別バージョンのものだった。
あの冬の港で撮った写真が何枚も存在したんだと驚いた。

わざわざ持ってきてくれたこと
私しか写っていないのも存在し、それが保存されていたことに感謝する。
小学生の私と
会社の若い人ともう一人事務員の女性がいたっけ。
函館の会社は
港の近くにあり
会社裏は港に通じる道路があった。
雪の日に
長靴を履いた小学生の私とその若い会社員と事務員がおどけて
シェーなんてやっている。
手前味噌ながら
このころの私は可愛かった、純真だったなあと思った。
今にして思うと

私はダシだったのではないか、と。
そこで聴いてみた。

「もしかして私、ダシだった?この女性のこと好きだったんじゃないの?」
「そうなんだ。フラレちゃったよ。」と言っていた。

子供をダシにして
いっしょに騒ぐ、楽しむってあるよね。
あの頃は全くそんなこともわからないで
皆とてもいい人たちだったので
ホントに楽しかった。
若い時代だったんだね、皆さん。
青春時代がこうして確実に存在したんだね。

それから
苫小牧時代の会社の人たち。
私のうちはアパートだった。
別棟のアパートに会社の寮があった。
そこで
私の母が賄いをしたり掃除をしたり
私もよく手伝いに借り出された。
あの頃も楽しい時代だった。
会社の寮があるということで
しょっちゅう、他の会社の人たちも訪ねてくる。
うちにもよく皆来ていた。
お正月などはうちのアパートは
満杯になるくらいに集まった。
そして私の楽しみの1つはお年玉だった。
皆、必ず持ってきてくれる。
子供は得だね。

その寮にいた人のひとり
いつも目を合わさない人という印象があった。
会社から帰ると
大声で
「○○町のみなさ~ん!ただいま、帰りました!」とふざけて
叫んでいたのを思い出す。
それを言ってみると
大いに照れていた。
もう大人も大人、初老の人。
若い頃の思い出を私の口から語られるとは思ってもいなかったろう。

そんな思い出話をしたあとに
日帰り組の人たちとの別れ。
あの写真を持ってきてくれた人も
温泉には参加できず。
そして
その方は泣いていた。
よほど懐かしかったんだね。
ありがとう。

今後も
父たちとゴルフに行ったり
旅行に行ったりと
してくれるようだ。
父は
杖をついてでも、こういう会合には
せっせと参加する人である。
皆が父をフォローしてくれる。


その夜
定山渓温泉の旅館に。
父たちはマージャンをし始めた。
これが楽しみのようである。
会社の寮でもよくやっていたっけ。

私と母と
もうひとり奥さん(この方も小学生のときから知っている人。)
とで
昔のお話を。
母は思い出しながら一生懸命話していた。
昔のことを思い出し話すことはリハビリにもなるね。

料理はお腹いっぱいになるほど食べる。
上の写真はその一部。


(9/27)北海道旅行顛末記 4 北海道米はおいしかった

2010年09月27日 21時16分27秒 | Weblog


旅行から帰ってきて
4日ぶりに夫と顔を合わせると

「丸くなって帰ってきたなあ。アンパンマンみたいだ。」と
開口一番。

それだけ
食べに食べた北海道旅行である。
なにより
叔父の家にてのごはんがおいしかった。
米。
東北のこちら
有名な米所である。
ひとめぼれ
ササニシキが有名。
だから、両親はこちらから
北海道の叔父の家等に
新米をよく送っていた。
しかし
北海道の米、侮れない。
おいしくておいしくて、好物のたらこやすじこが
またおいしくてよく食べた。
以前、北海道の妹の家を訪れたときも
おいしいお米に驚いたのだが
これは、電気釜がいいのだろうなんて思っていた。

いや違うのである。
北海道の米がおいしいのである。
自分がいたころには
そのように米のおいしさがわからなかったが
この年になると
お米のおいしさがわかる。
北海道米、取り寄せようかな。


この写真は
帰りの飛行機の中から。
気流で揺れると
横で母が、怖い怖いと言っていた。
窓の下に見えるのは
今回訪れなかった
私の愛する苫小牧の港である。
さようなら、いつか苫小牧に帰るよ、と誓う。

