僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(1/31)Sukiyaki 上を向いて歩こう Kyu Sakamoto 坂本九

2010年01月31日 15時09分47秒 | 名曲
Sukiyaki 上を向いて歩こう Kyu Sakamoto 坂本九


久しぶりのブログだ。
特に忙しかったわけではなく
あるブログにハマッテしまい
それをずっと読み続ける日々だった。
その間も
自分のブログを更新しなければと思いつつも
開いては閉じ、開いては閉じの一週間。
その新しいブログはまだ読み続けている。
昼食の時も
寝る前も
テレビの観たいものがない時も。
いい加減、キリがないので
今週からは、少しずつ切って読むことにした。

そのブログを読んでいて
いろいろと知らなかったことを更にネットで検索して
自分なりに知識として身についていったと思う。
それにしても、本当に自分は何も知らないできた人間だな、と
思ったりする。

今日、この名曲を選んだのは。

もしも
自分が外国に行って
あなたの国の歌を歌ってください、と言われたらと
想定しての選曲。

はて、日本の歌を歌うとしたら・・・と考えてしまう。
不思議と
自分が好きな山Pの歌とか浮かばず
日本を代表する歌、と考えて
童謡とか唱歌とか国歌とか歌謡曲とか
その辺を思い浮かべてしまう。

たとえば
国歌。
これって、出だしが肝心だね。
出だしがまちがうととんでもないことになる。
アカペラで歌うのは無理。

「さくら」これも歌詞が自信なし。
代表曲でも、まともに歌ったことがない。

では「ふるさと」がいいのでは、と思った。
おそらく自分の人生で
この歌が最初、と思えるくらいに
刷り込まれている歌。
でも歌詞の説明が大変だなあ、とか。

余興で「抱いてセニョリータ」を振りつきでやってもいいけれど
それは親交を深めてのこと。

そして
浮かんだのがこの歌。
これはどうでしょうか。
世界的に知られている曲だから普遍的。
歌詞もシンプルだし、メロディもシンプル。
何回も歌っていたら相手も覚えてくれそうだ。
動画を探すと、今でも世界から
素晴しい曲、とコメントがついている。
これだ、と思った。
今でも、メロディが流れれば
ついつい歌ってしまいそうな歌。
OK,これでいこう。
日本の素晴しい歌を紹介しますってね。


坂本九さんは日航機事故で亡くなった。

私が小学校入学と同時に札幌の病院(ベッドスクール)に
入ったのだが
彼が人気者だったころ
この病院に慰問の形で訪れたことがある。
彼は当時から北海道にてチャリティ活動をしていた。
病院ではその訪問の御礼に
私ともう一人の女の子とで彼の前で
歌うように、と言われた。
シャイだった私は、穴があったら入りたいくらいの心境で
練習した。
ところが、スケジュールの都合で
彼は長く滞在することができなく、その歌を披露することが取りやめになった。
私はホッとした。
かれはサッと来て、皆に見送られながらサッと帰っていった。
そのあと、リサイタルに病院の子供たちを皆招待してくれた。
歌わなくて済んだ、と思いきや
せっかく練習したのだから、病院の皆の前で
歌いなさい、となった。
そしてもう一人の女の子はさっさと一人で歌ったとのこと。
トモロッシちゃんも歌いなさいね、と言われるが
エーッ、一人で歌えないよ、と、
Yちゃん(いっしょに歌う予定の子)に
おやつあげるので、いっしょに歌って、と頼んだ。
いいよ、と言われて二人で歌う。
Yちゃん、堂々として歌って、私はどっかで間違えた。
もう、ここから私はこういう人生だったね。
完璧に何かできたことなかったなあ。
夜のおやつを彼女にあげましたね。

以前、私の精神はここで形成されたみたいなことを
書いたが
ここでの出来事は
7歳ながらホントいろんなことを覚えているのです。
7歳にして、さまざまな人生模様を見させてもらった、と
いうことかな。

坂本九さんというと、その自分の歌のことを思い出すのです。
もしも、彼の前で披露できていたら
きっと温かい言葉で、拍手で迎えていただけたかもしれませんね。
可愛い小学1年生の子にいっぱいの笑顔でユーモラスに
病気に負けず、頑張れと言っていただけたでしょう。

坂本九さんに敬意を表して
日本の代表曲といったらこの歌を推薦したいと思います。

文章が
はじめ「だ調」から「ます調」に変化してしまいました。失礼。
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(1/24)今日は夫の誕生日

2010年01月24日 04時13分46秒 | Weblog
この時刻起きている。
きちんとあれから下に行って
ダイジローと少し遊んで寝たのだが
足が冷えて、トイレに2回行った。
そのあと寝られず
起きて2階に上がる。
ストーブをつけて暖をとる。
それでも足や腰が冷えるので
今、腰に上着を巻いている。

