僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(7/28)ブログ、書かないでごめんなさい。

2014年07月28日 21時40分08秒 | 日常、仕事、認知症
またまたブランクありすぎのブログになってしまった。
忙しい仕事の連続で
帰ってきてはダラーッと寝て、起きての生活。
この暑さ、本格的な夏、ですよね、東北も。
今朝は湿度が低くて、今日は過ごしやすいか、と思ったけれど
午後には暑くなって、体調悪くなる。
ちょっとネットの見すぎもある。
一昨日の佐世保の女子高生の事件。
衝撃的で、モヤモヤしている。

休日には
義母の相手。
財布と鍵を無くした(義母は、それを、うちに来る誰かが持っていったと言う。)
ということで、いっしょになって探す。
とにかく寝る前に
どこかに自分で隠して、どこに隠したかわからなくなって
それを誰かのせいにして、延々私も探す。
八幡神社に行ったときに、彼女のためにお守りを買ったのだがそれが付いている。
ようやくようやく、ダンボールの中からそれらが出てくる。
彼女は、自分がそうしたにも拘らず、持っていかれた、という認識しかない。
何にでも鈴を付けておくように言った。
外で落とした可能性は低かったので、うちの中にあるだろう、またどこかとんでもない所に隠したのであろう、という気持ちで探したので
見つかるのは時間の問題だったが、隠す場所が多すぎる。
ティッシュボックスから見つかった別の財布もあった。

こんなことになるのは、近所の○○さんが宗教関係に入っているので、どうのこうの、と
何十回も○○さんの名前を出すので、
「お義母さん、絶対○○さんの家に突撃しないでね。」と釘を刺す。
義母は、これまでも疑問に思ったり、妄想で疑ったりすると、その疑問の家に行って尋ねる人だから、それが心配。

年を取ると
こうなっていくのか・・・と立腹よりは、老人の悲哀を感じてしまう。
私にもいつかはやってくるこの年齢、この心の形。



前回のブログで
元同僚のIさんと会ったことを書いた。
また数ヵ月後に会うのであろうと、別れた。
ところがそのあと10日も経たないうちに会った。
北海道からメロンが送られてきて
彼女がメロン好きなのでどうしても渡したかった。
そのため、仕事が終わってから、彼女の住む町まで自転車に乗って出かける。
彼女は翌日から新しい職場に行くことになっているので
街の中心部まで来てもらうのは躊躇した。
そこで私が出かける。
仕事が終わって息つく暇もなく、自転車30分。
若干上りである。
カフェでお話。
まずは、彼女から勇気をもらったことの御礼。
彼女の後押しで、1つ解決。
そしてその後、もう1つ解決。
あのとき、「彼女の強気を私に・・・」という思いを胸に秘めて
行動開始した。
少し、気が楽になった。

悩んでばかりの人生だなあ、私。
それもこれも、私のだらしなさかな。
だから夫に言われるんだ。


こんな愚痴っぽいことを書いてばかりではだめだ。
明日は体調良く
キリッとした生活にしたいね。

(7/13)清々しい一日、金曜日。

2014年07月13日 17時30分53秒 | 日常、仕事、認知症
金曜日
仕事が終わって大急ぎで
Iさんとの待ち合わせの場所へ。
1ヶ月ぶりの再会です。
その前日の私の心は非常に重かった。
ブログに書いたとおりの沈鬱な状況。
彼女へのメールの返事も暗かった。
そんな状態で会うのは失礼かなとも思っていた。

場所は
一番町にある
いろは横丁。
ここは私にとって思い出深い場所。
今の職場がこうして街の中にあるにも拘らず
同じ中心部である一番町には全然来ていなかった。
特に
いろは横丁のある一番町2丁目界隈は。
いろいろと変わったなあ、と眺めつつ歩く。

そして彼女とまず
横丁を一周して目的の店へ。


「ろっこ」というピザ屋へ。
席、6席カウンターのみ。
非常に狭い。
横丁の店は大体狭い。
10人入れば少々広い、というような店が建ち並ぶ。
おいしく、たらふく食べることができた。
きっと、2人のヘンな話、両隣のOLに聞かれただろうなあ。
私の今抱えている問題のことね。

そこを出て、しばしあちこちの店を観る。
知っているおじちゃん、おばちゃんたちの姿がチラホラ見えたが
皆、忙しい時間帯だったので、声をかけずにそこを後にした。
今度は一人で来てみよう。
ランチの人たちで賑わっていた界隈である。
それは昨日父に報告した。
母を連れてきたいと思ったが母はもう外に出るのはいやだろう。

そこは
両親の店があったところだ。
私のもう一つの青春がそこにあったんだ。



東北大方面も歩いて、ここに喫茶店があった、本屋があった、などと会話しつつ。
丸善も駅前に移動したし
残るは、金港堂という書店、ヤマハ楽器店。
皆、思い出の場所だ。