まだ
旅の話は続きます。

(9/27)北海道旅行顛末記 3

2010年09月27日 20時51分47秒 | Weblog
ほら、この空の雲も躍っている。
         
 
この眺めはいかにも北海道らしいね。
ここは
細々と運営されている町興しの1つ。
一応開いているのだが
私と従弟が訪ねたときは、誰もいなかった。
かつては
多少なりとも、観光地として成り立ち、訪れる人もあったのだろう。
点在していた「赤毛のアン」の家々も閉鎖されているものがあり
家の傍に、家の中にあるべきものが無造作に置かれていた。
誰も訪れないから、そうしていても誰も文句は言わない。
屋根に取り付けられたスピーカーから音楽が流れ
辺りに響いている。
管理している人はどこかにいたのだろう。
日没とともに
この観光地は閉鎖されるのだろう。
寂しい光景であった。


   その家の前には、こんな見知らぬ潅木があり、花を咲かせていた。
   誰も訪れなくても
   自然はいつものように、季節の花を咲かせる。
  
   国破れて山河あり
   の世界である。



私は
こういう廃屋が好きだ。
他にも撮ったのだが
逆光になったりしてUPするのが恥ずかしい。

北海道の道を車を走らせていると
突然
こんな状態の家を見る。
もう誰も住んでいない
かと言って
売り出しているふうにも見えない。

この家にはどんな歴史があるのだろうと
想像することが好きである。
どの家にも
どの場所にも
そこに住んだ人たちの思い出、歴史がある。
壁の汚れ、傷、落書き、剥がし忘れたカレンダー、新聞、
置き忘れた雑誌等・・・
その時代に生きていた人々のぬくもりを感じるのが好きだ。

いつもいつも
古い家を見ると
廃屋を見ると
そこに入ってしみじみとした気持ちになりたいと思う。

(9/26)臥薪嘗胆 塞翁が馬 日本

2010年09月26日 21時08分18秒 | 文学/言葉/本
臥薪嘗胆

この中国の故事成語は私の好きな言葉である。

ウィキペディア参照

旅行中
テレビを観るのは皆無。
新聞も読まなかった。
4日間、何がどう起きているかほとんどわからない。
一昨日帰宅して
ネットを開くと
トップに、「船長釈放云々」と載っていた。
え?!なぜに?どうした?
と全くニュースを観ていなかった私は驚いた。
ついこの間まで
日本は法に則り粛々と事を進めるとか言っていたはずだが。

この急展開にはきっとそれなりの訳があるのだろう、
きっと先を見越しての判断なのだろう、と思うようにしたが
どうなのだろうか。
訳がわからない。
中国では自分たちの国の勝利とか沸き立っているが
この意味がわからない。

犯罪を犯したら裁かれる、というのは文明国では当たり前である。
仮に日本がそのようなことをしたら
私たちはその日本の船が悪いのだから、相手国の法で裁かれて当然と
思うに違いない。
悪いことをしたものを盲目的に擁護することは絶対にない。
そのくらいの思慮分別は持っている。
しかし
中国はそうじゃない。
あれやこれやと制裁的措置まで声明している。
文明国とはほど遠い、前時代的なやり方を行使している。
驚いた。
そんなものか、中国は。
まだまだ世界のリーダーになれるものじゃない。

この臥薪嘗胆は
薪を枕にして寝て耐え忍び、肝を嘗めて苦労を忍ぶということだ。
いつか成功するまで耐え忍ぼう、というふうに使う。
中国は昔から自国内で覇権争いばかりで
読み物としては面白いのだが
現代において、牙を剥いたそれを見るとは思わなかった。
故事成語は大体
その戦争から出てくる言葉が多い。

呉越同舟
合従連衡
四面楚歌
そう
四面楚歌にならないように、中国。
四面楚歌なんて、悲しい歌なのに。

そして日本。
臥薪嘗胆。
塞翁が馬である。

(9/25)北海道旅行顛末記 2

2010年09月25日 23時30分36秒 | Weblog
    かつて従弟が住んでいた家。
    私には従弟、従妹などたくさんいるのだが、今どこにいるかわからない人も
    いる。
    その従兄弟の一人が小さいときに住んでいた家がまだあった。


