3回目の別格二十霊場の記録も 午後の3ヵ寺のお参りをアップすることで やっと今夜で終わります(^_-)-☆
昼食後 40分ほど走って 最初に訪れたお寺は
・四国別格第9番札所 文殊院 ・本尊 地藏菩薩・文殊菩薩
このお寺は 自分の罪の深さに目覚めた河野衛門三郎という人の 屋敷跡にお大師さんが文殊菩薩の寺を移し 河野家の菩提所としたお寺だそうです。
四国遍路開祖発祥地となる本堂
衛門三郎の話を 引用してコピーします
「伊予の国浮穴郡荏原に衛門三郎という欲深い長者が住んでいました。弘法大師がみずぼらしい格好をして訪れた時、衛門三郎は
鉄鉢を取り上げ投げつけ、鉄鉢は八つに割れてしまいました。翌日から8日間に8人の子供達が次から次へと亡くなりました。
自分の罪の深さに目覚めた衛門三郎は改心し、四国巡錫中の大師のあとを追うが巡り会うことが出来ませんでした。21回目の時、焼山寺の麓で病に倒れ、突然枕元に弘法大師が現れ、彼の手に一寸八分の石に「衛門三郎」と彫りつけますと、衛門三郎は安心して息を引きとりました。その後、伊予の国主河野氏に男子が生まれましたが、その子はいつまでたっても右手は握られたままで開きません。そこでこの安養寺に願をかけましたところ、手の中から「衛門三郎」と書かれた石がでてきたのです。その石をここに納めましたので、その後、寺号を安養寺から石手寺に改められたそうです。現在、その衛門三郎の石は大講堂の正面に安置してありす。 焼山寺から下山1KMの所に杖杉庵(じょうしんあん)があり衛門三郎の墓があります」
衛門三郎が逆打ちをし お大師さんと出合った年が 閏年だったことから 四国遍路も閏年の今年は逆打ちのツアーが多いそうです 次回の閏年は申年で 特にご利益がありそうと 先達さんのお話です。
ここの大師堂は 「遍照殿」と 書いてあります
境内には 大きな弘法大師さんの石像や
衛門三郎夫婦の石像もありました
9番の次は 道順から先に四国別格11番にお参りをしました。
走っていると 急に土砂降りの雨に雷が鳴り出し 停電となった信号機や 照明の無いコンビニもあり
どうなるのかと心配しましが バスを降りる頃には 小雨となっておりました
・四国別格11番札所 生木地藏(いききじぞう)正善寺 ・本尊 生木地藏菩薩
このお寺は その昔 青葉しげる楠の木に そのままお地蔵様を刻んで 本尊にされたそうです。
昭和29年の台風で楠は倒れましたが お地蔵様は昔の姿そのままだそうで 倒れた木の根っこ部分
本堂の賽銭箱に 生木のお地蔵様の写真が貼り付けてあります
ここの大師堂へは 小雨を避けて 上がってお参りをさせてもらいました。
堂内の写真撮影は 止めておいた方がいい と 先達さんのお言葉で 出てからの大師堂
大粒の雨が又降り出し 運転者さんが気を聞かせ 本堂のすぐ側までバスを移動させてくださり
傘を差し 急いでバスに向かって
雨で正面から写せなかった 車窓よりの楠大明神
この後 10分ほど離れた 今回最後のお参りは
・四国別格第10番 西山・興隆寺 ・本尊 千手観音菩薩
ここでは本降りの雨となって お寺への入り口 赤い手すりのみゆるぎ橋を渡って・・・
お遍路ツアーで こんな雨の中でのお参りは始めて 傘を差して写真を撮ると慣れないないので ブレブレの写真で見難いですが・・・
結構上ったところにあった立派な仁王門
境内 雨に煙る鐘楼と観音像
一時 小雨の時に写した本堂
こちらが大師堂
このお寺は 別名「紅葉寺》と呼ばれて 秋の紅葉の美しいお寺だそうです
最後は雨の中 下りてきましたが ズボンも裾がびちゃびちゃ
バスも 雨漏りが2箇所もあり 一時 大騒ぎでしたが 徳島道の吉野イターハイウエイオアシスまで帰ってきたら
ズボンも乾き 雨漏りもおさまり 一休み
後 淡路室津のサービスエリアでもう一度休憩 9時前に緑ヶ丘に到着です
今回で11ヵ寺のお参りも済み 残り9ヵ寺と もう後半に入り なんだか寂しさも感じます。
