僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(5/30)せっかくの休日。義母のこと。

2014年05月30日 17時45分13秒 | 日常、仕事、認知症
数日の仕事の忙しさに
昨日は帰宅して、すぐに眠った。
横になったとたん、ものの数秒で寝入ったと思う。
疲れて眠る、ということができるだけでも健康なのかもしれない。
心にいろんなことが渦巻いていたら
どんなに眠くても寝られないかもしれない。

そして今日は休日。
やるべきことをやろう、と早朝から動き始める。
庭の雑草があっというまに鬱蒼としてきた。
昨年の夏の
仕事を辞めたあとに無心に草取りをしていたことを思い出す。
ひどくならないうちに少しでも、と時間を決めてやる。
義母が顔を出すが、特に手伝うわけでもない。

そのあと
二階に上がって、掃除機をかけて洗濯ものを干して・・・

義母が上がってきた。
二階の居間のガラス戸を叩く音。

「一階の全部を(男が)替えていったが、二階はどうか。」と
言われた。
「二階は全然、替わっていないよ。一階の何が変わったの?」
「ぜーんぶ!警察に言おうかと思って。」
「仮に警察が来て、何がどう替わったかを説明するにも
リストアップしておかなければ。具体的に、何が変わったか書いてごらん。
仏壇も大きく変わっている、と言うけれど、どの大きさから替わったか、説明できる?」
「通帳も見られた跡がある。」
(認知症の被害妄想の中で、この通帳のことがよく書いてあったので
それまで、義母の口から出てこなかったから安心していたが、とうとう出てきた。)
「見られた跡、というのも具体的にどういうことか、警察に説明しなくては。」
ここまではまだよかった。
私も我慢して応対していたが・・・

「仏様と関係あるのかな、○○(息子の名。私の夫)のこととか。」義母。
「○○さんがどうしたって?」
「息子が悪いことをしているから(仏罰が当たった、ということか。)。」
「はあ?○○さんが何で、悪いことをしているのよ。」
ここから私、彼女のそれに付き合えなくなった。
「○○さんは、うちのために一生懸命に働いているでしょ。どうしてそんなことが
出てくるの?」
「だって、カレンダーの下に書いてある会社が、私の持っているカレンダーと
二階にあるカレンダーの名前がいっしょでしょ。」
どのカレンダーのことか、一階に行ってみた。
義母が書き込みしているカレンダーは、夫の会社から、取引先からもらってきたもの。
二階のカレンダーも、もらってきたものだが、別な取引先のもの。
そして、二階のカレンダーは
居間に貼ってあって
私はいろんな書き込みをしている。
ガソリン代、幾らとかネコ缶幾らとか、水道代幾らとか、ふなっしーの出演日とかその他諸々。
羽生君のパレードのためにIさんと会うとか、ね。プライベートなもの。
「お義母さんは、二階の居間に入ったの?いろいろ、見ているの?
そもそも、○○さんが悪いことをしたとか、カレンダーとかどんな関係が?」
「車だって、朝見たら、ない。」
「何時に見ているの?」
「3時とか、4時ごろ。そのあと、また朝、車で出かける。」
(心の中で、私は、バカ、と言っていた。夫が可哀相。仕事で早朝でかけるときが
ある。福島や気仙沼に。夫は初めて行く所を前日の夜に何度もチェックしている。
私も早朝起きなので、夫の早出のときはおにぎりなどを作っている。
夕方は残業がないときは5時半に帰宅する。帰宅するときは、眠っているかもしれない
私に必ず、今から帰るから、と携帯に電話をよこす。)
そんな夫のことを侮辱された思いで、自分の息子なのに、悪さをしたから仏壇が
替えられているとは、私は冷静に応対できなかった。
そのうち、嫁がこうした、ああした、となっていくのかもしれない。

これまで、一連のことをここに書いて、ほかの人に具体的な相談をしたことがなかった。
姉妹もいない、近所でこんなことを話す相手もいない。

(ここで、今、夫から電話あり。帰宅する、と。今日は肉ね、と私は言った。夫は肉が
大好きで、たっぷり食べたい派。)

隣の奥さんに話に行った。
奥さんは、仏壇を替えられた、という義母から、朝の8時くらいに呼び出しがかかったと
昨日あたりに知った私。義母から聞かされたので。
だから
多少のことは奥さんも知っているので通じやすい。なにより、義母と仲が良いし、案じてくれている。
しかし、私の口から言ったことはなかった。
炊飯器の操作をされている、という場面で出くわしたことがあったが
私の口から言ったことはなかった。

