僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(10/24)毎日のように探し物

2014年10月24日 20時17分47秒 | 日常、仕事、認知症
西日の強烈な光を見つめて
目がクラクラしてしまった。
久しぶりに西側に窓のある自分の部屋から
西日を眺めた。

確実に寒くなってきているのだが
日中は日差しがあると部屋は暖かい。

休みになっても
ゴロゴロできない。
あれとこれとあれとこれと
メモに書きつつ用事をこなしている。

ブログを休んでいる間に
歯痛になった。
鎮痛剤でごまかしてはいたが
とうとう効かない状態になった。
歯科に駆け込んで
「死にそうです。」と痛みを表現した。
土曜日の午後に駆け込んだので、治療は無理かと思ったが
即治療してくれた。
歯科に行くのって、いつもながらいやですよね。
ところが
麻酔、痛かったら左手を上げてくださいとか言われたけれど
全然痛くなく、
却って眠くなるほどの快感だった。
それ以来、歯科に通うことが楽しみになった。
歯槽膿漏のチェックとか歯石取りとか、大変気持ちよかった。
良い歯科医に出会えた。
夫もそこに通いたい、と言っていた。


町内会で
道路の件で
夫と義母の印鑑証明書が必要になった。
義母に
登録カードと実印を用意するように言ったが
案の定
そんなもの、存在すら知らない、オトコが持っていったに違いない、と
探す気さえない。

私も忙しいので
すぐに探すことができず、ようやく時間が取れたので
探し始めた。

ようやくようやく、それらを探すことができ、
今後それらを預かることにした。

そして書類書き。
その手間のかかること。
自分の名前、住所、電話番号を何枚かの用紙に書くだけのこと。
スムーズにできない。
2丁目を2町目と書いたり
自分の電話番号も言えるのだが、-を入れることを知らない。
「お義母さん、何回も書くことによって、自分の住所、名前を
いつかどこかで書くときに役立つのだから、きちんと書けるように。」と言う。
そこまでボケてはいない、甘えだと思っている。
何でも嫁がやってくれる、と60代の頃から思っている。
義父が生きていたころは、それら一切義父がやり、
義父が亡くなったあとは、嫁がやり、
全く彼女は頭を使っていない。
だから、決して難しいことではないので、これらは書かせることにしている。
頭、手は使わなければ、ますます退化していく。
夫と義母の用紙のチェック、読み合わせも彼女につき合わせた。
面倒なことはしたくない(これは夫もその傾向あり)、やれる人がいれば(嫁)
その人がやるべき、という考え。


この間も
お寺に送る現金書留の住所を書いているのだが
トモロッシちゃん、見てちょうだい、と
歯科に行く前に言われた。
それを横でチェックして
終了後、私は出かけた。

そして
帰宅後(2時間くらい)
玄関にすぐやってきて
「また、やられた!オトコに隠された!持っていかれた!」
と言うので
「そんなはずはない。お義母さん、どこかに隠して忘れたんでしょ。」
と探し始める。
本人は、どこに隠したか忘れた、というより
オトコに持っていかれたので、またも探す気なし。

「お義母さんが、隠したいと思う場所はどこ?」
「う~ん、納戸かな。」
ということで納戸を中心に私は探す。
そして見つかったのは
まず、カレンダー。いろいろな妄想のつぶやきを書き込みしていたカレンダーを
何ヶ月か前にオトコに持っていかれた、と言っていたのが
洋服の入ったケースの下から発見。

次に
バッグのケースから、現金書留の封筒3枚。これは失敗したときの予備。
これは近い、とその辺を探すと
さっき書いた書留が出てきた。

あちこちに隠しすぎて、移動しすぎて
もう自分でわからなくなっている。

そしてそれらを入れた布袋を腰に巻きつける。
それが一番いい、と私も言った。
そして私はその袋に鈴をつけた。
探すにも、箱やケースを揺らせば
鈴の音を聞くかもしれないので。

そのうち
それらはとうとう私たちの生活範囲のほうに隠すようになった。
オーディオルームにある
ダイジロー専用のコタツの布団の下に隠していた。
私は
隠す場所の範囲を広げるな、と言った。
お義母さんの生活範囲でさえも、探すのにしんどいのに
こちらまで伸ばされては
探す方も大変だ。
夫に言うと
いいんじゃないか、との返事。

なんだかモヤモヤします。


明日も3時起き。
これから寝ます。












(10/17)知人に会ったが・・・・

2014年10月17日 11時29分46秒 | 日常、仕事、認知症
先日
10年ぶりに知人に偶然会った。
仕事が終わって街の中を歩いていると
すれ違った人の顔を見て
あ、と思い
声をかけた。

