僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(4/27)山Pのドラマと佐藤健君のドラマが楽しみ。

2015年04月27日 17時25分47秒 | ドラマ
今、
佐藤健君の「天皇の料理番」の録画を観終わった。
今期のドラマは
これとアルジャーノンの2つ。
前期の時間帯のドラマと同じ枠のものを2つ。
前期の西島さんのドラマと生田斗真君の「ウロボロス」。
そして今期は
これら。
他の局のも2、3初回を観てみたが
2回目は観ることはしなかった。

楽しみにしているこの2つは
偶然にも
私の三大イケメン(山P、健君、サッカー香川君)の2人が主演。
もう、楽しみでしょうがない。

もしも、恋愛ドラマだったら、食指あまり動かず観ることがなかったかもしれない。
私自身がもっと若ければ、こんなステキな恋愛を・・・とか思って観たかもしれないが
(トレンディドラマが流行ったころも全然観ていない)、
山Pと健君がこういうドラマに出てくれるのが嬉しい。

山Pのは
なんと言っても、咲人含めた3人の若者の姿がいい。
これから悲しい展開になっていくけれど、どうか終わりは
視聴者が納得いくものでありますように。
咲人はこのままでいい、という気持ちはありますが、それでは話が進まないね。

健君のは、次回から新しい職場での人間関係が中心になっていくけれど
これも若者3人の心のもつれ合いから成長していくんですね。
脇役の、婿養子先のお父さん、そして実の兄(咳き込む姿は結核へと・・?)が素晴しくて、そして奥さんになった名前の知らない女優が可愛い。

このドラマの原作者の杉森久英は、ヒューマンヒストリー(伝記)の作家で
太宰治や島田清次郎の生涯を描いた作品がある。
太宰治の生涯はたくさん伝記として残っているかと思うが
島田清次郎はおそらくこの人の伝記が最初と。
「天才と狂人の間」という作品です。
これについてはブログのどこかで書いたかと思うのですが、失念。
この作品を読んで、島田清次郎という作家をもっと知りたいと思った。
この人物をドラマ化しても面白いのでは。

私は
午後9時には寝てしまうので
仕事から帰って、ゆったりと遅い昼食の録画鑑賞がささやかな楽しみです。
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(4/24)快晴の日、私の休日。オランダ大使館のカエル。

2015年04月24日 20時14分00秒 | カエル
4月の桜の頃は
雨や曇天で、今ひとつ花見気分になれなかった。
それでも
近くの公園や、街の中心より西側にある公園の桜を観に行った。
その桜は散り始め
次に来るのは若葉の頃である。
これはとても良い季節だ。
そしてその時期は短い。
晴天と自分の休日が運よく重なれば、どんどん自転車で街の中、昭和の佇まいなどを
散策したい。

今日は快晴。
自分の休日でも、目覚めは普通に3時過ぎだ。
早朝のゴミ出し、洗濯、庭の枯れた木の伐採、アイビーがメチャクチャ増えて
家の壁などに絡みつき始めていたのでそれらも綺麗に伐採。
アイビーがラベンダーの木にも絡みついていた。

早朝の光景。隣の家に棲み付いている雀たちが寄ってくる。
ちょっとパンくずを。
そして、巣作りのために、せっせとフワフワした草を運んでいる。
よ~く観察してみると、絶対にここに巣があるはずがないという所に巣作りしているようだ。

夜は
東側の庭にカエルたち6匹が出ていた。
南側は昨日確認してみると、何匹がいたので安心。
南側の庭に出てみるなんて自分としては久しぶり。
早くも、雑草との戦いを頭に描く。

日中は昼食のときにテレビを観ていると
東京のオランダ大使館の一般者への開放の番組。
前にも、バラエティ番組で、オランダ大使館に訪問したのをやっていたので
日蘭友好の良い番組だった。
訪問者が歩いていると、ちょっとした注意の看板が。
「カエル注意」だった。

この広い、昔からの敷地なら当然、ガマがいてもおかしくない。
駆除されず、自然のままに
昔からの主として、カエルはそこにいるのだ。
訪問者なら、ギョッとするだろうが、そこは優しく素通りしよう。
fairyさんの家も都会の中心地にありながら、緑の多い歴史的な
大使館とか多い所のようだ。
そして、想像以上に、カエルたちは棲んでいるんだ。

