僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(11/27)恩師の死と日常

2011年11月27日 20時57分34秒 | 東日本大震災
今日は
普段通りに出勤して最も忙しい時間帯に早退する。
義父の墓参。
夫と私の休みが合わないため
日曜日しか行けなくなっていた。
他の同僚の配慮で、行くことができた。
感謝。


昨日
北海道の中学時代の恩師が亡くなった、と
連絡が入った。
71歳である。
この数字を書くと
老齢ではあるが
若かった。
まだまだ活躍してもおかしくないくらいだ。
5年前にこちらでクラス会を開いてくれ
先生もいっしょに来てくださった。
中学のときと全く変わらない若々しさに
まさか5年後のこの年になくなるなんて
想像できなかった。
あの頃は病の兆候もなかったのだろう。
あっという間である。

思春期に2年間担任をしていただき
彼の蔵書に驚き
彼の影響で
いろんな書物を読み始めた頃でもあった。
樽前山の麓に広大な土地を買い
農作物を作りながら
定年後もずっと教育に携わっていた。

私が将来何になりたいか
という希望を持ったとき
彼の影響が大きかった。
その気持ちを伝える機会を過去に持てたことはよかった。

あのクラスで
教員になったのは
二人いた。
二人とも、家庭の複雑さを抱えていた。
そして
彼は
「その二人が教員になれたことが嬉しい。教員になるべくしてなった、と
思っている。授業を教えるだけが教師ではないからね。」と言ってくれた。

片方の人は現役で頑張っている。
もう一人の私は10数年前にリタイアしている。

今年の震災後に
先生から電話があった。
「生きていたか。大丈夫だったか。」と。
私は、あの時
自分のことで精一杯だった。
余震に怯えていた毎日だった。
先生の身体のことを尋ねる余裕もなかった。
まさかそんな病気だったなんて知る由もなかった。
あれが最後の会話である。

テレビではお笑いの人が映っている。
職場では忙しさの中で、人間関係がピリピリしている。
日常が流れている。
明日も早朝4時、寒く暗い中を出勤する私だ。
先生、お悔やみに行けなくてごめん。
でも、いつか必ず
北海道に帰ったらお墓に行こう。皆と。

私は
自分の希望の未来を
1つ叶えたけれど
その後がダメなんだ。
ずっと浮遊したまま漂っている。
漂ったまま、私も死を迎えるのだろうか、と最近はそんな考えでストップしているよ。

(11/22)久しぶりの日記

2011年11月22日 10時16分15秒 | 東日本大震災
あれよあれよと
カレンダーがあと一枚。
月日の流れについていけない自分がいる。
ブログを滞らせて1ヶ月余り。
あれほど
書く、書くと言いつつも
再出発できないでいた。

日々の記録も兼ねたブログのはずだが
一体
いつ
何があったのか、の記録までもやめてしまっていた。

相変わらずの停滞気味の精神だから
なかなか
奮起してこれを開くことができなかった。
そしてこれからも
こんな自分なんだろう、と絶望的な憶測をしている。

いつだったか
今年はどんなめぐり合いがあるだろう、と書いた。
自分の心をときめかせるような
好奇心が動くような
感動が支配するような

これまでの
オトメちゃん
はやぶさ
山P
などなど
自分の心が躍るような対象が
突如として現るような
出会いを期待していた。
しかし

そんなことは滅多に起きない。
今年は
暗いことの連続。
暗い知らせの連続。
生きていれば
楽しみも増える、生きる分だけ
知らないことを知る、と思っていたが
それとは逆に
暗くなることの知らせが次々と入ってくる。
私に
どれほどの心の修行をせよ、と言っているのだろうか。

今年はどういった年だったのだろう。
あんな大きな天災が身近に起きて
救われた命、と思って
大事にしなきゃならない命なのに
現実には
生きることのつらさのようなものが
ぼんやりと
生活を支配している。

大きな地震にも拘らず
生きていることに感謝、なんて
心配して電話してきた北海道の恩師に
話したら
その恩師がすい臓ガンで
限られた命を削っている。
悔しい、と言っている。
まだまだ働いていてもおかしくない年齢なのに。




そして
最近知ったこと。
毎年正月に
家族いっしょの幸せな写真付きの年賀状を
送ってくる教え子のご主人が突然死していたことを知る。
まだまだ若い働き盛りの年齢。
あの人が?!という思いである。

どこかで不幸が突然やってくる。
自分の不幸を嘆いているときに
もっと過酷な不幸
この世と別れてしまう不幸を経験する人が身近に存在する。
それらが
もしも自分の身にふりかかったら
どう対処したらいいのかわからなくなってくる。


そんなことを考えている日々だ。


それでも生きなくちゃならない。