夜から朝にかけての
気温の冷え込みは今頃だろうか。
最低気温はマイナス3℃となっている。

コーヒーを飲む。
私は一日家にいると
お茶やコーヒーをガブガブ飲んでいる。
そのため、夜中にトイレに行きたくなる。

眠るとあっという間の数時間だが
起きていると、朝になるまで長い気分。
さて、これからどうしようか。
先に勉強をしておこうか。

今日は夫の誕生日だ。
特別お祝いはしない。
でも、好きなケーキでも買ってこよう。
うちの前のホテルのケーキ。
夫にとって、今年こそ良い年でありますように。
毎年そんな祈りを持つが
なかなか満足のいった年になったことがない。
夫自身が自覚して変化を望めばいいけれど
そんなことを私が口にしても
1つの意見として謙虚に受け止める性格じゃない。
指図は受けない、オレはオレ。
そんな人だ。
だから、それでも心の片隅に私の言葉を残しておいて、と言う。
私も言えた立場じゃない。
逆に言われそうな立場だ。
でも、私は実行に移せなくても、人の意見は耳に、心に残そうという気はある。
夫は自分に自信があるのか
人の意見を聞かない。
それが人生のマイナスポイントとしてあると思う。
振り返ってもね。
頑固が美化されている。
そうでしょうか。
それで損をしていることがたくさんあった。
それでもよし、としているところが狷介なんだよね。
健康で、柔軟な性質を。

では少し仕事をしましょう。
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(1/23)1000年先のこと

2010年01月23日 23時41分57秒 | Weblog
土曜日の夜。
あれよあれよと時間が過ぎていった。
ほとんど何もしないうちに。
寒かったけれど
お天気が良く、洗濯物を外に干すことができたし
掃除も少しやったので
何もしなかったわけではないが。

夜はドラマが楽しみだ。
夫は
7時からのブラッディマンディを観ていた。
「面白い?」と聞くと
「ウ~ン・・・」と曖昧な返事。
前回のパート1を時折観ていたのだが
(佐藤健君が出ていたから)、
面白かった、という気持ちになれなかったなあ。
なぜだろう。
その理由もわからずに、今回も初めから観ようと
思っていたが
7時から始まると、家事をしているときなので
私は落ち着いて観る事ができなかった。

殺人事件(あの綺麗な女性があっけなく打たれて死んだ)が
起きているのに
警察の動きがなくて(このドラマはそれが中心じゃないからね)
そこが物足りないんだなあ。
仰々しいわりには中身がない、なんて書いたら失礼ですね。
夫曰く
「この作りで、10何回も持つのか。」とのこと。
そして
私はその後の土曜ワイド劇場の
タクシードライバーの日誌というのをのんびり観た。
こういうテンポの方が私にはいい。
しかし
途中、眠ってしまった。
犯人は大体わかったけれど、そこに行き着くまでの過程を
観ないまま、ソファで眠りかけしていた。
このごろ
ドラマを2時間きっちり観続けることができないでいる。




NHKの「新日本紀行ふたたび」というのを午前中やっていたので
洗濯などの合間に観た。
昔の「新日本紀行」をベースに
そこに登場した人たちの現在を追っていくもの。
昭和の真ん中あたりの時代の作品。
秋田の男鹿半島のなまはげという伝統行事を取り上げたり
そこに生きる家族を追う。
当時、1年の大半を出稼ぎに行っている働き盛りの父親が
正月になるころに帰郷する。
その父親を迎え待つ家族の姿。
正月だけは一家揃って、つきたての餅やご馳走を食べる場面。
昭和の姿だ。
皆、にこにこしてテーブルを囲んでいる。
テレビやゲームなどない。
家族が傍にいる、というのを
それだけを観ても感激する私だ。
あれから40年。その父親が88歳になっても
海に出ている。
今度は、郷里を出ていった息子家族を正月に迎える場面。
そのようにして
日本のあちこちで、家族の歴史を紡いでいる。

このごろはこういう番組が面白くて
絶対観なければとは思わなくても、
時間があれば観るようにしたいと思っている。

人間は未来のことを見ることはできないが
    実は一番知りたいところだ。
    寿命で死ぬことはしょうがないが
    死後、日本はどうなっているのかとか
    世界はどうなっているのかとか
    100年先のことを知ることができればいい。
過去のことは、著書やこういう番組で知ることができる。
自分たちが無意識に生きていた幼いときの時代が
こうだったのか、と観ることができるのは貴重なものだと思う。

過去の歴史を、日本史とか古典文学等で習うというのは素晴しいことなんだ。
が、
1000年も昔のことを知ってはいても
1000年先の未来は知らない。
死ぬことはしかたがない。
でも、1000年先の日本のことを知りたい。
死ぬことを受け入れよう。
だが、代わりに、空から
1000年も日本の歴史を見させてくれ、と交換条件だ。
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(1/22)ひとり農業というのを観る。

