僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2019/12/31)今年の出会いは・・・

2019年12月31日 19時18分00秒 | 日常、仕事、認知症
今年最後のブログ。
年末の雰囲気ゼロの家です。
ずっと仕事が続いていて、明日元旦も仕事。
若い時の年末年始のワクワク感が懐かしい。
食生活が異なってきた今、毎年欠かさず食べていた年越しそばも食べず
夫と姑は夕食として食べていました。

私はこのところずっと、朝は勿論のこと、夜も食べなかったり、3人で食卓を囲むということは
数カ月、無し。
自分の栄養不足を感じています。
それでも、正月実家で昨年の人たちがまた集まるので、色々準備をしておきました。
そして、まもなく寝る。

私がずっと仕事に出ている間、夫が休みのため、姑のことなどをお願いしようと思っていたら
29日から夫、風邪を引き、3日間ダウンしています。
「吐きそうだ。」と言いつつ、蕎麦を食べてまた寝ています。

私の正月は2日から。


さてさて。
毎年、1年を振り返って、良いものとの出会いを探そうと思ってーー
影響を受けた人との出会いはなかったような・・・
で、今、毎日の密かな楽しみというか、
you tubeを観ることかな。
これまでも観てきているのですが、
今年は特に毎日寝る前に楽しみに観ているものがあります。
保護猫や保護犬の救われた命、その後のことなどを、毎日追いかけて観ています。
それらを観て
ゲラゲラ笑ったり、癒されたり、感動させられたり(なるべく悲しいものは観ないようにしている)
生き物の存在に弱い私は
救われた命にホッとし、飼い主の愛情に感動したりしています。

リンちゃん
ブリちゃん
ハッちゃん
キューちゃん
ポテちゃん
などなど、もっともっとたくさんの子たち。
その子たちと個性的な飼い主とのやりとりにいつも癒されています。



乏しいブログ。
行動範囲が狭い自分。
どこに向かっているのかわからない自分。
先細る人生。

来年待ち受けているものって。
予測しただけでも悲しいことだ。

そういうわけで、今年のブログ、ごめんなさい。
来年もよろしくお願いします。


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(2019/12/17)父とのこと。

2019年12月17日 10時45分15秒 | 両親のこと、入院のこと
先週の土曜日(14日)に実家に行く。
以前から、父が窓ガラス拭き、冷蔵庫の整理、オーブン等の掃除、押入れの整理など
やってくれないか、と切望していたので、日頃親孝行のできていない自分はその日を
有休にして行くことにしていた。

88歳の一人暮らしの老人。
1人娘はいたとしても、滅多に帰らない。
この字面を見ただけでも「親不孝」のレッテルを貼られるであろう。

最近は、以前のような、自分に自信あり、の姿を見せていない父である。
だが、会えば、またお金の話になるので
その話を避けるように、私達夫婦は仕事が終わって去っていく。

数年前(地震後)、父が大腸癌で入院した時に
看護していた私に、突きつけたことは
「遺産相続の放棄をしてくれ」だった。
父の言われるままに、念書を書き、実印まで押した。
それをもとに、父は遺言書を書き、親類の税理士に相談し、
遺留分だけは渡そう、ということになったらしい。
あの時、父は、私や夫の世話にはならない、とはっきり言った。
「実家」も親類のものになる、ということも先日言っていた。

父の血を引いていない自分、ということを感じた日々だった。
亡き母は、私の生母の妹ということで、幾分か血は引いているが(叔母、姪の関係)
養子縁組をした当初から、生母の負い目があったため(経済的に、病気の私を育てるのが困難だった。子供のできない妹夫婦との
養子縁組の話になった)、小さい時の現在の母親の言葉がいつも突き刺さっていた。
「あんたは、富良野(当時住んでいた所)にいたら、とっくのとうに死んでいたんだ!」

小さいながらも、その言葉はよく理解できた。
が、小さいからどうすることもできなかった。
黙って従って、学校に通っていた私だった。
かと言って、生母を恨むという気持ちにもならなかった。
函館にいた時に
「富良野の母さんは今頃、お金に困っているかもしれない。」と
封筒に10円玉とか5円玉を入れて送ったことがある。
その時の自分を考えると、「優しい子だね。大きくなったら、きっといいことあるよ。頑張って生きるんだよ。」と
声を掛けてあげたい。
実際にそう激励されたら、私はもっともっと人の気持ちを理解できる人間になっていたかもしれない。
だが、現実にそううまく行くものではない。

父は
「もう、今の仕事を引退して、少しはこっちの面倒を見ないか。日当は出すから。」と言った。
あの「お前たち夫婦に絶対世話にならない。」という言葉はどうなった?
私の勤務先の電話を聞こうとするが、「連絡は携帯に。」と私は言った。
まあ、調べればすぐに勤務先の電話はわかるのだが。
先日の「父が階段から落ちて~」の緊急の電話が入った時は私は家にいた。
これから何かあるかもしれないから、というが
父よ、
私の世話にならない、と言ったではないか。
あなたの周りに
たくさん、いざとなったら動いてくれる人がいるじゃないか。
それなりのお金を渡しているでしょうに。
免許返納して、車も知人の息子にやったでしょうに。
すぐ駆けつけてくれるはず。