うちのような
都会の古い町並にもカエルたちはいる。
しかし、震災を機に、建て直し、古い空き家を壊して更地化している所の
カエルたちはたくさん犠牲になっている。
犠牲になっている数も多ければ
そんな中でたくましく生存しているカエルもいる。
見つけたときは、「うちにおいで」としっかり抱きしめて連れてくるんだ。

大使館のカエルたちは幸せだ。
開発されることもそうはないだろうし、看板があるくらい、生命は静かに大事にされている。


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(4/18)思い出してしまったこと

2015年04月18日 20時18分15秒 | 日常、仕事、認知症
先日の義母との諍いが
自分にとって結構尾を引いている。
気分転換もできずに
仕事を終えたら帰宅し、速攻2階に上がるようにしている。
彼女が認知症であることを私自身が自覚しているにも拘らず
彼女の理不尽な言葉に反応してしまった自分の
やり場のない気持ち。

あの日は全然寝られなくて
書棚を漁って、本を読み出した。
10数年前に
義父が入院した頃に
いよいよ介護生活か、と思って
数冊買い揃えたものの1つ。

「夫婦の親」(新聞記者・柳博雄)
そして昨日は
「父・丹羽文雄 介護の日々」(丹羽の娘・本田桂子)
と立て続けに2冊読み返した。
ほとんど内容は忘れていて
今の自分の心境と照らし合わせて読むことができた。

2冊とも、親の介護についてのドキュメンタリーである。
介護のマニュアル書よりも
こうした実態に直面した「介護する側」の手記のほうが
場面場面での葛藤、怒り、失望とか介護する側の気持ちが手に取るように
わかる。
そして、著者たちと比して
私のそれはまだまだ序の口だということが再認識させられる。
何しろ
義母の状態は、正常、異常7対3の割合なのだから。

義父の場合は
血液のガンで入院した。
義母は毎日、病院に通い、夫の要求に答えてきた。
義父は
非常に細かく几帳面で
他人の力というものをあまり信じなかった。
自分が何でもできる、という職人気質の人で
自分の妻は何もできない(そういうふうにしたのも夫の一面あり)、
それでも義母は献身的に毎日通っていた。
夫婦だから衝突がある。
病気の人間が我がままになるというが、義父はその頑固さがいっそうそう思わせた。
とうとう
義母は音を上げて、「今日は病院にトモロッシちゃん、初めから行って!」と
言う日もあった。
行けば、義父の愚痴の聞き役である。
「うちのやつはなにもできない。」と、妻に対する愚痴を口にする。
私には
毎日、ドライアイスを50グラム買ってこい、と要求。
100gでもない、きっちり50ではなければだめなのだ。
今はそれらをスーパーの食料品売り場等で簡単に手にすることができるが
当時
街はずれの氷屋に、50gのドライアイスをください、と
店主がいい顔しない顧客であった。
ドライアイスは買い置きできない。家庭の冷凍庫に置けない。
よって、少量のドライアイスを買っては病院に運んでいた。

グラム単位で測る計量器械を買ってくれと言われた。
病院で何に使うのか、と聞けば
病院食の1つ1つを計り、何グラム以上は自分は食べてはいけない、と
毎食計量していた。
そんなことを目の前でされれば、病院側もどんな顔をしていたか、と。
ノートに、○○を何グラム、○○を何グラム、というようにビッシリ
書き詰め、それらを看護師に見せたりしていた。
「Sさん、これじゃ、病院の先生以上に細かくて凄いわね。」と
病院泣かせの患者だった。

自宅での介護用のベッドの購入の手続きを役所にしてくる。
それらは全部私の役割だった。
義母はこういうことはできない
息子である私の夫は、仕事と称して、こういうことにタッチしていない。
義父が亡くなったあとの
年金やいろいろな名義の変更等
役所に行くのも私の役目。
嫁だから当然、というのが腑に落ちない私だった。
義母はこういう手続きは
若いときから苦手だった。
ましてや、夫を亡くしての失意のときだから
当然、私の役割、義母も夫もそう思っていた。
私は当時からその考えに疑問に思っていた。
1つの手続きを終えて自宅に戻ると
義母に
「暇だれだったねえ」という言葉を言われる。