2010年01月22日 23時48分40秒 | ネコ
夫が
今日は面白いテレビがないので
早くに(8時ごろ)眠ってしまった。

私は金スマの
「ひとり農業」というのをたまたま観た。
前にも観たことがあるが、全部の放送を観ていない。
ネコ(にゃんこ先生)と犬(名前わからない)を飼っていて
その存在を知らなかったから、何度か放送をしていたのだろう。
ストーブの前で、ゴロンとするシマ模様のネコ、可愛い。
その主人公に、結婚したいという女性がテレビ局に
手紙を送り、今日その女性が登場。
う~ん、早まるな、と言いたい。
あまりいい印象がなかった。
最後にまた登場して
「テレビで観たのと、実際のとでは違った。はっきりしない男だと思った。」なんて言っていたけれど
勝手な言い方だなあ、と思った。
もっと言い方があるだろうに、と。
それ以前に、あの話し方とかスタイル(大股で座るところとか)を観て
とても初対面の人のスタイルではないな、これが慣れてきたらもっと
大変だなあと思っていた。
縁がなくて、よかったね。
それにしても、最後の言葉がカチンと来ますね。





今日は、夜の8時ごろまで
気分が晴れず。
一週間の仕事を終えて、脱力したのか
なんだかわからないが
心の底から、何かに熱中したいとか、何かを愛したいという
欲求にかられた。
それが何かわからないけれど、
何でもいい、心をギュッとつかんで離さないものに
熱中したいと思った。
どんなことでもいいんだ。
子ネコと遊ぶことでもいいんだ。
面白い本を夢中になって読むことでもいいんだ。
ここずっと禁欲的な生活をしているなあ、と。




昨日と今日は風が凄く強かった。
2階の奥の納戸から更に続く屋根裏部屋があるのだが
ここはネコ禁止の場所。
うちの今のネコたちはこの場所を知らない。
知らせていない。
開けるときも、納戸を閉めてからネコに気付かれないように開けるようにしていた所。
まさに屋根裏であり
広いことは広いのだが、
途中、人間が1人通れるか否かの狭い通路があり
そこに身を横にして通るのがいやなところ。
閉所恐怖症、高所恐怖症の私は苦手だ。
古い本や使わなくなった電化製品などなどぎっしりとある。
そして通風孔もある。
わずかな外の光がそこから入ってくる。
風も通る。
初代のネコたちはそこでよく走り回って遊んでいた。
一度入るとなかなか出てこなくて
格好の遊び場所だった。
今は荷物が多くなっているので、もうネコを
入れるのはやめようと思い
今のネコたちは入っていない。



そう、昨日の強い風で
その屋根裏部屋に通じるドアが開いてしまったのだ。
開いたのを知らないでいた。
いつのまにかネコたちは
その扉の向こうの未知の世界に入っていたのだ。
夫がそれに気付いて
5匹のうち4匹が入ってしまい
あとの1匹が入らないうちに
まず納戸の戸(引き戸)を閉めた。
閉めたとたん、納戸に立てかけておいた金網が引き戸をロックする形になってしまった。
夫は「緊急事態!」と私を呼ぶ。
夫の緊急事態という言葉はいつも私をあわてさせる。



ネコたちが屋根裏に入った。
トモ、ミミ、シマトラ、ナナ。
シマトラは戻したが、他の3匹は戻ってこない。
シマトラがまた行かないために
納戸を閉めたら、ロックしてしまった。
引き戸のガラスを壊して金網を元に戻すしかない。
とか何とか、パニックになっている。
私は落ち着いていたな。
その作業をするために、いろいろとはずしたりして
金網を元に戻すことができた。
ガラスを壊すなんてとんでもない。

そのあとに、皆を刺激しないようにこちらに誘導したのだが
トモは
喜んで屋根裏を冒険していた。
なんだ、こんな面白いところがあったのか、と全然
こっちに来ない。
ドライフードを持っていって、エサで釣る。
ほんの30センチ向こうで
トモが首を傾げてこっちを見ている。
そのしぐさが可愛くて、可愛くて。
こっちに戻ろうか、いやもっと冒険をしようか、迷っているようだ。
とうとう
エサに釣られてこっちに戻ってきた。
ナナもミミもしばらくして戻ってきた。

夫は、金網を屋根裏扉の前に置いて
二度とそちらに行かないようにと厳重にしていた。

こういうとき、結構夫はパニックになるのよね。
それがわかった。
かつてのネコたちのように
屋根裏を開放してやるのがいいかもしれないが
その前にその荷物の整理をしなければならない。



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(1/21)VS嵐 のゲーム、凄く面白かった

2010年01月21日 20時55分36秒 | 山Pドラマ
いやあ
久しぶりに山Pのゲームを観て
騒いだ。
夫は寺脇さんのドラマをあきらめて
ネットをしていた。

嵐のゲーム、面白かったね。
夫はいきなり
大野君の「エロスの~」に大笑いしていた。
大野君のことを面白い奴だ、と言っていた。

私は
嵐では相葉君が、いい奴と思っている。
彼、優しいでしょ。
それに皆にいじられて可哀想で。
山Pとも皆、仲良くしてくれてありがとう。

浅利君の登場の場面がなくてこれも
可哀想だったね。
今度はたっぷりと彼の出番を作ってください。
どうしても
山Pが中心になるけれど、山P、そういうところ
配慮できる人だからね。

最後の言葉もよかった。
「勝っても負けても、今日のゲーム楽しかったからどっちでもいいよ。」
と、緊張しているガッキーにリラックスさせようと言った言葉。
これだから
周囲の女性が誤解しちゃうのよね。
男でもホレルでしょ。
あのポールをつかむのも、前回も今回も素晴しかった。
思わず興奮して手を叩いて喜んだ。
あの場面の相葉君が優しかったんだよね。