    裏側を見てみる。
    この廃屋は人は住んでいない。もう40年以上は経っている。
    手直しすれば住めそうだ。


私は
この町で生まれたが
育ったわけではない。母が乳飲み子の私を連れて転々として道内を移り住んだ。
この町は
従兄弟たちがたくさんいた。
現在は
今回訪れた、叔父の家があるだけである。
墓を守る一番年下の叔父である。
私の生みの母親のお骨はもっともっと遠いお寺に預けてあるそうだ。
それは私の妹(父親が違う)の判断だ。
お墓の問題は
いつもこじれるね。

私はあまり
お墓の問題にこだわらない人間であるが
皆仲良く入ったらどうか、などと考える人間であるが
いろいろとあるらしいね。
よくわからん。

(9/25)北海道旅行顛末記 1

2010年09月25日 09時06分51秒 | Weblog
      たまねぎの収穫の後の風景。青いシートで覆っている。
      自然の中の青の色が強烈だ。
      これがあちこちに広い畑に点在していて、それさえも
      北国の風物に思える。




北海道の空は広い。
広いから
雲の様相が面白い。

天候は
それほど良くはなかったが
雨にならず
半袖で過ごすことができた。
滞在した4日間は
裸足でサンダルでも十分過ごせた。
寧ろこちらに帰ってきたときのほうが
寒く感じて
靴下をはいて過ごしている。

今回の旅の目的は
両親の付き添いで、母方の墓参である。
私が付き添っていかなくてもいいんじゃないか、
仕事が一番忙しいときになんで私が行かなくてはならないのか、
しかも一番私が行きたいところの苫小牧をはずされているし、
などなど
小さな不満もあったのだが
行って正解だった、と思った。

母はこの通り脳梗塞の後遺症で
言語の障害あり。
普通に暮らす分には難儀しないが
こうして家をいったん出ると
彼女の行動に不安がたくさんあったと気づかされた。

具体的に言えば
トイレの問題である。
緊張してトイレに行きたい、となるが
トイレに入っても
どれがレバー(あるいはボタン)かわからない。
わからないとパニックになって
私を呼ぶ。
だから先に、私がレバーなどの確認をして
用を済ませたらこれを押せばいいんだよ、とあらかじめ
見せてやらなければならない。
親類の家にても
何回か入っているにもかかわらず
ふと忘れてしまって
トイレから呼び出されることがあった。

おみやげを買いたくても
お金の計算ができない
レジがわからないなど
細かいことでプチパニックになる。
はあ、そうかあ、母はこんな感じになるんだ、などと
心で再認識しつつ
母の手を握って歩いた。

父は父で
杖をつきながらの歩きである。
段々
荷物が重くなっていき
私は3人分の荷物を背中に手に持つ羽目になった。
とてもとても
両親だけで北海道に行くことはできなかったと思った。

身体が不自由でありながら、頭は正常な父でさえも
ホテルにて
前夜、入ったにも拘らず
翌朝再び温泉に入ろうとしたら
「トモロッシ、温泉て何階だっけ。」と聞く。
「1階でしょ、お父さん。」
1階にしかない風呂。
6階だったか、8階だったかのことじゃない。
1階である。
父よ、おまえもか、と健忘症に不安を感じた私だ。

そんな両親のフォローをしつつ
私は
従兄弟たちに会えたことに喜んだ。
そして
母の最大の目的の1つ
母の弟(今では唯一残っている兄弟である)との再会に
母も
叔父も手放しに喜んでいた。
その姿を見て
本当に来てよかった、と思った。

母の頭がまだ多少正常なうちに
自分の弟を認識できるうちに
この旅行を逃したら・・・というのが両親の思いだった。

二人の肩を組んだり
手を取り合ったり
満面の笑顔の写真をたくさん撮った。
これが一番印象的だなあ。

叔父は
ワンマンで、粗暴で、せっかちで、気配り命令で、
周りを翻弄する性格である。
その父親がこんなに笑って、皆と過ごせるなんて、と
従兄弟は驚いていた。
よほど嬉しかったのだろう、と従兄弟も喜んでいた。
私は
叔父のそれらの行動が全部ギャグに見えて
笑いすぎだ。

