僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2/27)SHINE A LIGHT ストーンズ映画観てきた

2009年02月27日 20時22分17秒 | 名曲
今日は寒かった。
昨日はそれほどでもなく。
三寒四温。
明日はどうなのか。
その寒い中を
ストーンズの映画を観てきた。

SHINE A LIGHT

今日あたりで
こちら地元の放映が終わり、と聞いて。
でも明日からも延長(1日の回数は減る)とのこと。

2月14日からこちらでやっていた。
夫とともに
DVDでもいいかあ、と言っていたけれど
やっぱり行くことにした。
初めて行く小さな映画館。
一体何人くらいいるのだろう、と心配しながら行く。
若い人もいたなあ。
それが嬉しかった。
私たちも中年だけれど、もっと上の人もいた。
余裕で真ん中の席。

映像がどうのこうの、というのは特にないのだけれど
夫も満足して帰ってきた。
あまりコンサートではやらない曲もやったし
バディガイの凄さも見せ付けられたし
行って良かったという結論。

AS TEARS GO BY
昔は擦り切れるほどにレコードを聴いた。
若い若い自分だ。
歌詞も平易で覚えているのでいっしょに口ずさむ。
忘れていなかった。

ミックは相変わらず、贅肉のない身体で
あの腰振りをし、可愛い(私はいつも思う)足先ステップを
見せてくれる。
とても65歳とは思えない。
もう、神の領域の人。
やっぱりストーンズを好きでいてよかったなあと思う私だ。
こんなに長く人生を楽しませてくれるし、エネルギーをもらっている。
パンフレットに
オープニングナンバーの
ジャンピング ジャック フラッシュのことを
「必殺のイントロから始まる問答無用の全人類必聴曲」と書いてある。
まさにそうだ。
この曲やサティスファクションは、そういうことかもしれない。
全人類が必ず聴くべき(聴いている/聴いたことがある/聴いてほしい/などなど)曲という表現は当たっている。
この曲を聴いて13歳の私は腰を振り振り踊ったっけ。生意気な中学生よ。
そして今も色褪せず、ノッてしまうのは不滅の名曲だからだ。
もちろん、彼らの名曲はたくさんあるし、それぞれのフリークはあれがいい
これがいい、これが一番、これが名曲と推薦するだろう。
私だって、好きな曲は挙げればキリがない。
ラストタイムだって大好きだ。
初期の頃はとにかく擦り切れたレコードたち。
カセットテープなどを聴く録音機も無い時代。
あったとしても、13歳の私にとてもそんな機器を買えるお金がない。
レコードをポータブルプレーヤーで聴いていたときだ。
だからこそ、愛着のある曲ばかりだった。

夫と出会って
お互いにストーンズが好きだと知ったとき(でも夫はツェッペリン命)
夫のレコードの保存の仕方に感嘆した。
私のは、擦り切れて白くなっている。
昔から雑なのね、何でも、私は。


家に帰ってきて
「やっぱりさあ、レッツ スペンド~の映像の方が衝撃的だよね。」と
私は言った。
そして夫は下からそのDVDを持ってきて見せてくれる。
アンダーマイサムの曲とともに、パノラマ画面に風船が立ち上るシーンは
いつ観ても衝撃的。
やっぱり初期の曲は身体に染み付いていていいなあ。
しばらく下で音楽を聴いていない。
うちのステレオもボロくなったし。
ダイジローたちはまとわりついてくるし、夫は今気乗りがしないし。
でも、今日は行ってよかった。夫が喜んでいたし。

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(2/21)懐かしき函館の街

2009年02月21日 22時28分11秒 | Weblog
8時からWOWOWのドラマを観る。
「戦力外通告」
タイトルがタイトルなだけに
高杉良の社会派ドラマのような内容を期待したが
そうではなかった。
50代のまだまだ第一線で働ける男が社長の後ろ盾を失くし
自ら辞表を叩きつける。
そこまでは良かったが
その後の展開はどうも・・・
ドラマの目指すところは
50代の中年たちがもう一度、人生の再生を誓うという話。
故郷のお祭りを立ち上げて
バラバラになった夫婦たちが再生するのが中心。
最後に
主人公が再び会社に戻ってほしいと言われて
「断る」と言ったのは格好がついたけれど
現実には
戻ったほうがいいんじゃないの、と言いたかった。
再就職はないのが現実。
40代、50代には今非常に厳しい。


