僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(6/27)元同僚と会う。

2012年06月27日 21時56分03秒 | 思い出を紐解く
10時に寝るつもりだ。
夫は
8時に寝た。
私は今
洗濯物を干して
ミミの相手をして
ここに来て
10時に下に降りていく。

職場での静かな仕事も明日で終わり。
明後日からは
Iさんが出勤して元の世界。


昨日は忙しくて忙しくて
どっと疲れが出る。
お弁当を食べそびれた。
うちに帰ってから食べるか、
公園に寄って、鳩を眺めながら食べるかしよう、と
思案の帰途、

思いがけず元の職場の同僚に会った。
しかも
山P仲間のMちゃん。
彼女と
山Pのコンサートにも行った。
彼女とは20代のときからの縁。
年齢は少し離れているけれど、同期である。
私たち夫婦の結婚式(人前結婚式)では巫女(のような役)をやってくれた。
ピンクのドレスを着ていたっけ。

その彼女も
職場にては中堅。
私たち同世代の仲間たちが重要なポストに就いているということを聴く。
そして
せっかく就いたポストになじめず
定年を待たずにやめていった同僚の話も聴く。

私の今の仕事については
詳しく知らなかったので、ようやく昨日詳細を語る。
ブログをたまに見て、大変そうだというのはわかっていたらしい。
よく1年続いたね、とも言っていた。

それに対しての答えはこうだ。

仕事そのものは大変であるが苦痛ではない。
やはり、ストレスは
人間関係にある。
この今の状態さえ軽減できれば
他の人間関係なんて、我慢の範囲だ。
今はギリギリ我慢しているところだ。
そして今までの分野と全く違う仕事をしていて
これは将来の修行なのかもしれない、なんて
珍しくポジティブな言い方をしてみた。

おそらく
仕事におけるストレスは
仕事の量、内容もあるが
それらに関わる人間関係に大きくウエイトがかかるのだと思う。

元の職場の
昔の空気と今の空気の違いについて話した。
年を取れば
「昔は良かった」という言葉を聞くが
それを言ってしまえばおしまいであるが
確かに空気が違う。
それは
やめて10年のブランク後に
再び戻って4年間働いてみての感想でもあった。
4年いても、その空気になじめなかった私である。
戻って来い、という言葉を他の同僚からも言われたが
戻るには、自分が年を取りすぎたことを
しみじみ感じた4年間だった。

もしも10数年前にやめずに
あのまま勤めていたら
私もそれなりのポストに就いていたかもしれない。
そして自信喪失して
いやな気持ちでやめていたかもしれない。
(実際、そういう気持ちでやめていった人の多いこと)

仮にとかもしもとか
そう仮定してみても
どんな先があったろう。
それは
やり直しのきかない人生だから
答えは全くわからない。
人生が二度あったとしても
同じ生き方、同じ道とは限らない。
同じ生き方がいやだから
修正を利かせた生き方をしたい、と言っても
人生はいつも儘ならない。

「痩せたね。」と言われた。
「うん、でも身体丈夫になったと思っているよ。」

ちょっぴり今の仕事のメリットを。
これも
長生きできる修行だと思えばいい。
もしかしたら
自分の将来の夢は実現できずに朽ち果てるかもしれないが
信じるしかないね、
夢が叶うことを。


あの公園で話した。
そして
近いうちにここでピクニックしよう、と言って別れた。
いつも楽しかったね、Mちゃん。
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(6/25)鳩が戻ってきた。

2012年06月25日 22時05分57秒 | Weblog
鳩が巣作りしていると
ずっと思っていた。
2週間ほど
同じところに1羽の鳩がいたので
てっきり巣作り、子育てに入るのだろう
これから楽しみだ、と思っていた。
もう1羽の鳩(雄?)がたまに飛んでくる。


急に2羽とも姿を消して
1週間ほど。
もう二度と現れないんだ、巣は壊されたんだ、
などとがっかりしていた。

初めから
子育て、ではなかったのか。
鳩の習性は知らないので
想像はあくまで想像。

ところが
今日
2羽、戻ってきていた。
活発に動く1羽の鳩と
座っている鳩。
あの2羽と同じなのかもわからない。
でもあの場所だったら
きっと同じかもしれない。

1羽は、小枝を口にくわえている。
あちこちに飛んでいっては戻ってくる。
そして
2羽並んで
毛づくろいをしていた。
仲が良い。
すごく仲が良い。
まさに比翼連理だ。


Eさんに
「鳩が戻ってきたよ!」と弾んで言う。
彼女は冷静に
「鳩は、気まぐれだからねえ。暇さえあれば巣作りしているよ。」と
鳩の薀蓄。
彼女の父親が
子供たちがまっすぐに育つようにと
なぜか鳩を飼って育てていたらしい。

「トモロッシさんて、ヘンなことに感激するのね。」とクール。
「だって、この鳩にとって、そこが安住の地かどうかわからないでしょ。
見つけた人間が、鳩の糞害を懸念して、巣を壊すかもしれないじゃない。
人間の胸一つなんだよね、生き物って。
鳩の嫌いな人は徹底して嫌いだよね。」と言った。