「私は何もできないので、いろいろとやってもらってごめんね。私もいっしょに
行けばいいのにね。」とは
とうとう言われなかった。
あるとき
なにかの手続きをやって、そのままにしていたことがあった。
それをやったのかどうかも忘れていた。
そして
夫はそのことを激怒した。
私もそれまで疑問に思ったことを口にした。
「10の1つを忘れたからって、なぜに私がこんなに言われなくてはならないのか。
本来なら、妻であるお義母さんがやることではないか。やれなくても、いっしょに
行って、それらを見るのが筋じゃないか。あなたは何をした。息子であるあなたは
何をした。毎日あちこちと行っている私がこんなに言われるとは。もう、私は
関わらない。親子2人でやれ!」と言った。

私は
あの頃、結婚生活の中で
夫を最も遠い、と感じた時だった。
後にも先にも
あれ以上の困難なことは夫婦にあったけれど
最も、S家で孤立した自分だったと思う。
夫を亡くした妻、という母親の気持ちが可哀相だ、というのは
息子である夫が一番感じていたであろうが
やらなければならない手続きを
そういうことを感じる暇もなくやっていた私には
夫のその言葉は、私と、夫プラス義母との距離を遠ざけるものだった。

そして
次の日
夫は謝ってきた。
「昨日は申し訳なかった。あれこれとやってくれるおまえの気持ちもわからないで。」
と。
夫が謝る、というのは
私の記憶の中で、あれだけである。
それだけ珍しいことなのだ。
だからよっぽど私の言葉が身にしみたのだろう。
互いに許す、互いの立場を理解する、というのは
夫婦の間でなかなかできることではない。

私は

義母が書くべき書類は、なるべく
時間をかけてでも付き添って
義母に書かせている。
義母名義のものは幾らでもある。
私道の件でも、夫と義母の名義だから
義母が書かねばならないことがある。
それらをあのころだったら
私に丸投げして、
私も疑問を持ちながらも従っていたかもしれない。
しかし
今は、字が書ける限り、何枚失敗したとしても
義母に書かせる。
あのころより自分は強くなった。
「世の中知らない」と先日書かれたが
世の中知らないのはあなただ、とずっと思っている。


本の内容を書く予定だったが
義父の死について書いていくうちに思い出してしまった。




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(4/15)「厭がらせの年齢」 義母

2015年04月15日 18時05分46秒 | 日常、仕事、認知症
丹羽文雄の短編に
「厭がらせの年齢」という作品がある。
学生時代に読んだのだが
今でいう認知症の老女が家族に厭がらせをして(認知症症状)
親戚にたらいまわしされるといった内容だった。
戦後に書かれたものだから
認知症という言葉はない。どれだけそれが医学的に進んでいたか、
どれだけ一つの家庭に「認知症」を介護する心構え、認識があったか、
当時は皆無に等しい。
21世紀の未来を予告するような警鐘の作品である。
その丹羽の娘が、後に丹羽の認知症に関する(丹羽も長生きし、認知症を発症)本を
出したのもうちにある。
その「厭がらせの年齢」は、80代の認知症を指していて、
私は
たまに「まさに厭がらせの年齢だ」と思ったことがある。

義母。

今日は久々に口論となった。

仕事で疲れて帰宅して遅い昼ごはんをゆったりと紅茶とパソコンで過ごすのが
ひとときの癒しの私。
大体は、帰宅したとたん、玄関先に出てきて
ヘンなことを言って、不快にさせる義母であるが
今日は出てこなかったので安心した。
しかし。

二階に上がったとたん、
廊下のネコの水の上に
大きなダンボール紙に書いた文字を見て、私はカーッとなってしまった。
「世の中、見るべし。自分のことだけ始めから感じ。」
原文。
文章として成り立っていないのはいつものこと。
こういう文言の用紙は、外の植木鉢の下とか、サンルームの植木の所とか
そこかしこにある。
いつも来る(実際はそんなものはいない)、オトコ、オンナ、拝み屋、という
彼女の頭の中の人物に対しての警告文書(しかも読んでもよくわからない)である。

