僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(3/24)スーパーの行列が少し緩和された

2011年03月24日 23時41分40秒 | 東日本大震災
何か書いていないと
不安になる。
これは元々の自分の性分だから仕方ないだろう。
パソコンとか
ブログとかが生活になかったころ
ノートに日記を書いていた自分だ。
今は
これがその日記代わりである。
そして公開だから、多少の秘匿もある。
自分の年齢や仕事や家庭の事情や自分のマイナスな面や。

今日も変則的な生活である。
まず睡眠が規則的じゃない。
あの停電から、早くに寝る習慣は身についたけれど
安心した熟睡ができていない。
そのため
何かを忘れたいために、テレビを観ていると
ウツラウツラしてくる。
疲れているのかどうかもわからない。

今、家では
三食とも私が作っている。
普段は、義母とは食事の時間が別で、
自分たちの食べたいものを食べてきた。
しかし
この地震で、未だガスが使えず、
卓上コンロと七輪で
なるべく一斉に食べるようにしなければならない。
ガスボンベも節約しなければならない。
これまでの自由な食事時間は、お昼の食べるときが時に3時になったり
夜は、夫が遅いと10時、11時はざらだった。

しかし
義母はいつも規則正しく、三食の時間にきっちり食べてきた。
だから
今も、義母に合わせている。
すると時間の拘束が出てくるのだ。
午前中に
大きなスーパーに並ぶと、1時間くらいは覚悟。
(これは大分緩和された時間)
そこで手に入らなかった場合は、次のスーパーを目指して
そこでも並ぶ。
そのうち、お昼になってしまう。
義母は、お昼を待っているだろう。何時に帰宅してくるのかわからずに。

義母は
卓上コンロの火を点けることはできない。
しない。
自分の母のように、点け方がわからないのではなく
点け方を教えても、火が怖いということで
私がやっている。
夫はそんな自分の母親を冷ややかに見る。
食事の空気がまずいときがある。
だから、義母には専ら食事後の食器洗いを担当してもらっている。
義母は
「自分で作るより、トモロッシちゃんの料理で食べるほうがおいしい。」
ということで、いつもよりたくさん食べているとのこと。
今夜は
ごはんを炊かずに、お好み焼きにした。
昨日の肉を残しておいたので、それを入れて。
お昼はうどんにした。
お米もできるだけ節約だ。
それから
食パンも手に入った。
広島のパンだった。
明日の朝はパン。

食べることって、ホント、当たり前だけれど
大事なことなんだ。
今まで、ずいぶん無駄にしてきたものが多い。
冷蔵庫の奥で、忘れられた存在のものをたくさん廃棄してきた。
今は、賞味期限がどうのと言っていられない。
食べきること、有りがたがって食べ切ることを
意識している。

いったん更新。