僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

良いお天気。でも・・・

2007年01月31日 10時16分35秒 | Weblog
おはよう。
また今日も朝に
朝焼けを見、
今は青空が広がり
陽射しも強くなり
とても
1月末冬全盛とは
思えない暖かさ。

洗濯日和です。
掃除機をかけながら
2回目の洗濯を終えようと
しています。

今日はクリーニングへ。
いつもより5パーセント引きの日。
その後出かけてきます。

トモと
シンノスケが
廊下、洗面所、風呂場と
ウロウロしています。
いいコンビ。
まだまだ小さいトモ。
もちろん
拾った当時より大きくなって
いろんな所に上れるように
なっていますが
身体はシンノスケより
ちっさい。
シンちゃんが
トモのことを愛しているようで
追いかけ付いて回っています。



このところ
山下君について
全く触れていないこのブログ。
う~ん
いろいろ思うことはあるんですけどね。

書いていないなあ。
仲間の所にも
ここ一週間以上
行っていない。
いつも朝の挨拶に行っているのに。

ドラマのこともまだ
本当のところが見えていないし
ほぼ決定であっても
どうもそれに期待する気持ちが
湧いてこない。
複雑な方ですね、ここずっと。

本当にあの曜日のドラマに
出ていいものか、と
考えてしまって。

寡作でもいいから
印象に残るようなドラマに
出てほしい、と思っている
自分ですから

亀ちゃんのようなことに
なってもらいたくない。

身の丈に合うとか
彼自身納得したものとか
脚本が彼と一致しているとか

でも
仕事ですから
やらなければならないんですよね。

亀ちゃんとの野ブタ
あれは
亀ちゃんも修二として
ピッタリ合致していたし
山下君も
彰という人間がそのまま
乗り移ったように思えたし

ホラホラ
このような言葉を
並べてしまうから

今避けているんですよ。

あとはドラマが決定して
始まってからの感想でいいかな、と。

今から
ワクワクして待っていても
それが
正反対のものになったら、と
それを考えてしまう。

だから
決定までやはり触れないでおこう。
とは言っても
もう今週中に決定かなあ。

コンサートについても
白紙の自分ですからね。

シマトラの鼻、乾燥。

2007年01月31日 00時03分51秒 | ネコ
明日、シマトラの薬を
取りに行きたい。

やらなければならないことが
また1つ2つと
積み上げられていく。

また迷って迷って
何もできない自分かな。

シマトラの鼻が乾燥して
つまっているんだ。

クシャミをすれば
飛ばしてでも
スッキリするのだが
空気も乾燥しているし
コタツを利用し始めてから
クシャミが出ない分
鼻水がカラカラに乾燥してしまう。
苦しそうだ。

病院に行けるかなあ、明日。
行けるでしょ、でも遠い、遠すぎる。

テンプレの選択。

2007年01月30日 23時22分07秒 | Weblog
なかなか
テンプレートが決まらない。
さっきから
何種類ものテンプレを
交換して眺めている。

もう2月になるので
少し暦上の春を
匂わせるテンプレを
探しているのだが。

これでいいだろうか。
結構人気があるテンプレだね。

私の選択の基準は

文字の大きさと
バックの色が薄いもの。

白地がいいかな、と思ったのだが
文字の大きさと文字の色が今ひとつ。

文字の大きいものは
見やすいものもあれば
行間が狭くなって
かえって読みにくいものもあった。

とりあえず
これを選んでみた。
どうでしょう。

梅にうぐいすですね。
2月にふさわしいかと。

暖かい冬。

2007年01月30日 18時02分21秒 | Weblog
5時過ぎに帰宅した。
外、すごく暖かい。
これっていいことなんだろうか。
生活していくうえでは
暖房費が節約になるとか
寒くなくて身体を動かすことが
スムーズだとか
利点はあるけれど