そして柳町の
大日如来神社に行った。
お参り。
「この間(6月6日)も神社など行ったりしてずいぶんお参りしたよね。
お地蔵さんにもいっぱい触ったし。」と私。
そこにベンチがあったので座ってそんな話になる。
すると
Iさんが
「私ね、トモロッシさんに御礼したいことがあるの。」と話し始めた。
「この間、八幡神社に行ったでしょ。私ね、こんなに近くに住んでいながら
お参りしたことがなかったのよね。三居沢(さんきょさわ)にも小さいときに
お姉ちゃんと行ったきりで、怖くてもう行けない、と言っていたのに、トモロッシさんを
案内しなくちゃと思って、恐々行ったけれど。」

ここで
前回彼女と、彼女の住む町「八幡町」界隈を散策したときの写真を数点載せます。

三居沢不動尊の入り口。確かに鬱蒼としていて、子供心に怖いと思うかも。





猫塚があったり、滝の中にかわいい地蔵があったり、ずいぶん私たちはあちこちの石碑、地蔵に触れて、手を合わせた。


ここは山形に行く途中にある、昭和34年に起きた、バス転落事故の犠牲者のための石碑。
彼女のお母さんが若いときにそのバスに乗っていた、という話を聞いていた。
ここで手を合わせたときに、私、鉄柱で怪我をした。
「入るなって言われたのかなあ。いや、もうほとんど誰も手を合わせることがなかったから、私たちが来てびっくりしたのかも。」なんて会話していた。それを彼女のお姉さんに
オモシロおかしく伝えたらしい。あの怪我、結構彼女にも印象深かったようだ。







長い階段を上ってお参りした八幡神社。
そして隣の敷地にあったお寺にも。



お寺の敷地のコンクリート養生の、猫の足跡。

そのほか、街道にある、もう文字が見えなくなっていた地蔵、石碑に
私たちは
ずいぶんとあの日、お参りした。地蔵の頭を撫でた。

そして
さっきの彼女の話に戻ります。
「せっかく、八幡神社に来たから、きちんとお参りしたんだ。そしたらね、まもなく転機が訪れたのよ。私の変化。」
「何?何?ご利益あったの?」と質問攻め。
そして、その内容を話してくれる。
それは割愛するが、
「その転機は、偶然であるが、神社にお参りしたことが通じたのかなって。もし、トモロッシさんが神社などを訪れたいと言わなかったら、未だに私は神社に来ていなかったと思うの。」と感謝された。
その顛末を彼女が姉に話したら、「じゃ、お礼参りしなくちゃだめでしょ。」ということで、再び神社に行ったそうだ。
そして私に、お守りを買ってきてくれていた。
紫のフクロウのお守り。
粛々として私は受け取った。
彼女の住む町に行く、ということで
彼女は私の行きたいところを自転車で案内してくれた。坂道があり、下りはいいが、上りは自転車を降りて歩く。2人の中年女の自転車散策。かなり疲れたはず。
他にもいろんな所を訪れた。写真をいっぱい撮った。
充実した一日だった。
その日を、彼女も大事にしていてくれた。
もちろん偶然かもしれない、その転機とお参り。
が、彼女は「最初は、神社に行くなんて、苦痛だったのよ。」という初めの気持ちとは裏腹に、神社に行ったことによって、急に生活の転機が訪れたことと結び付けないわけにはいかなかったのだろう。よいことです。

彼女の意志的な話を聞いて、強いな、と思う私。
刺激である。
私は良い刺激をもらった。

そして清々しい気持ちで別れた。
夕食を食べるころ
外が赤々としていた。
私は外に出た。


朝焼けのような夕焼け。自然の美しさ。
昨日どん底だった気持ちが今日清々しくなれた(もちろん問題は未解決だが)。
一日、生き延びてよかったのだ。
そう思った。
こんな美しい夕焼けを見るのは生涯幾つあるのか。
皆、テレビを観ていないで、ごはんを食べていないで、この夕焼けを見てごらん、と思った。
そして、夜は満月がゆっくりゆっくりとかすかに移動しているようだった。








(7/13)暑くてベランダで寝る。

2014年07月13日 09時38分41秒 | 日常、仕事、認知症
昨日、仙台、30度を超えた暑い日。
夜、暑くて暑くて
ベランダでミミやナナと寛いでいるうちに
ここで寝よう、と
敷物と枕を持ってきて
本当に寝てしまった。
本当に外で寝てしまった、と
早朝4時過ぎに目が覚めて
自分の行動にちょっぴり驚き。
ミミもナナも、私と寝られることに喜んでいた。
いつもは
下のオーディオルームでダイジローと寝ているのだが
密室的な部屋なので(それに今は鍵を掛けて寝ている)
暑苦しさが目に見えていた。
でも
今日からまたオーディオで寝ます。
ベランダの床は身体が痛いので。
それにいつ雨が降ってくるかわからないし。
しかし、この味を覚えた私は
またいつか
この行動に出ることが予測できる。

