僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2019/10/12)台風19号 明朝出勤

2019年10月12日 21時42分22秒 | 日常、仕事、認知症
まもなく寝る時刻なのだが
就寝前に書いていこうと思う。

現在、こちら東北、風雨が強くなっている。、
7時過ぎに、二階の窓から家の前の道路を見てみると
カエルがいたように見えたので確かめに行った。
うちから外に出ていったカエルだった。
この嵐の中、カエルは出てきているのだ。
ということは、いつも探索に出る道にも出ているかもしれないと
思い、懐中電灯を持って、傘は差さずに探しに行った。
やっぱりいた。
車のよく通る道路の真ん中にである。
休日なのと、このような嵐のために車、人の通りは皆無であったが
いつ轢かれるかわからないのでうちに連れてきた。
私の身体はみるみるうちにびしょ濡れ。
戻ってきてすぐに着替える。
こんな嵐の中、外に出ることは避けたいのだが
やっぱり気になったので。
それに、明日の朝の予行演習も兼ねていたんだ。

明日早朝、出勤である。
土曜、日曜、月曜とたいていの所は3連休。
うちの会社も本部は3連休。
しかし、私たちの仕事は休日こそ忙しいところ。
明日の朝、ちょうど台風が通過する(した)頃に出勤になる。
いつもは自転車だが、当然それは無理。
夫が車で送ろうか、と言ったが、私は「不要」と答えた。
どんな風の強さ、雨の多さか想像できないが
ずっとテレビの台風情報を流していて、関東の様子を見ていると
車でさえ危ないような気がした。
そう、私を降ろしてから今度は夫が無事に家に着くかと心配の種が増えるので、
夫には家にいてもらうことにした。
政府の「命を守る行動を」を頭に入れて、徒歩で職場に向かおうと思っている。

さて、そのくらい生命を危険にさらされる台風でありながら、
会社として、早朝に出勤する我々に対する言葉が何もないことに疑問を感じていた。
自分たちは3連休で、実感がないのかもしれない。
が、末端の我々何十人と、3時4時に各所に徒歩で向かうのに何らメッセージがない。
夫の会社は、休みとはいえ、会長自らラインで、「家族、自分の身の安全を」のメッセージを送っている。
私が上司という役職に在るのなら、それらを流すし、何ら前日からの策を考える。
8月の救急車で運ばれた時の前後、エアコンの2か所の修理を再三申告しても、全く意に介さない会社に
疑問符を投げかけていたことを思い出す。
従業員の身の安全、生命の安全についてどう考えているのか、彼らは自ら体験しないとわからない、ということを
前回学んだ。
そして今回も、明日命をはって出勤する従業員の姿を想像できないでいる。
来月の会議の時に、感想として(批判ではなくね)述べてしまいそうな私である。


早朝の仕事の分野の人たちはたくさんいる。
いつも、新聞配達の人や、コンビニなどに配達するトラックなどと出会う。
日曜も祭日もなく、働いている人たちもたくさんいる。
皆さん、安全に無理せず仕事をしてください。
それにしても、夫、3連休で良かったと思っている。
圧力鍋で、ぶり大根を作ってくれた夫。
明日は肉じゃがを作ってくれる。
家の外回りの点検もしてくれたし、飛びそうなものも外してくれた。

宮城県、特別警報。何回も緊急のエリアメールが来ているね。
万が一の停電のために、明日のゴハンは炊いておいた。
懐中電灯も3本用意した。予備の電池も。
あとは夜中の風雨に家が飛ばされないように祈る。
庭の樹が折れたとしても、根っこが残っていれば再生できる。

風、強い!現在、9時半過ぎ。


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(2019/10/3)義母のトイレ掃除、食事の問題

2019年10月03日 08時36分33秒 | 日常、仕事、認知症
少し前に、1階の義母のトイレ掃除を終えた。
私の悩みの1つである。
前にも書いたが、義母は正常な時から水を流さない人だった。
それでも2回に1回は流していただろう。水の節約のつもりで来たこれまでだった。
その習慣が認知症になっても変わらない。
2回に1回どころじゃない、流す行為そのものを忘れてしまっている。
彼女がトイレに入った後、すぐに私や夫が行って、「流せ。」と言う時は
何とか流す時はあるが、
一日中居るわけではない私なので、帰宅した時に漂うトイレ臭にウッと来ることがある。
小便であろうと大便であろうと、そのままである。
文句を言えば、「私はうんこなんかしたことがない!」の人である。
こちらが気付いて流しに行っても、しばらく放置した臭いはなかなかのものである。