そして一連の出来事を話す。
私の親のことも知っているので、2人がガンで入院したこと、2人とも1年以内に2回も
手術をしてそれにかかりっきりだったこと。
それに対して、義母がまだ認知症になっていなかったときに
「こっちも親だ!」と私に投げかけたことも。
それ以来、私は実家に行くということを義母に言わなくなった。
4月末に実家に行ったときに、父の田舎から送られた米をもらったのだが
それさえ隠している。今までは、「米もらってきたよ~。」と気軽に言ってきたのだが。

義母は、塀から覗かれている、と言っていたとき(2月ごろ)、全く付き合いのない家にまで行って「電気、操作されていないか。」と尋ねたことも噂になっていた。
結局、息子と嫁はどう考えているのか、ということも。
それは想像していた。
義母に、あそこの家にも行ってきた、と言われたときにそれをすぐに思った。
こうして
近隣に広がるんだなあ、と。

隣の奥さんも、姑、舅を90歳過ぎまで世話をした人。
認知症もあった、という。
いよいよ、私の世代になったね、と言われた。
誰もが通りすぎてきたことだ、心して行かねば。
来週、支援センターに行ってくる。
今日は
これで精一杯の身体。

このブログ、夫、見るのかな。
夫は
自分の親のことを近所に知られることに厭いはしない。
ただ、夫の性格(短気)上、上記のことは言わない。
カレンダーと夫の悪さと、どうつながるのか結局わからなかった。
追及しても辻褄が合っていないので、やめた。

こんなこと、書いていいのかね。
書いてしまったけれど。
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(5/25)義母の話に乗ってみる

2014年05月25日 21時42分23秒 | 日常、仕事、認知症
日曜の夜は
夫の就寝時刻が早い。
7時過ぎには寝てしまう。
私は9時の予定。

ブログを書く日にち間隔をあけてしまうね。
ここ数日は朝はひんやりとして
早朝起きは寒いのでまだストーブをつけています。
今日は暑くなる予定だったが
日差しが曇りだったのでそれほど暑くならず。

朝から
義母に呼び出され
いろいろと聞かされる。
彼女は今、毎日のように日記のようなものをつけて
毎日やってくる「電気男」(と彼女は名づけている)の様子を
書き連ね、それに対する心情を添えている。
それを私に見せて
「この間は、家に入ってきて
住所録に赤線を引いていった。そしてメモも残していった。」と言う。
「それを見せて。」
持ってきた電話番号を記入した住所録を見ると
確かに赤線が引いてある。
しかし、それらを見ていると全部、亡くなった方とかもう親交のない人たちばかり。
おそらく義母が正常なときに
それらに線を引いたのであろう。
しかし自分は引いていない、と言う。
男が書いたというメモには
「人形の供養、回収してくれるところの住所と電話番号。」が書かれていた。
これも義母の筆跡である。
「私の字に似せて書いてあるが、私ではない。」と言う。

人形、というのは
義母が昔から集めていた人形や小物のこと。
この家を建てたときに義母のために作りつけで壁面一面の棚を誂えた。
自慢の人形棚である。
家を建てたころはそれを喜んでいた。そこには私の集めたキティのぬいぐるみたちや
私の苫小牧時代の思い出の人形も飾ってもらっている。
その人形の今後のことを考えていたのか、日記にもそれらしきことが書いてある。
自分が死んだら、人形も供養してほしいとかそんなことかもしれない。

その日記は支離滅裂な文章で、書き殴り状態。頭に浮かんだ言葉をそのまま
殴り書きしたような。
それらを詳しく読むことはしなかったが、妄想と闘っている義母の孤独を感じた。