昨夜は
田舎暮らしを検索しているうちに
北海道の物件をずっと見ていた。
その可能性はゼロに等しいが
(夫がこちら地元を離れるはずがない。雪が苦手。寒さが苦手。)
広い贅沢な土地にどんな物件があるのか
ずっと検索していた。
こういうのは夢を追いかけるのと同じで
(もともと、家の間取りや庭の様子を見るのが大好きだし、ストレス解消になる)
ここは、自分の部屋とかネコたちの部屋とか考えていて
楽しかった。
そして
もしも函館に住んだら、ということで物件を検索。
函館は
小学校2年から6年の5月ごろまで、たった4年間であるが
2つの小学校を体験してきた私である。
温泉のある所と
地形的に、街の一番細い所に住んでいた。
結構、知らない地名、町名が出てきて
それはどの辺かと、地図を見たり。
そして昔からある町名にときめいたり。

私が北海道に帰った時は
どうしても
最後にいた苫小牧が中心だし
親類も札幌や旭川、芦別など中央にいるので
一番南にある函館には足を運ばないことがある。
でも
北海道の街として
好きなのは函館である。
向こうの夢を見るときは、なぜか湯の川の長屋時代が出てくるし。
小学生ながら
2つの街の周辺は強烈に覚えている。
夫を連れて以前
北海道の私の住んでいた所を訪れたときは
忘れずにスムーズに行けたのが嬉しかった。
その時も既にその街を離れて何十年と経っているのに
変わらず、住まっていた所が長屋としてあったことに
感動した。その家の前で写真を撮ってきた。
しかし
その後、再び一人で訪れた時は
マンションになっていたっけ。さすがに。
でも向かいの家も変わっていなかった。
向かいの家の玄関前で一人
鞠つきをしたのを思い出す。まだ8歳くらいの時だ。
今なら、不法侵入か。
コンクリートなんて珍しい時代だから、当たり前のように
鞠をついていた。
その家はまだあるだろうか。
感慨深い。

2つ目の街は函館の中央である。
函館の地形は、中央がくびれている。
北の港側と南の浜側の一番細い所に住んだ。
端から端に歩いて15分ぐらいだろうか(記憶が定かでない)。
父の勤めていた会社がそこにあり
駐車場の横に社宅があった。
そこに住んだ。
その街が好きだ。
ネコを好きになったのもこの街。
自転車を乗るのを覚えたのもこの街。
ストーンズを好きになったのもこの街。
友人が増えたのもこの街。
そして
浜側に建っていた小学校に転入した。
4年生、5年生、6年生とクラスのメンバー変わらず。
4年の時の担任には悩まされたが
(転入してきた私をなぜかいじめたなあ・・・・)
5年、6年の担任は良かった。
どうしているだろうか。

1人でこの街を訪れたとき
暑い夏だった。
友人たちはとっくにバラバラになっていて
誰一人
私が、懐かしくこの街を訪れているなんて知らないけれど
たやすく来られないから
訪れることができる時に訪れたかった。
小学校はあった。
凹型に校舎が建ち、浜側は体育館だった。
海の風に乗った潮で
鉄筋が錆びて茶色がよく目立っていた。
函館の絵葉書があると
いつも、ここが私の小学校だよ、と
皆に言っていた。
それほど真ん中に、浜側に目立つ建物だった。

そして
その学校を検索してみた。
調べてみると
なんと
統合して廃校になっていた・・・。
隣の小学校と統合していたのだ。
平成に入って。
胸が熱くなった。
そうか・・・今は小学生も少ないしね。
私がいた頃も
空き教室があったなあ。
あの四角の回廊のような廊下の向こう側は
空き教室になっていて、荷物や机が積まれて倉庫のようになっていた気がする。
(でもこれは、夢の中でだったかもしれない。)
現実を正確に映し出した夢なのか
仮想の夢だったのかはっきりしない。