せっかく仲睦まじく寄り添っているのに
邪魔をするのも人間、じっと見守るのも人間。
この世は人間中心です。
だが、鳩には羽根がある。
そこがダメなら、別なところ、人間の邪魔の入らないところに
移動できるよね。
帰ってきたことによって
俄然張り切る私だ。
その後の仕事も苦にならなかったよ。


明日は
なぜか私がチーフになって仕事をすることになった。
Eさん、早くも息切れ。
「明日、トモロッシさんやってよ。」
「え?なんで急に?」
「練習だと思って、やって。」
「そんな、大義名分はいいからさ、疲れたんでないの?」
「いやいや、練習だと思って。」

という会話はなかなかIさんとはできない。
とうことで
明日、大きな仕事を任されました。
では寝ます。
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(6/23)しばらく解放感?

2012年06月23日 20時37分20秒 | Weblog
トモが私の傍に来て、「遊んで」とおねだりしています。


疲れましたね。
今も眠さと闘っています。
すぐにでも寝たいのですが

夫、オーディオルーム(私がいつも寝る所)で
CDを聴いているので
まだ眠ることができない。

一週間以上休みが取れないことになるので
来週はどれだけ疲れることやら。
チーフのIさんが明日から旅行に出かけるので
Eさんと二人で頑張ります。

この2週間
Iさんはイライラのし通しで、
Eさんは「馬鹿」呼ばわりされ
私はパワハラ紛いのことをされ

明日から5日間
彼女の顔を見ないで過ごすことの解放感のようなもの。
こんなことは解決になっていないのですけれどね。

パワハラ紛いと書いたのは
パワハラって、何が定義なのか定まっていないんですよね。
あんなのはどこでもある、日常茶飯事、と言われれば
黙ってしまうけれど
毎日毎日
ストレスが積もりゆく状態。

一昨日なんか
彼女、途中で仕事を私に押し付けて
2時間(そのうち1時間は休憩時間)外出。
彼女の仕事を頼まれ「はい、わかりました。」と言う情けない私。
本来なら
「やり終えてから行けば?」と言いたいところ。

そんなことを平気でしている彼女ですから
日ごろの罵声も、素直に入ってきません。


ここでグチってごめんなさい。


Eさんとは
「彼女とは相性が合わない」と一致。
何を言っても無駄、というより
何もこっちから反論していないじゃない。
反撃に出るときは
やめるときだろうなあ、と薄々思っている。

そんな気持ちが続くときは
ブログの中身も乏しいね。








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(6/21)昨日のボクシングを観て

2012年06月21日 23時54分37秒 | Weblog
明日は休みなので
遅くまで起きていていいのだが
起きるのは、いつもと変わらず。

目がしょぼついているというか
視野が狭くなっているというか
腫れぼったいというか

昨日の
ボクシングの試合を観て
感動したもので
片岡さんの「拳論」ブログとか
八重樫選手の掲示板とか
ずっと見ていたせいですね、
この目のしょぼつき。

私は
ボクシングなんてほとんど観ない人間ね。
素人ね。
でも
内藤選手のボクシングを観て以来、
夫がボクシング好きなものだから
付き合ってたまに観ているんですね。
亀田のは観ないけれど。


昨日も
夫が楽しみにしていたから
いっしょに観たわけです。
八重樫を応援していた夫。

井岡(山Pの映画「明日のジョー」つながり)なら
知っているけれど
八重樫というのは知らなかった。
なぜか
最終ラウンドを観て
ぐっと来たんですね。
感動してしまった。
どちらが主役、勝ったほうが主役とか
彼ら、試合前のインタビューに答えていたけれど

負けた八重樫が
主役を食った脇役、という印象。
二人とも
よくお互いに闘った、と言う意味で
抱き合って健闘を称え
二人とも
肩車されて
聴衆、コーチ陣等、テレビ観戦者皆を
感動させていた。
私と同じように
八重樫に感動した人たちが
彼の掲示板に大挙していた。
あの姿、感動しますよね。
いいものを見せていただきました。






さっき
ジャスさんへのコメント返しに

「歳月が愛おしい」と書いて
戻らぬ日々に痛烈に
愛おしさを再び感じた私です。
皆、全盛の足跡(そくせき)あり。



また
親の夢を見たんですよ。
親、どうしているのだろう。
来月
2日続けて休みが取れたので
行ってみようと思う。
夫とは
休みが重ならないので(私は日曜出勤あたりまえ)
自転車で行ってみようと思う。
それまで待っていて、両親。
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(6/19)赤ちゃんガマ、健在。

2012年06月19日 21時52分54秒 | カエル



今日
雨の中、草取りをしていると
今年産まれたガマの赤ちゃんがいたので
祝福記念撮影。
まだまだいましたが
あっちつかまえていると、こっちがピョンと逃げるので
10匹ほど器に入ってもらいました。
そのあと庭に放たれる。
無事に育ってほしい。