今日は早めにお風呂に入ってもらった。
私が家事をしているとき、風呂上りにまたやってくる。

「さっきの話の続きがあるのだけれど、ちょっと見に来て。」と呼ばれる。
「男が家に入ってきて、納戸の模様替えをしていっている。」
そして
下着の入った引き出しを開けて
「自分の買ったものじゃないものを置いていっている。」
と、明らかに義母の下着(メリヤスシャツなど)なのだが
それらを買っていないと言う。
「じゃ、自分が買っていないもの、男が置いていったものを選んでちょうだい。」と
私もその話に乗った。
「これも違う」と10枚くらいの古いものを床に置いた。
試しに、未使用のレースのスリップを手にして、「これは?」と尋ねると
「これは私のもの。」と言う。
義母はピンクとか赤が好きなので、下着は皆ピンクだ。男が置いていったのも
ピンクだ。しかも古い。
「じゃ、気持ち悪いから、捨てた方がいいね。」と私。そうする、と素直に従った。
本来、下着を置いていくはずがない、男が入ってくるはずがない、という問題なのだが
敢えてそこは男が置いていった、という前提での話に乗った私である。
(私としてもこれ、大事)

ふと、タンスの上を見ると
大仏(鎌倉の大仏ね)の置物が後ろ向きに、窓に向かって鎮座ましましていた。
その後姿が可愛くて、頭をなでながら笑い、「お義母さんを守ってね。」と言った。
その大仏は、私のかつての職場での修学旅行の引率のときにおみやげに買ってきたものだ。
義母の居間に行き、「お義母さん、人形のことは心配しなくていいよ。このままで
いいよ。」と伝えた。私が引き継ぐのであろう。
ただ、私の代で終わりだ。子どもも姉妹もいない。そのあとどうなるのかは後から考えよう。
義母が死んだら、人形もいっしょに供養を、というのは悲しすぎる。
昭和10年代、20年代のものもあろう。皆で引き継ごうじゃないか。
それらを愛する人たちがこの世にきっといるだろう。

部屋のものが増えている、と言う。男が置いていっている、と言う。
「無くなっていないで、増えているのね。じゃ、いいんじゃない。
来るもの拒まずで、いこう。」と言った。

「玄関のシーサーの置物が替えられている。」とも言われた。
「あれは、○○さん(私の夫、彼女の大事な一人息子)が沖縄に行ったときに
買ってきたものでしょ。替わっていないよ。」
「いや、前は優しい顔だったのに、今のは怒った顔になっている。」
「怒った顔になったからといって、捨てないでね。可哀相でしょ、それじゃ。」
そのシーサー、ネコたちが跨いだりして倒れて、耳が欠けている。
シーサー、怒った顔だよね、もともと。どんな顔だったんだろう、最初。
いやいや、最初から怒っているよ。

これらに付き合って
2階の夫に報告。
「男がものを置いていっているということで古い下着、捨てることになりました。」
夫、
「じゃ、食器も男が置いていったことにして捨てるように言え。」だって。
その食器とは
戸棚いっぱいに、義母の食器があるのだけれど、実は
地震のときに中でひっくり返って、開けるとなだれ落ちるということで開けるのを禁止
している(私)。
使わないので、本当は捨てたいのだが(夫につい先日、食器棚に自分たちの食器を入れたくても、あなたのお義母さんが古い食器捨ててくれないから入らない!と文句を言ったばかり)、彼女は物を捨てるというのはもったいない、と思っているので、半ば諦めている。
お義母さん、男は食器も置いていったかもしれないよ。


さてさて
今日は割りと自分も彼女に同調しながら進めることができた。
実は
先日、元同僚のミラさんから
認知症の資料をいただいた。
それを見て、敢えて義母の話に乗ってみる、という試み。
明日からまた忙しい私。
毎日のようにこれらに付き合えない精神。
どうなることやら。



