僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(9/21)ミミの耳が聞こえなくなっている

2015年09月21日 14時49分09秒 | ネコ
夫は昨日の夕方
台湾から帰国。
土産話も特になく
写真もなく
お土産もなく
いつも社員旅行はこんな感じです。
一昨年の北海道旅行では、多少買ってきてくれましたが
昨年の九州旅行でも一切無し。
お土産は私が
買わなくてよし、と言っているので。
他の社員は
夫が何も買わないことに不思議に思っていることでしょう。
皆、旅行カバンは、あのガラガラと音を立てるケース。
夫のバッグは下着等入ったホンダの肩掛けバッグ(なので、手荷物として客室に)。
私といっしょに旅行に行けば
お土産好きの私はなんでも買うけれど
夫は全然興味のない人。
お土産を買うなら、CD代に回したい人なのです。
旅行から帰ってくるなり
(航空便の)CDはまだ届いていないのか、と開口一番です。
どうも、1カ月以上音沙汰無しのそれ。

義母には
台湾に行くことは報告してあり
わかっていたのですが
2日経つと
朝、4時過ぎにネコたちのゴハンを用意していると
「亭主はどこに行ったんだ。」と言ってくる。
「台湾に行った、って言ってあるでしょ。」
「で、二階の人とアンタはどうするのか?」
「二階の人って誰?いないよ。」
カチンとしながらも、出勤前なので
あとは何を言われても聞こえないふりして出かける。

あとはまあ、義母とは平穏でした、概ね。

仕事は連休のため大忙しです。
特に
今、嵐が仙台に来ているので、街の中は人、人、人。
旅行客もいっぱい。
連休こそ休めない。
今日は一日だけ休みですが
土曜日から目が回るほどの忙しさ。
金曜日までそれが続きます。



ネコのこと。
うちにいる老齢のネコたち。
ビクビクしている私。
ノリのことがあったので
他のネコたちがいつそうなってもおかしくない、と思っている。
あんなに元気だったトチは
鼻炎で臥せっています。
でも食欲はあるので、この病気とおつきあいしていかねばと。
ミミ。
17歳のミミは
耳が聞こえないということがつい最近気が付いたのです。
ミミ、ミミと呼んでも
耳が動かない。
ネコって
返事をしなくても
耳だけは音の方向に動くけれど
ミミはそれがない、とここ一週間ほどのうちに感じ取っていました。
後ろから身体をポンと軽く叩くと
ビックリしてこちらを向いて
甲高い声で鳴きます。
あ、耳が聞こえなくなっているんだ、と思いました。
老齢から来るのでしょう。
前足も湾曲してきました。
ミミは結構孤独なネコでした。
ミケの柄なんですが
顔が可愛くて、小さいときは
人間が可愛がってくれそうなその柄とカワイイ顔。
しかし、唯一のミケで、似た模様で群れていた他のネコたちと
あまりいっしょに寝ることはなく
奥の部屋でのんびりと過ごしていました。
私たち人間に甘えてくるときは
もうもう、顔中舐めまくるようなしぐさ。
彼女も・・・・あたりまえのように、老齢です。
いろんな病気が出てくるけれど
とにかくこうして生きていてくれてありがとう。
食欲もあり、ベランダの日光浴も好んで
そうやって17年生きている。
どうなるのでしょう、
この命。
また、自分自身が乗り越えなくてはならない悲しみが待っているなんて
と考えてしまいます。
が、別な方向から「いや、こうして長く生きているのはありがたいことじゃないか。」と
自分の声が聞こえます。
悲しみを乗り越えるのは自分のもう一つの声の励まし。



亡きカズの。

カズが首辺りを引っかいて大事にならないように、チラシで作った簡易のカラーをつける。


ミミです。


ミミとクロポチ。現17歳。このころは何歳くらいかな、若いとき。ミミ、可愛いね。


亡きシマトラ。カラスに狙われていたのを助けました。鼻炎持ちだった。それが皆に移っていった。


トチとカズ。トチは今16歳。カズは去年12月15歳で死亡。兄弟です。


亡きノリ。先月に死亡。16歳でした。カズやトチと兄弟。あれから少し、季節が変わる。
涼しい日になってきたね。


カズとクロポチ。母親がいっしょ。生まれたのは1年違い。

ナナとミミ。現17歳。ナナは優しい子。ミミは臆病者。仲良しの姉妹。

高齢のネコたち、逝ったネコたち。
私の愛するネコたち。
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(9/8)義母に対する私の本音

2015年09月08日 18時50分28秒 | 日常、仕事、認知症
何とも何とも・・・・
愚痴になりますが、ちょっと書きます。



義母の被害妄想というか
勝手な妄想に辟易どころか、また血圧の上がるような気持でいる。




久しぶりの休みに
いつもこんな状況になるのが常。
義母は1階の自分の部屋や台所、食堂にいます。
私は
ずっと2階にいます。
買い物に出るときに
「今日はカレーを作るからね。」と言って出かけます。
「うん、わかった。」とまあ、普通の対応。
具材など買ってきて
4時半ごろ下の台所に行き、料理開始。
夫の帰宅が6時過ぎるので
先に義母に食べさせようと
作り始め、その他サラダなどを用意し
彼女のカレー皿に盛り、
あとは食べるだけ、の食卓。
隣の部屋に「カレー、できたよ。」と声をかけると