風が強くなってきましたが
この雨は
カエルたちが路上に出てくる、と直感したので
また怪しい格好で
路上ウロウロ。
今夜は台風に備えて
早めの帰宅者にずいぶん遭遇。
路上に
へばりついていたガマに驚く人。
轢かれていなかった、セーフ。
大きいのを6匹、捕獲。
庭に放す。
以前捕獲した大きなカエルたち
なぜか
いない。
うちの庭から逃げていくのでしょうかね。
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(6/19)かつての私の上司

2012年06月19日 01時12分39秒 | 思い出を紐解く
私は
尊敬、という言葉をほとんど使わない。
部分的に尊敬できるとかあっても
丸ごとその人を崇拝、尊敬というのは
長い人生、振り返ってもないような気がする。

ただ、長年の誤解や苦手若しくは嫌悪という呪縛から解かれて
強く惹かれていく、もっとその人を知りたい、ということはあった。

以前の職場での元上司である。
彼との出会いは
私の新卒後の職場、そして最悪な出会いでもあった。

新人の私(たち)は
いろいろなグループの誘い、飲み会があり
できるだけ参加をこころがけていた。
その中に
勢力として大きいファミリー的なグループがあった。
彼を中心としたグループ。
実際、彼の名字のついたファミリーという名で存在していた。
どこかに所属する、というのが苦手な私だったが
まずは、断ることもなく参加していた。

彼はまず、否定から入る。
その否定の言葉に、新人たちはギョッとさせられ
いやな思いをして、すぐに離れていく人たちも多い。
私もまずそれだった。
彼は同時に酒癖の悪い人間だった。
そして、彼の周囲の雰囲気も好きになれなかった。
体育会系のノリのようだったし、実際そういう人たちが多かった。
私は文系。彼も実は文系。文武両道というところか。
まずいことに
彼の所属の科と私は同じだった。
だから、職場の中でもよく顔を合わすし、会議でもいっしょだ。
彼のずけずけとした物言いに閉口した私は
そのうち彼のグループを避けるようになった。
ほとんどの当時の新人は
彼とうまくやっていける人が多かったが
私は苦手意識を持った。
乗らなかった。
それが彼の気に入らなかったようだ。
彼からしたら
私は、反抗的な人間に見えたのだろう。
勤めて1年目。
何かの発表会があった日の夜
飲み会があった。
何十人もの人たちが
飲み会の会場に集まり、私も軽い気持ちで
参加した。
そして
そこについたとたん
これは彼のグループが中心だとわかった。
彼の家族(奥さん)もいた。
そんなことは知らずに入っていき
彼は私の顔を見るなり
何かわめいて怒鳴りつけた。
なびかない私への罵倒である。
それまで
彼は皆の前で、私にそんなことを直接言ったことはなかった。
場が凍った。
太鼓持ちの人が
まあまあ、と言いながらその場をなだめるが
新人の私はいたたまれなかった。
早めに退散。
よく考えて来るべきだった、と後悔。
泣きながら歩いた。
そして同じく新人の人が追いかけてきて
送ってくれた。
それ以来、私は彼とは口も聞きたくない、挨拶もしたくない、と思ったし
実行した。

あの日を境に
確かに実行した。
廊下ですれ違っても
互いに挨拶もしない。
生意気な新人の私である。

彼の取り巻きの一人の女性が
私にはっきりと言った。
「彼は、あなたが嫌いなのよ。」と。
彼女はそれだけを言った。
だから何。
嫌われないように従順になれ、とでも?
「そうですか。」と言い返すしかなかった。
それから3年。
見事に彼とは口を聞かなかった。
同じ職場、同じ科、にいながらにして。

彼は
しかし、仕事のできる人だった。
会議にては発言力があり、まとめる力もあった。
リーダーとして采配を振る力もあったし、冗談も駄洒落も言い、
それなりの魅力も持っていた。
それが少しずつわかってきた。

3年も経てば
あの日の屈辱は薄れていくものである。
穏やかなときもある。

ある日
どうしても彼と仕事をしなければならないときがあった。
仕事を彼の傍で黙々とこなす私。
仕事以外の話は一切しないが
彼の態度も軟化していった。
そこで彼が
何かを尋ねた。
なんのことだったか忘れたが、それに淡々と答える私。
そして
「あんたは不思議な人だ。」と言った。
私には退廃的な空気があるように見えるらしい。
仕事もできないように見えるらしい。

その時間が
二人の硬化した3年間を溶いていった。
それがわかった。
口には出さなかったが、それがわかった。
私の中で
固まっていたものが溶けていく感じがした。
彼はどうかわからなかったが。

そして
その夜
彼から電話があった。
「いやあ、これまで冷たくしてすまない。
悪かった。これからこの職場で頑張りなさい。」と言われた。
私も
「私こそ申し訳ございませんでした。今日、あのような時間を
作ってくださってありがとうございました。」と
素直に謝ることができた。