もっと地球的規模とか
季節のもたらす利点とかを
考えれば
やはり
暖かさ続きは
良くないのでは。

季節の時計が狂っていく。
まず雪が降らない。

冬に蓄えておくべき
雪(雨量)というのも
あるだろう。

雨の降らない冬に
雪は必要だろう。

雪解け水が山々に浸み込み
ダムに貯水され
それなりの働きがあると思う。

豪雪地方は困りものかもしれないが
それでも雪のもたらす産業だって
ある。

自然は自然に任せておくしかないか。
何を言ったって降らないものは降らないもの。

うちのカエルたちが心配だ。
まちがって
冬眠から醒めて出てこないだろうかって。

冬が暖かい。
これって異常だよ。

寒くならないうちに
2月が来る。
立春間近。

前向きにどうぞ進んでください、君。

2007年01月30日 10時15分41秒 | Weblog
まもなく
出かけてくる。
心配なことも
一歩進みそうだ。

いかに
自分が人との
コミュニケーションを
避けているか
避けようとしているか

猛省される日々だった。

もっと
素直に
人を信じるべきじゃないか
トモロッシさん。

単純な面もある。
複雑な面もある。
私の得意の
二面性だろう、それ。

今の心境は
単純という方か。

前向きという言葉を
あまり使わない人間だが
今日は
自分に
使ってみよう。

前向きに
進んでごらん、トモロッシさん。

訳わからない文章ごめん。
自分への覚書、鼓舞。

高橋ジョージ、NSP「さようなら」をもう一度。

2007年01月30日 09時03分38秒 | 名曲
おはよう。
今朝はです。
気温が低かったせいか
地面は真っ白の霜。
ゴミ出しをしに行ったときは
空気がピリッとしていました。
でも、まだ何か酷寒のイメージと
ほど遠い。
北国は雪だという。


昨日は
堂本兄弟の
例の演奏のことで
ブログ巡り。

やはり
私と同じように
感動して
泣いていた人が多かったようで。

本当に
感動したもんね。
歌を聴いて
涙を流すということって
ありそうで
あまり
ないような気がする。

今流行っている歌は
私の中に
皆無と言っていいほど
ストンと入ってこない。
いいなあと思う歌が
たとい
あったとしても
すぐにそれがどの歌だとか
指摘できないし
涙を流すということもない。

先日の
「さようなら」は
古い曲。
もう
一部のファンの間でしか
覚えられていない曲。
一般の人たちには
忘れ去られていた曲。
よく音楽番組で
思い出の曲とか、カラオケで
よく歌われる曲とか
テーマを決めて
選曲されるけれど
私の見た限りのそれらの
中で
この「さようなら」の
記憶がない。
私自身忘れていた。

しかし
この間
高橋ジョージさんと
NSPの2人のメンバーと
堂本兄弟のセッションで
よみがえった
「さようなら」

もう、名曲中の名曲に
なりましたね。

音楽を聴いて
ボロボロ涙を
流すなんて
何年ぶりでしょう。

自分の思い入れの強い
アーティストでなかった

というところが
衝撃なんですよ。

ストーンズのコンサートで
そりゃ
大好きだった歌が
歌われれば
泣きますよ。

でもそれとまた
違うんですね。

本当に心に
染みとおる歌だったんですね。

同世代の人に
その感動を伝えたんですよ。
観ていなかったので。
すると

観たかった、ぜひ観たかった
と言ってくれたんですね。
その人も
ロック一筋の人ですよ。
誰か
録画した人から
DVDに落として
もらえ、って
言われています。

録画していなかったことが
悔やまれる、と
何万回も言いたい。
すっかり
幻の名曲になってしまった。

なるべく
多くの方々に
聴いていただきたいと
いう思いは
変わらない。

もう一度
歌ってほしい。
切に願っている。

崖っぷち犬、リンリンと名づけられ飼い主の所へ。

2007年01月29日 11時29分21秒 | Weblog
おはよう。
今日はちょっと寒いかな。
でも例年よりは気温は高いのは
ここずっと。

昨日のニュース、今朝のワイドショーで

崖っぷち犬の飼い主が決まった

と放映されていた。

待ちに待った
飼い主決定の日。

あの一連の映像を見て
気になっていた人たくさんいたと思う。

そして
昨年末
ぜひその犬を引き取りたいという
声が全国から届き
100件以上の問い合わせがあった
というのも
温かい気持ちになれた。

あれから数ヶ月の期間
ちょっと長いなあと思いつつ
でも、野犬だったから
人に慣れる訓練としては必要期間だと
思って
ようやく
昨日譲渡の日になった。

ところが
実際そこに来たのは
11人だという。

厳しい審査チェックが入ったのだと
思った。

野犬を、飼い犬として飼うことは
非常に大変な気がするので
そういう審査は不可欠だと思った。

しかし。
抽選で当たった人は
動物を飼うのは初めてだという人。

エーッ大丈夫?と
思ったのは私だけだろうか。

犬を飼っている人は
私以上にその気持ちになったのではないだろうか。

せっかくせっかく
命拾いした、有名犬である。

犬を扱ったことのない人が
大丈夫?と思ったのは

杞憂?