看護師をしている友人に話せば
「流さないくらい、どうってことない。弄ぶ人もいるから。」とレベルの違いを話し、私を慰めてくれたこともあったが。

先日、m子さんの家に訪問した時に
古い家なので、あちこちリフォームして、トイレも替えたとのことで使用させてもらった。
便座を離れれば、自動的に水が流れるあれだ。
これは義母に持ってこいのものだ。
これに替えるかどうか思案中だ。
カビの生えた壁紙や床、見えない菌。
しかし、替えたところで、綺麗に使ってくれるかどうかわからない。
そのうち、看護師友人の言っていた「弄ぶ」が出てきたら・・・とまた余計な心配が
足踏み状態になる。
トイレそのものをゴミ捨て場にしている義母。
夫に叱られて、ゴミを集めたようだが、不満顔の義母。

今朝は少し曇っている。
行動しなければならない私には好都合の天候。
昨日、一昨日は10月なのに暑くて、無理に動かず、の精神に逆らわず。

そして今日の仕事の休みと天候の程良さが重なり、
さあ、義母のトイレ掃除だ!と
マスク、使い捨て手袋等、熱湯を持っての掃除。
全部、取り切れないなあ、でも今までよりずっとマシだなあと思いながら終えた。


もう1つの悩みが、食事問題である。

彼女には「あなたの仕事は食べること。」と最近強調して言うようになった。
それを言うくらいに、食に対する欲が無くなっている。
最近まで、夫が早朝起きて台所で音を立てれば、自分で起きてきて
食卓に着くくらいであった。
だから、食事の準備(台所から自分用に出来上がった料理を持ってきたり、箸を用意したり)が彼女の仕事であった。
私が仕事から帰宅して、食堂に行くと
朝の残したものがそのままテーブルに載っている。
食べたものは、パンとかフルーツのみ。
米のゴハンを置いたときはほとんど食べない。
残したものは、置きっ放しにしないで、捨ててから洗うということまで彼女の仕事だったがそれをしなくなった。
夏場だから小虫が飛ぶので、残したら捨てるように再三注意してきたが
「私は食べていない!」である。
しかし、今は問題はその片付けではない。
食べないことが心配なのである。
さすがに全く食べない、というわけではない。
しかも早朝からの準備だから、お腹も空いていないかもしれない。
気付いて食べるときには、冷めてしまって、食欲も無くすかもしれない。

今朝も、朝食の準備をして、「朝食食べよ」と何度も言ったが
ブツブツ文句を言って、ベッドから立とうとしないで座ったままだ。
かと言って、布団に横になっているわけでもない。

今、何回目かの催促をしてきて、漸くベッドから立ちあがった。
フルーツでもいいから食べて、と言ったら立ち上がった。
パンも焼きたてにして、マーガリンとジャムのをレーズンパンを2個食べた。
おかずは手を付けない。
付けても、チョイチョイと食べるのみ。
それでも胃の中に、今日の活力になるものが入った。
あとは遅い昼食だ。

末期の老人てこういうものなのだろうか。
食べることに興味が無くなったら、何のために生きているのか、
「食べることが仕事。寝たきり老人になりたくなければ、動け、食べよ」と言ってきた。
「寝たきり老人」に反応する義母だ。
それにも反応(なりたくない、という意志。)しなくなったら、まさに寝たきり老人である。