3年間の固まりの溶解の瞬間だった。

当時、まだ独身で、今の夫とは
お付き合いをしたての頃だった。
夫に
喫茶店で、彼との確執と漸く和解したことを
興奮気味に話した。
そんな話を聞いての感想を聞くと
「いっしょに暮らしたい、と思った。」と夫からのトンチンカンな答え。

彼のグループには所属しなかったが
彼とは
どこかで互いに繋がっている、という意識を持ち始めた。
彼は相変わらず
太陽のような人で
周りを笑わし、リーダー的な力を発揮し、話題の中心だった。
新人への気配り(私に対してはなかったが)、
この職場を改善していこうという意識、バランス感覚など
酒の入っていないときは非常に信頼感のある人間だった。
恐れるもの、彼に無し、というふうに見えた。

そして家族ぐるみの付き合いもできた。
夫との結婚式にも招待し、スピーチもお願いした。
世話好きの彼は、夫の両親に対しても世話を焼いてくれた。
義父も、彼の庭にバラを植えに行ったり、彼の新築の表札を作って
プレゼントしたり、と
最初のころの最悪な関係を考えられないくらい
家族的な付き合いができた。
職場にては
淡白な関係であったが。

ある年、
彼に早すぎる昇進の話が出てくる。
彼の上にはたくさんの先輩がおり
ほぼ年功序列で、昇進していくのだが
異例の抜擢で
彼に声が掛かった。
それは私たち若いものにはわからぬ彼の悩みでもあった。
私が一人で食事をしているところに
フラッと入ってきて
彼は私に聞いた。
「これこれの役職に就くことになるんだが、早くないか。
他に競争相手がいて、当然自分たちに回ってくるものと思っていたようだが
私に回ってきた。どう思うか。」と
彼らしくない、逡巡の表情だった。
私は率直に言った。
「Kさん(彼)の日ごろの統率力とか発言力を聞いての判断ですから、
全然不自然じゃないと思います。むしろKさんの力がほしい、と強く願っているかと
思います。」と。
「そうか。」と彼は後押しの言葉を聞いて去っていく。
そして
彼はその後、2番目の地位に就く。
もう一人の人とともに。
2人体制というのも異例だが、どうしても彼の力が必要だというのが
わかった体制でもあった。

そんな順風満帆な生活をしている中で
ある日、冬。

全体の会議があった。
彼はいつものようにバランス良く、体制、反体制の意見の統率に力を注ぐ。
少々、もたついたときがあった。
しかしそれが彼にとって屈辱であったとは。

その夜、夕飯後に
電話が鳴った。
「今、○○(職場の近くの食事処)にいる。ちょっと話を聞いてくれ。
おらあ(俺)、待っているから。」と切羽詰った彼の言葉。

夫にそれを言うと
「行ってやれ。」
「行きたくない。またお酒、飲んでいるから、絡み酒になっているよ。」
「いいから、行ってやれ。」

そして雪が積もっている夜の道を自転車で行く。
そこに入っていくと
後姿が寂しい寂しい彼。
それを見た瞬間、来てよかった、と思った。
来なかったら後悔したような姿。

きっと今日の会議のことであろう、と想像はついていた。
やはりそうだった。
今日の会議は屈辱だった、と言っていた。

そして
会議を振り返って、個人の名を出して彼はその人を責める。
いつもなら、難なく彼はうまくまとめられるのにそれができなかったことの
自分を責める。

「その人が、Kさんにいろいろと注文つけたということは
Kさんの力を信頼しているからだと思います。私はそういうふうに
受け止めました。
もう一人の人(2人体制のKさんじゃない方)はこういう問題はうまく纏め上げられないからこそ、Kさんにいろいろと意見、注文したのだと思います。
難しい問題はKさんにしか解決できないからだと思います。」
と、私は言った。
難しい問題は確かに彼の方に積もっていく。
彼は
会議のときはいつも
議題に副って、自分の考えを事前に纏めていく。
彼なりのプレッシャーがあった。
そんなことは誰も知らない。
いつも臨機応変に彼はその場の的確な意見を述べていると思っている。

難しい問題は、Kさんに。
それはKさんの能力を信頼しているからこそ。
それを心に置いて、誠実に回答していけばよい。

そんなことを話して
彼は
ビールを浴びてそこを出る。

降り積もった雪道の真ん中を
自転車がズズズーと滑る彼。
酒が入っているから大声になる。

「オマエが来てくれてよかったぞー!来てなかったら、オレは職場を
やめていたぞー!」と。
心が幾分か救われて帰っていく。

ああ、来てよかった、と思った。
これほどに彼が傷心だったとは。
人は
見た目には絶対に心の奥までわからない。
話されて初めて、こちらが大して気にしていないことでも
大きな傷になっているとわかる。
そして
彼も人間だった。
弱き心を垣間見せる(いやあからさまに)人間だった。
あの
出会ったころの強い彼の姿からは想像できないほどの
雪の中のふらつきだった。