もちろん
新しい飼い主のために
人間に慣れるように
置いた長い期間だから

その辺は信じるしかないね。

保健所の人たちも
素人ではないから
大丈夫だと
太鼓判を押して
昨日の譲渡日になったのであろう、と
思うことにした。

リンリンという
かわいい名前を付けてもらったあの犬。
頑張れよ、リンリン、飼い主さん。

全国の注目の的になっているので
責任と愛情をいっぱい降り注がれて
人間を信じる優しい犬になってほしい。

あんなにたくさんの人たちに
助けられたのだから
きっと
人間は怖くはないと
思ってくれているよね。



うちにも
ノラ4年のネコの
タヌを
飼いならすために
ずいぶん苦労した。
今では
ブラッシングされるのを
待つような愛らしいしぐさを
してくれるネコになったが

保護したときは
私もタヌも傷だらけの格闘。

でも今は
だっこもできるし
じゃれることもできる。

愛情をわかってくれたタヌ。
きっと
リンリンも
長い年月がかかるかもしれないけれど
飼い主一家の愛情が伝わっていくよね。
そう祈ろう。

堂本兄弟にメール。

2007年01月29日 01時54分54秒 | Weblog

堂本兄弟のHPと
NSPの公式ファンクラブの
方に
メールを送ってきた。

感動したことは相手に伝えたほうがよい。

それと
録画をしていなかったことが悔やまれるので
もう一度
あの演奏を聴けるところを
模索中。

1つは
とくダネ。
小倉さんは音楽全般に関心があり
精通しているし
よくいろんなジャンルの方の生演奏や
来日外国アーティストの演奏を
番組内でやってくれるので
きちんとリクエストをすれば
取り上げてくれるかもしれない。

ダメ元で書いてみることにした。

ウタワラ最終回。

2007年01月29日 00時25分05秒 | 山P
堂本兄弟のことを
先に書いてしまったが

ウタワラ

最終回だった。

最後がしんみりした終わり方だったなあ。

田中君が
山Pのことについて触れてくれて

田中君のお母さんが山Pのことを
好きで、好きな色を直接聞いて喜んで
いたことを話してくれた。
嬉しかった。

でも・・・
やっぱり、終わるというのは
寂しいかも。

修二と彰
として
青春アミーゴを
歌った一昨年の秋

あれは保存版だよ。

カトゥーン、頑張れ。
これからまだまだまだまだまだ
先は長い。

ドラマに歌にバラエティに
頑張れ。

亀ちゃん、目覚めなさい。
もう一度輝け。

高橋ジョージ、NSPの「さようなら」を熱唱堂本兄弟。

2007年01月29日 00時15分24秒 | 名曲
うわあああ

またも偶然に
涙の出る音楽を聴いてしまった。

たまたま
フジテレビの
堂本兄弟をつけたら

東北出身のミュージシャンというのを
やっていて

岩手県出身の

N・S・P
の歌を

高橋ジョージさんが
歌っていた。

さようなら

なんと、なんと
哀しい歌。
そして懐かしい、忘れていた歌。

グループの中心だった
天野滋さんがついこの間亡くなり
当時のメンバーだったほかの2人が
特別ゲストとして
いっしょに歌い演奏してくれた。

ジョージさんは涙を流して歌っていたね。
もう歌いこんでいるような
魂の篭った歌だった。

どんなにロッカーであろうと
若い時代に
知った曲は
もう染み付いているんだね。

感動した。
そして録画していなかったことが
悔やまれる。

もう一度歌ってほしいよ。
よかったよ、いつも
この番組では
他の人の歌を歌っても
カラオケにしか聞こえない余興の
ように
思っていたから

今回のは
本当に良かった!!