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(5/21)カエルを保護する

2014年05月21日 20時30分08秒 | カエル
今日は終日雨だ。

気になるのはカエルたち。

食事が終わったあとに
懐中電灯、軍手、長靴、買い物袋、雨具装備の
怪しいスタイルになって
路地のカエルたちを探す。
そして
車通りのカエルの救済。

全部で9匹。

そのうちの4,5匹の中カエルは
路地のある所にいた。
そこは
銀行の社宅跡地。
今、コンクリートの建物が壊されている最中。
ここに棲むカエルたちのことをずっと憂えていた。
築何十年だろう。
当然、カエルたちも昔からいた。
防音シートに覆われて
入れない状態なので救えることができなかった。
しかし
今日、そのシートに向いて固まっていたカエルたち。
そちらから出てきた、というよりは
そちらに向かっている、と見えた。
もしかしたら
隙間から既に入ってしまったカエルたちがいるのかもしれない。
すぐに買い物袋に入れる。
あとからまた見に行くと1匹いた。
なぜ、そちらに向かおうとしていたのか。
今まで、建物が建っていたときに
集団で観たことがなかった。
産まれたところに戻ろうとしていたのだろうか。
以前、うちの隣のマンション建設のときに
昔ながらの庭を取り壊している最中に
たくさんのカエルたちが出てきたのだが
それらを
解体業者に頼んで、うちの庭に何十匹と
入れてもらったのだが
境界の隙間から
どんどんそちらに帰っていく。
それを
戻そうと必死につかんでいた私だった。
そっちに行けば
整地されてつぶされるから
戻っちゃだめだ、と言ってね。
せっかくの命、救われるものなら救いたい。


気になってまた見に行ったのだが
もういなかった。
明日も雨のようだが、また怪しいスタイルをして
中年女が路地や通りを歩いているだろう。

雨の季節になるね。
カエルのことで頭がいっぱいになる季節だ。
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(5/21)花の再生

2014年05月21日 09時36分36秒 | 日常、仕事、認知症
今日は
生憎の雨の休日。

五月が後半に入った。
一番過ごしやすい月。
さわやか、という言葉がピッタリの月。

早朝出勤するとき
路地を自転車で出ると
車通りの視界が急に開けて
汚れていない空気と生まれたての青空に
「おはよう!」と思わず声をかけてしまいそうだ。
そんなさわやかな気持ちをすぐにでもブログに書きたいが
いざ仕事が始まると
それを忘れ
仕事が終わるとぐったりして家に着き
眠ってしまう毎日。

こんなさわやかな気持ちで出勤するのは貴重だぞ、
もうすぐどんよりした梅雨になったり
暑い夏になるぞ、と戒めて
さわやかさを書き留めたい気持ちだった。

そして今朝は雨。
肌寒い。

昨夜、小雨になったので
カエルたちはどうしているかと
庭に出ると

諦めていたバラが咲いていた。
もう何年も
枯れた木の状態のままのバラ。
そこに一つの黄色のバラが大輪になって咲いていた。
毎日横を通りながらも気が付かなかった。
新しい枝が出ていたのだ。
諦めなくてよかった。
明日の朝(今朝)写真に撮ろうと思った。

そしてさっき
そのバラの写真を撮りにいったら
雨で散っていた。
でも、せっかくだから。

来年はもっと花をつけてくれることを望む。

東側のバラの写真を撮る。
蕾のままのが多い。
南のバラは咲いているのがあったが、晴れた日に撮ろう。








一番下のバラは
7年前、隣のマンションが建つときに
庭の樹木が切り出され、
そのバラも切られる、ということで
あまりに可哀相で、譲ってもらったものだ。
うちでこうして
再生している。
しかし、手入れが悪くて、よくアブラムシ等にやられて
花をつけても途中で枯らしてしまうことが毎年あった。
今年は早めにアブラムシ退治。
蕾がたくさんついている。
花開くのはもう少ししてから。

もう一つ花の写真を。

これは蘭の仲間?
花の名前に疎い私です。

これは
20年位前に
元の職場の先輩が
理科室で育てていたもの。
すごく小さかった。
もう捨ててもいいような状態だった。
そこで私が譲り受け
義母や義父(当時生きていた)に預ければ
生き返るよ、と言って花のついていない状態で戴いた。
それが
こうして年毎に大きくなって
花をたくさんつけている。
玄関の花に目を向ける心のゆとりがないままに
過ごしてきた。
ふと先日、あ、この花、○○先生から譲ってもらったものだ、と
我に返った。
彼は
5年ほど前に亡くなった。
もう既に体調不良で退職していたが
自宅で悠々自適の生活を送っていたにも拘らず
60代の若さで亡くなった。
確か
ブログをやっていた頃だったので
おそらくこのブログのどこかに書いてある。
泣けてしょうがなかった。
皆、泣いていた。

さっきの
大輪の黄色のバラ。
枝の大半が枯れていて、もう生き返らないと思っていたのに
数年して新しい枝が伸び、花を一つつけた。
再生。

隣のマンション建設前の庭のバラ。
切られて捨てられる寸前
うちに来て
再生。

そしてこの玄関の花。
捨てられそうになっていたものが
こうして何十年も咲いている。
花が枯れても、毎年新しい花が咲く。
人の命は
枯れたら最期、生き返らない。
花の再生に
羨望と尊敬を持つ、私だ。
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(5/6)以前行った蕎麦屋へ