名乗っても
思い出せないらしい。
私も、その方の名前が咄嗟に出ず
これこれこういう理由で以前、よくお話していた者です、などと
話しかけたが
私の顔に見覚えがないようだった。

そのまま別れようかと思っていたら
「まあ、お茶でも。」と彼女は誘ってくれた。

年齢はあの頃、年配に感じていたから
あれから10年であれば
70台後半だと思われる。
年齢を聞くのは失礼だと思って、聞かなかった。

そして
当時の思い出話や、共通する知人のこと、
私の携帯に、彼女の電話番号が入っていること、
うちの近くのマンションに住んでいる(今は引っ越したとのこと)ことなど
私の記憶している彼女のことを話してみたが
お茶を飲んでいる30分間で
とうとう私のことを思い出してくれなかった。
名前を聞いて、自分の携帯を調べたら、彼女の名前があり、
彼女はそれを見て、びっくりしていた。
それでも思い出さない。
しかし
さわやかにお別れすることができた。
何より
もう過去の人、会わず仕舞いの間柄であるのに
元気に生きていたことを知ってよかった。
共通の知人は、大病をしたと聞かされた。
おそらくそちらの方は
私のことを覚えているかもしれないので
いつか機会があれば
3人でお茶を飲みましょう、と別れた。

夫や職場の人に
このことを話したら
大笑いされた。
夫は
「詐欺だと思われたんじゃないか。」と言う。
30分、いろいろと共通の話題を提供しても
とうとう
「ああ、あのときの・・・」と思い出せないほどに
影の薄い私だったのかもしれない。

(10/1)夏の思い出(1)と義母のこと

2014年10月01日 11時52分20秒 | 日常、仕事、認知症
2ヶ月近くブログを更新しなかった。
季節がガラリと変わっている。

10月の初日
半袖の私は、太陽の暖かみを感じてまだ夏が終わっていない気分。
夏の記録をしないうちに
秋が来てしまった。
世間は衣替えの日。
実感湧かず。

夏にいろいろあったことを
弾む心を持って書きたいが

義母とのちょっとしたやりとりで
全てが色褪せてしまう。
こっちの方が現実的な問題、自分の目の前にある問題だ、って。

今日こそ今日こそ
書こう、と思っても
私が休みの日だと知ると
二階に上がってきて延々話す義母の応対に辟易する自分。

互いに言葉をかぶせあって
聞く耳持たず、である。

「二階で変わったことはないか。」から始まる。
何も変わったことはない、と言っても
それが主じゃないから、自分のことを延々話す。
いつもと同じだ。
私が怖いのは
具体的に近所の人の名とかが出てきて突撃すること。
今日は
うちの前のホテルの名が出てきた。
ホテルの非常階段からこっちを懐中電灯で照らして見ている、と。
警備員の方が毎夜見回りをしているので、それがうちを照らしている、となるわけだ。
そんなことは何十年も前からの仕事で、こちらも知っていること。
雨戸を閉めているので、義母はおそらく開けてまで見ていない。
いつか見た光景を思い出して、今あったことのように語るのであろう。
そして
それが頭に張り付いて、行動に移してしまうのが怖い。
だから
「向かいのホテルに突撃するのはやめて。」と言った。
義母のホテルに対する言い分はこうだろう。
「警備員が見回っているときに、必ずうちにむかって懐中電灯を照らしてこっちを覗いている。」とでも。

そんな行動だけは強気でやる義母である。
近隣の人はそんな強気の義母を知らない。
温和で息子思いの優しい母親。
だから、信じられない、家族は一体どうしているんだ、となる。

先月
義母の掛かり付けの病院に行った。
義母には内緒である。

先生も義母の長々と語る「オトコが毎夜うちに来る話」に心配していたところだった。
そして
私は現状を話す。
日中は特に問題ないこと。
普通に買い物にも行くし、計算もできる、近所の人との会話にも
不自然さは見られない。

しかし夜、灯りを消したとたん
始まる妄想。
それで何度も呼び出される。
義母もそれらのオトコたちを見てほしくて
私たちを呼ぶが
私たちが階下に行くとたちまち逃げて消える、とのこと。
だから
私たちは一度もそんなオトコたちを見たことがない。
そもそも
雨戸も閉まっているし、鍵も掛かっている。

