僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(12/31)今年の反省。

2017年12月31日 21時29分41秒 | 日常、仕事、認知症
この時刻は、布団に入っている時刻なんですが
まだ少し起きています。
明日正月から仕事です。

明日の朝に夫と義母の食べる料理は作っておいたので、朝食のことを心配しないで
早朝、いつもの時刻に家を出ます。

今年は母の死がずっと引きずった日々となりました。
一応、百箇日法要も済ませそれで区切りがついたのですが
新たに、今度は父との関係で悩みを引きずっている私です。
年を越さないで、解決したかったのですが
それもできず、年を跨いだ状況になりつつあります。

それでも
義母もまず年を越せる、父も年を越せる、
私は色々な課題を抱えたまま、重い気持ちで年を越す。

取り敢えず、それらのことはまたゆっくり書くことにして。
きちんとしたブログにならなかったことが反省点かな。

良い年をお迎えください。
いつになったら、今年は良い年だった、と書けるのだろう。

1年間、ありがとうございました。
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(12/12)義母の予言?

2017年12月12日 20時43分07秒 | ネコ
今日は朝から雪だった。全国的な寒さ。
雪の少ない仙台なので、積もりはしなかったが、うっすらと地面が白くなる。
幸い仕事が休みだったので、ホッとするが。
明日も寒そうだ。ツルツル自転車が滑りそうだ。気を付けよう。

ゴミを出しに行く7時ごろ、久しぶりにあのネコが庭に来た。
昨年の夏によく、うちに来ていた3匹のうちの1匹だ。
昨年の冬を迎えるにあたって、サンルームを掃除して、夫に出入り口を作ってもらい
日向ぼっこをできるようにしたのだが、ピタッと来なくなった。
3匹とも。
最後に見たのはいつだったろう。
今年は母の入院、葬儀があって、そっちまで気が回らなかったが、明らかに来なくなった。
シロ(夫はモーちゃんと呼んでいる)、
チャイロ、
クロ。
そのうちのシロである。相変わらず首輪をつけているし、肥えているようなので、
飼い主はいるのだろうが、ここ最近3回ほど見かけるようになった。
うちの樹の下で、雪宿りしていた。
なぜ、こんな寒い日の早朝に出てくるのだろう。
ご飯を用意してサンルームに置くと、しばらくして入ってきた。
ご飯を平らげて、出ていく。
これからまた、ご飯を用意してあげようと思った。
そして昼過ぎ、
サンルームを覗いてみると
なんと別なネコ。
チャイロだ。
このチャイロは懐っこい。
サンルーム続きの食堂にスーッと入ってきて、廊下を渡って、夫のオーディオルームに入っていった。
しばらく冒険して戻ってくる。
ご飯を用意する。
今日は雪模様なので日差しがないから、サンルームは寒い。
日差しがあれば、ポカポカなんだが。寝床がいっぱいあるからそこで昼寝ができる。
今日はしかたない、そのまま出ていった。

ずっと姿を見せなくなった数カ月、
もうチャイロは死んだのかなあ、と時折思っていた。
縁がなかったんだ、なんて思ってね。


一昨日から、義母から
「トモロッシちゃん、見て。」と毎日
コタツの上のウサギのぬいぐるみを見せられていた。
ぬいぐるみをおくるみに包んで(それはいつもやっていたことだから特別何も感じなかった)、
「死んだのに、戻ってきたの。」と3日続けて言われた。
ボケが進んだなあ、ぐらいに受け取った。

しかし、
後から考えて、
「あれ?義母って予言者?」と思った。
死んだかもしれない、と思っていたチャイロが生きていた。
気候の良いとき、季節の良いとき、
どこかで見かけたとか、塀の上を歩いていたとか全くそれがなかったから
半ば、死んだと思っていたんだ。
それが、また姿を現し、家の中を闊歩していた。

「死んだのに、戻ってきた」の義母の言葉が当てはまったような日だった。
義母よ、仙人になれ、と思った。
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(12/9)忖度ということば

2017年12月09日 20時20分07秒 | 文学/言葉/本
まだまだ、自分にとっては寒い日が来たとは思えない12月だ。
北海道は雪だろうか。
こちら東北仙台は、早朝にチラッと降る程度で、幻の瞬間のようなもの、目撃者も少ないだろう。
過ごしやすい東北の町である、仙台って。
この間の北仙台で中国の友人と会った日ぐらいか、寒い!と感じたのは。

今年の流行語に「忖度」が選ばれた。
漢検では読みが中心に出題されると思うが
意味までわかるのはなかなかいない。
テレビで、ネットでこの言葉が大いに使われた今年。
その使い方に違和感を覚えた自分だ。