すぐにリクエストしよう。

もう忘れていた曲だった。
埋もれていた曲だった。

高校時代の友人が
NSP、いいよ、と
言っていたのを思い出した。

「夕暮れ時は寂しそう」なんていう
曲もあったっけ。

たまにこうして
名曲を
歌のうまい
魂の歌のように歌ってくれるのを
聴くと
ホッとする。
年を取ったもんだね、私も。

ランダムブログの出会い。

2007年01月28日 09時53分56秒 | Weblog
おはよう。
とうとう昨日は
一言も書かず
更新せず
1日空けてしまった。

どんな心であろうとも
一言二言書いて
「更新する。」と
閉めるのに。

ほとんど
寝てばかりいた。
寝て起きては
確かに
PCの前に座っていたが

自分のブログを開かずに

また
ランダムブログを
やっていた。

そして
とある
ブログに立ち止まって
そこに
ずーっと居座っていた。

そして
今日もそこに行っている。

中断してここ。

のちほど
そこのブログについて
紹介したい。

私は
思うところがあれば
感動することがあれば
書かずにはいられないので
きっと
その方のブログについても
触れることがあるだろう。

Pちゃんとは全く関係ないんだ。

私の興味の対象も
ネコや音楽、バイク
世の中の動きなど
いろいろあるので

ランダムブログをやっている時
そのブログに出会うと
ずっと過去にさかのぼって
読んでしまう。

昨日も
何十件というランダムブログを
やって
本当に偶然にも
波長の合うブログに出会うことがある。
久しぶりだ、そういうことって。

息抜きの方法・・・ネコ漫画を見ること。

2007年01月26日 22時47分12秒 | ネコ
息抜きをするほど
忙しい身じゃない自分。

昼寝、夕寝かなあ。

午後2時3時に
まどろんで
夜遅く寝るので
その睡眠を補う時間。

いいですねえ、これが。
その時は

猫の漫画本を見るようにしている。

和む、和む。

去年夏ぐらいから

猫の漫画誌を買うようになった。
アイドル誌を買うとき
たまたま猫の漫画本があると
わかって
一冊買ってみたのが
病み付き。

すごく種類が多いんですよ。
何種類出ているのかきちんと
把握していないんだけれど
本屋に行くたびに
新しい本が出ているようで。

隔月刊が多く
また表紙も似ているかんじなので
どれを買ったかも定かでないまま
購入する。

お気に入りの漫画家もいるんだよ。
掛け持ちで描いている漫画家がいて
きっとその人たちは
売れっ子なんだと思う。

私は絵がヘタなので
すごく彼女たちが羨ましい。
自分たちの飼っているネコを
日ごろから観察して
本当に
おもしろく
愛らしく描いているんだ。

ネコ好きにはたまらない。

そういう雑誌ってたまったら
廃品回収に出してしまいそうですが
古いのを持ち出して
必ず
昼過ぎ、まどろみながら
読んで
ふんわりした気持ちになって
眠りに落ちる。

息抜きは


昼寝時に読む
ネコ漫画!


自己分析。

2007年01月26日 11時10分28秒 | Weblog
おはよう。
今朝は
青空でありながら
雨がパラついていた。
雪にならず、雨が
申し訳なさそうに
降っていた。

今は
その青空も消えて
一面曇り空。

ゆうべは
3時過ぎに寝て
6時半過ぎに起きる。
 
気分?
なかなか
すぐれず
これから
始まる
嵐の前の静けさのように
家の中に
1人。
ネコたちもこの時刻
眠ってしまった。

でも私が動きだすと
何かもらえると思って
付いてまわる
トモたち。

Pちゃんの情報が
ないので
仲間たちも
昔話や、雑誌の話題などを
しているが
澱んでいる。

彼も今
大学の試験なので
静かに待つしかないね。

大学と仕事の両立。
できないなあ、私には。

こういう面からも
やはり
自分は昔から
甘ちゃんだったんだなあ。

そうそう
昨日ブログ巡りをしていたら
占いの案内に入ったんだ。

自分の誕生日から
占えるもの。

そこで拾ったことは。

昨日は塞ぎこんでいたかと思えば
今日ははしゃぎ、急に黙り込んだりと気まぐれ。
自分より生きていくのが大変そうな人たちに自然に手を貸す。
義務でもなく打算でもなく、困っている人をみると本能的に
反応する。

これは当たっている。

神経過敏。情緒不安定に陥りやすい、ストレス性の病気に注意。
これも当たっていそう。

優柔不断。直感。予知能力。
即答を求める。他人の意見を気にする。

最高のとき。
感受性豊か。純粋明晰なエネルギーの放射。
見かけや現象の裏の本質を見抜く。人に温かい
言葉をかけ、マイナスの感情をプラスで表現する術。
公正な感覚、建設的な方法で正義、真実の実現。