仏壇を替えられた
新しいところでは
墓参りしたとたん、墓を替えられた、と言う。
毎日、何かを替えられた、何かを置いていった、
何かの位置を替えられたなどなど。
仏壇、墓、通帳、年金などがキーワード。

先生は
精神科の病院に、と言う。
私も
そうしたい、と言うが
本人にはどう伝えたらいいのか、と尋ねる。
信頼する先生からの助言があれば
義母は受け入れるかもしれない、と
では
もう少し時間をかけて説得しましょう、と言われる。

その後
義母はそのやりとりは知らずに
薬をもらいに病院に。
先生は形式的な検査をして(それが異状であれば、大きな病院を紹介するという前提)
結果を見たが
至って健康。
義母はますます「自分はおかしくない。正常。」に自信を持つ。
その話を今度は義母から聞かされる。
「全然悪いところないって。大きな病院を勧められたけれど。」

今日もその話になって
「先生の言われたとおりに、人の意見も素直に聞いて、一度大きな病院で
診てもらったほうがいいよ。」
とか
「藁をもすがるつもりで、どんな意見でも聞いてみるということをしたほうがいいよ。」
と言っても
「ここはお化け屋敷だ!」の捨てゼリフを言って下に降りていく。

そういうやりとりがあって
ブログに
今日はこんな楽しいことがあった、こんな感動があった、と
今書こうとしても書けやしない。

先日は
通帳をなくしたということで
再発行の手続きについていったのだが・・・
疲れた疲れた。
割愛。






今月の休みが決まったが、壁に貼ってあるカレンダーに記入していない。
何となく、何となく、義母が見るようで、記入していない。夫に、記入しろ、と言われているけれどね。

少し夏のできごとを。

旭川の私の妹の娘(姪)が2年ぶりにこちらに旅行でやってきた。
以前
社会人になって初めてのひとり旅に、仙台を選び、片倉小十郎について調べに来た、と
歴女ぶりを書いたことがある。
その姪がまた一人でやってきた。
彼女の気持ち、行動は前回で読めたので
今回は妹のメールで東北に行くということで、スケジュールは本人任せ、連絡あったら
会ってくれ、ぐらいに受け止めた。

3泊4日の山形、宮城の旅。
そう受け止めた。
姪と連絡が取れて、仙台に来たときはまた牛タンを食べましょうとメール。
そして会った。
旅の行程を聴いたら
3泊とも仙台だったw

その3泊目に会ったわけである。
で、
「今回の旅の目的は?」と聴いたら
「図書館・・・」だって・・・
「え?」
「仙台メディアテークって、凄いですね、綺麗ですね。」
「片倉小十郎を調べるために、図書館に来たの?
もっと大きな図書館があるから、今度来たときは連れていくから。」と約束。
白石や山形などにも行ったが、仙台を拠点として動いたそうだ。
岩手にも足を伸ばせば、中尊寺もあるし、猊鼻渓もあるし・・・、と言ってはみたが
片倉小十郎に固執しているようだ。

「2年前の仙台一人旅のあと、どこかに行ったの?」
私は、京都とか、ディズニーランドとかを想定しての質問。
「フランス」
「え??一人で?なぜ初の外国一人旅を英語圏にしない?」
しかも、パックツァーではなく、全部一人で、計画を立て、ホテルも自分で予約。
一体その勇気、行動力はどこから?
私の姪?妹の子ども?
ちょっと感動に震えてしまった私です。

携帯を見たら、年頃の子は皆持っているはずのスマホではない。
ガラケーです。
「あらら、じゃ、ラインとかやっていないでしょ。」
「そうなんです、友人皆、ラインでやりとりして、私だけ仲間はずれなんですw」
そんな姪がおもしろい。
我が道を行く姪。人は人、自分は自分、というのを目の前で見せてくれた若者です。

うちに来て、ネコたちを愛でる姿は
私や妹の遺伝子を受け継いでいる。
私と妹は父親違いなのだが、猫好きはすっかり同じ。

空港で
妹の好きなずんだ餅とふなっしーのストラップを。
独眼流正宗仕様と笹かま仕様。
こういうのが好きなのは私と妹。
姪は、こんな親姉妹をどう思っているでしょうかね。
なんか、また
姪がふらりと仙台に
やってきそうです。
親戚に泊まったり、いっしょに行動することよりも
自分で計画を立てて、一人でとことん調べたりするのが好きそうで
その合間に、牛タンをご馳走してくれる仙台の伯母さんに会おう、というところでしょうか。
なかなかそれもよし。

後に
妹から
北海道の白いトウモロコシを送られました。
皆に分けて、おいしいおいしいと食べました。