あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
元旦は休みであったけれど、自分にとって実家帰りは仕事以上に心に負担がかかるので
休みの部類に入らない。
しかし、想像していたよりも和やかに過ごせた。
父との確執を知っている、父の知人(故人)の奥さん、その子供2人も参加してくれて
こちらは、夫、義母の参加。にぎやかだった。
この父の知人というのは、父や母、私が北海道から仙台に来るきっかけを作った人だった。
父が北海道時代にサラリーマンをして家庭を持ったが、「仙台でいっしょに商売をしないか」と
誘った人だった。もともと父やその知人はこちらの県北の出身。10代のころからの友人である。
北海道から宮城へ、ということに思春期だった私は物凄く抵抗した。
それまで道内で父の転勤ごとに2,3年で学校、土地が替わっていたが、思春期のそれはこれまでと
違ったものだった。なぜ、今なんだ、という思いがあり、父に内緒で、2,3通、その誘いを辞めるように
手紙を知人宛に出した。それをそっくりそのまま父宛に返されてきた。
無駄な抵抗だ、と言わんばかりに。
そして仙台に来て、その一家と一つ屋根の下で暮らし、数年でお互いに独立した。
その子供たちはまだまだ幼稚園、小学生で、それが今では成人した子供もいる中年である。
私はその知人とはよく、互いに折れない議論をした。所詮、親の庇護下にある人間の話なんて、というのが彼の態度だった。
私と夫の結婚の話が出た時に、その知人が勝手になのか、あるいは父の命令なのかわからないが
突然、夫の不在中に、夫の家に来て、結婚を辞めるように、反対している、とか伝えたことが有り、
それを自分の親から聞いた夫が激怒した。自分の親を巻き込むことに腹を立てた。
一人っ子同士の結婚、育ての親を捨てて出ていく私のことなど、彼のことだから力説したのかもしれない。
だから、私にとっても夫にとってもあまりいい印象じゃない。
その後は、何度か会ったりしたが、私達の生活に影響を与えない存在だった。
最近、父の高齢のために、免許返納をして、車をどうするかとなったときに、
その知人の子供に譲ることになった。それを、その子たちが一応私に打診に来たのだが、
私は、「うちの車も古いけれど、もらうことによって、父は見返りを求める人だから。私達の都合をよそに、自分の
都合で、車を出してくれ、というような人だから。」私は父のその行動を見抜いているから、どうぞ、もらってください、と
彼らに伝えた。
案の定、元旦ではやはりその話になっていた。
しかし、彼らは車をもらえることのメリットのほうが大きいのか、
「どうぞ、いつでも声を掛けて下さい。すぐに来ますから。」と言っていた。
使われるぞぉ。
そういう例を幾つも見てきたからね。私は夫を巻き込みたくない。
それぞれ持ち寄った料理を食べ、それぞれに話をし、ゲラゲラ笑って、
父もにぎやかな元旦を過ごせたろう。
深刻な話、空気にならず、彼らが来たことに感謝する。
そんな元旦だった。
なお、認知症の義母は、一昨年、私の母が亡くなったことを覚えていない。
「お母さん、どこか悪いの?」
「何、言っているの?一昨年、亡くなって、あなたは葬式にも参列し、昨年は一周忌にも行ったでしょ。」と
何十回も言ってきたが、数分後には忘れる。
その義母、昨日で89歳になった。
食欲旺盛である。餅を食べるときも注意して見ているが、今のところ、気を付けて食べている。
ガリガリに痩せているが、食べることには執着している。
さて、これから職場に行って、同僚から田舎の餅をもらうことになっている。
ではまた。