これから彼女の爪切りだ。





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(2019/10/1)ガラケーからスマホに替えた。

2019年10月01日 16時30分24秒 | 日常、仕事、認知症
漸く、ガラケーからスマホに替えた昨日。
消費税8%最終日の駆け込みです。

いつかは替えなくちゃいけない、とこれまで思ってきたのだが
何しろ、ガラケーでも不便を感じない私だから、きっとこのままズルズルと行くのだろうと思う半面、
もし、ガラケーが廃止されて、スマホのみの時代に突入したら(それがあるかどうか私には情報がない。)、
どんどん年を取っていく自分に操作ができるのだろうかと心配する面もあった。
周囲はスマホを簡単に扱っているし、夫もスマホを使っている(会社のだけど)。
そして、先日の煽り運転でテレビで取り上げられた「ガラケー女」という言葉。
そんなに世間は「ガラケー」は「化石」の如く扱われているのだろうか、なんて思ったり。
何かきっかけでもなければ、替える機会を逃すなあと思っていたら、
バッテリーも怪しいし、ドコモから消費税値上がりする前の案内も来たし、9月以内に替えようと漸く決心した。
そして最終日に駆け込む私である。

仕事を終えて近くのショップに気軽に行ったのだが、大誤算。
予約しなければダメなようで、中途半端な2時半という時刻を設定された。
予約時刻より、10分前に来てください、とのことで、1時間くらいのつもりで再度訪れる。
ところが。
ところが。

終わったのは6時近く。
新幹線で、仙台から東京を過ぎて名古屋にでも着きそうな長い時間だった。
こんなに機種を替えるのに時間がかかるものなのか。
そういう知識がないものだから、倍以上の時間に感じる。
スタートに30分以上待たされた。
それはいい。
しょうがない。
スタートしたとたん、速いのだろうと思った。
しかし、途中、何度も係の人は中座して、何十分も待たされるのである。
これがきつかった。
なぜ、待たされるのかわからない。
こんなの常識、と言われれば、全く無知の私を恥じねばならない。
しかし、係の人も、もっと親切に教えてくれれば、とは思う。
これこれの理由で中座してこのくらい時間がかかります、と言ってほしいものだ。
少々お待ちください、の少々って、何十分も待つということ?
そして、漸く新スマホが来て、その後の説明も長い。
でもこれはきっとしなければならないことだろうから、これもしょうがないと思う。
あとは何とかのパスワードとかを決めなければならないのだが
「何でもいいですよ。」と言われれば、自分の名字や名前がすぐに出てきて数字と組み合わせれば
何とか一発で通る、ということだったが、なんのなんの、名前も、ネコの名前も「既に使用されている」とのこと。
なんでその数字使われているんだ?と思った。
そして、死んだ愛猫の1匹の名前にすると、それは引っかからなかった。
これにも時間がかかった、おそらく係の人はイライラしていただろう、
いやいや、次にこういうことをやるので、お客様、私が中座しているあいだに、幾つか、あまり使われないものを
考えていて下さいね、と予め言われていれば、余裕を持って考えていることだろう。
あれも既使用、これも既使用と言われると、焦ってすぐには出てこない。
時間の無駄。
時間をきちんと有効に使わなくては。
そういえば、待っている間に、予約の男の人が来て何か食ってかかっていたなあ。
待たせるのが当たり前、待つのが当たり前なら、もっと流れを最初に説明してくれなきゃ、スマホ初体験の私には
なぜ中断して待たされているのかわからないことは怖い。
その説明をしてもらったが、そういうわけか、それは最初に説明しなくちゃ、と思った。
皆さんはよりいいものを求めて何度も機種交換しているから慣れているかもしれないが、
初心者の私は疲れに疲れた交換であった。
それにしても、機種交換したのは2回くらいガラケー時代にあったが、こんなに待たされたかな、と
その記憶がない。

6時過ぎの街の中は、私の知らない世界のようだ。
まるでスマホの世界のようだ。

いやいや、私だって6時過ぎの街の中ぐらい知っている。
だが、散々スマホに手こずった後だから、周りが「この経験」を難なく通り過ぎてきたことに
「知らない世界」を感じ取ったのである。

スマホにしたからって、私の生活は変わらない。
電話も夫の帰るコールくらいだ。
なんだか、さっきからピロリン、ピロリンと鳴っているが、無視、無視。





コメント (4)
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