私はそのダンボールを持っていって
下の義母に
どういう意味か、聞きに行った。
「世の中、見るべし」という上から目線の文言が気に入らなかった。
むろん、彼女の方が長く生きているから上から目線もおかしくはないが、
逆にその文言を彼女に言い返したいくらいの気持ちでいる。
これまで彼女の正常なときの
彼女の夫(故義父)、私たち息子夫婦に、精神的、日常的、経済的に
おんぶにだっこ状態で、お嬢様のように過ごしてきた人に言われたくない言葉である。
お風呂のスイッチ一つ「怖くてつけられないの」と正常なときに
自分を正当化してきた彼女にどこか潜在的に侮蔑の意識があった若かった私だ。
私の夫はいつも言う。
「80代で、1人で暮らしている人はたくさんいる。」
義母は働いたこともなければ(義父の仕事の手伝いはしていたが)、介護もしたことがない人だ。
そんな彼女に「世の中、見るべし」なんて言葉言われたくもない。
なぜ、そう思ったか聞くと
「ネコをどうするのか。」と
このごろは彼女のマイブームの言葉が出る。
夫にも言ったそうだ。
要するに、私たちがネコたちを捨てると、勝手に断定しているのだ。
その都度、頭に来ながら、否定し
(否定するのも癪である。そもそもそんな話、どこにも出ていないのだから)
「そんなこと、勝手に思うな!」と私は言った。
「頭がおかしくなるから、話しかけないで!」と言って二階に上がった。

そしてそれで終わらなかった。
パソコンを観ながら、紅茶を二杯飲み、パンを食べたあと(1時間くらいだったか)、
さて、録画でも観るか、とソファに座ってリモコンを取ろうとしたとき
なんと、テーブルの夫の書類の上に
またも2枚目のダンボール紙を発見。
私は1時間ほど、紅茶を飲んで少しクールダウンしていたのだが、2枚目には
全く気づかなかった。
しかも、用がない限り、互いのプライベートの空間には出入りしないという暗黙の
ルールが破られた気持ちになった。
「言いたいこと山程アリ。世の中知らぬ2人に。」原文。

彼女と話さない、とさっき言ったばかりだが
それを持って
また聞きに行った。
彼女もさっきの件で興奮していた。
「言いたいことがあるなら、言ってよ。」私。
「言わない!あんな態度取られて、言うわけないでしょ!」
「世の中、知らないってどういうことなんだ?」
「それ(ダンボール)を持って、あちこちに聞いてみればいいでしょ!それにいつも来ている拝み屋に聞いてみればいいでしょ!世の中、そいういうもんじゃないんだ。」
世の中、世の中、いつも言う。
どうもその拝み屋というのが私の所に来て、いつも話している、と思っているらしい。
これも、最近出てきていた言葉だ。
「拝み屋だなんて、気持ち悪い。お義母さん、おかしいよ!」
「私はおかしくない!おかしいのはそっちだ!」

決裂。
もう、話しかけない。
これ以上、売り言葉に買い言葉。

この間の日曜日(私は出勤日)、夫と義母が買い物に出かけたのだが
車に乗ったとたん「猫たちはどうするのか。」と始まったようだ。
夫も短気なので
そのことで喧嘩になったとか。
私は「あなた、毎日、私直接そういうこと言われているのよ。腹立つでしょ。
謂れのないこと言われて、難癖つけられているみたいで。」

昔学生のころ
知らないおばさんがうちに上がって(父の知っている人?)、
穏やかに話していたのだが
そのうち新興宗教の勧誘になり、その狂信的な言い方に
ぞっとしてしまって、「出ていけ~!」と泣いて言ったことを思い出した。
あることないこと言い始まって、おばさん1人で興奮して、話しても無駄、ということを
思い出した。
何を否定しても、自分の考えが正しい、と思っているから
こっちの言うことを信じない義母。

今日はここまで。
もう、今は義母に触るまい。
自分がおかしくなる。
不快なブログになってごめん。





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(4/12)アルジャーノンに花束を 山Pのドラマ観ました

2015年04月12日 14時43分00秒 | 山Pドラマ
夜の10時はもう寝ている時刻なので
山Pのドラマ
「アルジャーノンに花束を」は録画して
翌日のゆったりとした時間に観ることにした。
ユースケサンタマリアさんの同ドラマをかつて観たことがあったが
全然内容を覚えていない。

