

県立石見美術館外観 県立石見美術館内庭広場
近年仏像ブームと言われていますが、島根県立石見美術館では9月18日~11月16日まで「千年の祈り 石見の仏像」展が
開催されています。
タイトルに興味を持ち、万葉集の歌人柿本人麻呂の終焉の地と知られている益田市まで出かけました。島根県は山陰地方といわれ、
日本海側にあり、中国山脈の山々がある東西に長い県です。旧国名は出雲の国、石見の国、隠岐の国から成り立っていました。
(最近は国のことを地方と言います)
仏像は古代より中央の影響を受けつつ独自の文化圏を育んだ出雲の仏像とは好対照で石見の仏像は人々の祈りを受け止める根底が
流れているそうで穏やかさがあります。
作品は時代ごとに展示され、仏像の後姿も拝見出来ます。傷んでいる仏像など様々ですが、国宝展とは違った感覚で捉えることができ、
拝観したことに満足感がありました。
出品作品
■飛鳥~奈良時代
★観音菩薩立像(総高34.9) 定徳寺(じょうとくじ)(美郷町)
石見地方最古の白鳳仏で銅造です。童顔で笑みを浮かべた表情は可愛く少し斜め寄り、ほっそりしたプロポーションは
白鳳時代に代表される小金銅仏の一つです。
奈良の法隆寺などに所蔵されている作品に似ているそうです。
★誕生釈迦仏立像((たんじょうしゃかぶつりゅうぞう)(総高11.1) 浜田市教育委員会
浜田市には県内最古級の白鳳時代の寺院跡である下府(しもこう)廃寺があり、石見国分寺の発掘調査から出土した銅造の仏像です。
頭部を失い全体にやや火を受けた状態ですが、胸を反らせた上半身、短い裳をつけ、右手を掲げた姿も愛らしいです。
★仏頭(ぶっとう) (総高69.2)浜田市教育委員会
石見国分寺の本尊の薬師如来像の一部と伝えられていますが、江戸時代の後期の火災によって炭化した痛ましい状態です。
木心塑像の心木の一部である可能性が考えられるそうで、黒い木目が美しく頭部、額などを見ると仏像の形になっています。
めずらしく一番、目に付くのではないでしょうか。
★観音菩薩座像(総高31.4) 福泉寺(ふくせんじ)(江津市)
統一新羅時代から高麗時代に朝鮮半島で制作されと見られる像で、短い脚をやや折りまげて岩座の上に座り、下膨れの面相や
腹部に量感をもたせた銅造の作品です。
■平安時代前期
★天部立像(てんぶりゅうぞう)(像高144.0) 天部立像(総高147.5) 満福寺(まんぷくじ)(益田市)
美しい雪舟庭園がある満福寺に安置されている伝多聞天像、伝持国天像は前身寺院である安福寺の旧像が万寿3(1026)年に
大津波によって流されたもの伝えられています。ともに木心を像内に籠めた一材から頭部主要部分を掘り出し、背面から内刳りを
施しています。
両像とも胸や腹、腰の分節や量感の変化はあまり見られず、忿像としては動きを抑制した姿勢などから在地で制作されたと見られています。
★天部立像(像高133.5) 多陀寺(ただじ)(浜田市)
ヒノキの一本造で造られた59躯が所蔵されていますが、保存状態の良い像を中心に27体が島根県文化財になっています。
半数近くが内刳りを施した像であることから平安時代の中頃に制作されたとみられますが、外海に広がる海の道にふさわしく
朝鮮から流れ着いたとも伝えられています。
★千手観音菩薩立像(せんじゅかんのんぼさつりゅうぞう)(像高118.0) 安立寺(あんりゅうじ) (大田市)
仏像の表面に荒々しいノミ跡を残しておりますが、合掌の手の両肘先を含んだ頭部から地付まで1本から彫り出された像です。
両腋横の天衣には渦文を見せながらも胸幅の広い体躯に浅い衣文を掘り出していることから十世紀頃に制作だと思われています。
化仏十面を全て天冠台上に並列し、頂上仏面化仏の目鼻立ちを表していないので「霊木化現」と見られています。
通例の千手観音像は42臂であるのにと思っていましたら、真手.第二手(宝珠手.後補)以下全て失われているためでした。
(霊木化現とは、完全な仏像にもかかわらず未完成と思われる部分を残す一木造の仏像)