ああ、心から楽しんでよかった。
どうか、何かの場面でまた
コードブルーチームが出たら
浅利君も参加させてください。
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(1/21)仕事をスッキリ。爽快。

2010年01月21日 16時22分14秒 | Weblog
今日は日中は晴れやかで
昨日に引き続き暖かいと思ったが
帰宅するころには
北風が強まり、これからまた寒くなる予感がした。

週の後半、仕事を終えて
帰宅する。
あと1日。
そのために自分を鼓舞して頑張らねば。
またあの眩暈的な感じが午後にしたので
ドリンクを飲む。
右肩の凝りや、首を回すとコリコリ音があるので
身体をほぐす。


同僚の悩みがあり
それを解決するべく
上司と話す。
たまたま上司がこちらに来たので
そのことについて話すことができ、よかった。
これが明日とかに延ばすと
彼女は今夜眠れなくなるかもしれない、と言っていた。
久々に上司のジョークを聞いて
彼女も私もスッキリ。
明日1日を頑張ろうと思った。
そのために夜は勉強したいが
今夜は山Pだ。
裏の番組は亀山、もとい、寺脇さんのドラマ。
夫はドラマを観たいと言うので
私は食堂で観なければならないのか。
そのあとに勉強。
だから、今から風呂に入っておこうかと思っている。
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(1/20)Flash and The Pan - Hey St Peter (1977...

2010年01月20日 23時30分35秒 | 名曲
Flash and The Pan - Hey St Peter #1977#


久しぶりに、私の大好きな
フラッシュ&ザ・パンの名が登場したので
ここで
彼らを好きになったきっかけの曲を。
70年代も終わるころの名曲です。

彼らは、全然メジャーじゃないけれど(未だに人気があるとか、程遠い)
根強いファンが世界中にいます。
動画を観て回ると
一週間前とか10日前とかのコメントがたくさんついています。

名曲の紹介として
ブログを始めたころに一度取り上げているのですが
動画をUPできるようになっても
載せなかったのは
動画がなんだかふざけた感じで。
音源だけのものを捜したけれど、無し。

このflash and the panて
当時は顔も知らない、クレジットもよくわからない、
(そもそも私、あまりクレジットにこだわらないから情報も持っていなかった)
自分にとっては神秘的な天才の二人、というイメージを持っていたのです。
アルバム全ての曲が素晴しい。
彼ら独自の世界なのです。
よほど、音楽が好きなんだなあ、金儲けは後なんだなあくらいにしか
思っていなかった。
そして顔を出しての動画を観ていると、ちょっと
イメージが違っていて・・・

でも音楽は本当にどれを聴いても
素晴しいんですよ。
まずはこの衝撃の曲を聴いてください。
間奏がノル、ノル。
レコードとして出たときは、こればかり聴いていました。
また、書きますが、
今でも根強いファン世界にいる、新しいファンが増えている、ということ。
天才は、世代を越えて
訴えるね。
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(1/20)相棒、面白かった

2010年01月20日 23時10分03秒 | ドラマ
今日は
眩暈のほう、大丈夫だった。
食欲がない、とか
鼻水が出るとかはないので
風邪の心配はなさそうだ。
昨日の不調は年に1回くらいあるようだ。

今日は大寒。
一番寒い日となる。
しかし実際は暖かい。
カエルが気になったので
夕方、明るいうちに巣穴を覗いてみる。
1匹、奥のほうで
目をパッチリ開けて、口をモグモグさせていた。
何か昆虫の足のようなものが見えたけれど
錯覚だろうか。
でも口も動いていたから何か獲物を食べていたのか。
外には出てこなかったのでよかった。
あくまでも今日は特別暖かかっただけ。
カエルが冬眠から覚める時季には遠い。


夫が遅く帰宅。
遅いといっても、うちの場合は
8時半ごろは遅い時刻。
食事を先に済ませようかと思ったが
しばらく待つことにした。
9時から
相棒があるので。
最近は面白くない、と書いていたが
今日のは面白かった。

監察官の大河内が主役のようだった。
カッコよかったよ。
やはり、警察内部の事件て面白い。
ここまで書いていいのと思うくらいのものをやってほしい。
そうか、あんなマル秘の資料もあるのか。
警察の人たちのマチ金の借金か。
そんなものまで調べるんだね。

ミッチーさんが新しく来てから
他のこれまでの方々がすっかり影が薄くなってしまったので
狭い世界でしか(右京さんと神戸さんだけの)やっていないように見えていたのかも。
前はもっと他の出演者の個性が出ていたようだったしね。
警視庁と警察庁の対立、もっとやってほしい。
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(1/19)コードブルー2 こういうこともあり

2010年01月19日 17時04分22秒 | 山Pドラマ
今日は休みでよかった。
朝から体調が悪い。
特に寝不足とか疲労とか思い当たる節はないのだが
眩暈がしたなあ。
普通に起きて
朝のあれこれをしたあとに横になった。
少しでも眠れば
好転するかと思ったが
よく眠れなかった。
午後に買い物に行き
ある1つのことを解決してきた。
しかし、根本的な解決とは言えず
新たな悩みが続くだけである。