一人で訪れた時の
暑くて
真ん中にあるグリーンベルトのベンチで
冷たい飲み物を飲んだ。
記憶を辿って

友人の家を訪ねれば
会えるかもしれない、などと思ったが
それはできなかった。
あのときの気持ちがよく今でも出てくる。
先輩の家が肉屋だったから、そこに行けば・・・とか
同級生の家が立派な質屋だったから、そこに行けば・・・とか
懐かしい気分である。
それをしなかったのは
あまりに年月が過ぎていたからだ。
会って何を話すか、なんて考えると億劫な気もした。
結局私は
その小学校を数ヶ月残して卒業できずに
苫小牧に転校していった。
だから同窓名簿に名前がないのだ。
苫小牧から更に
東北のこの町にやってきた。
誰も
私がどこで何をしているのか
思い出すこともないのだろう。

クラスメイトの名前を思い出してみた。
女性は姓が変わっているだろう。
男性の中で
非常に珍しい名字の人がいて
その下の名前も正確に覚えているので
ちょっとネットで検索してみた。
普通に暮らしていて、有名人でもなければ
なかなかネットに出てこないしね。
でも、あった。
おそらくこの人だ、と確信した。
非常に珍しい名字だったので。
ネットは
何十年経っても
記憶を思い起こさせてくれる。
怖いくらいだ。
過去として
記憶の彼方に置いていったものが
蘇る。
そして
こうして
何十年経って、彼らはその街で
しっかり生きているのだろうと思わせてくれた。
もう会うこともない人々。
同窓会として彼らは会っているのかもしれない。
3年間、クラスメイトは変わらず、いっしょに卒業した仲だから
きっと何年に一度の割合で会っているのかもしれない。
この私の名はそこにはないけれど
会うこともないだろうけれど
私、ここに生きているよ。
いつか
また訪れたいんだ。
あのグリーンベルトで
汗を掻きつつ飲み物を飲んで
次はいつ来るのだろうと
思っていた自分。
妙にあの自分が好きだ。
小学生の私がすっかり大人になって
故郷と呼んでいいのか駄目なのか
戸惑っていた。
いや、ふるさとだ。
どの街もふるさとだ。

「どこ出身?」と聞かれると
「北海道です。」と答えてきた。
そう、北海道のあちこちを転々としてきたから
函館も、札幌も、富良野も、芦別も、苫小牧も
私のふるさとだ。
それぞれ悲しい思い出も楽しい思い出も
愛する思い出がたくさんある。
やっぱり
また帰るときは夫は連れていかない。
私の故郷巡りは夫を退屈にさせるものね。


今日は
これから、他の県の物件を検索してみる。
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(2/19)懐かしい電話

2009年02月19日 22時56分21秒 | Weblog
明日は東北荒れ模様の予想。
今、外を見てみると
しんとしてひっそり静か。
空気が冷たいくらい。
日中の風の強さはウソのように
静まっている。
雪が降るらしいが
積もるほどではないようだ。
都市部は。
山沿い、北のほうは朝どうなるだろう。


夜に
20年ぶりくらいの無沙汰の電話があった。
今度会いましょう、というお誘い。
具体的にいつ会うか、場所などを後日
知らせるとのこと。
彼女は私の教え子。
いろいろと苦労したそうだ。

私の最初の印象はいつも良くない。
取っ付きづらい
クール
不思議
よくつかめない
などなど。
いつもそういう印象を語られる。
今日も、昔を振り返ってそんなことを話した。
声のトーンも低いし
見た目が冷たいらしいから
知らない人はそのままの印象で語る。
でも、そんなことはない。
それは彼女が1年付き合ってきてよくわかっている。
彼女の子供を通して
今回再会の運びとなった。
彼女の子供も
私について、そんな印象を持っていたようだ。
そして
「そんなことない、ない。」と彼女の知る私のあれこれを
話したとのこと。
それ以来、その子供ともよく話をするようになった。
ぜひ、会いたいとせっかくのお誘い。
たまにこういう再会もいいのかもしれない。

札幌に行った子からも悲しい年賀状をいただいていた。
長い手紙を書こうと思っているのだが
まだ実行していない。
自分のことで今、手一杯なのでなかなか
ゆったりとした気分で書けないのが現状。
ずっと気になっているので
そろそろ書かなくては。

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(2/18)狩野英孝さん実家神社ライブの記事

2009年02月18日 09時55分44秒 | 狩野英孝
今日は休み。
一番の冷え込みだそうだ。
でも日差しが出てきたのでありがたい。
どんなに寒くても
雪にならないこの町。
基本的に雪国ではないのかも。
東北が皆雪国というわけじゃない。