2014年05月06日 21時01分45秒 | 日常、仕事、認知症
連休の最終日
この日は私の休み。
夫は更に日曜まで休みが続く。

今日は
義母を連れて少々遠出。
家にひきこもっている義母に
おいしいものを食べに連れていこう、と
先日のブログに書いた。
遠出はいやがるかな、と思ったが
行く、と言ってくれた。

昨日、ネットで検索して
自分たちにとって
新しい所を、と思ったが
もしも途中迷って夫婦喧嘩になったら
義母も興ざめになるかも、ということで
以前行った蕎麦屋へ。

朝9時出発。

緑が濃くなってきた定禅寺通りの欅並木。

私たちがよくバイク観戦に出かけていた菅生のある村田町へ。
そこの道の駅に寄る。

道の駅にいたワンコ。

おそらく、野菜の仕入れに来たトラックで、飼い主を待っている。
その間、私たちなどに触られると喜んでしっぽを振る。
夫も触りまくる。
義母は
こういう道の駅は初めてで
中で、蜂蜜やらジャムやら買っていた。

そして目的の
角田の田舎家の蕎麦屋へ。
ちょっと早く着いたので広大な庭を見る。




以前来たときには
にゃんこが玄関の前でねそべっていたのだが
今日はいなかった。
思い切って聞いてみた。

「どこかで寝ているのかも。あっちこっちで寝ているから。」と
店の人もわからず。
暖かいし、広いし、どこかでのんびりと過ごしているのだろうね。
そして注文して待つ。


するとほどなくして
店の方が、にゃんこを抱いて連れてきてくれる。

ありがとう、わざわざ私たちのためにどこかで寝ていたのを連れてきてくれたのね。
夫も私も触りまくり。
うちにもたくさんネコがいることを話す。
にゃんこと庭に出て
写真を撮る。




そのうち呼ばれて、お蕎麦を。

山菜の天麩羅、美味。
義母も喜んで食べていた。サクサクッとして、それでいて柔らかくて
山菜の香りも堪能して、サイドの胡麻和え等もおいしくて
義母は
ソバを私より早く食べ終わって
満足していた。

食べ終わって外に出ると
駐車場にニャンコが移動していた。
ゴロンゴロンしてくれて大サービス。




ニャンコに会うことが楽しみだったので会えてよかった。

もう一件
買い物を目的として行ったのだが
思っていたのとイメージが違っていたので
何も買わず、写真も撮らずに
別な市場に行き、義母は花の苗などを買い
帰宅。
車の中で私は眠ってしまったが
義母は
外の眺めを見て、刺激になったとのこと。
疲れて今日は熟睡であろう。


また別な機会を。


明日はまた仕事。
そのあと会議、そして夕食会。
社長の奢り。
夫が休みなので、出ることにした。
夫が休みでなければ
義母への風呂のスイッチをつけなくてはならないので。

良い1日であった。
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(5/2)4月26日は良い日であった。

2014年05月02日 18時41分47秒 | 日常、仕事、認知症
私の休日はあまり充実していない。
今日なんて
いつもの時刻辺りに目が覚め
二度寝して5時前に起きて夫の朝食準備。
ゴミ出しをしてから久しぶりにブログを書いて
そのまま眠ってしまった。
お昼過ぎに目が覚めても
まだ身体がだるい。
そうこうしているうちに夕食の買い物を。
遅いお昼を食べて(午後3時半)、これから風呂に入って
夕食準備、就寝という流れ。
寝てばかりの休日。
掃除、していないね。
夫は明日から9連休。
その間、家事をやってもらいたい。
私は連休こそ忙しい仕事なので
3・4・5日はもう忙しさが目に見えている。
6日は休みをもらう。
9日、10日も休みなのでその辺りに
夫と被災地の食巡りにでかけようと思う。




先月の26日に
羽生君のパレードのために
Iさんと会った。
この日を、良い日でありますようにと書いて出かけたのだが

総じて良い日であった。

久しぶりのIさん。
街の真ん中にある大きな公園で待ち合わせ。
そこから
目的のランチのホテルは近いし
その通りがちょうどパレードをする所なので
あまり動くことなく歩き回れた。
そのホテルの7階ではパレードが見えるので、窓際などを見学の提供をしていた。
でも私たちは、生の姿を見たいので
ランチを食べたら出ようと決めていた。