あのあと
橋から落ちやしないかと心配して
着いたころに電話をした。
無事着いていた。

その後
数年して私は職場をやめた。
彼は
「寂しい、もっと長く居られないの?」とメモをよこした。

彼はこの職場を愛していた。
だから、彼の人生計画に
更なる昇進があり、彼の構想のもとに職場の改善があったろう。
私もそれを予測していた。
しかし

定年を待たずに彼は職場をやめた。
もう、今の上司は彼を必要としなくなった体制を敷いた。
彼を昇進させずに
部外から連れてきた。

彼はその職場を去った。
だが、彼の博学ぶりは他のところで発揮され
相変わらずの向学心に燃えている。
孫達に囲まれ、文学を愛し、花を愛でている。

酒癖の悪さから
彼に、毀誉褒貶あり。
アクの強いところがあり、取り巻きの人々も去っていく。
彼のその強さだけを見て、嫌う人あり。
かつての新人の私のように。
しかし、私はいつまでも彼を擁護している。
人は完璧じゃない。
完璧に見えたが
完璧な人はいない。
順風満帆に見えたが
本人はそうじゃないときもある。


私もよく失敗した。他者にあることないこと言われた。
しかし彼はこう言った。

「仕事を多くする人ほど失敗する率も高くなる。
仕事の楽な人は失敗する率が低くなる。
そういうふうに考えて、明日から頑張りましょう。」

私はこの言葉に救われた、若い時。
あの最初の印象の悪かった彼の姿から想像できない
新人への励ましに思えた。
こういう上司だから
信頼も厚かった。

彼から
昨年葉書が来た。
うちのかつてのネコ
オオコシのことが書いてあった。
大越、と聞くと
うちのネコを思い出すそうだ。
その彼に
近況報告をしていない。
彼の人生も今、老いである。

私の両親といい
彼といい

私は全く連絡をしていない。
さて
腰を上げようか、トモロッシ。










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(6/18)暑い日が2日続く

2012年06月18日 22時09分39秒 | 東日本大震災
昨日、今日と
暑い。
蚊が動き出した。
草取りをしていると
蚊が私の耳あたりを刺す。
明日はまた雨、低気温。
草取りの日和。
一昨日の雨の中、土が軟らかいうちに
雨に打たれつ、草取り。

昨夜は12時近くに就寝。
4時起きだったので
4時間の睡眠。
その間に
夢を見る。

両親の夢だ。
父の事後連絡の夢。
「お母さんが死んだ。葬式も終わった。」と、
土色の顔で父は私に言う。
私は
「お母さん、お母さんと100回言えば、また会えるよね。」と
「お母さん!」と絶叫する。

父の事後連絡、というのは現実にありそうだ。
そして
こんな夢を見るのは、潜在的に
両親に全く連絡していない状況を
気にしている証拠だと思った。
虫の知らせ、という意味でも
手紙なり書かなければならないと思っている。




今朝の地震。
広範囲で揺れたようだ。
5時半ごろだったか
揺れに気づかなかった私だ。
職場にいて
天井がミシッという音がしたのだが
空調のせいだと思い
全然地震と結びつかなかった。
Eさんが突然ラジオをつけて
他の方が、こちらに入ってきて
「大丈夫ですか」と言ったときに
初めて
さっきの音は地震だったのだ、と気づいた。
結構大きかったようで。
自分が揺れなかったので
地震だと思いもしなかった。



今日は穏やかな仕事ぶり。
Iさんが休み。
非常に静か。
心が安定して仕事が捗る。
明日は私が休み。
今夜
あれこれと作業をしようと思ったのだが
身体が疲れているので無理せずに
ブログ等を見て
これから休もうと思う。



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(6/17)まもなくこの街を去っていく人たち。

2012年06月17日 22時45分20秒 | 東日本大震災
仕事の合間に
お客様とお話することができた。
長崎から来ている方だ。

いつも来ている方々の中から
ポツンポツンと
いつのまにか消えていく人たち。
復興の仕事を終えて
帰郷していった。
その中でまだ残っている方もいる。

「自分もそろそろ終わりだと思う。
来月あたりかなあ。」と言っていた。
まもなく
そこには誰もいなくなる。

東北の街は
もう行く所がないほど、あちこち行ったそうだ。
岩手の宮沢賢治の資料館にも、山形の出羽三山にも行ったとのこと。
宮沢賢治については一生懸命説明してくれた。
私もずいぶん前に行ったがもう、訪れることはないだろう。

長崎にいて
東北、といえば
民話の世界、というイメージだったと言う。
私は
「遠野物語ですね。」と答える。
「しかし、いざ仙台に来てみると、意外に大きかったので驚いた。」と言う。
仙台には
昨年の3月20日ごろに入ったので
あの4月7日夜中の大きな余震もこちらで経験していたことが
わかった。
あの頃は、まだまだ余震続きで、水もガスも食糧も儘ならないときだった。
そのときには既にこちらに来て
仕事をしていたわけだ。
私はまだ、この仕事に就いていないか、就いたばかりのとき。

人との会話は
こうして終わりに近づくころに、多くなっていく。
もっと早くから会話をしておけばよかった、と後から思うものである。
なかなかゆったりと話せない私の職場。