「そんなもの、食わない!」
「エ?」
「馬鹿にされて、食ってられるか!」
などと言われて
さて、
どういう対応したらいいのでしょうかね。

その間
特に会話なんてしていないし
全く脈絡のない言葉に
私も
「じゃ、食べなくていいよ。捨てるから。」と言いましたよ。

それじゃあ、ダメだ、なんて意見も多いでしょうね。

とにかく
一人で妄想し、それを頭の中で作り上げて
攻撃対象を私にしている。

先日もそういうことがあったばかりだから
それの延長だと思います。

先日の件。
やはり
突然突っかかってきて
「この間、夜、出ていって泊まってきたな。
男と、次の家を探しに行ったんだろう。」と聞き捨てならないことを言うものだから
私も腹が立って
なんで、夫がいるのにそんなことをしなくてはならないんだ、夜、外に行ったとしても
近くのコンビニにあなたの息子がアイス買って来い、コーラ買って来いというから
出ていっただけなのに、なんでそんな妄想になるんだ、と言い返しましたよ。
あんまり腹が立ったので
夫に
「こんなことまで言われて、なんであなたの親の面倒を見なくてはいけないんだ。
私が出ていけば、この家は鎮まるのか。」と、つい本音を言いましたよ。
「あなたの親が嫌い。あなたが私の親を嫌いなように、私も今、あなたの親が嫌い。」とね。
で、夫、なんて言ったと思います?
「出ていけ」とつぶやいたんですよ。
そして、後からその言葉を確認すると
「そんなことは言っていない。」と夫。
要するに
目の前で、二人がそんなやり取りをしているのを見て
おかしな義母にまともに相手している私にも立腹したのだと思います。
今度は
夫と
言った、言わないの喧嘩になるので
それ以上追及しませんでしたけれど。
前から
義母は
二階に男、女がいる、と言っているので
その延長の妄想がひどい。
「今日こそ、あんたたちが困っているようだから、二階にいる男たちに
私が話をつけてくるから。」と言ってみたり、
夫が食事中に、私が二階のネコたちのゴハンを持って食べさせに行くと
「男に、ゴハンを持っていったのか?」と夫に聞いてみたり、
さすがに先日の
泊まりに行った、というのには我慢ならなくて、
朝、仕事に行っているでしょ、私、こんなことあちこちにさも本当のように言いふらして
そんなこと辞めてよね、と私も反論。

夫は、相手するな、話しかけられても無視しろ、俺は毎朝、そうしている、と言います。
私が早朝仕事に出たあとに夫が朝食と新聞の時間なのだけれど
必ず、その時刻に起きてきて
まとわりついて、ブツブツと私の悪口を言うのです。

「そっちの部屋に行っていろ。まだ起きる時間じゃないだろ。」
「馬鹿にされて黙っていられるか!」と因縁をつけ始め
あとは夫はだんまりの方向へ。

まともに相手するからダメなんだ、と言います。
じゃ、できるだけ余計なことは話さないように、
何事もなかったように
食事の用意をして、声をかけたら
この通り。

夜、コンビニも行けない、カエルの救済もできない、
いや、行きますよ、彼女の妄想に付き合っていられない。


私の目下の悩みは。
夫が今月中旬、会社の社員旅行で
台湾に行くんですね。
その間、義母と二人。
妄想の連続ですよ、義母。
それさえも何かに変換して、あれこれと次から次へと
妄想を始めるのが目に見えている。
連休のころなので、私は仕事が大忙し。
連休だからこそ仕事が入っているから、その分、家にいなくてもいいのですが
うちにはたくさんのネコたちがいるので
私は出ていくことはできません。
私の両親には
具体的な義母の言動についてはあまり言っていないのですが
妄想だらけ、というのは言ってあります。
あまり、そんなことを言うと
自分たちも義母と同じようになり兼ねないので
つらいでしょうから。

父は
自分か妻がどちらか死んだ場合、いずれ私の世話になるかも、と
思っているようですが
あのお義母さんとはいっしょに住めない、とチラッと言っていましたしね。

病院に連れて診てもらうことをおそらく勧めるでしょうが
診てもらって、この妄想は引いていくのでしょうか。
そもそも
自分はおかしくない!おかしいのはお前たちだ!と言い張る彼女を
病院に連れていくのはできるでしょうか。
いや、それ以前に
心配だから連れていきたい、などと建て前の言葉を言えるはずがない私です。

ああ、今から
ネコのゴハンを作らなければならない、催促のニャーニャーの声。
また下に行かねばならない。
夫はまだ帰ってこない。
今日は石巻に行っている。
あ、今電話があった。
20分ぐらいしたら家に着くって。




コメント (3)
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(9/8)晴れたときに、懐かしい街を歩く。