以前 四国八十八ヵ寺参りのとき 先達さんがおっしゃてた 四国病とか大師病に 私もなりそうですわ(^_-)-☆
昼食後 40分ほど走って 最初に訪れたお寺は
・四国別格第9番札所 文殊院 ・本尊 地藏菩薩・文殊菩薩
このお寺は 自分の罪の深さに目覚めた河野衛門三郎という人の 屋敷跡にお大師さんが文殊菩薩の寺を移し 河野家の菩提所としたお寺だそうです。
四国遍路開祖発祥地となる本堂
衛門三郎の話を 引用してコピーします
「伊予の国浮穴郡荏原に衛門三郎という欲深い長者が住んでいました。弘法大師がみずぼらしい格好をして訪れた時、衛門三郎は
鉄鉢を取り上げ投げつけ、鉄鉢は八つに割れてしまいました。翌日から8日間に8人の子供達が次から次へと亡くなりました。
自分の罪の深さに目覚めた衛門三郎は改心し、四国巡錫中の大師のあとを追うが巡り会うことが出来ませんでした。21回目の時、焼山寺の麓で病に倒れ、突然枕元に弘法大師が現れ、彼の手に一寸八分の石に「衛門三郎」と彫りつけますと、衛門三郎は安心して息を引きとりました。その後、伊予の国主河野氏に男子が生まれましたが、その子はいつまでたっても右手は握られたままで開きません。そこでこの安養寺に願をかけましたところ、手の中から「衛門三郎」と書かれた石がでてきたのです。その石をここに納めましたので、その後、寺号を安養寺から石手寺に改められたそうです。現在、その衛門三郎の石は大講堂の正面に安置してありす。 焼山寺から下山1KMの所に杖杉庵(じょうしんあん)があり衛門三郎の墓があります」
衛門三郎が逆打ちをし お大師さんと出合った年が 閏年だったことから 四国遍路も閏年の今年は逆打ちのツアーが多いそうです 次回の閏年は申年で 特にご利益がありそうと 先達さんのお話です。
ここの大師堂は 「遍照殿」と 書いてあります
境内には 大きな弘法大師さんの石像や
衛門三郎夫婦の石像もありました
9番の次は 道順から先に四国別格11番にお参りをしました。
走っていると 急に土砂降りの雨に雷が鳴り出し 停電となった信号機や 照明の無いコンビニもあり
どうなるのかと心配しましが バスを降りる頃には 小雨となっておりました
・四国別格11番札所 生木地藏(いききじぞう)正善寺 ・本尊 生木地藏菩薩
このお寺は その昔 青葉しげる楠の木に そのままお地蔵様を刻んで 本尊にされたそうです。
昭和29年の台風で楠は倒れましたが お地蔵様は昔の姿そのままだそうで 倒れた木の根っこ部分
本堂の賽銭箱に 生木のお地蔵様の写真が貼り付けてあります
ここの大師堂へは 小雨を避けて 上がってお参りをさせてもらいました。
堂内の写真撮影は 止めておいた方がいい と 先達さんのお言葉で 出てからの大師堂
大粒の雨が又降り出し 運転者さんが気を聞かせ 本堂のすぐ側までバスを移動させてくださり
傘を差し 急いでバスに向かって
雨で正面から写せなかった 車窓よりの楠大明神
この後 10分ほど離れた 今回最後のお参りは
・四国別格第10番 西山・興隆寺 ・本尊 千手観音菩薩
ここでは本降りの雨となって お寺への入り口 赤い手すりのみゆるぎ橋を渡って・・・
お遍路ツアーで こんな雨の中でのお参りは始めて 傘を差して写真を撮ると慣れないないので ブレブレの写真で見難いですが・・・
結構上ったところにあった立派な仁王門
境内 雨に煙る鐘楼と観音像
一時 小雨の時に写した本堂
こちらが大師堂
このお寺は 別名「紅葉寺》と呼ばれて 秋の紅葉の美しいお寺だそうです
最後は雨の中 下りてきましたが ズボンも裾がびちゃびちゃ
バスも 雨漏りが2箇所もあり 一時 大騒ぎでしたが 徳島道の吉野イターハイウエイオアシスまで帰ってきたら
ズボンも乾き 雨漏りもおさまり 一休み
後 淡路室津のサービスエリアでもう一度休憩 9時前に緑ヶ丘に到着です
今回で11ヵ寺のお参りも済み 残り9ヵ寺と もう後半に入り なんだか寂しさも感じます。
以前 四国八十八ヵ寺参りのとき 先達さんがおっしゃてた 四国病とか大師病に 私もなりそうですわ(^_-)-☆