帰宅してから
遅い洗濯をした。
黒ニンニクの力というドリンクを飲んだ。
一時凌ぎである。
風邪なのかなあ、とも疑ってみる。
今日はいつもより暖かいはずなのに
肩や手が冷えている。
一向に温まらない。



昨日の夜は
コードブルーだった。
ずいぶん、暗い内容だったね。
失敗の連続である。
失敗というレベルのものじゃない。
でも、これが現実だということだね。
現実ならもっともっと
つらい場面があるだろうな。
ドラマだから
どこかに救いがあってほしいと思っている。
これが続くと見ているほうも暗くなる。
そして何かが足りないと思ったが
それは
山P、いや藍沢先生のドクターヘリに乗り込むところだ。
今回は
藤川先生(浅利君)が乗り込んで現地で治療。
そのときに藍沢先生が電話で指示する。
結局、その治療の甲斐も無く亡くなったのだが
その藤川先生の苦悩の姿がよく描かれていた。
藤川先生が、その前に
「初めて褒められた・・」と言っていた姿にホロリときた。
昨日もいろいろな患者の場面が多かったが
集中して見る事ができた。
散漫になりそうで、散漫になっていなかった。
来週は、治療の成功で患者が救われる場面が多くあってほしい。

今週は
木曜あたりに
山Pが嵐とバラエティに出るとのこと。
以前の、あのポールをガッチリつかんでカッコよかった彼を
見られるのかな。

さあ、明日から連続仕事。
体調よ、良くなれ。
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(1/17)地震の体験

2010年01月17日 09時26分41秒 | Weblog
今日は阪神・淡路大震災から15年の日である。
若い人から見れば
15年前のあの地震は昔の出来事としか見えないかもしれないが
私たち年を取ったものからすれば
ついこの間のことのように覚えている。
関西から遠く離れたこの我が町の人間ですら
衝撃的な出来事だった。
あの日は朝に
関西で地震発生、ぐらいにしか受け止めていなかった。
ネットなんてなかったころ(あったのかもしれないが全然、家庭に普及していず)
情報は朝のワイドショーくらいのものだった。
普通に職場に行き
職場のテレビで被害報告が次々となされ
段々、それは今までにないくらいの地震だとわかってきた。
私は1時間ごとに、若い子たちに
「現在地震死亡者○○名」と報告していった。
そのうち5000名を越えた数字を知ると
なぜに、この近代的な日本でこんなに死亡者が出るのか、と
信じられない思いだった。
直下型の地震は、段々大きくなる、という余白がない。
いきなり、ドーンと来る。
しかも寝ているときである。
(寝ている時刻だったからこそ、被害はあれだけで済んだ、という説もあろう。
起床してどの家も火を使う時間帯だったら〔冬だからストーブもつけるし〕もっと
被害が大きかったかもしれないし、人々が街に繰り出し、交通の機関も活発な
頃だったら、また別な被害の出方もあったろう。いずれにしても人々がまだ動き出さない
時間帯でさえ、あの甚大な被害があったのだから、想像を超えた大きなものだった)

あの日から一斉にテレビは被害の報告、現場ルポ一色だった。
私も記録を取っておきたいために
臨時で出た各新聞社出版社の本、冊子を買い集めた。
倒壊のビル、家のほか、焼け野原になった街の様子等、証言などが
記載されている。



私の住む町は地震の多い地域である。
ここ数年のうちに大規模な地震が来ることは
以前から言われている。
私はこれまで大きな地震は北海道にいたときに1回
こちらに来て1回ある。
その後も何度か見舞われているが
体感した恐ろしさは2回。
特に宮城県沖地震のあの地鳴りはまだ覚えている。
両親が
田舎の田圃を造成した新興住宅地に家を建てて2ヶ月ほどしてからである。
両親はその日
地元の中心街にあるうちの店で仕事をしていた。
私はそのとき2階の自分のベッドで夕寝をしていた。
自宅に1人である。
遠い海の底で地震発生すると、いきなりドーンとは来ない。
最初の揺れで、あ、地震だと認識して
たいていはガタガタッと大きくなって収まっていく。
しかしそのときは違った。
段々音と揺れが大きくなっていき
目の前のものがまともに見られなくなった。
目の前でステレオが倒れ、ターンテーブルが飛び出し
これは倒壊するのでは、と初めて気付いたときに慌てて
階段を下り、外に飛び出した。
そのときは助かろうとしか思っていなかった。
一番揺れが大きかったときに外に出た。
近所の子供たちが泣き喚いていて
私は子どもたちと抱き合っていた。
空気が熱するような異常な感覚だった。
実際そうだったのかもしれない。
地球規模の地面の揺れで、地面から沸きあがってくるような
ムーンとする熱気を感じとっていた。
茫然自失。
恐ろしかった。
家の中に入ると、タンスは全部倒れ、テレビも吹っ飛び
食器棚も倒れて食器が全部飛び出て粉々になっていた。
両親の部屋のタンスは倒れたとき、ベッドの角に突き刺さっていた。