叔父のやせ細った背中や肩を揉んであげる。
私より体重が軽い。
私の生みの母親(叔父とは姉弟)の生き方に痛烈な批判をしていた人だ。
「もっと食べて、長生きしてね。」と言うと
「トモロッシ、だんなと別れて、うちの息子(私の従弟ね)といっしょになれや。」
とつぶやく。
それもギャグとして私は受け止めて
「うちのだんなが可哀相でしょ。」と笑う。
従弟はバツ2。
どんな人生だったのでしょう。
3人の子育てをしている。

父が持ってきた
カラオケセットをテレビにつないで
年寄りたちのカラオケ大会が始まった。
どうりで、父の旅行バッグがズシリと重かったわけだ。
そのカラオケに乗りまくって
叔父も母も、親類のおじさんも歌いまくっていた。
叔父がテレもせず、歌いまくっているのを
家族が驚きの表情で見守っていた。

よかったね、お母さん、叔父さん。
二人がこんなに楽しんで再会できたことを
私も
叔父の家族も感激しています。





    北国の空、どこを撮っても美しい雲。
    曇り空さえ美しい。


旅の話はまだ続きます。

(9/24)朝靄の北国/そして現実

2010年09月24日 22時28分22秒 | Weblog
今日無事帰省。

こんな美しい朝靄の高原を今朝見た。
北国のホテル前の光景である。
6時過ぎに散歩に出て一服。
そして
まだ靄が残る山に感動していた。


夜、帰宅して仕事の電話。
現実に引き戻される私である。

旅行記は明日以降に書くとする。
今日はひたすら眠りたい。

帰省したら、寒かった。

(9/19)仕事一段落

2010年09月19日 21時31分08秒 | Weblog
ようやく
職場の仕事が一段落した。
休みの昨日、今日と
職場に出かけて仕事をする。

ここずっと
追われ追われの生活だった。
やるべきことがその日のうちに収まらない、
この連休がありがたい。

金曜日は
少々自己嫌悪に陥っていた。
取るに足らないミスの連続。
全く他人に迷惑をかけてはいないが
自分の頭の老化が心配だ。
笑い話で済まされないようなことの連発。
そのうち
自分に自信がなくなっていく。
私、服を前後ろに着て出勤したんですよ。
それに気づいたとき
さりげなく廊下に出て
急いで、キュッキュッと回して元に戻した。
大胆ですね。
笑い話にしても、情けない。
そのあともたくさんミス。


でも
とにかく
万が一の事故があっても
月末に控えている仕事には
影響ないように今日終えてきた。

あとは
家の仕事を明日して
明後日早朝出発だ。
幸い
夫が空港まで送ってくれるので安心。
両親とは空港で待ち合わせ。

昨日
両親から電話があり
最終的な話。
母が
「日本に行ったら、よろしくね。」と言った。
日本ね・・・・北海道のことです。
やっぱり脳梗塞の後遺症、あるよね。
あああ、私もこうなるのかなあ、なんて
思ってしまった。


北海道で宿泊するホテルに
ネットができるようになっているので
夜中にこっそりと両親から離れて
ここに来そう。


(9/16)雨の日々

2010年09月16日 16時16分57秒 | Weblog
雨です。
角田に行った日曜以来
ずっと天候悪く
雨は今日一日降り続いています。
帰宅時は
ビショビショになって帰ってきました。
ポンチョ、効かず。

中途半端な気温で
22℃という一見さわやかな気温でありながら
窓を閉め切った職場は
じっとりして
空気悪し。





今日は
一番きつい日だった。
お昼休みも普段なら
帰ってこられるのに帰られず。
昨日今日と
2日間、お弁当を持っていく。

仕事上で
ちょっといやな出来事あり。
まあ
日常のいやなこと、行き違いの範疇なので
しばらくしたら忘れると思うが
納得できないと
自己解決できるまで追求したがる人間なので
今多忙のため
北海道に行くまえに
きっちりかたをつけておこう。

今日は無口。
昨日あれほど、笑ったのにね。

4階のベランダから
雨の街を眺めていたのだが
こういう時間
大人になってなくなったなあ、と思った。
若い時はいつも
こういう時間を大切にしていた。

雨も
煙る空も
詩人にさせてくれた若い頃。
今は
眺めていても
仕事の段取りばかりが浮かんでくる。

少しこれから横になろう。

(9/15)DANCING ALL NIGHT もんた&ブラザーズ

2010年09月15日 21時33分48秒 | 名曲
もんた&ブラザーズ ダンシング・オールナイト



さっき、ミリオンヒット何とかという番組を観ていたのだが
(修二と彰の名が、新聞ラテ欄にあったので)