狩野英孝さんの緊急ライブを開催すると
昨日のロンハーで告知していた。
昨日は7時から
普段観ないバラエティを観る。
英孝さんがまたドッキリにひっかかるというので。
お母さん、ごくろうさんです。
ドッキリにお母さんが名乗り出たと言っていたけれど
そんなはずはない、と思いつつ
観ていた。
そのあとにロンハーを流し見していたら
その告知があった。
少しは、前回の50TAのことを何かやるのかな
と思ってつけていたのが正解。
今度の日曜、英孝さんの誕生日に無料ライブを
やるとのこと。
むろん私は行けないけれど
きっとテレビでこれを放映するだろうね。

そして
地元の朝刊を読んでいると
あの、4月12日の彼の地元神社で
ライブをやる記事が載っていた。

ここに朝刊の記事が載っています

地元の活性化のために
お父さんも、今から駐車場の手配など
頑張っているとのこと。
息子さんがここまで有名になって
本当に
親孝行だね。
サンドウィッチマンにしても
皆、親孝行だなあ。
初々しい気持ちを忘れずに彼らも
頑張ってほしいね。

夫がまた
行こうよ、なんて言い出す。
その頃のことなんて
一体自分、どうなっているのかわからないよ。

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(2/16)ピザが食べたい。

2009年02月16日 23時18分29秒 | Weblog
昨日は暖かかったが
今日はサブイ!
風も強いし、雪も少し降ってきた。
もっと降らないかなあと思ったが
うっすらと地面を白くさせただけで
夜は晴れている。
明朝はマイナスだそうだ。
カエルたちも戸惑っているに違いない。

一日職場に行っただけで
どっと疲れて帰宅。
いろいろと先行きの不安が多いなあ。
こういうとき
友人と会って
好きなピザを食べたい。
たらふく、食べたい。
夫がチーズ嫌いなので
チーズ禁止なのである。
市販のピザを買ってきて
オーブンで焼くと
そのにおいに反応して
クサイ!と言い出す始末。
だから食べたいときは
思い切って外でたくさん食べるようにしている。
友人よ
また食べに行こうね。
私も大学1年まで
チーズを嫌っていたが
どこかの喫茶店で食べてみたチーズトーストが
おいしくて
それ以来、チーズが好きになった。
シンプルなものがいいな。
とにかく夫とは行けないので
友人と会うときはそれを楽しみにしている。

ではこれから勉強をして寝ることにしよう。
明日はいいことがありますように。
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(2/15)デブシロちゃん

2009年02月15日 23時12分08秒 | ネコ
ランダムブログで見つけた

デブシロちゃんのお顔


シロネコは可愛い。
うちにも白いのが3匹いるけれど
純粋な白じゃない。
でもほぼ白。
カズ、ダイジロー、トモ。
ダイジローは小さいとき、あたまにちょこっと模様があったのに
大きくなって全部消えた。
カズは
生まれたときや子供のころ、真っ白でフワフワしてボーっとして
独特だったけれど
今は薄茶が出てきている。
トモは、小さいときのポッチ黒が消えずに残っている。

デブシロちゃんのエピソードは結構
ジーンとくるし、今後も目が離せません。
それにしても
皆に愛されて
人間を怖がらないというのは得だなあ。
人徳、ネコ徳です。
うちのネコたちは、人が来るとパニックになるのがほとんどなので
きっと可愛くないだろうなあ。
ノリとかシンノスケはまだ愛想があるけれど。
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(2/15)夜中です。

2009年02月15日 02時34分03秒 | Weblog
夜中である。
2時半。
手紙を書いていた。
大事な手紙を2,3書かなくてはならない。
そのうちの1つを書いていた。
まだ完成していない。
長い長い手紙である。
そろそろ彼に会わなくてはならない。
彼というのは
元の職場の上司である。
恩人でもある。
彼については毀誉褒貶あるが
私にとっては恩人である。
今の職場に彼がいないのは
大きな痛手だと思っている。
もう戻らないだろうけれど
彼やその他馴染みの人たちがいた頃を
さっき思い返していた。
昭和はとっくに去っているって?
昭和はもう古いって?
平成も20年以上経っているのだから
確かにそうだ。
でもまだまだ、昭和生まれの人たちが
中心活躍しているじゃないか。
でも、何か違う。