まず
非常に観やすいドラマだった。
観やすい、というのは
耳のよく聞こえない自分は
字幕入りにして観るのだが
自分にとってちょうど良い進み具合だった。
前回のドラマ「ウロボロス」とか西島さんのドラマとか
それなりに面白く観てはいたが
場面が速く変わったり、セリフが速かったりということが
このドラマにはなく
場面場面がわかりやすく、セリフもわかりやすく
無駄のない場面ばかりだった。
丁寧に作り出されている。
視聴者の中に
知的障害者がいたり、子供を含めた家族であったりと
幅広い視聴者がいるので
場面についていくのにちょうどよいテンポだなと思った。

山Pの咲人。
山Pの持つ「天使」的要素が生かされている。
私が以前思った
「天使」の一人だというのが当たっている。
穢れなき天使、無辜の天使、それを演じることができる
数少ない一人。
他の俳優を浮かべてみた。
なかなかマッチしない。

そして
彼を囲む若い人達。
皆、素敵だ。
いじわるも、世話役も皆普通に持っている。
極端に陰湿にいじめるわけでもなく
極端にかばうわけでもなく
咲人が皆になじんで暮らしている。
これから
天才の咲人になったりするのだが
山Pなら大丈夫。

もう1人の主役
ネズミのアルジャーノン。
最後はどうなるのだろうか。
私、
動物ものはボロボロ泣いてしまうんですよね。
ハピーエンドは難しいか。
タイトルどおりにしなければならないものね。
子供たちも多く観ているので
結末は少し温かくしてほしい。


私の三大イケメン
山P
健君
香川君

健君のドラマも今期始まる。
楽しみ。
香川はちょっと停滞気味。
でも腐らず、頑張ってよ。
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(4/11)久々に実家へ

2015年04月11日 17時54分17秒 | 日常、仕事、認知症
夕方になって
ようやく空が夕焼け色になって
明日は晴れるようです。
ほとんど1日、小雨状態で
今日花見の人達も気持ちが半減したことでしょう。

その雨の中
月に1回の、ネコの食糧の大量買いに南の名取市に。
そのあと
正月以来の、私の実家訪問。
父の車のタイヤ交換をしに。
寿司を買っていったら、私たちがタイヤの作業をしている間に
両親、久々に寿司をたくさん食べたようで満足げでした。
よかった、よかった。
私はあまり寿司は好きじゃないので、両親が喜んでいたのを見てこちらも満足。
あれこれといろいろなものをもらって帰宅。
義母も連れていくつもりでしたが
朝、誘ったときに(この時点で実家に行く予定はなかった)、
「出かける気分じゃない。」と言われたので無理せず。

帰宅後
義母に
「お義母さん、どうして連れて来なかったのって責められたよ。
お天気が悪いから、そんな気分じゃないようだ、と伝えたから
今度は暖かい日に行こうね。」と伝えた。
「そう言ってくれるだけでも嬉しいね。」と義母。
しかしその後すぐに私にヒソヒソと

「息子の会社、ひどいんじゃない?」
「え、なに?」
「辞めさせられたんでしょ?」
「は?誰がそんなことを言ったの?」
「誰も言っていないけれど、私、そう思っていたの。」
「ちゃんと勤めて、給料もらっていますよ。勝手な想像をして
相手を不快にさせていたら、友達失いますよ。」
「私の頭の中のことなのね。」と引き下がりました。
とにかくマイナーなことばかりを考えてそれを確認しに来る。

今朝も早くに二階に上がってきて
いきなり
「ネコちゃんたちの行き先は決まったの?」と唐突な質問。
一体、どういう思考からそんなことを言うのか。
「それはどういうこと?」
「この家を捨てなくちゃならないんでしょ。ネコたちはどうするのかって
心配しているのよ。」
「家を捨てるようなことがあっても、ネコたちは捨てませんよ。」

私たちの神経を逆撫でするようなことばかりを言いに来る。

まあ
うちはお金がないので
いざとなれば、この家を売れば、ということもありそうですが
今のところ
それはなし。
おそらく、私が
よく新聞に入ってくる、家の売買、間取りのチラシを見ているのを知っていて
そこから妄想が広がっているのかもしれない。
私は、小さいときから、よくノートに
自分の想像の間取りを書いたりするのが好きで
暇があれば、そういうサイトも見ているし
トイレにもそういうチラシを何枚か置いているので
私たちの不在のときに
二階に上がって、トイレのそれらを見てあれこれと想像しているのかもしれないね。
その辺はわからないけれど。