ご本人登場で
もんたさんが出てきた。
そしてこの歌を熱唱。

これがまた凄くいいんだよね。
甦ってきた80年代。
いつ聴いても
色褪せない名曲、これですね。

you tubeで探して
彼の「夜のヒットスタジオ」版もあったけれど
やはりレコードの音源をupしました。
名曲、名ソロギター、そして熱唱。

私は90年代の歌になると
急に冷めてしまって
どうしてかなあ、と考えてみたら
あの小室さんが作ったものが自分の中に入ってこなかったのね。
だから90年代は結構
自分では空白だな。

歌には
人それぞれの好き嫌いがあるから
このもんたさんの曲を聴いても
古臭いとか思う人もいるかもしれませんが
私は
大好きです。
もう彼も60歳になろうとしている。
でも
ハスキーでありながらも声が出ていて
久々に本物の熱唱というものを聴きました。

独身だったころ
夫が録画していたビデオテープを見せてくれたっけ。
これ、いいぞって。

ギターソロ、じっくり味わってくださいませ。

(9/14)同僚がここを知る

2010年09月14日 17時12分21秒 | はやぶさ
今日は休みの日だったが
仕事が午後に入ったので
それより早めに行き
仕事を少しでも片付けようとした。
しかし
さっぱり進まない私の頭。

昨日は
同僚に、角田(かくだと読みます)のおみやげの
ファイルを渡した。
私のお勧めはあの
はやぶさが撮った地球の写真のファイル。
でも白黒なので
他のファイルよりも見栄えがしないかもしれないと思いつつ
それを勧めてみた。
その写真の事情を説明して
私の大好きな写真なんだ、と言った。
そして彼女はそれを受け取ってくれた。
もう一枚、息子さんのためにカラーのファイルを。

そして角田のことを話して写真を撮ってブログにアップしたことも伝えた。
写真を観てもらえれば
一目瞭然なので、ブログを教えるかどうか躊躇した。

私の周囲に
ブログをやっていることを伝えているのは二人。
東京にいる友人と
こちらにいる元同僚。

一番身近な職場の人にはこの存在を教えてこなかった。

今日、彼女に話しかけると
なんと
ブログを発見した、と言うではないか。

ええ~!?と驚く私。
ワイワイうるさくなるので
廊下で
お互い興奮気味に話す。

彼女、夜中に何かを検索するために
PCを開き、
「そうだ、はやぶさについても調べなくては。ブログも調べなくては。」
と思ったらしく
どう検索すればいいのだろうと、考えたらしい。

はやぶさで検索しても
たくさんたくさんヒットするから
そこから私のブログを探すのは容易ではない。

そこで考えたのは
「はやぶさ」
「山P」で検索。
すると
すぐにここにヒットしたとのこと。
もう
バレバレですねえ。


私の好きなもの、夢中になっているものに
つながりがないので
逆にピンポイントでヒットしてしまったようだ。

確かに
山Pとはやぶさのことを誰もが書いているわけじゃなし

オトメちゃんとはやぶさ
というのもありかも。

まねきねこ不動産とはやぶさ、というのもありかも。

いかに自分がいろんな愛する「天使」を持っているかがわかります。

山Pとはやぶさか・・・
後で自分でも検索してみよう。

彼女とは
山Pつながりで、いっしょにコンサートにも出かけた仲間。
彼女の子供たちもニュースのファン。
だから話はそれなりに盛り上がるのです。

そして
私の「はやぶさ熱」が結構強引に伝わっていき
こどもたちに彼女が説明してくれるとか。
ありがとう。
今、全く関心がなくても
知識さえ持っていれば
何かの拍子に、宇宙工学に関心を持ち
あ、あのときの・・・と気付いてくれるかもしれない。
それは若い人たちにも伝えてきたこと。
後からわかってくれることってあるもの。
私だって
若い時に、年配の方がお話してくれたことに
興味関心がなくても
大人になって
あ、あの時・・と思ったことがたくさんあった。
そう思うと
無駄な知識ってないなあと持論。