夫に
「もう朝になるぞ」と言われた。
夜型の私。朝はつらい。
寝坊したい。でも、規則正しく
猫たちに起こされる。
だから昼寝は必至。

しかたがない。下に行って寝るとしよう。
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(2/14)夢を見た。

2009年02月14日 11時04分50秒 | 山P
朝から風が強い。
気温は昨日より高い。

昨夜はやはり夢を見た。
その記録をしたくて。
山Pと会う約束。
本当に来てくれるのかな、と
不安げに待っていると
彼が、地味な服装で来てくれるんだ。
私は、自分の靴下が汚くて
それを気にかけるけれど
ま、いいや、それが自分、などと
思っている。
彼の顔はよく見えない。
でも設定は山下君。
私の不安を払拭させてくれることが
嬉しかった。
あれは本当に山下君?
そして私の年齢の設定は一体何歳?
まるで
青春小説の中のプラトニックな関係でした。

現実は
彼は、今きっと恋愛に夢中な年頃。
お酒とか、大人につき物のアイテムが
必須の年頃。
私はそうじゃなくて、
食事をしても、割り勘で払うとか
いるだけで幸せ、とか
そういう古い時代の存在を求めている。
お互いを思いやる小さな幸せの時代。
もう
そんな時代はとっくのとうに
過ぎ去ってしまった。
いい年して
そんな切ない思いを夢見させてくれて
ありがとう。

朝から変なブログでごめんなさい。
夢の記憶は取っておきたいので。
ではまたあとで。
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(2/13)ウソのつけない自分

2009年02月13日 21時03分53秒 | 山P
今日のお天気はわかりにくいお天気。
気温はそれほど低くないけれど
日差しがないので、体感温度が低い。
それでいて
午後の職場は眠くなりそうな温度。
寒いのか
暖かいのかよくわからない。
気分も沈み加減。

ともかく、今週の仕事が終わった金曜日。
大して、他の人よりも仕事をしていないのに
この異様な疲れ、眠気はどうしてだろう。
金曜日の夜は、解放感に浸れるはずなのに
なかなかそんな気分にもなれない。
そんなときは
某動画で
子猫のあれこれを見て癒しをいただく。
ネコっておもしろいよなあ。
動物って、いいよね。
心がゆる~くなってくる。
そして
また、動画なしの perfect love
を聴いて閉める。

仕事場を去るとき
自転車置き場にいると
上のほうから
若い声で
「さようなら~!山P、さようなら~!山P!山P!」
と5,6人に挨拶された。
山P、と聞いて私の腰はくだけた。
私の弱点は山Pだ。
腰の辺りをくすぐられるような気持ちだ。
メロメロとはこのこと。
やはり、あのNEWSのコンサートでバッタリ彼女たちに
会ったことが
山Pファンであることがバレバレになっていた。
職場では澄ました顔でいたかったのだが
山P、と言われると腰がグニャグニャになる。
ウソのつけない自分になる。

明日一日は
仕事のことを考えない
自由な日にしよう。
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(2/12)ばんばひろふみ SACHIKO 名曲

2009年02月12日 21時33分03秒 | 名曲
今日も
某動画巡りをしていた。
PCのファンが回りだしたので、やめる。
 
ゾンビーズって知っている?
有名なのが
time of the season(二人のシーズン)

車か何かのCMに使われている。
前も採用されたことがあった。
60年代末期の曲です。
そのゾンビーズの隠れた名曲が
she's not there

それが動画にあった!
嬉しかった。

そこから
I love you(好きさ好きさ好きさ)を観ているうちに
またGS巡り。
ダイナマイツの「恋はもうたくさん」
これって、今聴くといいのよねえ。
「トンネル天国」もいいけれど、この名曲を
もっと知ってほしいよ。

あちこち飛んで
今度は
ばんばひろふみの
SACHIKO

これって、泣ける。
いつだったか、カラオケ付きの飲み屋で
仲間が集まったときに
一人がこれを歌いだしてね、
最初っからダーッと涙が流れてきた。
それを聴いていた中年の人たちもいっしょに泣いて
お酒のせいか、皆オイオイ泣いていた。