そのあと
一人でその粉々になった食器やガラスを片付け始めた。
夕刻である。
そのうち暗くなり、停電で何も見えない。
近所の人が心配して、うちに来て懐中電灯などで照らして
手伝ってくれた。
そして心細いであろうと、その近所の人の家にお世話になった。
両親が帰宅したのは夜中である。
車で帰ってくるにも、信号がダメになっていて
混雑の中帰宅した。
そして家の中の悲惨な有様を見て
母は泣いた。
両親も同じ市内で体験しているのだが、
地盤がこちらのと違って固いせいか、
店の食器が少し崩れたくらいだった。
中心街だったので、電気の復帰も早かった。
そんな気持ちで帰宅したものだから
自宅の悲惨な状態にショックを受けていた。
彼らにしてみれば
家を新築したばかり、家具も一新したものばかり。
それらが倒れて、突き刺さっているのを見れば
泣けてくるだろう。
翌日、明るいところで見た食器ガラスの山を見て
父は嘆いた。
そしてこれを片付けた私に
「よく、一人で片付けたなあ・・・」とつぶやいた。
もちろん近所の人たちの協力もあった。
田舎のほうだから、電気、ガスなどの復旧は遅れて
その後も真っ暗な部屋で過ごした。
家の周りを見たが、どこも亀裂が入っていなかった。
奇跡である。
後にこれが、両親のテレビ出演となる。

周囲の家はどうであったか。
新興住宅地であるため、まだまばらにしか
家が建っていなかった。
新築中の家が倒壊していた。
どんな思いでいるだろう、と思った。
田圃の造成なので地盤はまだ緩く安定していなかった。
そのため、悲惨な状況の家が多かった。
別な地域では、古くからの家やビルが倒壊し
ブロック塀があちこちで倒壊して死亡者がそれで多かった。
うちはまだ新築だったから塀も作っていなかったかと思う。
この地震で、いろんな点を見直された。
建築基準法やブロック塀の鉄筋の強化など。

当時
夫とまだ知り合っていなかった。
知り合ってから夫にあの地震のとき家はどうなったかと
尋ねた。
夫の家は戦後建てて何十年と経ったボロ家だったので
どうだったのかと。
しかし、家は街の中心部にある。
地盤が固いそうだ。
いくらかの被害はあったようだが、うちのような被害にはならなかった。
それでも、夫の部屋はレコードの重みで歪んだそうだ。
それを父親がジャッキで持ち上げて直したとのこと。
父親はこういうところ、ベテランなので近所では重宝がられていた。
夫の部屋(寝る所は別)は
もともと玄関があったところでそれを改築して
三畳ほどの狭いところにレコードが何千枚とあった。
レコードそのものの歪みを心配したらしく、歪みを矯正する器械も
あり、知り合ってから私のレコードの歪みも矯正してもらった。

先ほど
両親がテレビ出演と書いたが
家はある大手の会社の建築だった。
店にその会社の人たちが来ていた縁でそこの家を建てた。
あの地震で家の中のものは壊れたが
家そのものに全く損壊した部分がなく、父は絶賛していた。
そしてあるワイドショーのスポンサーだったその会社で
地震に強かった家として紹介され
両親は上京した。
生出演。
当時はビデオなんて家にない時代。
私は放送を観られなかったが、テレビ局でちゃんと録画してくれた。
あとで父に自慢のように見せられた。
大きな写真も送られ、ワイドショーの司会者とともに
写っているのを今でも飾っている。
ついこの間も眺めてきたばかりだ。
母は緊張していた。
あの家で大変な揺れを経験したのはこの私。
余談だが
私は後に、この会社に採用された。
私の与り知らぬところでの話。
しかし、大卒ということで、容赦なく会社は
宿題を出して、家の設計を書くようにと言われた。
私、文系卒である。
秘書あたりのつもりでいた。
そして私には別な目的があった。
結局、その会社の門をくぐることなく、
私と母が、辞退の謝りに行った。
そのときの上司の言葉
「何か不都合がありましたか。」の言葉に
感激した。
不都合、という言葉が非常に心地よかった。
なんにでも使える、と思った。
爾来、よくこの言葉を使うようになった私だ。
あのときの上司の鷹揚な対処に感謝している。
そのあとも皆、店に来てくれている。
上司というのはこうでなければならない、と思っている。


さて、私と夫は家を建てた。
夫の父が20歳で建てた戦後の家を取り壊して。
費用は全部私たちで出しているので
設計やメーカーの決め事は私たち。
地震のことを心配してのメーカー選び。
私の両親はもちろんあのメーカーを薦めたが
私たちは同じ工法である別なメーカーにした。
こちらの自由なわがままな設計に熱心だったからである。
別なところは途中で向こうから降りた。
特に夫のオーディオにはこだわりを持った。
CDに切り替わっていく時代である。
そのCDの重みに耐えられる設計、棚も作りつけで
棚自身が倒れないように。
しかし今、CDが増えすぎて作りつけの棚では間に合わなくなり
別に大きなものを買った。
それがもし大きな地震が来たときに倒れる可能性が大。
その下で寝ている私は下敷きになる可能性あり。
この家になってまだ大きな地震は来ていない。
小さな地震はよくある。
そのたびに、ネコたちはビクッとする。
トチなんか、敏感だ。
地震のときはネコのことが一番心配だ。
私たちの
地震のときの課題である。
忘れそうだが、そろそろシミュレーションしておかねば。