ではいったんここで中断。
さっき
山Pのドラマ(録画)を見終わったばかり。
ページを換えて感想を。
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(4/10)山P、鳩のPちゃん、私、誕生日おめでとう

2015年04月10日 06時47分05秒 | 山P


昨日4月9日、山P、私、鳩のPちゃんの誕生日だった。
いつものようにデパートの地下にあるケーキ屋でケーキを注文。
山P、とは直接言えずに、鳩のPちゃんにしてもらう。
2年前のちょうど今頃にPちゃんは産まれた。
あれからどこでどうしているのかわからないが
街の中で
鳩を見れば、Pちゃんとはちがう羽根柄だ、と思ったり、似ているなあと思ったり
いつもいつもPちゃんのことを思っている。
山Pは30歳。
あの山Pが。
ちょうど山Pのファンになって10年目の今年である。
2005年の秋から冬にかけてのドラマで
「この子、私と同じ誕生日だ。」と思いつつ観ていたら
ドラマの終わり頃にはすっかりファンになっていた。
すっかり山P熱にハマッてしまった私はそれ以来
山P、山Pとネットで検索し始めたのだ。
ブログを開始するきっかけも彼。
よくぞ、10年冷めずに山Pを愛してきた私。
そんな山Pと私の10年目の特別な日である。

そして
今日から始まる山Pのドラマ。
クロサギのドラマも春のドラマだったが、その収録の途中で誕生日を迎えた山P。
スタッフの皆さんにお祝いしていただいたと思う。
今回のドラマの「アルジャーノンに花束を」のファンのメッセージには
続々と、誕生日おめでとうの声が届いている。
私も後で、書いてこようっと。
クロサギでも、3,4回書いてきた。
同じTBS、クロサギの続きやってほしいね。



1ヶ月近くまたブログを書かなかった。
先月の11日に、風の強い中、震災の記帳献花に行ったときに
風邪を引いてしまいそれが長引いた。
まだ、喉、声に残っている。
その風邪を結構周囲に移してしまい、夫もガラガラ声になったが
大事に至らず。

暖かい日があったが
昨日の最低気温も1℃か2℃で、マフラー、手袋をして早朝出勤。
今日も明日も、気温が低く、ストーブをつけている。
寒い中
桜が咲いていた。









いつも行く公園の桜。
これは2,3日前の写真。
晴れた青空なのに、気温が低いせいか
何となく寒々しい。
明日明後日あたりが見ごろだと思うが、天気が×。
せっかく3日続きの休みが取れて
夫とどこか花見に出かけたいと思っているのだが、どうだろうか。
どこにも行っていないね。
昨日
夫が帰宅したときに、ケーキを見て
「あ、今日ケーキ買ってきてあるかな、と思ったが、買ってきてあった
」とにこにこ顔で言う。
これは夫なりの「誕生日おめでとう。」の気持ちの言葉である。
つまり、自分は、今日誕生日だというのを忘れていないよ、というアピールです。

その大きなケーキの箱を持って帰宅したとたん
玄関先で
義母が
「トモロッシちゃんに私の言いたいことを言おうと思って。」と
私の靴を脱がないうちから語り始める。
「朝、早くに出かけるトモロッシちゃんに、あの女がやってきてあれこれ言っているようだけれど・・・」
「そんな女の人、来ていないよ。」
「いや、トモロッシちゃんは私に心配かけまいとして、来ていないと言うけれど・・・」
「そんなことより、お義母さん、今日私の誕生日なの!知っていた?(知らない)」
「あ、そうなの?私は85歳だよ。」
「あとで、ケーキのお裾分けするからね!」と
ようやく靴を脱いで上がる。
彼女の言葉を遮って、二階へ。
お疲れ、お疲れ、トモロッシ。

というわけで
疲れて、誕生日当日のブログを書けずに
夕食後、テレビを観ていても眠ってしまうので
早めに寝ました。
誰からも
おめでとう、と言われずに
苫小牧に住むもう一人の妹から
「誕生日、おめでとう」のファクスが届いていた。
彼女、それだけは忘れない人。
コメント (2)
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