僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(3/31)ザ・テンプターズThe Tempters/神様お願いKamisama Onegai (1968年) 

2019年03月31日 19時10分25秒 | 名曲
ザ・テンプターズThe Tempters/神様お願いKamisama Onegai (1968年) 視聴No.22→No.14


28日だったか、早く寝た私は
ショーケンが亡くなったと、夢心地に夫から聞かされた。
朝起きて、それを忘れていたのだが
ネットを開くと、その報道が載っていた。
そして
「あ、ショーケンが死んだって、寝ている時に聞かされたんだ。」と思い出した。
夢だと思っていたのが、事実だったのだ。
突然の訃報だった。
そして実感がない。病気だとか、入院中とか一切それらがなかったから。
若過ぎだ、その死。

つい先月もテンプターズの「僕たちの天使」を取り上げて
ヨッチンの天才ぶりを書いていた私だ。
夫はショーケンのファンで、早速一階のオーディオルームで
ショーケンのソロのライブCDを聴いて追悼。
GS時代のショーケンといえば
この「神様お願い」。
デビュー曲は、ヨッチンがリードボーカルであったが(B面はショーケン)、
2枚目のシングルのこの曲はショーケンがリードボーカル。
彼らの最大のヒット曲の「エメラルドの伝説」もショーケン。
でも、やっぱりこの「神様お願い」がいい。
彼がソロになってからもこの曲を歌い続けている。
豪華なバンドをバックに、自由に彼は歌っている。
その動きは、若い時の加藤喜一さんの動きと似ている。

夫は若い時(高校、大学時代)、興行のアルバイト(?)をしていたらしく(私はその頃の夫のことは知らない)
何回も
「オレは、県民会館のトイレで、ショーケンと隣り合わせになったんだ。」を聞かされていた。
また、聞かされた。

ショーケンは、男性ファンが多い。
男のあこがれる男なのか。
加藤喜一さんも、ショーケンのファンだ。
彼もショーケンの追悼の記事をブログにて書いている。

この曲のドラム、ギター、ちょっと他のGSとは違うよね。
おそらく、GS間でも、この曲、カッコイイと思っていたのかもしれない、ジュリーもマチャアキもサリーもトッポも。
作詞作曲は勿論、ヨッチンです。


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(3/16)70年代の曲 Brother Louie/Stories

2019年03月16日 10時06分34秒 | 名曲
Brother Louie/Stories


70年代半ばだったか、ディスコで流れていましたね。
ディスコ曲とは言い難いけれど、踊りに適していましたね。
夫はディスコ曲好きではないので、そういうのは買わなかったらしいけれど
ストーリーズのCDを夫のコレクションの中から見つけたときは「イガイ!」と
思いました。
で、今も流れれば、身体がノリますねえ。

今日は休み。
朝の8時15分には「チコちゃんに叱られる」の為に
タイマーをかけて5分前からテレビの前に待機していた。
通常は金曜日の8時ごろから。
昨日もそのつもりでいたら、
夫が新聞のラテ欄を観て「今日、チコちゃん、無いぞ。」と
知らせてくれた。
「あ、そうだ!明日の朝に変更になったんだ」と思い出した。
そして今日、休みであったことに感謝、観ることができた。
相変わらず、キム兄の「チコちゃん」が好きで好きでたまらない。
笑ってばかり。

では、では、これから義母のお風呂だ。
これがまた、時間がかかるんだ。
一応、さっきも
「今日、お風呂だからね」と言っておいたが
絶対、もう忘れている。
説得から始めて、服脱ぐのをやって・・・と。
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(3/13)よく聴いた名曲。Boots Walker Geraldine

2019年03月13日 20時14分43秒 | 名曲
Boots Walker Geraldine


懐かしい、埋もれてしまった曲を。
カタカナで書けば

ブーツウォーカーの歌う
「ジェラルディン」という曲です。
苫小牧にいた時だなあ。
シングルを買ったのか、誰かが持っていたのかわからないが
日本人向きのメロディが流行っていたと思います。
サビがわかりやすい、歌いやすい。
で、ラウドネスがカバーしていたというので
初めて聴いてみました。
なかなか。
でも、原曲を聴いてくださいませ。

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(3/12)震災8年目。

2019年03月12日 21時30分23秒 | 東日本大震災

今年で8年目だ。
8年も経ったのか。
昨日は雨。
震災以降、この日はいつも追悼に出席する。
例年県庁で献花追悼をしてくるが、
この雨の中、あえて市役所前の市民広場の会場に出かけた。
前に1度、ここで皆と追悼している。
街の真ん中にあるので、買い物帰りの人々も多く参加する所だ。
冷たい雨のために、おそらく大半の人々は県庁の方に出かけたかと思うが(私も最初はそのつもりで向かっていた)
急に県庁前に来て、そうだ、市民広場に行ってみようとなった。
案の定、時間的にもまだ早いからか、寒いからか、人影もまばらだった。