   幸せを数えたら 片手に余る
   不幸せ数えたら 両手で足りない

って、はじめから切ない歌詞で
こんな歌詞は今の人たちにはピンと来ないのかな。

そして
とうとう
「『いちご白書』をもう一度」を聴いてしまった。
この詩も、名詩ですよね。
なるべく、これについては触れないようにしていたけれど
とうとう観ちゃった、聴いちゃった、という気持ち。

私にとって
「いちご白書」(映画)は思い出。
一人で観に行っているけれど。
北海道で観て
こちらで観て。
その映画の中で
「サークルゲーム」という主題歌があって
確かラストの衝撃的な場面で流れるのよね。
こちらに来たときの孤独な自分の映画だったという
印象がある。
そして
その数年後にこの曲がヒットして
え、私のための歌じゃないか、などと思っていたっけ。

というわけで
今日の名曲は

SACHIKO

恋はもうたくさん

を挙げよう。

そのほかにたくさん、動画を観たんだけれどね。

そうそう、
狩野英孝(50TA)の
パーフェクトラブを
動画なし、音声のみのを
夫に聞かせたら

素晴らしい!
と言っていた。
また絶対にテレビで歌ってほしい。



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(2/10)田原俊彦/抱きしめてトゥナイト名曲だ

2009年02月10日 19時36分16秒 | 名曲
観るテレビ番組がないので
今夜は専ら
某動画三昧。

手始めに
サンタエスメラルダの don't let me be misunderstood
尾藤イサオの 悲しき願い
夫が次から次へとリクエストする
ブーツウォーカーの ジェラルディン
ゼーガーとエバンスの 西暦2525年
サリーの ヴァージンブルー
などなど
ないと思っていたものが
動画としてあるんだもの、興奮した。
そして
行き着いたのが
田原俊彦

抱きしめてトゥナイト

いやはや
最高でした。
ジャニーズの王道でした。
その言葉しか見当たらないほどに
カッコ良さに改めて気づかされた。

私は決して
ジャニーズフリークではないけれど
音楽全般に大好きなものだから
ジャンル限定せず、良いものは良いと思っていた。

トシちゃんのピークでもある
この歌と踊りは
他のジャニーズには真似できないもの。
今の子たちに
これをやれと言ったって
果たして誰ができるか。
あのダンス。
ジャニーズがどんなにバック転を得意にしても
あの華麗な脚さばきは誰ができようか、誰もできまい、と反語の言葉で
述べられる。

夜のヒットスタジオで
この曲ともう1曲メドレーで歌い踊ったものがあるのだが
(フィリピンの女性ダンサーが2人出て踊る。釘付け。これが先だったかな)
当時
私はたまたまビデオに撮っておいて
あとで消すつもりでいたけれど
とても消せるはずのない名曲、名ダンスということで
今でも残している。
あの踊りは
本当にカッコイイ、と誰もが唸らせる完璧なもの。
私は次の日に
その2曲が入ったものを買いに行った。

抱きしめてトゥナイトは
我が愛する筒美京平の作曲。
トシちゃんの声に合った作りになっていて
歌が下手だとか全然思わない。
これが彼の個性だもの、
その個性に合っているのよね。

手足がそんなに長いとか普段感じないのに
この踊りのときは
ビシッと爪の先まで伸びて
腕の長さ、脚の長さを感じさせるんですよ。
だからこそ
カッコイイと思わせる。
中途半端な踊りじゃない。
そういうものって
模範だから
観衆を釘付けにするのね。
スポーツでも模範演技はそうでしょ。
今のジャニーズは
マッチとか東山君が直接の先輩。
トシちゃんの歌はカウントダウンコンサートでは
聞くことはない。
彼らも素敵だし、筒美京平のヒット曲を持っているけれど
トシちゃんのこの歌が
前奏から最後まで聴かせる、見せるものとして完成されている。
今の人たちは服を着崩すのが当たり前になっているので
どうしても
踊りのキレというのが感じられないんだ。
その意味では
抱いてセニョリータのバックの踊りは
ジャニーズクラッシック的な感じで魅了されたけれどね。