宮沢賢治とか遠野物語とか
岩手に纏わる話であったが
久しぶりにそんな話をした。
自分の今の日常ではこんな話は皆無なので
やっぱり
ゆったりとそんな話ができる環境はいいなあ、と思った。


現実に引き戻されると
相変わらず

来月の休日のことで
Iさんのわがままぶりに閉口する私たちである。
そんな会話しかない現場である。

Eさんが
「うちの娘と話していて、レモンという漢字はどう書くのか、作者は
誰か、ということになり、トモロッシさんとうちの娘なら
話が合うのではないかと思ってね。」と言ったので
「檸檬」と漢字で書いてあげて
作者名も漢字で書いてあげた。
そんなちょっとした会話にも
Iさんは二人の、仕事に関係ない話に対して
不快感を表す。
だめか、こういう会話も・・・



休日というのは
不定期で、自分たちがそれぞれ好きな日を選ぶ。
まずIさん、次にEさん、三番手に私、の順に入れていく。
土日が忙しいので
その日は避けること、できれば金曜日も避けること、と
Iさんに言われている。
Iさんが連休を取ると
必然的に、金曜日とか土曜日にしか私たちの休みが入らない週が出てくる。
そこで
Eさんが土曜日に休みを入れると
「ダメだよ!土曜日は忙しいんだから!」と怒鳴る。
おいおい、あなたは日曜日に入れているじゃないか。
今月の最終週なんか
日曜日から5日連続で休みを取っているじゃないか、
この職場で
5日連続で休暇を取っている人、いないぞ。
なぜ自分は日曜日を取って、Eさんは土曜日だめなのか。
そう、詰問したいところだが
またゴタゴタとこちらがいやな気分になっていくので
Eさんは別な日(それもIさんの都合で動きそう)に仮の休みを入れる。
なんとも
自分本位な人で、困ったものだ。

ああ、グチになってしまった。
宮沢賢治、宮沢賢治。


今、毎日
雨の中、庭の草取りをしている。
今月中には決着をつけたい。
大げさな書き方だけれど
そのくらい雑草との戦い。
根切りもしているのでしんどい。
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(6/9)怒鳴り声

2012年06月09日 20時16分23秒 | Weblog
他者の前で
部下を怒鳴りつけるとか罵倒するとか
結構
そういう場面を過去に見たことがある。

美容室で
病院で
スーパーで
その他
お客様の前で
怒鳴りつけている人を見るのは
不快だ。

怒鳴りつけられる側の心理は
わかるが
怒鳴りつける側の心理に近づけない自分である。

怒鳴る側の擁護をしてみてください。
例えば
こういうことか。

何度言ってもわからないから、怒るんだ。


今日も不快なことがあった。

Eさんが
Iさんに怒鳴りつけられる場面に遭遇。
その場にいるのが私だけなら
まだ許容範囲。
しかし
お客様がいるところでもある。
静かな場所に
ふさわしくない、汚い言葉で罵り

驚いたお客様が
振り返る。

どんなにEさんが傷ついたか。
その後の
Iさんのケロッとした態度に
Eさんは
理解できない、ついていけないと
秘かに私に言う。

逆の場合もあり。
私が怒鳴りつけられること多々あり。
その都度
心の抵抗が表情に表れたりして
益々悪循環のときあり。
うまい人は
神妙な顔をして従順ぶりを発揮できるのだろうが
注意の内容より
汚い言葉に辟易してしまうほうが強い。
どうにかならないか。

仕事そのものはつらくはない。
肉体的につらいと思っても
職場の雰囲気が良ければ
少しはカバーされる。
彼女の虫の居所に左右される毎日。
Iさん、
己を知れよ。
この職場は
本来エレガントな場所なのよ。


雨。
梅雨入り?
うちのカエルたち
見えない。

コメント (2)
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(6/7)アスパラが届く

2012年06月07日 21時22分41秒 | Weblog
旭川の妹から
アスパラが送られてきた。
美瑛のアスパラ。
早速
今日の夕食に出す。
明日、IさんとEさんにもお裾分けしようと思っている。

今日は
急遽、私がメインで仕事をすることになった。
昨日
Iさんが
「明日私休むから。トモロッシさん、やってね。」と言われる。
このように
予定外の休みを急に設定したりする彼女。
その逆(私たちが急に休みを取ること)はありえない。
彼女がそれを快く許可しない。

自分はいいが、人はだめ。

をどんな場合にもあてはめていく彼女。
ずいぶん、彼女の性格、傾向を把握できるようになった。




午後寝のときに
元の職場の夢を見ていた。
トイレ掃除をしたり
職員室で会話したり
同僚が
「進学がどうのこうの・・・」と言っていたり

そんな夢の途中で
アスパラ到着のピンポンで起こされた。

元の職場の方が
ずっと人間関係が複雑である。
もう
複雑なことに対応できる頭ではないし、面倒だ、と思っている。

ずいぶんと
若いときに
人生になるべく面倒なこと、心煩わされることは避けたい
と思ってきた。
それの決断が早すぎたのか。
しかし
それを後悔したところで
戻ってこない歳月。
今の生活の楽しい部分だけを見るようにしたいが
楽しい部分が少なすぎるね。