最低のとき。
無口で、神経質なアウトサイダー。この世界に対する
怒りと不満を示す。鋭い目で、あらゆる人やものの欠点を
見つけて批判。あるいは表現を抑圧し口を閉じる。

抜粋だが、当たっているなあと
書いてみた。

ずいぶん前になるのだが
自分の性格を自己分析することがあった。
そこで
私が自己診断したのは
二面性であることを書いた。

表面に出ているものと
潜在しているものは
相反して存在すると。

例えば
果敢と臆病。
これは我ながら的確な診断。

静と動。
これは人間誰しもありそうだ。

明と暗。
これもありそう。しかしその落差に特徴がある。

几帳面とズボラ。
これは仕事上、そうせざるを得ず、本来はズボラな人間。

理性と感情。
どちらが自分には大事なのかいまだにわからない。
劣勢なのは感情なのだけれど、感情は大切。が、しかし
理性は理想的な姿。

軽率と慎重。
これも
どちらかとも言えないし、どちらとも言える。

冷徹と温情。
冷徹な人間に見えるらしい。
温情豊かだと自分は思っている。

などなど、片方を指摘された場合
いや、本当はそうじゃない、と言えるのが
多々ある。

人間の表面に表れる見た目の
印象というのは
時に
本当の姿と遠いことがある。
が真実をわかってくれた後の
絆ができていく過程は
感動的でもある。
そんな場面を
長い人生幾つか体験している。
自分をわかってもらうと同時に
相手のこともわかっていく。
その溶解していく様は
実に感動的だ。
私は
それをペンで表したくなる。
そのためにも
日記にそれらを綴ってきた。
人に語ってきた。


今、陽射しが出てきたよ。
部屋中
南の陽射しで明るくなってくると
心も少し晴れ、
弾んでくる。

頑張れ、私。
頑張りが足りないぞ。
孤独じゃないんだぞ。


自分のこと。

2007年01月26日 02時18分36秒 | Weblog
夜中である。

もう皆寝静まったころに
こうして書こうとしている。
ただの個人の日記じゃないから
どんなに
さらけ出そうとしても
制約がある。

今、私の胸の内は
鉛のように重い。

今日の私は夕方から無口だった。
食事も味気なかった。

私にとって
親の問題というのは
親が死ぬまで
つきまとう。

それは予測していた。
大人になった頃に
親との確執はこれからもあるだろう
死ぬまであるだろうと
予測してきた。

私は
親が死ぬまで
今の小康状態が続いてほしいと
思ってきた。
ここ数年は安定しているからだ。
親が年を取ってきたから
互いの丸みと年齢から来る弱さが
この小康状態を生み出しているのだろうと
思ってきた。

だが、油断していた。

私は昔から
親に甘えるということを
したことがない。

親がそうさせた。

私が今の親の元に
来たのは6歳の時。
7歳の小学校に入学する
前の冬だった。

3、4ヶ月
いっしょに暮らして
小学校に上がると同時に
病院併設のベッドスクールに
入った。
もともとの病気があり、
それの治療のためである。
いわゆるそこは
サナトリウムだった。

自分の病気がどんなものかを
理解するには
あまりに自由な空間、
ただ規則的な食事と規則的な学習と
規則的な安静と
それらの中で
自分は病人だということを
忘れさせた。

ここでの生活の思い出は
鮮明に覚えている。
いつも
自分の精神の原点はここにあると
思ってきた。

そして1年後
また両親と暮らすことになる。

札幌のそのベッドスクールを
退院して

函館へと移った。

養子縁組をして
1年以上経って
そこで両親との生活が始まった。

これを書き出すと
長いね。
長いし、暗い。

その年齢は
微妙な年齢。

もっと1歳とか2歳で
養子縁組をしていれば
私も
彼らも
違った今があるのかもしれない。

彼らを本当の親という
刷り込みがあって
もっと
子供らしい無邪気さとか
甘えとか思慕とか我が儘とか
それらを自然に出せる
子供になっていたのではないかと。

親も
乳飲み子を育てていれば
愛情の持ち方や抱きしめ方や
叱り方も
また違っていたのではないかと。

あの頃の私は
いつもオドオドしていた。
どう彼らに接すればいいのか
加減もわからなかった。
加減。
そんな言葉をすでに
子供時代に覚えていた。

はしゃげば
「図に乗るな。いい気になるな。」
と、叩かれ鼻血を出していた。
親類が集まりにぎやかさの中で
私もはしゃぐと
陰で母は、つねり頬を殴っていた。
母の決まり文句は
「富良野に帰すからな!」
の言葉だった。