ジュリーがグループサウンズの王道なら(以前、紹介した「サムライ」畳バージョンは最高だと思っている。ソロになってからの)
トシちゃんはジャニーズの王道と言ってもいいかも。
あらためて今日はそれを感じた。
そして
その二人とも
私は特にファンじゃなかった。
最近は
ジャニーズ、個人ソロを売りにしていないよね。
山Pがそれか、と一昨年期待したけれど
あれ1曲で終わっちゃった。
郷ひろみ
田原俊彦
山下智久と続いてほしいのだが・・・

というわけで
今日は
トシちゃんの
抱きしめてトゥナイトを
7,8回観て、テンションを揚げている。

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(2/9)ネプリーグ/神社

2009年02月09日 21時20分47秒 | 狩野英孝
月曜の朝は
出勤が朝一なので慌しい。
他の曜日は、9時とか、明日火曜は11時である。
月曜だけ
朝食をあっさりと食べて家を出る。
今朝は
マイナスの気温にならなかったので
暖かい気温に感じる。
日中は日差しがあると、室内は暑いくらいだ。

夫が
狩野英孝の実家神社はどこか、と
聞いてきた。
こちらの県で、県北である。
そして
父の実家のある所。
神社の地図を調べてみた。
私は行ったことがない。
そもそも、父の実家には10年近く行っていない。
冠婚葬祭のためだけになった。
4月12日に、神社でお笑いライブをやるとのこと。
朝のワイドショーの新聞でそれを告知していたので
夫が言い出した。
かと言って、行くわけじゃないでしょうね。
行くつもり?
混むかもね、と言う。
年度が替わっての仕事が始まっている頃だから
おそらく行かないでしょうね。
仙台に来るなら、行ってもいいけれど。
あの一連の歌を聴けるかもしれないし。
インドの牛乳屋さん、だっけ。
歌詞を見ると
心優しい歌なんだよね。
ずっと、気になっているので
彼のブログをお気に入りに入れた。

さっきは
ネプリーグを観て笑った。
メイちゃんの執事チームを応援していた。
健君が出ていたので。いじられていたなあ。
結構、皆高学歴で、一番年下の健君が皆に可愛がられているようで。
国旗の赤と白の2色の国の問題で、向井君が
「チュニジア」と答えたのには驚き。
なかなか時間内で出てこないよね。
これは良かった。
一笑いしたところで、ネコたちの相手をする。
テレビで、笑ったり感動したりするのは
精神面に、良い薬である。
笑う門に福来る、である。
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(2/8)クロサギ/警官の血

2009年02月08日 23時35分28秒 | ドラマ
今日は風が強かった。
南の方に買い物に行ったのだが
ホームセンターの周りにはまだ住宅など
建物がなく
風除けになるものがないので
まともに風を受けながら駐車場を歩いた。
そして

外に出ると
風の強さのせいで
空が澄み切って月がくっきりと浮かび
冬の北海道を思い出していた。

   地吹雪と別に星空ありにけり   稲畑汀子

の世界である。

地吹雪ではないが、北風の強さはもしも、雪があったら
それを舞い散らすほどであろう。
でも夜空を見ると
汚れた空気もどこかに吹っ飛び
美しい空と月と慌しく流れる雲が真上にある。
よく
北国で見かけた夜空だった。
苫小牧から札幌に行く道路の車の中から見上げていた空。
よく、この光景を思い出す。
そして何十年経っても
同じような光景を変わらずもたらしてくれる自然に感謝する。
すぐに現実に戻って
夕飯の支度をしていた私だ。


8時前にお風呂に入り
映画クロサギを観始めた。
山下君のまだ幼げな表情が懐かしい。
9時から
警官の血第二部を観る予定だったので
1時間ほどしか観られなかったが
そのあともチラチラと観ていたので
結局
警官の血の方も飛ばしたところあり。

太陽のナミダはやはりあの映画に合っているなあ。
最後にしか流れないけれど
それがどうしても聴きたくてクレジットが流れるとき
映画を観終わった脱力感を思い出しつつ聴いていた。
抱いてセニョリータの時は
3年前のテレビ放映のことをワーッと思い出しつつね。
早く、クロサギ2を放映してほしい。
そんな話題はどこにもないけれど。
堀北真希ちゃんともやはり、いいんだよね。
この子なら許せる・・・何が?