相手の心を忖度する。

相手の心を想像する、推量する。

ところが、今の使われ方だと、
相手の心を推量して配慮する、とか
斟酌するとか、取り計らうとか、便宜を図るとか、付随した意味を持たせた使い方になっている。
そこまで意味はない。
しかし、新しく使い始めた人によって、この意味が定着していくと推測される。
本来はそこまでの意味じゃないよ、なんて無粋なことを言って煙たがれそうだ。
私はたまにこの忖度という言葉を使ってきた。
どちらかと言えば、好きな言葉だ。
10年くらい前にも、このブログで「忖度」のやりとりがあったのを思い出した。
相手側に立って、彼女の気持ちを想像してみた。そこに配慮とか斟酌という意味合いはなかった。
まさか、それらの意味合いを持たせた使い方は10年後に出てくるなんて予想もしていなかった。
今の使い方は
相手を忖度するではなくて、
相手に忖度する、という新しい使い方。
相手に配慮する、ならばわかりやすい。
これからも自分としては
相手の心を忖度する、という使い方をするので、あしからず。

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(12/2)中国人の彼女

2017年12月02日 08時43分53秒 | 日常、仕事、認知症
先週の金曜日に、中国の友人の家にお邪魔した。
前日の突然の約束だった。
新しいアパートに移ったので、ぜひ遊びに来てほしい、一緒にギョーザを作ろうと
前々から約束していたのが延び延びになっていた。
そして金曜日に行ってきた。
約束の場所はここ。

私の家から自転車で15分ほどだ。
この日は特別寒かった。
それまであまり寒さの感じない11月であったが、きっとその日が一番冷え込んだ日であろう。
行くときは小雨のような霙のような空から降ってくるもの。
寒さの中で、彼女を待った。
そしてフル防寒した彼女が自転車でやってくる。
その姿を写真に撮った。
明るい笑い声が駅前に響いた。
ここから、自転車で5分もかからない所だと言った。
ビルの裏通りの坂を上って、神社や寺の墓などが点在する所を抜けて、線路沿いの古いアパートだった。
冷え切った身体を温めるためにいざ、中に入ろうとすると
ドアを開けたとたん、毛布のカーテンだった。
部屋も真っ暗。ベランダ側のサッシもカーテンと同時にやはり毛布をかけていた。
せめて日中はそれらを開けないと、暗いままで寒いのでは?と言ったが
開けると寒いからだめだ、と言う。
エアコンはあるが、ストーブはなかった。エアコンもつけられなかった。コタツはあるけれど、ヒーターがついていなかった。
ベッドのみ。
服類は押入れのビニール袋に入っている。
台所兼玄関の細長い通路にコタツ板をテーブル代わりにして椅子は風呂のあの椅子に座布団を載せたもの。
朝から大量に作っておいたギョーザの山をどんと出されて、3つばかり食べる私。
炊飯器もない、テレビもラジオも音楽を聴くものもない。
娯楽は何?休日はどうやって過ごしているの?いろんな疑問が出てきた。
彼女の素性はある程度知ってはいるが、
この侘しい生活をしてでも、なぜ日本に残っているのか、一番の疑問だった。
だが、あまり深く詮索するのも憚られるが、真実を語ってくれるわけではない。
以前は横浜にいた。
横浜からなぜ、この東北の町に?仕送りを中国にしているの?などなど、私の質問に答えていった。
結局日本が好きだから、中国には帰らないと言っていた。
今のところ、日本が好きで、休日には仙台近郊の観光地などを巡っているようだ。
それにしても寒くて、身体が温まらないので、そして彼女も別の約束があるので
予定よりも早くにそこを出た。
まずは温めよう。
そして考えよう。
彼女の心を忖度してみよう、と喫茶店に入った。

駅前(北仙台駅)のドトールだった。
ドトールがここにあるとは。
これは便利だ。

あの冷え切った部屋の寒さと暗さと家具のない、娯楽のない侘しさが私の心に突き刺さっていた。
そういえば、夏の七夕祭りの時に、彼女と七夕を観て回ったんだっけ。
綺麗だねえ、と言いながら一生懸命写真を撮っていた。
先日も船岡の菊人形祭りに積極的に行っていたし(誘われたけれど、行かなかった)、外に娯楽を求めている彼女なんだ、と言い聞かせた自分。
だが、仕事から帰宅してホッとする時間を持つのが住まいなのに、その生活感のなかったことにちょっと哀愁を感じただけなんだ。

ドトールを出ようとしたら大粒の雨だった。雨具をその場で着て
すぐ傍のスーパーに寄って買い物をし、
駐輪場に向かう。
駐輪場の傍の家の昭和的な雰囲気が好きだ。
この界隈はじっくり眺めたことはないけれど、少し自転車の散策コースの範囲が広がったと思っている。
いつもは大通りのビル街を通ってばかりだが、こういう小さな脇道を通ることが好きな私だ。
帰宅して
漸く身体を温める。

ほんの数時間の出来事だったが、あの日のことを記しておきたいと思った。
季節が暖かくなったら、桜を観に、誘ってみよう。
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