時間があるので、献花をした後、テントの中で催されていた、3・11の当日の記録を読み、写真を観たりしていた。

午後2時46分、追悼。
各地で、それぞれの場所で、仕事をしている人たちも、きっと心の中で。


そして台湾からいつも励ましのメッセージを受けての、こちらからの御礼のメッセージを書いたフラグの説明を聞き、私も書き込んできた。




敢えて、ここに来てよかった。

あの日も寒かった日だ。
しきりに雪が降った。
地震後に、激しく急に振り出した。空が大粒の涙をボロボロと流したようだった。

8年という歳月で、随分と環境が変わった。
夫も私も、これまでとは分野の違う仕事に就いた。職を失った夫は、「震災特需」で仕事にありついた。
あの時たくさんいた我が家の猫たちは昨年のダイジローを含めて8匹亡くなった。
寿命といえば寿命であるが。
義母はまだしっかりしていた。
義母より若い私の母は当時は脳梗塞の後遺症があっても身体は元気だった。
私の家に避難してきた地震パニックの母を支えていた義母だった。
父は相変わらず、あの時と変わらない強運の持ち主である。
その犠牲になった母が一昨年亡くなった。
義母がボケた。
私も年をとった。
でも、もっと生きようと思う。






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(3/11)カエル、冬眠から覚める。だが・・・

2019年03月11日 21時12分48秒 | カエル
夫が怒りながら帰宅した。
「ちゃんと、電話に出ろ!」
会社を出るとき、必ず帰るコールをするので、それを受け取った後、
ケータイ(私はスマホじゃないですよ。今にもバッテリーがなくなりそうな。)は
2階に置いたまま、1階の食堂に居たので2回目の電話はわからず。
なんで怒っているのかというと、
「カエルがいるぞ!」とのこと。
うちの前で電話をしたようだ。

慌てて外にでると、夫の車がうちの庭の前の路上でヘッドライトをつけたまま立ち往生。
目の前に、2匹重なったカエルがいた。
それを拾って、ひとまず南側の庭に放つ。
そして夕食の準備を中断して、軍手、懐中電灯、ビニール袋を持って
路地、公道を巡った。
まず、うちの庭や路面に大きなカエル2匹重なったのが数カップル拾う。
路地の真ん中に出ていた単独のカエルも「轢かれていないよね」と確かめつつ拾う。
公道では3匹が轢かれていた。あああ。
きっと冬眠から覚めて出てきたばかりの子たちだ。
これからそんな日々が続くのだ。
5,6匹拾ってうちに帰る。
夫はもうご飯を食べ終えて食器を洗っていた。

家事後、また外へ。
土だらけのカエルを保護。
全部、南側の庭に。どうしても東側の庭に出てくる。レンガなどで壁を作ってはみたが。

今日は朝から雨だった。
冷たい雨、昨日よりぐんと気温が低いので、
まだカエルたちは出てこないであろう、今日のブログは
震災8周年の記事だ、と思っていたのだが
先にカエルの記事になった。
重なったカエルたちよ、子孫を残してね。
あの轢かれたカエルの分もたくさん生きてね。
3月の雨が降ったら、カエル冬眠から覚める、ということを後回しにしていた自分だ。

まさか、今日の冷たい雨がそれだったなんて。
何十年、カエルを救ってきたんだ、トモロッシ。
もっと早い時刻に気付いていればなあ。
夫に感謝。

ということで
震災式典等の記事は明日改めて。
コメント (2)
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(3/2)ダイジロー、15歳逝く。2018年12月2日。

2019年03月02日 22時04分37秒 | ネコ
                     在りし日のヒカルとダイジロー。
昨年、この2人(匹)が逝った。
ヒカルについては、昨年の5月から6月にかけて、このブログに写真をたくさん載せた。
19歳。
そして、ナナ、シンノスケ、ダイジロー、トモが残った。
年齢の順番で行けば、ナナ(今年の夏ごろに21歳になる)が次であろう、と覚悟をしていた。
シンノスケやダイジローは昨年当時15歳。あと1、2年か、などと勝手に思っていたのだが、
11月、ダイジローの不調が続いた。
病院で検査をすると、胸水がたまっているとのこと。それを抜くために通うが、治療の甲斐なく
12月2日、私が出勤している時、夫の在宅中に亡くなった。
        

