今日は
普段通りに出勤して最も忙しい時間帯に早退する。
義父の墓参。
夫と私の休みが合わないため
日曜日しか行けなくなっていた。
他の同僚の配慮で、行くことができた。
感謝。
昨日
北海道の中学時代の恩師が亡くなった、と
連絡が入った。
71歳である。
この数字を書くと
老齢ではあるが
若かった。
まだまだ活躍してもおかしくないくらいだ。
5年前にこちらでクラス会を開いてくれ
先生もいっしょに来てくださった。
中学のときと全く変わらない若々しさに
まさか5年後のこの年になくなるなんて
想像できなかった。
あの頃は病の兆候もなかったのだろう。
あっという間である。
思春期に2年間担任をしていただき
彼の蔵書に驚き
彼の影響で
いろんな書物を読み始めた頃でもあった。
樽前山の麓に広大な土地を買い
農作物を作りながら
定年後もずっと教育に携わっていた。
私が将来何になりたいか
という希望を持ったとき
彼の影響が大きかった。
その気持ちを伝える機会を過去に持てたことはよかった。
あのクラスで
教員になったのは
二人いた。
二人とも、家庭の複雑さを抱えていた。
そして
彼は
「その二人が教員になれたことが嬉しい。教員になるべくしてなった、と
思っている。授業を教えるだけが教師ではないからね。」と言ってくれた。
片方の人は現役で頑張っている。
もう一人の私は10数年前にリタイアしている。
今年の震災後に
先生から電話があった。
「生きていたか。大丈夫だったか。」と。
私は、あの時
自分のことで精一杯だった。
余震に怯えていた毎日だった。
先生の身体のことを尋ねる余裕もなかった。
まさかそんな病気だったなんて知る由もなかった。
あれが最後の会話である。
テレビではお笑いの人が映っている。
職場では忙しさの中で、人間関係がピリピリしている。
日常が流れている。
明日も早朝4時、寒く暗い中を出勤する私だ。
先生、お悔やみに行けなくてごめん。
でも、いつか必ず
北海道に帰ったらお墓に行こう。皆と。
私は
自分の希望の未来を
1つ叶えたけれど
その後がダメなんだ。
ずっと浮遊したまま漂っている。
漂ったまま、私も死を迎えるのだろうか、と最近はそんな考えでストップしているよ。