だから
たまに
全く違う人間との出会いや
この間の
姪の出現のようなものが
私の心を刺激するのである。
その先、生活に変化があるわけではないが
そういう刺激がたまに必要なんだ。

さてさて
もう寝る時刻です。
おやすみなさい。
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(6/5)職場のこと

2012年06月05日 17時01分29秒 | Weblog
もう夕刻になる。
曇ってきたので、暗くなるのが早い気がした。
朝に
カーテンを洗い、
自分の休みと日差しが合致したことに喜んでいたのだが
あっというまに
この時刻。
午後、買い物から帰って寝た。

仕事から帰ったら
大体は寝るのだが
ここ数日
夜も仕事が入り
自宅に一時帰宅は1時間半。
何もできやしない。
一息ついて
猫の夕食の準備等してすぐにまた職場に戻る生活。
これが残業にならず。
時間調整という形でごまかされたような気持ちは今でも否めない。

だから
職場にて
普段そこにいない時刻(夜)に外で夜空を見ながら
一服すると
ほんの一瞬だけ詩人になるのである。
外は
日中働いた人たちがこれから
好きな場所に繰り出して
お酒を飲み、友人と談笑し、一日の終わりをそのように過ごす人たちでいっぱいだ。
私は
仕事を終えたら即帰って、翌日の仕事のために就寝。
なんのために働いている、なんて
愚痴ってもしょうがない。
答えは明らか。


夜は疲れているのだが
却って寝付けず。
目を閉じれば
職場のIさんの声が頭の中を回る。


そのIさん。
私たちのチーフ。

ある日
会議にて
私たちのチームが注意された。
日ごろ
不満に感じていたことだが
とてもじゃないが
直接Iさんに言えるはずがない。

勤務時間体制のことだ。

あまり詳しく書かないが
彼女の良いようにしてきた結果が
ちゃんと
見ている人は見ているんだね
ようやく
公の場で
名前は出さないが
問題点を指摘された。
3月にやめようと思っていたときに
洗いざらい感想等述べてやめる気持ちもあった。
私たちが指摘しない限り
彼女の好き勝手なやり方は半永久的に続くのか、と思っていたが
思わぬところで
表面化した。

それで
改善されたかというと
そうでもない。
彼女は
自分の非を認めるとか、謝るとか、弱いところを見せるとかを
しない人だとわかっていたので
その指摘に
我々に
申し訳ないね、と言うわけでもない。

攻撃は最大の防御。
自分が1年近くもやってこないで私たちに任せてきたが
それを今回から彼女もやらなければならず、しかし
私たちのこれまでのやり方にガンガン言ってくる。
開口一番。
「今まで、何やっていたのよ!」
私たちの心の中(これまで1年近くもやってこないで、その言い草はないだろう)
というつぶやき。

本来の仕事が終わったら
清掃に入るのだが
この清掃も大事な仕事の1つ。
時間をかけて広範囲の場所を清掃する。
私とEさんが組むときは
分担してやってきたので、ひとりの担当負担は軽減する。
それでも大変なのだ。
そして
Iさんと組むときは
その広範囲の清掃を私(またはEさん)一人でする、というのが不文律だった。
彼女が昨年の今頃こちらに異動してきたときに
「ここはこうやってやるのよ。」とあちこちの場所の掃除の
仕方を指導してきたのだが
1日やっただけで、あとはほんの一部が彼女の清掃範囲になっただけで
残りの90パーセントは私たちの範囲。
その90パーセントをEさんとやるときは45パーセントずつ。
Iさんと組むと、丸々90パーセント私やEさんの範囲。
私は
Eさんに、「これは異常だよ。なんで一人でやらなければならないんだ。」と
言ったこともあった。
上司もその様子を見てきたのだが
一度もその疑問を指摘されたことはなかった。
私たちがIさんに言えないのだから
上司がいつか
「なぜ、清掃のとき、Iさんはやらないんだ」と投げかけてほしかった。
それらを上司も直接言わせない空気が
Iさんに漂う。

今回彼女も加わることになったが
まずは言うべきこと、
「今まで私やらないでごめんね。」がない。
それを悟られないように
彼女は先に
私たちのやり方を大きく非難する。
先制攻撃だ。

攻撃は最大の防御、という言葉は
こういうときにも通用するものだ、とどこかで呑気な私がいる。

そのほかに
もっと大きな問題点(勤務時間体制)があるのだが
これは割愛しよう。

それは会議にて
忠告されたから
それに従うようになっている彼女。

まだまだたくさん
あるのだが、
それなりに心の中で
対処できるようになった(以前書いたね)ので
疲れるが
お付き合いしている。

これが
ブログを書かない間にあった職場でのこと。




ある場所に
鳩がじっとしている。
きっと
卵があるんだね。
それを観察している私。
無事、孵化しますように。

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(6/5)元気が出る。

2012年06月05日 10時55分31秒 | 思い出を紐解く
時折
忘れてしまいそうなのだが
自分のブログを見ている方々がいる、ということ。
今日
コメントをくださった方の励ましに
元気が出る、出る。