長い文章、ごめん。



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(1/16)ねこぱんち 今月号 おはぎと大福終了

2010年01月16日 18時11分57秒 | まねきねこ不動産
ネコ漫画
「ねこぱんち」が届いた。
今月号は、夫がアマゾンから本を
購入するので私もそれに便乗した。

空乃さかなさんの
「まねきねこ不動産」は今回は
これまでの男の方の登場人物が多い。
相変わらずクリ太は可愛らしい顔で
背中に届け物をしょって働いている。
不動産の近所の
仙台弁ベタベタな家主たちの登場が
少なくなっている。



このねこぱんちの中で
私の一押しが
言うまでも無く
クリ太、まつりちゃんの
「まねこねこ不動産」。

次に押したいのが
永尾まるさんの猫絵十兵衛
これはたまに泣ける。
そして
臼倉若菜さんの
おはぎと大福。
そのほかにも楽しみにしている
漫画いっぱいある。

さて
その臼倉さんの
おはぎと大福が今月号で最終回になった。
彼女の飼い猫の
プーという猫が20歳で
このごろ痩せてきていろいろと心配ごとが
重なっているようだ。
臼倉さんがネットで検索するのも
死を迎えるためのあれこれになってくる。
20歳といえば
猫にとっては高齢もいいとこ、長寿である。
うちの猫も20歳で亡くなったのが2年前。
これを乗り越えれば
21歳、22歳と過ごせそうだが。

余韻を残して今月号で終了した。
残念である。
ねこぱんちを読み始めてからずっと
連載されていたのに。
固定のファンもいただろうに。
やはり
漫画だから「死」を描くまでは
避けたいところなのだろう。
これまでも
飼い猫の死まで扱ったものが終了したのがある。
飼い主的にもつらいだろうな、それを
悲しい、悲しいとできないところが。


ねこぱんちは
自分の猫を題材にしたものは少ない。
ほとんど創作であり
登場する猫も架空である。
そのほうが書き手もいろいろと
夢を描けるし
終わりのないストーリーを展開できるので
安心かもしれない。
クリ太も想像上のネコ。

臼倉さんのプー、これからも長生きして
また何かの形で
再開できるようになってほしい。
がんばれ。
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(1/15)ドラマ2本 亀ちゃんとか

2010年01月15日 23時02分43秒 | ドラマ
ドラマを立て続けに2本。
1つ目は
北村一輝のドラマ。
観続けるかは微妙。
ドロドロとしたものは今観たくない。
次に亀ちゃんのを。
でも途中で換えてしまったね。
夫がDVDを観出した。
亀ちゃんのは
あの髪の長いホラー的な女の子が出てきて
ノブタを思い出してしまった。
どうして私
ノブタを観続けたのだろう。
当時は誰も贔屓のスターはいなかったのに。
このドラマで
山Pや亀ちゃんのことを知ったようなものなのに。



鼻がつらい。
もしかして花粉症の人の症状はこういう症状なのかしら。
私のは右側だけがダラダラと流れて
それでいて鼻をかんでもスッキリしない。
とうとう鼻炎の薬を飲んでみたが一向によくならない。
何枚ティッシュを使っただろう。
風邪なら
もうそろそろ悪寒とか発熱とか喉の痛みとか
症状が出そうなものだが
そういう気配はない。
右側の鼻だけ異状なのである。

今夜はちょっと固い本を読みながら寝ることにする。
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(1/15)積もり貯金のつもり

2010年01月15日 13時56分08秒 | Weblog
今週の仕事が終わる。
正月明けから2週間だが
私は正味4日間しか仕事をしていない。
何だか申し訳ない。
来週は正規の時間通りあるので
しっかりやらねば。

今朝は寝坊した。
5時半の目覚ましで起きたのだが
まだ寒くて6時ごろ起きようとちょっと寝たつもりが
6時45分だった。
夫が起きていた。
あわてて
夫の朝食、自分の弁当作り。
そのあとに
ネコたちのごはん。
自分の弁当は
今年はできるだけ弁当を作って食べようと思い。
仕事は午前で終わるので
帰宅してから弁当を食べる。
これまで
昼食は、毎日のようにコンビニでパンとかスパゲッティとか
あんまんとか買ってきては
帰宅してそれらを食べていた。
必ずといっていいほど、他に甘いものなどを買うので
お金も嵩むし、血圧の問題もあるので
弁当を作って自宅で食べるということにしようと
思い始めた。
前からその気持ちはあるのだが
楽なほうに流れやすい自分は実行できずにいた。
昨日のうちに
夕食のおかずを残して弁当に入れようと取っておいた。
あとは卵焼きとかソーセージを焼くとか
朝にして。
明日もそうする。
土曜日で休みだけれど、昼食をそのようにしよう。
私は昼には麺類を食べるというのはあまりない。
お腹が心配なので。
いつまで続くかわからないけれど
昔は、朝早くても弁当は持っていったのだから
今なんて、時間に余裕があるのだから
甘えていられない。
海苔弁が懐かしかった。これ、好きなのよね。
海苔巻きはあまり好きではないけれど
ごはんに海苔を載せて醤油をかけて味の素もかけて
時間が経ったのを食べるのが好き。
夫は逆にそれが嫌い。
弁当そのものが嫌い。
どんなに好物でも、時間の経ったものはダメなんだって。
保温の弁当も、蓋を開けたときの臭いがダメなんだって。
アホクサ。


