僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(12/31)去りゆく人々①

2011年12月31日 04時53分55秒 | 東日本大震災
今日と明日が休み。
よって
今朝は目覚ましをセットしないで
思う存分、好きなだけ寝て起きる、と予定していたが
昨夜は9時に寝て
今朝は4時前に目が覚める始末。
こんなに早く起きても
台所でガタガタしていたら姑が起きてしまうので
二階でネット。
そして今頃また眠くなってきた。

昨日は私の仕事納め。

震災関係の人々が前日から続々と帰郷していった。
何ヶ月も滞在してようやく区切りをつけて故郷に帰っていく。
長い間ごくろうさまでした、という気持ちだ。

その中で
私の就任と並行して4月から滞在していた人が
とうとう昨日で仕事が終わり
大阪に帰っていった。
白石ウーメンがおいしい、と言っていたので
それをおみやげに持たせる。
正月休み明けに再び戻ってくるのかと思っていたが
もう戻ってこない、と先日言っていた。

仙台に8ヶ月もいて
それなりに大変だったと思うが
たくさんの知人ができたり
いろんな所を巡って愛着も出たことであろう、こちらで仕事をしたら、と
以前私は半分冗談、半分本気で言った。

大阪の気候と東北の気候は違いすぎる。
それにあちらで安定した仕事があるわけだから
無謀な話である。

すると
昨日の最後の会話で

こちらで事務所を開くつもりだ、と彼は言った。
夏ごろをメドに事務所を移転したい、
こちらには
土地がある、緑が豊かである、知人がたくさんできた、と
言った。
私の目は輝いた。
大阪の大都市からこの東北の小都市に移転することの決断。
彼の心に焼き付いた仙台という街。
こちらで休日のときは
仙台で知り合った陶芸家のところで焼き物を伝授してもらったという。
福島のいわきまで足を延ばし美術館に行き、
仙台に帰ってきたとたん雪で滑ってころんだ、という。
彼の休日は非常に充実していた。
この夏に一度だけ帰省しただけという。
あとはずっと仙台での仕事、休暇である。

また有島武郎の一節を出すが

ある程度知り合った者同士が、いったん別れたら最後、この地球上で呼吸を
しながら未来永劫と会うことがなくなる、この不思議な寂しさ・・・
   (原文はもう少し違うと思う)

出会いがあり、笑顔を交わし、挨拶がその日の糧になり
いつかは別れゆく、そのときに感じる私の寂寥感が
あの有島武郎の一節に集約されている。

今回もそうだ。
大阪のその人に限らず、何ヶ月も滞在した、日本の各地から来た人々に
その思いは共通する。
仕事として来た仙台。
故郷の暖かさが逆に際立つ東北。
だが
それなりに愛着を持ってしまった仙台。
彼らの胸に何かしら、熱い思い出を残していった仙台。
そう忖度して
私は笑顔で
「長い間、復興のお仕事ごくろうさまでした。」と送り出す。
いつかは
家族と恋人と、この街を訪れてほしい。

さて
その大阪の人も今頃は
温かい自分のベッドにもぐって疲れを癒しているだろう。
そしてやはりここの地がいい、と思っているかもしれない。
あの事務所移転をどこまで実現できるかわからないが
再びこの我が街に降り立つことを待っていよう。
私も成長しているだろうか。
人間として未熟な私は成長しているだろうか。

(12/26)今日シマトラ火葬。

2011年12月26日 21時54分53秒 | ネコ
あと20分だけ起きていよう。
明朝3時に起きることになっている。
22日に休んで次の休みは大晦日。
大晦日と元旦だけ休み、10日までまた仕事。
ハードだ。

今日はシマトラが火葬された。
家に引き取りに来てもらったのだが
私が直接渡すことができなかった。
仕事から帰るまでどうか
まだ家にあるようにと思ったのだが
どうやら午前中に来たようだ。
それも想定していたので
朝出勤するときに
シマの遺体に、本当に最期のお別れをした。
遺骨は夫が29日に取りに行ってくれる。
正月はお骨になったシマがうちにいる。

今日は寒かった。
日中も雪が融けずに散らつく。
仙台の雪は地上に落ちる前にもう消えていくようなものだが
今日のは、パラパラと音を立てるように粒の雪だった。
一服の休憩のとき
その雪を見て、またシマを思った。
いつも
愛猫が死ぬと、もっともっと愛してあげればよかった、と思ってしまう。
愛は強いのに、死んでから、いやもっと愛することができたのではと思ってしまう。
だから
今こうして生きて私の傍にいるネコたちをもっともっと愛そう。
まとわりついて邪険にするときもある私。
怒ることもある私。
もっともっと優しく接しよう。
シマは
誰とも喧嘩をしなかった。
フーッとかシャーッとか一切言わなかった。
何があっても、不安でもゴロゴロゴロゴロ言っていた。
病院にいてもゴロゴロゴロゴロ、
このネコ、なつっこいね、ってよく言われた。
鼻炎がひどくていつも薬にお世話になった。
震災の時、ショックで血尿にもなった。
もっともっと愛すればよかった、と今思っている。