警官の血は
ウ~ン、昨日の方が衝撃的、良かったかな。
和也の時代に入って
ようやく祖父、父の真相にたどり着いて
早瀬に告白させたところは良かったけれどね。


午前中
母の入院先へ。
昨年の、退院する日に行って会って以来。
だから
また病院での姿しか見ていない。
少し話してそこを出た。
面会時間に行かなかったので看護婦さんに
とがめられてしまった。

午後に昼寝をすると
父の夢を見るし。
心の奥底に潜在しているものが
夢に出てくるのはよくあること。
だからと言って、何かが変わるとか
正夢になるとか
ないけれど。

これから少し勉強して寝ることにしよう。
明朝は早い。
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(2/8)ドラマ「警官の血」

2009年02月08日 00時04分35秒 | ドラマ
楽しみにしていた
「警官の血」第一部を観た。
夫はグースカ眠ってしまった。

何かの雑誌で読んだことがあるが
戦後の東京U公園の男娼。
なるほどねえ
あまりテレビドラマでは描いたことがないと思う。
昭和の映画を観て(時代設定は昭和だけれど)いるようだった。
「肉体の門」(野川由美子のね)とか
「にっぽん昆虫記」とか
大学時代に、そういう映画自分解禁と称して
名画座あたりで観た映画。
ミドリ役を演じた若葉君は脚を丸出しにして、化粧をして、歌を唄って
男を誘っていた。
強烈。
昭和映画的な感じがしたのは
ヤクザの情婦を演じた女が、すぐに交わりたくてパンツを脱いで
飛びつくところや
麻生祐未がDVで倒れているときの脚の雑な開き方(今のドラマでDVシーンを
やらせても、脚は閉じて「女座り」だろうなあ)はリアル。
監督の指示が細かい。
でも、最初のナレーションで
「いさぎいい男」と言ったのには、あ、とつまずいた。
一代目の警官(清二)の死、男娼連続殺人を
二代目の警官(民雄)の所でもずっとサスペンスのように
ひっぱるのかなと思ったら
民雄のスパイとしての苦悩の人生を描いていて
逆に良かった。
警官の中には、このように潜伏してスパイ活動をしていたのが
いた、というのを残酷に描いていた。
出演者は誰でもいい、監督が細かく指示して監督の思惑通りに
動いてくれるならば。
麻生さんはそれを見事にやったっていう感じ。

明日は第二部。
WOWOWで「クロサギ」映画を放送するので重なる。
でも再放送するし、映画館で観ているし、
リアルタイムはこちらの「警官の血」第二部を優先しよう。

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(2/6)母、再入院

2009年02月06日 21時56分24秒 | Weblog
さっき
父から電話があった。
昨年12月に母が退院して以来
私は実家に帰っていない。
正月もこちらで過ごした。
年賀状には
こちらの、変わらない生活を書いて送った。
母は電話をできない体、頭になっている。
父は
用事以外は電話をよこさない。
よって
互いに音信不通の月日。

つい2、3日前に
母の夢を見た。
どんな夢だったか忘れたが
夢を見た後に
どう過ごしているだろうか、
実家に帰らない私のことは
母は本当の意味で忘れているだろう、と考えていた。
顔を見れば思い出すであろうけれど
母の今の頭の状態では
正常な状態と違って、私のことは忘れていることだろう、と思っていた。

母がまた入院したとのこと。

父は
一方的に、事務的に
再入院したことを
ですます調で話しただけ。
悪くなっているのか、単なる検査入院なのか
詳しくはうかがえなかった。

日曜日に病院に行ってくる。

退院してわずか2ヶ月である。
その間
何も知らなかったし、知らされることもなかったし
知ることもしなかった。
ただ平穏に
老夫婦、過ごしているのだろうと勝手に
思っていた。


今の私は
私たち夫婦のことで
いっぱいいっぱいなのだ。
こちらはこちらで
深刻な現実的な問題を抱えている。
その事情は
両親とも知っているが
あくまで
批判的な傍観者である。
だから
こちらが好転しない限り
私も連絡を絶っていた。

日曜日
会っても
その話題については
こちらもあちらも触れることはない。



若干モヤモヤしている。
とにかく日曜に
容態を見てからのこと。

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