2015年09月08日 09時10分25秒 | 日常、仕事、認知症
ほぼ一週間ぶりのブログである。
その間疲れに疲れた日々であった。
今日その疲れを取るための休みであるが
溜まった家事をしなければならない。
8月は忙しくて長く感じられたけれど
9月は大丈夫かなと思っていたら
いきなり別な仕事が入って
ひとまずは昨日で終わり。
しかしまだまだ続く。
休みの次の日に出勤すると
予期せぬ仕事が舞い込んでいたりして
その気持ちの切り替えにすぐに対応できない自分がいる。
そういうことは大体
事前に
チーフの方(先日上司の前でやりとりをした相手)から
連絡があるのだが
あれ以来
それさえもなく、別な方から、こういう仕事が入った、と言われるのみ。
不機嫌極まりない悪循環の中で
黙々と仕事をしている毎日である。

疲れが溜まって
眠れるだけ眠ろうと思っても
悲しきかな
3時過ぎには目が覚めてしまう。

別な仕事とは。
会社の系列の別なところに行って
同じ仕事をしてきたのだが
それはそれで勉強になったなあ、と実感。
非常に新鮮な気持ちで仕事をしてきた。
がさすがに疲れた。
2日間、気を張り詰めて仕事をしてきたら
どっと疲れが出てきた。
やり方が違うと
いちいち聞かなければならない。
まるで新人のような気持で。

その職場の帰りに
普段は
こちらの方まで足を延ばさないから
辺りを自転車で散策。
懐かしい。
ここら辺りに、昔通った喫茶店があったはずだ、と
探したが
もう何もかも変わっている。
変わっていないのは

  地元の銘菓「支倉焼」の店舗である。建物は新しい感じだが、場所は変わっていない。
  私の大学のすぐそばだった。
  が、その大学は今ここにはない。卒業してから移転していった。久々に訪れた記念に
  支倉焼を買う。夫が好きなお菓子だ。
そして

   この辺りもよく通った。やはり変わっている。が、空気は変わっていないような気がした。
   大学の傍でありながら、人はあまり通らず、学生のアパート街であった。



   この雰囲気、好きだ。通りを挟んだ向かいは大きな新しいホテルだ。そして裏に昔からの家が
   並んでいる。これまた私の郷愁を呼び寄せる昭和の空気だ。


   これは、モダンなマンション、ホテルが並ぶ大きな通りにポツリと別な空気の佇まいの建物。
   「華僑総会」という。地震でダメージを受けてこのようにロープで囲われている。



    大学の近くにありながら、その存在に気付いていなかった。かなり歴史のある建物である。
    もう使われていないが、これって、建て壊しにするには貴重な建物だと思うのだが
    何とか修復して保存してもらいたい。そのつもりでいるのかもしれない。
    本来なら、このくらいになるととっくに壊しているはずだ。
そして
    
    「はやぶさ」の展示の会場になった東北大の片平キャンパスに。よく遊んだっけ、18歳の夏。
    今では警備の方がいて、自転車で入りづらくなった。

裏通りはいいなあ。
身体は疲れたけれど、こういう散策は心の癒しになる。キュッと締め付けられるような懐かしさだ。
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(9/2)9月になりました。

2015年09月02日 17時03分54秒 | 日常、仕事、認知症
9月になった。

早朝、出勤のとき、辺り一帯、空、靄の中を
自転車を走らせる。
今日は暑くなる、と予感させる。

休みの次の日の出勤後は
色々と前日の不備が目立ち、イライラ感が募っていく。
最近は
このイライラ感が自分で顕著だな、と思っている。
家にてもそれがあり、職場に行ってもそれがあり
どこに行けば
この気持ちから解放されるのだろうか、と考える。
何事もうまくいっていない感。
不安感。
喪失感。

ノリの死からずっとそれは続いている。
義母が定期的に、絡んでくる。
彼女の無意識のストレス解消なのかもしれない。
毎日何か小さな問題があり
それがくすぶっていく。
夕食を作ってやるが
一緒の食卓にいることの苦痛がある。
時間に追われての作業の私は
夕食を抜いてあれこれと片付けなどをする。
夜でも洗濯機を回す。

美味しいものを食べればいいかな。
日頃の栄養不足を補うように
好きなものを食べに行けばいいのか。

今月も仕事が忙しい。
忙しいのはいいが
順調に回ってほしい。

こんな気持ちでいると
文章も乏しいね。

そうそう
私は
3月と9月を「惑いの季節」と10代のころから名付けている。
不安定な気持ちが続くんだ。
3月はこれから新しい年度になって期待の膨らむ季節に向かっていくのに
気持ちが中途半端な時なんだなあ。
東北はまだ春、とは言えない季節だからかな。
そして9月は。
夏が終わった、と思わせる気温や雨、もう半袖は似合わないような低温が続くのに
自分が夏を引っ張っていたい、と思っていた10代。
あの頃の気持ちを分析して書こうと思っても
現実のことのほうが重くて
なかなか書けない。
そんな心の余裕がほしい。
ポワ~ッとしているのが本来の私なのに。
ピリピリしている自分はダメだよ。


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