更新が滞っていた。
多忙、というのもあるが
疲れて疲れて、なにもかも中途半端で
せっかくの休みも家事に追われて
なんのための休み?と思いつつ
また仕事が始まる日々。
その繰り返し。

毎日
小さなことにでも何かを感じたら
記録していきたい自分なのだが
それが実行できずにいる。

がんばれや、トモロッシ。




先月中旬に
突然
私の姪が仙台にやってきた。

姪と書くのも、初めてかもしれないね。
なぜなら
戸籍上は私は一人っ子だから。
兄弟、姉妹なしということ。
しかし
実際は
父親の違う妹が二人いる。
(私は今の両親とは養子縁組)

いっしょに暮らしたことはないが
実母を通して
小さいときからたまに会っていたし
彼女たちが大きくなって家族を持って
仙台にも遊びに来たことがある。

彼女たちとは別に
実父の結婚によって、私にとって会ったことのない弟と妹がいるらしい。
こちらのほうは全く実感がない。
でも父親が同じだから、半分兄弟なわけだ。


私の実母と現在の母親は姉妹。
つまりは叔母のところに6歳で養子縁組。
ほぼ、今の両親が、「私の両親」である。
その両親とも正月に会ったきり、私は連絡していない。
なんという親不孝者、と思うことでしょう。


で、その姪だが
10数年ぶりに会った。
私が北海道に遊びに行ったとき以来。
まだ姪は小学低学年だった。
彼女は未熟児で生まれて
同級生よりもかなり小さかった。
その子が
もう20歳を過ぎて
初めて一人旅に選んだのがこの仙台。
北海道のど真ん中、旭川からたった1泊2日で
仙台にやってきた。
母親(私の妹)から
久しぶりに電話があり
「娘がそちらに行くから、よろしく」とのことだった。
高校生ぐらいだったら、あれこれ気遣いをしなくてはと思ったのだが
どのくらい、彼女のスケジュールにタッチしたらいいのかと悩んだのだが
彼女はひとりで綿密に計画を立て、
松島の瑞巌寺や仙台の瑞鳳殿や博物館など観て回るとのことだった。

到着の夜、私は彼女の泊まるホテルに行った。
どんな女性に成長しているのだろう、という思いを持って。
すると
やはり小さかった。
はかなかった。
華奢だった。
でも、お化粧はしていたので
それで成人している、と思うことはできた。
小さいときのやんちゃな雰囲気は一掃されていて
まっすぐに成長した女の子になっていた。
いまどきの若い子、というには遠い。
髪の毛も黒髪、パーマなし、ピアスなし、煙草なし(母親は喫う)、
「歴史が好き。白石の片倉小十郎など調べたい」と言っていた。
「おお、歴女だね、歴女。」と私は喜ぶ。
牛タンをご馳走して、翌日早朝には
ホテルの朝食を摂らずに、駅弁を食べる、と計画していた。
そして自分のスケジュールどおりに回って、
夕方の便で帰る前に
私の家に連れてきた。
うちの猫たちを見たがっていたので。
猫たちは、来訪者にびくついてどこかにもぐりこんでしまう。
相手をしてくれたのは
シンノスケ。
満足していた。
動物大好き、という。
「じゃ、カエルは?」と聞くと
「カエルも好き。」と答えてくれる。
たいていはカエルは嫌い、と返ってくるのだが。
私は単純に
「私の後継者はこの子。」と勝手に決めた。

いっしょに暮らしたこともないのに
血、というものが
結びつけるのか。
私の今の父親は
私とは全く血のつながりはない。
6歳からの縁だから
親子同然であるが、
私が結婚してから特に遠のいた。
そして父は
自分の甥の子供に執心している。子どもとは言っても30代。家族も持っている。
その甥の子供家族を自宅の近くに住まわせ、
何かと用事を頼んでいる。
もう娘夫婦(私たちのこと)には頼らない、という考えかもしれない。

なるほど、血だと思った。
私が
3,4回ほどしか会ったことのない姪に
親近感を感じたのもそれか、と思った。

それは後の課題としよう。

こうして
姪はたった2日の仙台旅行を満喫して北海道に帰った。
妹と大違いの子だった。
妹曰く
「私はチャランポランで母さんに心配かけたけれど、娘は全然違うの。アハハハ。」
「そうだねえ、本当に良い娘さんに育ったねえ。感動しましたよ。」と
私は言った。
姪の人生は姪が決める。
たくさん勉強してもらいたいものだ。
もう働いているけれど、興味を持ったことをどんどん追求していってほしい。
それが、おしゃれとか異性とか、若い子にありがちな通過点だが
今はそれは置いて、歴史に興味があるなんて、素敵なことじゃないか。

そんなことを感じた日だった。
しかしそれも
すぐにブログに書けずに
こうして日々が過ぎていく。


後ほど再びブログを。
今から、クリーニング屋に。



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