昨日は
義母を連れて
私の実家へ。
私の母親と義母の会話は全く聞いていなかったけれど
老人は老人同士
ちょっと認知症の入った者同士として
会話は弾んでいたようだ。

私は父と北海道の話。
夫はムスッとしてテレビ。

寿司を買っていったので
母、義母、夫は寿司。
私と父は
餅。父が自動餅つきでついてくれた。

実家の庭仕事をする予定でいたが
あまりの暑さに、しなくなったのでラッキー。

親を連れて親に会う・・・ちょっとした親孝行でした。

次の項目では
前日
Iさんと会ったことを。

(7/10)幻のネコ

2014年07月10日 17時16分09秒 | ネコ
    そのネコの写真を撮らなかった。
    名前もつけなかった。
    だから
    私にとって、幻。

    5月下旬ごろに
    うちの庭に現れたハチわれのネコ。
    夫が声をかけると
    立ち止まってじっとしていた。
    何度も声をかけているうちに
    3日置き、6月の下旬になるとほぼ毎日
    顔を見せる。
    うちの南側の台所の外でゴハンを食べる。
    私が午後帰宅すると、ニャーニャー鳴いて
    ゴハンの催促をする。
    食べたあと、すぐに帰っていくこともあったが
    慣れ始めると
    庭でくつろぎ、台所の外の縁台でくつろぎ
    小さなボールを投げてやると
    それを口にくわえて、サンルームの下で遊んでいた。
    私が庭の草取りをすると、姿の見えるところに移動してはくつろいでいた。

    君はうちのネコになるのかな。
    ノラなのか
    飼いネコなのか
    判断がつかなかった。
    これからずっと、こうして通い始めて
    触らせてくれるくらい慣れたら
    うちの飼いネコとして迎える心の準備をしなければと思っていた。
    
    私の心の中では迷いがあった。
    うちにはたくさんネコがいる。
    もう15歳、16歳が中心。
    最後にうちに来たトモでさえ、8歳になる。
    そのトモで最後だろう、と決めていた。
    皆、縁があってうちに来た子たち。
    君と縁があるのなら
    やはり、その縁を選ぼう、と思った。
    6月29日、日曜日
    外のネコ専用の大きなケージにダンボールを置いていたら
    ゴハンを食べたあともそこに寝そべっていた。
    夜9時、そっと覗いたら
    姿はなかった。
    また、明日。
    そう思って、翌日来なかった。
    2,3日したらまた姿を見せるだろう、と軽く考えていた。
    そして7月に入った。
    カレンダーに×印が連なった。
    来ない日に×がついたがずっとついたままだ。

    まだ1歳になるかならないかの若いネコ。
    ノラだったら
    なわばり争いに負けたか。
    飼いネコだったら
    そろそろ去勢手術をして、自分の家にのんびりと過ごしているのか。
    怪我をして、塀を乗り越えられなくなって
    こちらに来られない状態になったか。

    いろいろとネガティブな想像が毎日つきまとう。
    縁。
    なかった。
    そう思っていくことにしよう。



そんな一ヶ月だった。

いろんなことで心が晴れない。
今こうして書いている心も晴れない。
ずいぶん
自虐した。
夫にも「生きる価値がない」なんて言われた。
結構響いている。
そうか、そうなんだ、と思ったり
開き直ったり。




明日は
Iさんと急遽ランチ。
父の北海道旅行でおみやげに買ってきてくれたものの一部が
Iさんの大好物。
それを渡そうと思い、メール。
彼女の勤め先に届けようと思っていたら
明日休み、とのことで
午後に会うことになった。
台風の真っ只中に。

それに相談したいことがあったので。
先月のちょうど今頃に
彼女の住む町の散策をした。
それをブログに載せようと思いつつも
結局、写真を載せないままブログの中断に入ってしまった。   

頑張れ、私。
いつも鼓舞するが
裏切るのは私自身である。

























(7/5)久々のブログ。

2014年07月05日 10時32分41秒 | 日常、仕事、認知症
一ヶ月近く書いていない。
あれよあれよと7月。

録画していたドラマ「家族狩り」を観る。
松雪さん、いいねえ。
私の耳、彼女の低音聞き取りにくいけれど
彼女の演技、好きです。
字幕でなんとか。
しかしwowowでは字幕が出ない。
大泉洋と彼女のドラマのときはマイッタ。
あのドラマ、良かったんだ。

これから
実家の母の様子を見に行く。
父が3日から北海道に行った。
老老介護の唯一の拠り所としていた北海道行き。
80歳越えても、杖をつきながら、一人で旅立った。
父の北海道時代の友人の1人に、予め葉書を送っておいた。
何かあったらよろしく、と。
私の小さいときから知っている方。
脳梗塞の母は現在
一人でも留守番ができる。
ストーブを使わない時期なのでその点は安心している。
せかされなければ、なんとか自分の頭のペースで
家事をやれる。
午後からおもむろに出かけよう。