今日も寒いね。
朝、雨戸を開けようとしたら
内側のガラス戸が開かない。
結露の水滴が凍って開かなくなっている。
前に無理して開けたら、窓ガラスにヒビが入ってしまった。
雨戸はこういうとき閉めなければいいのだが
夫はこういうところ、神経質だからね。
その寒さのせいか
あるいは昨日の夜の祭りの冷えのせいか
右側の鼻の通りが悪く、鼻水がダラダラ出てくる。
おまけにクシャミも。
今朝から仕事中もずっとこの調子。
口で呼吸ですよ。

今日の夜のドラマは
亀ちゃん(こっちの亀ちゃんは文字通り亀ちゃん、修二ですよ)のドラマ。
一応観てみよう。
手越君も出るしね。
内君も出るんだ。内君ね・・・

あ、そうだ、お弁当を作った日は
積もり貯金をするって決めたんだ。
コンビニで弁当の類を買ったら、これだけ掛かっているはずだから
その分、チャリ~ンと貯金箱に入れる。
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(1/14)ドラマ 853-加茂伸之介を観る

2010年01月14日 21時10分06秒 | ドラマ
今日から
亀ちゃん、いや寺脇さんのドラマ。
それを観終わる。
面白かった。

相棒から亀ちゃんがはずれて
(その理由の真相はわからないけれど)
同じテレビ局から
寺脇さんのドラマが始まるということで
夫と楽しみに観た。

夫はこのごろ
相棒が
頭でっかちになって面白くない、と言っている。
私も
相棒の途中から席を立ったりしている。
前なら、どんでん返しがあるかもしれないと思い
最後まで観ていたけれどね。
どうもミッチーさんとのコンビは
今一つなんだよね、自分としては。
悪くはないのよ。


台詞が面白い。
菅原大吉さん(この方、宮城県出身)がキャラクターが
立っていてよかったね。
これから加茂刑事(寺脇さん)と良いコンビになりそう。
最後のバーでのマスターも面白くて
これからも出てきそう。
夫と笑いながら観た。

監督は橋本一さん。
相棒の監督もやっていたし
何といっても
山Pの「白虎隊」の監督でもあります。
音楽も
相棒の池頼広さん(ノブタの時の音楽も担当したよ)

相棒や山Pに関連する方たちで
親しみを持って観る事ができた。
これからも観ることにしよう。
テレ朝は
シリーズ化をしてくれるのが多いのでね。

そして今
ドラゴン桜の外伝として
長谷川京子のドラマを夫が笑いながら観ている。
ガッキーも出ているね。
なんだか
山P関連の人たちのオンパレードです。
山Pって凄いね。
いろんな方たちとつながりがあって。



今日は瞑想の日でした。
寒くて一日中、ストーブつけっぱなし。
夜食事前にどんと祭に松飾りを奉納しに。
1つだけ持っていくのを忘れた。
タヌたちに飾っておいた小さな飾り。
来年まで取っておかなくては。
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(1/13)明日は寒波?

2010年01月13日 20時39分56秒 | Weblog
明日が休みだったとは。
今日職場に行って聞かされた。
よかったと言うべきか。
正月明け、まだ3日しか仕事をしていない。
そうこうしているうちに
明日は
正月の飾りを奉納焼きしてくる日である。
本州の南側や九州、日本海側など
雪が降ったりして寒いようだが
こちら東北の太平洋側は雪になっていない。
寒い風は吹いていたが。
明日の夜は寒いかもしれない。
雪のないお祭りの夜かもしれない。
夫の溜めた古いお守りも奉納してこよう。


昨日の母の後姿が焼きついていて
仕事をしているときも
突然浮かぶ。

母は私の名を忘れている。
父が母に
「名前を言ってごらん。」と言っても
出てこない。
でも、娘である認識はしている。
話も通じる。
昔のことばかり思い出しては話すけれど。

古新聞を持っていきたいと私が言うと
家の裏の物置場にあるから、と
母とともに外に出た。
5キロぐらいの塊になったものが4つほどあった。
それを1つ1つ私が運ぼうと思ったら
母が手伝う。
重いものを持って運ぶ後姿は
足を引きずって体勢が不自然だった。
ふらつきながら運んでいた。
それを見て
私は
「いいよ、いいよ。私が運ぶから。」と言った。
母は
脳梗塞で倒れたあと、身体のリハビリもしたんだ。
その後遺症的な姿が目に焼きついてしまった。

この1年以上のブランクを
私よ、嘆くな、嘆くな。
責めるな、自分を。
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