以前父に会った時に
「下着を買うのにも不便だ。なかなか、サイズがない。」ということで
街の中には大きなスーパーがあるので、「お安い御用」と
私は父の望む下着上下をたくさん買って
先日持っていった。
「日頃、親孝行できていないから、お代は結構。」とプレゼントした。

来年正月にはまた実家に行く。
その、車をやった家族らも参加する。
今から、何を作ろうかと考えている。
夏に、ホタテ炊き込みご飯を持っていったときに
父が、美味しいと食べていたのでそれもまた作って持っていこう。







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(12/3)ダイジローの命日。室内飼いのネコのノミについて。

2019年12月03日 20時38分06秒 | ネコ
昨日は我が亡きネコのダイジローの命日だった。
昨年のその日に亡くなった。
その時の記事を探したら、今年の3月に書いていた。
どうしても亡くなった当日に書けなかった。
そのことを思い出した。
パソコンの周りにはダイジローとタヌ(ダイジローの母親。私のプロフィールの写真のネコです)が
親子でじゃれ合っている写真などを貼っている。
ダイジローと同じ年のシンノスケは16歳になった現在、頑張って生きている。
とても16歳とは思えない体系と甘えんぼうな姿。
21歳のナナは一時(いっとき)、痩せて足元のふらつきなどでもうそろそろかもしれないと覚悟を決めたが
あることがわかって、それを解決したら、元気を取り戻して維持している。

あること、とは。
ノミである。
ナナは耳が聞こえない。故に、鳴く時の声が甲高い。
あまりに鳴きすぎる。
身体も痒がる。
私はそれは、老いたネコの特徴だと思っていた。
人間も年老いたら、奇異な行動をとったりするから
それと同じなのか、と勝手に判断していた。

ある時、ナナのお腹にノミを見つけた。
驚いた。
完全室内飼いのネコたちである。
保護した当時は病院で、ノミの駆除もやってもらった。
そして、もう死滅したと思って何年も経っている。
たまに痒がる動作も、ノミで痒いとは思っていなかった。
私の認識が誤りであることと戦うことにした。
ノミは完全に駆除できないと知った。
だから、数カ月おきに駆除薬をつけたりするのだ。
それはたまに外に出たりするネコが対象だと思っていた。
ノミがいる、とわかったら、そのノミたちとの戦い。
熱湯に少しの洗剤を入れて、ノミ取り櫛を使って(これまでの猫たちのために4つもある)
毛の奥にいるノミを駆除し、お湯攻めである。
ナナにいる、となったら、一緒にくっついているシンノスケにもトモにもいるに違いない。
いた、いた。
室内飼いの盲点だった。

そして、ナナの鳴き声が収まった。
痒さのストレスで鳴いていたのだ。
足のふらつきもほぼ快復した。

ノミの存在はしつこい。
だから毎日、何回も駆除する。

室内飼いのネコが、身体を掻いていたら、それの主因は
ノミ、だと思ってもいい。
ただ、身体が痒いだけと思わないで
ノミを疑ってみてもいい。

年だから、鳴き声も甲高い、痒みもある、なんて
勝手な解釈をしていた私は猛省である。

そうすると、歴代のネコたちもそうだったのかもしれないと後悔である。

ダイジロー、君もそうだったのか。
ごめんよ、ダイジロー。
命日の時に思う。
ヒカルやトチやクロポチや・・・みーんな、ごめん。
もっと徹底的にやってればなあ。

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(12/3)朝のちょっとした気持ちの良い体験。

2019年12月03日 06時47分50秒 | 日常、仕事、認知症
昨日は、自分の職場ではなく別な所にお手伝いに行く日だったので
いつもより早めに出勤した。
大通りの横断歩道を渡る時に右折してきたトラックが
十分余裕で行けるのに、わざわざ歩道の前に止まって私の自転車が横断するのを待ってくれた。
私自身も、トラックが先に行けるように意識的に自転車を徐行させたのだが
トラックの方が止まってくれた。
会釈と「ありがとうございます」をつぶやいた。
その言葉は勿論届かないが、口の動きを見て何を言ったかわかったかと思う。
朝から、良い気持ちになった。
トラックの運転手も良い気持ちになったのかもしれない。
自分の善行(これを善行というかどうかはわからないが、ちょっとした余裕の行動だ。)が
相手(私)に伝わり、それを会釈と笑顔の言葉で返される、ということは彼の一日の仕事のスタートが
晴れやかになるし、今後の安全運転にも繋がっていくことを願う。
勿論、普段からそういうゆとりの気持ちを持った安全運転を心掛けている人なのかもしれない。
そういう類いの動画の観すぎの私である。
それらを観て、いつも自分も自転車の安全運転をしようと心掛けている。
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