長く書いていたいのだが
寝ることにしよう。
いつまでこんな状態が続くのだろうか。
ゆったりとブログに向かっていたい、とずっと思っているのだが
正月休みというのもない。
かといって、正月をはずして長期の休みになるわけでもない。
月6日の休み原則である。
私のようなのんびりやには、ゆったりすることが第一なのにね。
年内に時間が取れるだろうか。

(12/21)シマトラ、雪が降ったよ。

2011年12月21日 19時24分54秒 | ネコ




シマ
雪が降っているよ。
寒いね。
こんな寒い日にあなたは逝ったね。
あなたの本当の年齢は幾つだろう。
私のところに来て
7年。
それがあなたにとって
短いのか長いのか
私にはわからない。
痩せ細ったあなたが路上で
カラスに狙われていて
一瞬躊躇したものの
そのまま通り過ぎた私。
家に入って
トモロッシ、それでいいのか、と自分に問うて
もしも
また、いたらこれが私の運命、そのネコを救う、と
決めて玄関を出ていった。
あなたはいた。
痩せ細ったあなたにはいっぱい病名がついたね。
それで駄目だったら
最期は私が看取る、と覚悟してひきとったね。
その後
あなたは元気になって
ナナたちの仲間になり
私たち家族や病院の先生たちに懐き
ビョンビョン跳ね回ったね。

ここ何日か
あなたを抱いて
私は台所に立ち
近づく別離の時を考えていた。
食の細いあなたが
フードを一粒一粒食べるのに
ああ
1日永らえる、と思ってもみた。
好きな牛乳をなめてくれたときは
これが明日の命の糧になる、と思ってもみた。
だが
もうそれらを拒絶したときから
ああ
愈々、死に向かうのだな、と受け入れた。
今朝
私は4時過ぎに家を出なければならなかった。
おそらくは
私が帰宅するときには
命尽きていることだろう、
いや、一縷の望み、最期を看取る機会を与えてくれているのなら・・
と祈ったりもした。
出発前に
あなたに最期のお別れの言葉。
職場では
帰りたい、帰れない、の繰り返し。
急いで帰宅したが
やはり祈りは叶えられなかった。
あなたの上に
ナナがいた。
あなたを温めていたのか、
ナナはあなたの傍にいた。
あなたの写真
あまり撮らなかったね。
フォルダーに入っているだろうか、と
探してみたら
あったよ。
あなたの真面目な表情。
シンノスケともいっしょに撮っていたんだね。
ここにあなたの写真を載せよう。
シマ、さようなら。
でも、いつも皆といっしょにいるからね。
シマ、ありがとう、あれから頑張って生きてくれて。
シマ、そして不甲斐ない私でごめんなさい。




(12/16)雪が降った

2011年12月16日 21時34分17秒 | 東日本大震災

洗濯をしながらここに。
日中にもしたのだが
起きている間に、何かしておこうと思って
また洗濯をし始めた。
ネコたちの敷物がたくさんあるので、何度もしている。

今週は火曜日と今日の金曜日が自分の休み。
あとは年内、2日だけの休みとなる。
31日と翌日1月1日が連続の休みになった。
そのあとは2日から10日間仕事である。
ここの仕事は正月休みがない。
新人の私は正月からの休みなしを覚悟していたが
元日は休んでいい、と言われたので従うことにした。

ヘンな話、この仕事をしてから
身体が丈夫になったような気がしている。
痩せたからかもしれない。
1日、何千歩も早歩きして、休憩も儘ならないような状態。
食事も激減。ただし、甘いものはしっかり食べている。
4月以来、10キロ以上は痩せている。
かつての痩せていたときのズボン(パンツというのか)がまた穿けた。
捨てなくてよかった。
ああ、もしかしたら昔のスーツなども着ることができるのかもしれないね。
それらを着る仕事じゃないけれど。
去年あたりに、駐輪場の地下から地上に昇る階段で動悸がして
年のせいだ、と思っていたのだが
それが無くなった。

ところで
今日、雪が降ったんだ。
2011年12月16日、都会に雪が降り積もる。
そしてはかなく消えていった。
仙台は街の中はすぐに消えていく。
でも一瞬でも積もったので
いよいよ私の季節だ、と思った。
明朝もマイナス1度くらいの寒さの中、出勤する。
頑張れ、トモロッシ。


ではまた明日。
ゆったりと書きたいよ。

(12/13)久しぶりのブログ

2011年12月13日 21時10分07秒 | Weblog
9時半には寝ようと思う。
明朝は3時半に起きる。
ブログを書いている時間があるようで、ない。
どうしても寝る時刻を気にして、明日書こう、と思っての日々。

12月に入ってもう中旬。
今年中にやらなければならないことが山積。
年賀状のことは全く頭にない。
その前にまだまだやることが・・・
衣食足りて礼節を知る、それと対極の今の私だ。
礼儀を欠いて、信用を落としていく。




自分のメモ

・シマトラ、秒読み
・元の同僚2人に手紙
・両親に手紙
・元の上司に手紙
・お歳暮、御礼まだ
・掃除

あと諸々。