ナナと寝ているダイジロー。


トモによく狙われたダイジロー。トモはダイジローに異様に粘着して、よく待ち伏せをしては襲おうとしていた。
ダイジローはトイレの後にトモがいるのではないかと、常にドキドキしてソロリソロリと寝床に帰る。


庭の散歩から家の中に戻るダイジロー。私が庭で作業をしたり、ゴミ出しに行くときなど、唯一ダイジローが外に出かけられる。
あとの子たちは外を知らない。勿論、皆、ノラ出身だから、外の世界は体験しているが、家猫になってからは1歩も出ていない。


ダイジローと母親タヌ。このブログのプロフィールの写真に誰を載せるかと考えたときに、タヌだ!と思った。
ノラのタヌをどうしても保護したくて3、4年悩んでいた。すぐ手を伸ばせば捕まえられそうな距離なのに、素早く逃げ去るタヌ。
何回も子供を産んでいただろう。早く避妊手術を受けさせたいが、思うように捕まえられなかった。
こんなに手が届く距離なのに、心は長い長い隔たりだった。
白い子猫を連れたタヌ。やんちゃな子猫1匹。落ち葉の塊の上に寝ていた2匹。
愛護団体から捕獲器を借りて、いよいよ決行だと決意した2003年の冬。
空地に捕獲器を置いた。白い子猫は素手ですぐ捕まえられた。
そしてタヌ、設置してすぐに捕まえられた。あの時、このあっけなさに歓喜し、タヌさえ捕まえられれば何も要らない、
などと毎日のように祈っていたことが嘘のように思えた。
そしてこの白い子猫がいなかったら、あの空地までタヌはやってこなかったであろう、別な空き家の縁の下をねぐらにしていたであろう。
白い子猫に感謝していた私だ。


ダイジローの頭にキトンキャップが残っている頃。この写真は、貼っていた写真をカメラで撮ったもので、少々歪んでいます。
白い子猫の名前を決めるとき、バイクの選手の名前、と大体決めていた。
ダイジローとは、亡くなった加藤大治郎選手からとったものです。いい名前だ、ね、ダイジロー。
そのタヌは、東北大震災を知らずに2009年に亡くなった。
夫のオーディオルームを寝床にして1階の台所、食堂など2匹は自在に過ごした。
独りぼっちになったダイジローのために私は布団を持って一緒に毎晩寝ていた。
ダイジローは私が2階から降りてくるのを階段前のドアの前で待っている。そしてオーディオルームのドアを開け放しにして
玄関、廊下、部屋を手製の猫じゃらしで走り回って遊ぶんだ。母親にべったりだったダイジローだったので、その分私が遊び相手になった。
姑の部屋にも遊びに行き、ソファで寝たりしたね。

震災で、オーディオルームのCDがぐちゃぐちゃになって、余震も続き、この部屋で寝起きするのは危ないということで
ダイジローを2階に上げた。
当時、トチやノリやみんな健在で、大所帯だった2階。
皆とは顔を合わせているので、割とすんなり打ち解けて喧嘩もしなかったね。夫の股の間を自分の寝床として夜はそこが定着していた。
トモだけは、同じ白い毛並みのせいか、ダイジローを目の敵にしていたね。ダイジローの便秘はトモのせいかもしれない。


ダイジロー。まさかのあなたの死。
まだまだ生きてくれる、と思っていた。
ヒカルのように、何が何でも食べる、という欲を見せてくれれば、もう少し長生きしたかもしれないね。
あなたの死を、心の中で自分を納得させるまで時間がかかった。
今でも、ちょっと受け入れていないのかもしれない。
でも、こうしてあなたと出会った2003年からの出来事を振り返ってみると、やはり長い歳月だったのかもね。
あの空地、家がたくさん建っているよ。
あの面影なしの風景だ。
古い家々は壊され、路地の風景も変わったよ。

あちらでは、母親タヌと会っているか。
また2人で追いかけっこしているか。
あなたのおかげで、タヌを家猫にできたと、信じて疑わない。
大感謝している。私の4年の悩みから解放してくれた白い子猫。
あなたは孤独だったけれど、
ヒカルやナナは姉妹、兄弟でうちに来たし、母親ハルもいたから、家族、という感じだった。
2階にあなたを上げたときに、孤独の気持ちだったかもしれないね。
でも、シンノスケやトモも独りでうちに来たんだよ。
皆、仲間だ。

ダイジロー、15年間お疲れさま。
あなたにその気持ちを文字にするのを避けてきた3カ月です。
漸く、今日文字にしました。
愛してるよ、ダイジロー。



ホントはカワイイのに、写真写りが悪くって。
カメラマンの私が、ダメなのね。
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