久しぶりのピザランチを食べて
そのあと
いっしょに働いていたマネージャーの異動先に訪問。
かつてはよく3人で会社の裏で一服の休憩をしていた。
そして、彼は
私たち2人で、こっちに来てまたいっしょに働こうよ、みたいなことを言っていた。
いやいや、
私とIさんはいっしょの職場になると、お互い切れてしまうので
職場を離れたこの関係が最も良い。
彼女は今は、朝早くの仕事は無理、今の職場の方が家から近いし
2時起きはつらい、と言っている。

そしてメインのパレード見学。
9万2000人の観衆とのこと。
羽生君は
車上で、決めポーズを何回もやってくれて
(私たちは彼の車の行く方向へいっしょに流れていく。ほとんどの人がそう)
たくさんの観衆に何度もお辞儀をして手を振ってくれた。
Iさんは、声がガラガラになったとのこと。
私は頭上でデジカメのシャッターを押して、そのうちの数枚をここに載せる。
その楽しかった余韻と喉の渇きを潤すために
いつものカフェに入ろうとなった。
しかしこの人の多さである。
これからどこもいっぱいになるのがわかる。
そこに向かう途中、ふとレトロな感じの喫茶店を見つけた。
ドアが開いていて中を覗ける。
客は2組。
女性の店員さんに
「煙草、OK?」と聞くと
「はい、どうぞ」と返事。
最近は禁煙、または分煙。
私たちの目指していた所は分煙(貴重な所なんだ)。
ここは全面OKの所。
私の会社のすぐ傍。
ここなら、ちょっととりとめない考えごとをするときなど
私はすぐに入れる。



ここです。

漫画とかフィギアとかCDが並んでおり
壁には

というレコードジャケット。
ロックもジャズもあり。
私の好みの店です。

若い時は
こういうお店を発見すると興奮していたのだが
この年になっても気分が高まるとは。

夫に
こういう店があったから今度行こうよ、なんて誘っても
夫は行かない人である。
一人で喫茶店に入る、ということのしない人。
コーヒー好きなわけでもないし、煙草も吸わない、
ロックが好きだ、といっても、家にいれば好きに聴ける、という考えの人。

Iさんも似ている。
一人だと落ち着かないんだって。
ジュース頼んで、ジューッと飲んで、煙草スパッと吸ってすぐに出る、と言う。

いつも笑い話にしているのだが
Iさんと夫の似た傾向。

先日テレビが壊れて
しばらく音のない居間。
夫は手持ち無沙汰。一階のオーディオルームで音楽を聴いてはくるけれど
二階に上がってくると静かな空間に耐えられなくて
ラジオを持ってきてつけている。
「わあ、Iさんとおんなじだ。彼女も職場にいたとき、静かな感じが耐えられなくて
ラジオ、つけていたよ。」
「ラジオは、思いがけない情報が流れるんだから、いいんだぞ。」とのこと。

その話をそのままIさんに話すと
笑いながら
「そうだよ、つけていると、どこどこで地震があったとか、病気のこととか
有意義な情報を得ることが多いんだよ。」と言う。

Iさんと夫の似ているところ。

パンは好きだが
焼きソバとかコロッケの入った調理パンは嫌いだ。
パンの邪道だ。

Iさんも、パンは大好きだけれど、コロッケパンとかは食べない。

などなど、食べ物とか習慣の、2人の共通性が出てくる。

夫は
水瓶座、O型。
Iさんは
いて座、O型。
私は
牡羊座、A型。


そんなくだらない話を
笑いながら話して
そこで別れる。

笑えるとか
人とにこやかに挨拶するとか
おいしいランチを食べたとか
世界の金メダリストが地元の人間だとか
レトロな喫茶店(カフェというのと違う)を発見したとか

ホラ
これで
良い日になった。

楽しめた1日だった。



父から電話があり
29日に実家へ。

父の車のタイヤ交換である。
夫に頼んで、交換をしてもらう。
いやなことは早くに済まそう、と夫は言うので
本格的な連休に入る前に行く。

父は
最近、弱気である。
これまで
父のポジティブな性格が顕著だったのだが
最近は
寝るのが怖い、と言っていた。
だからテレビをつけていつまでも起きているとのこと。
毎日、80歳を越えた父が
食事を作れない母のために三食作っている。
父はこだわりの人なのでその辺は完璧である。
私と夫が台所の向かい側のカウンターに座ったら
お茶を入れてくれた。
これまでそういうことのなかった父。
初めて父にお茶を出された。
母は料理ができなくなった分、後片付けや台所の拭き掃除を自然にやっていた。
「お母さんの本能だね、綺麗好きだから。」と私は言った。