隣の同僚も
なぜか、大学生の息子さんに語ったとのこと。

段々、伝播していってる~
迷惑な話かもしれないねえ。

あの夫でさえも
関心がなかったのに
「行ってみよう」と思ったんだもの、
それなりにジワジワと伝わったようで。

今日も一番上の上司に
メールで伝えた。
出張中だった

ということで
これから夕飯の支度、お風呂。
夜は仕事。
ああ、それが憂鬱。頭が働かない。


(9/12)角田 はやぶさ グッズの紹介

2010年09月12日 15時33分36秒 | はやぶさ
なかなか、首都圏のほうに行けないので
こういうグッズ販売は凄く嬉しい。
自分の手元に
はやぶさ関係のものがあるなんて
夢にも思っていなかったこと。

 

 
 


  ファイル3種類。2枚ずつ買う。嬉しいなあ。凄く嬉しいなあ。
  仕事でファイルを何枚も使うんです。100円ショップでまとめ買いの人間。
  そこに
  こうして、はやぶさが仲間入り。おみやげにもできるしね。
  3枚目は例の写真。
  これが凄く嬉しかった。
  この写真、ピューリッツァ賞ものですよね。直接人の手ではない、はやぶさの
  最後の撮った地球。ファイルになってくれてありがとう。傍にいるね、いつも。


   ストラップです。裏には
   はやぶさ 2010 6 13 地球帰還
   と書いてあります。
   携帯につけよう。


   これも仕事に必要なもの。書類を押さえるもの。綺麗でしょ。
   これも傍にいてくれます。


   黒いバッグ(布製)も買っちゃった。仕事用の書類などを入れていくんだ。

宇宙食もあったけれど、食べないままにしておくのもなんですので買わなかった。
角田の梅干を買ってしまった。
県南の梅干って、シンプルな酸味がいいんですよ。


(9/12)角田 はやぶさに会いに行ってきた

2010年09月12日 14時47分56秒 | はやぶさ

      はやぶさ展示会場の看板
      
      行列を映すテレビ局かな。

雨だったけれど、ちょうど過ごしやすい気温だったので
並ぶのは全然苦にならなかった。
先に、グッズを売っているところに行き、買い物をする。
お店の人たちは「今日はラッキーですよ。昨日は暑くて並ぶのも大変だったようで。」
と言っていた。
確かに、スムーズに流れて、待ち時間2時間というのを心配したけれど杞憂だった。
はやぶさカプセル等、展示物の撮影は禁止。
ドキドキしながら流れの中を待った。
展示場には
      インスツルメントモジュール
      搭載電子機器部
      パラシュート
      エンジニアリングモデル
が展示されていた。
最後のものを除いて、全て宇宙の果てから、はやぶさから産み落とされたもの。
なるほど、こうなっているのね、と実物をじっくり眺めることができた。
ここに日本の技術がいっぱい詰まっているのね。
私は会えた喜びを、小さく手を組み合わせて祈りのポーズでゆっくりと前を
過ぎ去った。
夫は、もう一回並ぶか、と言ってくれたがありがたく辞退した。
県内の塩釜高校の生徒が作ったはやぶさのダンボールの実物大の創作物もあった。
完成に1ヶ月かかったとのこと。
ありがとう、塩釜高校の皆さん。
今日で展示は終わりだけれど、宝物ですね。

展示場を出ると、第二の展示場は撮影可で、はやぶさのこれまでのことを写真と図で
説明してあった。それを幾つか撮影。

jaxaのおじさんが一生懸命説明してくださいました。



  小惑星「イトカワ」の一部に「角田」という名前が付きました。
   「筑波」というのもあります。
角田という町がこんなに凄いところだったとは。
同じ県民として知らないで、すみません。

子どもたちが多かったことに私は喜んだ。
県外からも来ていて、この雨の中、楽しみに来たんだなあと感慨深い。
こういう子供たちが
将来、工学の道、宇宙の道に行きたいなと思うのだろう。
現在、はやぶさに携わってきた初老の人たちも小さいときそんな夢を持って
そして現実になったのだ。
小さいときの教育は本当に大切だね。
子どもたちに見せたい、と思って連れてきた親にも感激した。
皆、皆、はやぶさを愛しているんだね。


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私の買ってきたグッズの紹介。