「富良野に帰すからな。」
「今頃富良野におまえがいたら、とっくに死んでいる。」

富良野は
私の産みの母親のいた所だ。
そこから
今の両親の所にやってきた。

いつも
両親の機嫌をうかがう
オドオドした自分。

成長しても
それは変わらない。

甘えることをしなくなった
私だ。

いつだったか
このブログの最初の方で
「殺意」という言葉について
書いたことがあった。

私は
大学時代、おそらく
感情まかせに
その気持ちを抱いたに違いない。

小さいときから
言われたそれらの言葉を
投げかけられて
小さいときは
怖くて怖くて悲しくて悲しくて
泣いてばかりいたけれど

中途半端な大人の年齢になって
その言葉を言われたとき
初めて抵抗しようと思った。

いつも
「育ててやっている。」
「病気で死ぬかもしれないおまえを
ここまで大きくしてやった。」
その言葉を聞くたびに

その恩を
恩と思えない私は
恩知らずな人間なのだろうか。

無償の愛とは
なんだろうか。

そのうち
これまで育ててやった
おまえにかかったお金を
返せ、と
言われるような気がした。

さすがにお金を返せ、とは
言わなかったが
それに似た言葉は無数だった。

産みの母は
とうに死んだ。
彼女の生き方も
壮絶だ。
生きている間
心休まることなく
今の年齢にしてはまだまだ
若い年齢で死んだ。

その葬儀に
私は今の母とともに
旭川に行った。

今の母は
棺の中の遺体を前にして
「ホラ、○○ちゃん(私の名)、
 母さんの顔を最期に見てやりなさい。
 なんで、見ないの。見てやりなさい。
 あんたの母さんだよ。」と
言った。

私は号泣した。
亡くなった母への涙じゃない。
その言葉に、混乱した。

大の大人になっても
号泣した。産みの母への思慕など
なかった、もう。
あなたの選択は、まちがっていた、と
言いたかったが
言ってもしょうがない。

では私の本当の父はどうしているのか。

彼は、山梨にいる。
私は彼に
生涯二度しか会っていない。
一度目は、富良野にいたときに
尋ねてきたそうだが、ほとんど記憶にない。
二度目は高校の時。

その父からこのごろ
年に一度くらい
電話が来る。
そのことは
今の両親は知らない。
知れば、また確執の火種になりそうだ。

私は
その父にも愛情を持つとか持たないとかの
感情がない。
それが真実だ。

今の両親との確執は
書ききれないほどにある。

むろん
小学生の自分は
時々
父、母を
慕う時もあった。
それは数少ない。
数少ないから覚えてもいる。





先日立て続けに
私は
自分の部屋にひきこもって
作業をしている、と
ここに書いていた。

それは両親に当てた手紙を
書いていた。
どうしても書かねばならないことがあった。
何回も何回も書き直して
何日も放置して
また書いて
書き上げて直接
両親の店に持っていった。

その結論が。

甘えることはやはり
許されなかったということだ。

バカだなあ。
わかっていたのに。

また1から出直しである。

こうして
こんなことを書いて
心が落ち着いてきた。

いつもここを
覗いてくださる皆さん
ごめんなさい。
こんなブログを書いて。

山Pのことでもない
音楽のことでもない
ネコのことでもない
自分の恥部のようなもの。
でも
自分はこうして
いられるのも
やはり今の両親がいたからだと
思う。
確かに
今の両親のもとに来る前の私は
貧しい母のもとで病気で
治療も受けられない状態だったらしい。
小さいときだから
その自覚がなかった。

ただ
愛情と義務とは
同一に並べてほしかった。

養子縁組を彼らが自ら選択した以上
育てる義務もあるし
なにより本当の親子として
これから生きていく愛情を確立してほしかった。
彼らはいつも
富良野の母をちらつかせ
私を混乱させた。どっちが母として慕うべきなのか、と。
大人になったら、富良野の母の所に帰ることになっているのだろうか、と。

今、2時も過ぎた真夜中なので
こんなことを書いてしまいました。

朝になれば
またいつもの私に戻ります。
ネコと山Pと音楽を愛する私。
そして
孤独ではありません。
おやすみ。