母は
料理ができなくなったことを嘆いている。
「あんなにお店ではたくさん作っていたのに、どうしてこうなったんだろう。」が
口癖。
物の名称と物が結びつかない。
脳梗塞のそれ。
タイヤの交換をするときに
私は
「お母さん、軍手はどこ?」と尋ねる。
あ、軍手が何かということは
わからないか・・・、そんな質問をされると母は焦る。
わからない、ということが彼女のプライドを傷つける。
だから
彼女の持つプライドを回復させるためにも
わからないなりに
懸命にいろいろ手伝ってくれる母を褒め称える。

父は
食事準備の日々、病院通いの日々に少々鬱気味。
そんな自分を奮い立たせるために
7月に北海道に行くことにしている、それが今の楽しみだそうだ。
北海道時代の仲間に会いに行くことが楽しみなんだ。

母は
昔のことや人の名前を忘れていても
思いがけず
私の小さいときの入院時代のことを口にする。
例の
札幌のベッドスクール時代のことである。
「よく覚えているね。入院させてもらって、感謝しているよ。
小さいときは感謝ということがわからなかったけれど
今はわかるよ。」と伝える。

この日も
良い日であった。



さて
義母。
あれ以来、どうしているか。

いろいろとあったが。

まず、廊下の電灯をつけて寝ている。
これは
幻覚を見ないように部屋を明るくするように言ったことの実行。
部屋の明かりはつけないで
廊下の明かりをつけて、部屋を照らしている。

それから
炊飯器の電源も、何者かによって操作されていると
続いたことがあった。

いつものように
米をといで、スイッチを入れたら
しばらくしてピーッと鳴らして誰かが外から操作しておかしくしている、と言い始まった。
そのあと、彼女があちこち触れても、全然炊き上がらない、電源をはずして
別なところに持っていき、ようやく炊けた、と言っていた。

あるときは
メモで
「また、今日も釜を操作されました。」と置いてあった。
夫にそれを見せて
「また釜が操作されたんだってよ。なんて言ったらいいの?」と聞くと
「かまへん、かまへんって言え。」だって。
夫に笑い倒された。

隣の奥さんを台所(きったない)に呼んで
釜が操作されていることを説明しているときに私が
帰宅したこともあった。

とにかく、誰かをつかまえては
遠隔操作されていることを延々語る義母。
うちの電気釜はもう20年くらい使っているので古い。
隣の奥さんは
「あらあ、スイッチを押すボタンが少なくて単純でいいわねえ。」と言うくらいだ。

そこで
私が休みのときに
義母の釜のスイッチを入れるところに付き合ってみる。
まず、こうやってここを押してあとは絶対に触らないように、と言って
義母の動作を確認して
二階に上がった。
これで、あとは炊き上がるのを待つのみ、と思っていたら
5分後、義母が二階に上がってきて
「また、操作されたよ!またピーって鳴ったよ!」と
操作されたことを自信を持って言いに来た。

私が台所に行くと
特に変わっていなくて、炊飯のスイッチは入ったままだ。

「なんともないよ。」
「いや、だってピーッて鳴ったんだよ。」
「だから、それはスイッチが入ったピーというよりも、これから本格的に
炊飯しますよ、という途中の合図だから。」と
言っても納得しない。
「今の新しい炊飯器はどうかわからないけれど
うちのはそう。他のところのガス炊飯器でも、スイッチを入れてから10分くらい
してからピーッと鳴ってグツグツ煮立ってくるのを見ているから。これもそう。」

もう、遠隔操作されている、と固定しているので
私の
言うことを聴いてくれない。
私はそこで
もう一回電源を切って
最初から
やり直し。
そして、途中必ずピーっと鳴っても、いじるな、と厳命。
あとは40分ぐらいしたら、自然に保温になるから、と言った。

