僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(5/24)鳥、一喜一憂。そしてヒカル。

2018年05月24日 20時37分01秒 | ネコ
今朝は少し遅めに家を出る。
5時15分頃だ。雨が降ったあとに
強烈な朝日が眩しくて
そろそろ暑くなる季節だなあと感じながら自転車に乗っていた。
うちの近くの真っすぐな道路を走っていくと
燕が二羽飛び交っていた。
あ、そうだ、このビルは前から燕の巣があるところだ、と気付いて
自転車を降りる。シャッターが閉まっていた。
その辺りを二羽が飛び交っているので
巣はあるのか、或いはシャッターで巣に辿り着けないのか、と気になって見ると
庇の内側にちゃんと巣があった。
むしろ、鳴きながら飛び交っていたのは、私が巣に近づいたからだ。
もちろん、巣の中は上の方なので、地上から見えないが、今年も子育てをしているのだろうと安心して出勤した。
良い気持ちだった。
燕と人間が共存している、優しい世界だ、と思いつつ。

そして仕事を終えて
帰宅途中。あの真っすぐな道路を再び走っていると、交差点から入ってすぐの家の通路の前にカラスが地面に座っていた。
どうも、大人のカラスではなさそうだ。
私のことだから、通り過ぎればよいものを、降りて様子を伺いにいった。
もしも、巣から落ちたヒナであれば、あの時の(数年前に鳩のPちゃんを助けたとき)ように、また私はカラスを
助けるのか、と思った。
よく見ると、両足が曲がっている。立てるような足ではない。奇形的な曲がり方だ。
なおのこと、助けなくては、と思った。産毛が残っている中くらいのヒナだ。
すると、大人のカラスが私に向かって抗議、威嚇の鳴き声だ。
近づこうとすると、あのカアーカアー、という大きな声で威嚇するのだ。親なんだ。
とうとう、私の頭を攻撃してきた。
いいよ、離れるよ、でも、このヒナ飛べないでしょ、抗議したって、あなた、どうやって巣に連れていくのよ、と
心で思う。もしかしたら、親に倣って(ならって)、飛ぼうとしたのかもしれない。しかし、足が正常じゃないから、
止まり木にも止まれない。スムーズに跳ねて移動すらできない。
車に轢かれたらどうする、と思いつつ、親に攻撃されながらも、ヒナを追って道路から離した。
飛べるようになればいいが、カラスというのは、燕と違って歓迎されない立場だ。どうか無事親の元に、と祈りつつも
自然淘汰のことを考えれば、致し方ないのかもしれない。

しばらくあの道路を通勤路にしない。
自分の手で助けられないと思ったら諦めるしかない。

それにしても、なぜ、私の目に入ったのか。スーッと自転車で通り抜ければ、こんな不幸な場面を知らずに済んだのに。
いつも、こんなことに遭遇する自分だ。
あの鳩のPちゃんにしても、奇跡的に助けられたけれどもその過程の自分の心を思うと、ほぼ絶望と隣り合わせだった。
不幸は見たくない。
特に動物、生物については。

と書きつつ、自分は不幸を拾いに行っているようなものだ、毎晩、カエルの救済をしに行っても、全てを救われるわけじゃない。
車に轢かれたカエルをうちの庭に埋めることもある。


今、うちのヒカル、死に向かいつつある。
すっかり痩せて、食餌もままならない。19歳。2月に19歳になってお祝いをしたんだ。
昨年の夏も、フラフラして、19歳を迎えられないかと思ったが迎えられた。
が、20歳は無理かもしれない。
チュールでもなんでも、口に入るものは今与えるようにしている。
食べてはくれるが、身体の衰えは目に見えて進んでいる。
人間の一日は、ネコにとって、一体何カ月分なんだろうか。
以前、クロポチが亡くなったときにもそれを感じた。
朝出勤前に見たとき、少し元気で、一日大丈夫であろうと思ったら、数時間して帰宅した時には
まるで朝から、数日経ったかのように急激に衰えた身体になっていた。
ネコの数時間は人間の数時間ではない、スピード感なのかもしれない。
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西城秀樹Hideki Saijo / ブーツをぬいで朝食を

2018年05月18日 14時53分42秒 | 名曲
西城秀樹Hideki Saijo / ブーツをぬいで朝食を


西城秀樹さんの数々のヒット曲の中で
私の一番好きな曲を。

私も「YMCA]を踊った世代です。
新御三家の中で私は郷ひろみのファンだったけれど
もちろん彼の歌も好きだった。
あのころの歌は、誰もが歌えるほどに、1曲を毎日のように流してくれていたね。

この歌は
大野克夫さんが作曲したもの。
当時、ジュリーの一連のヒット曲を作曲していた。
スパイダースの1人です。
そして曲調が、「時の過ぎゆくままに」「サムライ」に通じる切ないメロディ。
この身体の細さ、足の長さ、歌のうまさ、完璧です。
時折、ジュリーと似ている美しさを感じる秀樹です。
激しい、元気の出る歌が続いたあとのこの歌が出たときは、ああ、大人の歌だ、と思ったものでした。
涙を滲ませ、昨日テレビを観ました。素敵な人でしたね。
ご冥福をお祈りいたします。
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