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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(3/29)サッカーのセレモニーに泣く。

2011年03月29日 23時57分42秒 | 東日本大震災
今日は、職場に行ってきた。
今月中に、お別れの品を届けなくてはと思って。
皆、PCに向かって黙々と仕事をしていた。
同じ部署の後輩に、品物とコメントを託して
渡すことができた。
ホッとした。

いつも楽しく話してきた、山P仲間にも
御礼の品を渡して。
別にこれでお別れじゃない。
またすぐに、皆と会うことにしているもの。

今はどの家庭も大変。
この年代になると、年を取った親のことが
現実に圧し(のし)掛かって来る。
彼女も
病気の父親、そして看病疲れの母親の面倒を
見なければならない。
特に、この地震によって、普段いっしょに生活をしていないものが
身を寄せることで、生活サイクルの歪み(ひずみ)が出てきて
殺伐としてくる。
私の家でもあること。

そんな話をしてきて、
最後に、昨日の山P話をしてきた。
笑いあった。
そしてお別れした。
また会える。家だって、自転車で5分だもの。
会える。
そう思って、にこやかに別れた。

ただ、肝心の一番の上司に挨拶をしていない。
今、彼非常に忙しいので
また日を改めて、挨拶しなくては。


昼食をまたまた
伊達の牛タン弁当にした。
駅の地下街が少しずつ回復してきたので
義母のお昼(散らし寿司)と私たちの牛タン弁当。
義母は、牛タンを食べない。
それを自転車の後ろに乗せて帰宅。

途中、コンビニの横で
伊達の牛タン弁当を屋外販売しているのだが
(最初の2回はここで買った)
そこの前を通ると
売り子さんが「伊達の牛タン弁当いかがですか~」と
私に言った。
私はうしろの袋を見せて
「買ったよ~」と言う。
「ありがとうございました!」とにこにこして返事をされる。

家に着くと
私の両親が来たことを知らされた。
病院の帰りに
先日の父のゴルフ旅行のおみやげを持ってきたのだ。
3、4日前に
両親から電話があり
「おみやげを渡したいから家に来ないか。」と言われたのだが
「ガソリンがもったいないから、メドが立ったら行く」とだけ答えた。
今は
会いたくない気分。
だから、今日の私たちの不在で会えなかったことに
なぜかホッとする。
あの日(停電中に父がわめいて来た日ね)のわだかまりが
まだ自分の中で消えていない。
あんな恥知らずな父だったとは。
いやいや、あんなのは序の口。
いまだに変わっていないんだ、と再認識。
忘れるところだった、普段あまり交流がないから。
半年前の両親との北海道帰省が結構、良かっただけに
父も大分丸くなった、と思っていただけにね。


夜。
今日はサッカーを観る日、山Pのクロサギを観る日と決めていた。
早めに夕食を終える。

そしてサッカーのセレモニー。
ボロボロ泣いた。
何ていうか
この震災で
初めて黙祷を捧げた自分だった。
高校野球の東北高校の試合も観られなかったし。
このサッカーの試合で
日本中の人々が
東北を応援してくれて
励ましてくれて
君が代もしっかりと歌い
最後に
こんなに大勢の人数がいるのに
皆厳粛な気持ちで黙祷を捧げてくれて
涙が出てしまった。
まだまだ
行方不明者がいて、
原発も落ち着かないし
とても追悼の気持ちというわけにいかないと
思っていた。



ああ、続かない。
ちょっとやめよう。
いったん更新。