そんなこんなで義母の夕食の時間が過ぎている。
義母は4時に食べる人。
私たちは7時半前後。

そして
40分後、下に降りていくと
義母はゴハンを食べていた。
まだ保温にはなっていず、炊飯の赤いランプがついているけれど
義母は我慢できず、蒸らす時間を惜しんでほぼ炊き上がっているゴハンを食べていた。
そのうち保温ランプに変わった。

「ほら、何も触らなくても、ちゃんと炊き上がっているでしょ。」
「そうですかね。」と遠隔操作を信じて疑わない義母は納得いかない回答をする。

これまで
何でもなく、途中ピーっと音が鳴ろうが、疑問に思わず釜を扱ってきたのだが
遠隔操作のことを言い始まったことから
電気系統のものがわからなくなってきたのだと思う。
あちこちいじって、結局保温のボタンを押して、操作されて炊けていない、と
言うこともあった。
自分の動作の忘れを、いない者の遠隔操作のせいで
納得しようとしている。
いっとき、
私は義母のその妄想に付き合ったことがあった。
付き合う、というのは
義母に同調した、ということだ。
しかしそれは間違いだった。
それ見たことかと言わんばかりの饒舌ぶりだった。
だから
今回の炊飯器の遠隔操作のことも絶対ありえない、と否定した。
ネットで
認知症のことを調べていくと
「否定をしないように」とあった。
その線で行くしかないか、と思ったが
いや、義母はまだまだ現役の人間。
買い物に行けるし、お金の計算もできる、物の区別も分かる。
電気系統のことだけが昔から弱い。

夫の両親と同居したころの義母の年齢は
今の私の年齢と同じころだ。
まだまだ若い(?)ころには
「お風呂のスイッチは、お父さん(故義父)がやってくれるから、私は何もしなくて
いいの。」と言って、自慢していた。
料理をするときは必ず換気扇をつけてくれ、と言ってきたにもかかわらず
とうとうつけてくれなかった。
だから、夕方私が帰宅したときに、魚の煙が充満していたこともたびたび。
つけられるのは
コタツのスイッチ、テレビのスイッチ、部屋のスイッチのみ。
トイレの換気扇のスイッチさえつけない。
そんな長年の、電気系統のスイッチを拒絶してきた義母である。



庭のトラップが幾つか無くなっていた。
これは暖かくなってきたために庭仕事をするのが不便になったためであろう。
日中はいたって平和である。

あれ以来、炊飯器騒動は無くなった。
また、急にスイッチの押し間違いをして、遠隔操作されていると
言うことがあるだろう。
そのときも、私は
「また忘れたんでしょ、やり方が。また1からおさらい。」と言うだろう。
自分が忘れっぽくなってきた、と素直に認められないからこそ
もう一度初めからやろう、と言う事にしている。

休みのとき
義母をどこかのおいしいお店に連れていってあげよう。
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(5/2)季節はずれの写真ですが。

2014年05月02日 08時55分53秒 | 日常、仕事、認知症
その日にあったことをすぐに
ブログに載せられないのは残念。

もう初夏の季節。
自分としては
ようやく春の気分。

目に留まった小さな気づいたことを写真に撮っても
そのまま月日が流れていく。

若干季節はずれですが
せっかく撮った写真をUPします。


4月17日、庭に咲き始めた春の花々。


4月10日、庭に突然つくしんぼ。去年はなかった。




4月13日、夫とともに牛タンを食べに行った日。近くのいつもの公園の桜。
満開でした。他の桜のところにも家族連れのお弁当開きがたくさん。
前年、心配だった1本の桜の木の花付きが良くなっていたので、安心。


その5日後、独りで桜を観に。しかしもう散り始めていた。
お昼のパンを食べていると、ハトが寄ってくる。
この中にPちゃんはいるのかいないのか、傍にいてもきっと私はわからない。
一番手前のハトの模様がPちゃんに似ている。


4月26日、羽生君の凱旋パレード。パレードを待つ後ろ姿のIさん。






羽生君の姿、わかりますか。大勢の人たちがいましたよ。
羽生君、生粋の仙台人ですね。今は世界の羽生君ですけれど。
Iさん、若い人たちとともに、「ユヅ~!!」って叫んでいました。
写真、小さくて見えないね。根っからのファン、プロは望遠です。

とりあえず、これらを更新。
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