★十一面観音菩薩立像(像高176.6) 妙義寺(みょうぎじ)(益田市)
後世の厚い彩色に覆われて詳細は不明ながら頭頂から像低まで主要部をヒノキの一材で掘り出しており、
内刳りはほどこされていないそうです。
現状では高髻(こうけい)の上部が切断され、そこに頂上仏面を載せていますが、もとは高髻(こうけい)を結った菩薩立像とみられ、後に
十一面観音として改造されたと考えられるそうです。
★千手観音菩薩立像(像高118,0) 満福寺(益田市)
長身の像で、ふくよか面貌に伏し目がちな目を刻み、静かな表情をたたえており、体躯には裳の折返しや天衣を浅く表しています。
平安時代後期に隆盛した定朝様の特徴がみられます。
(定朝様とは「寄せ木造り」という日本独自の仏像技法を確立し、穏やかなお姿の阿弥陀さまの形式を創造し、仏像様式を確立した
大仏師です。)
★観音菩薩立像(像高161.0) 大喜庵(たいきあん)(益田市)
1本造ながら静かな表情をたたえ、裳の折返しや天衣など浅く掘り出す以外、ほとんど衣文を施していない長身のあっさりした仏像です。
★阿弥陀如来座像(像高44.8)満福寺(益田市)
平安末期に制作されたと見られる像で、小像ながら目鼻立ちと整った面猊が穏やかな表情をみせ、体躯も伸びやかで自然であり、
優雅温和な作品です。
★大日如来座像(だいにちにょらいざぞう)(像高91.6) 西隆寺(さいりゅうじ)(邑南町)
銅製宝冠をつけ智挙印を結び、右脚を上にして結跏跌座(けっかふざ)する金剛界の大日如来(だいにちにょらい)です。
数度にわたる後世の修復を受けて制作当初の象容がわかりづらくなっていますが、小さく刻まれた目鼻立ちや伏し目がちな眼、
広い肩幅など定朝様式の特徴をとどめています。
もとは近傍の賀茂神社三重塔の本尊でしたが、明治の廃仏毀釈のあおりを受けて西隆寺(さいりゅうじ)に移座されました。
★阿弥陀三尊像 安国寺(あんこくじ)(浜田市)
阿弥陀三尊像は、脇侍の観音菩薩像、勢至菩薩立像(せいしぼさつりゅうぞう)も含めて、制作当初の三躯が揃って残る貴重な作品です。
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての中央仏師による制作と考えられています。近年の修理で、漆箔を一新し、彫眼から
曲眼に改めています。
仏像は離れたところから観ても黄金に輝いています。
◎阿弥陀如来座像(像高104.8)
整った小粒の螺髪、丸く張ったほお、小ぶりな目鼻を表し穏やかな表情です。薄くなだらかな胸や膝、控えめな衣文の表現は
定朝様の特徴を表しています。
◎観音菩薩像(像高136.5)◎勢至菩薩(せいしぼさつ)立像(りゅうぞう)(像高136.5)
両脇侍像は、共に曲髪結いあげ、地髪部で元結紐を結び、束ねた髪を正面後方と左右二段に垂下して、列弁帯の天冠台を
輪花上にめぐらせ、半截花弁状の列弁小帯を配しているため非常に華やかです。
★不動明王座像(ふどうみょうおうざぞう)(92.1) 極楽寺(鎌倉)
一木造ながら定朝様をよく踏襲した作品です。右手に剣、左手に羂索(けんさく)をもって、右脚を上にして結跏跌座する不動明王像は
穏やかで平安後期の美風を発揮しています。
台座裏の墨書によれば、もとは益田市の勝達寺(しょうたつじ)の本尊であり、明治の廃仏毀釈の折に廃寺となり、寺外に出て
その後極楽寺の所蔵になりました。
鎌倉に旅をするときは、極楽寺駅(江ノ電)に下車して極楽寺で拝観されますことをお奨めいたします。
■鎌倉~南北朝時代
★阿弥陀如来立像(像高90.8) 西念寺(さいねんじ)(大田市)
一木割矧造で、玉眼を嵌めた像です。
体躯のバランスや量感は定朝様に基づき、膝前の衣文は十世紀頃の特徴を示しており、平安時代中期、後期、
鎌倉時代の三つの時期の特徴が混在した珍しい像だそうです。
★阿弥陀如来立像 暁音寺(ぎょうおんじ)(益田市)
涼しい目元と小さく引き締まった口元、流れるような衣紋の線、洗練されたプロポーションなど、「安阿弥様」を忠実に踏襲した像です。
★阿弥陀如来立像 勝源寺(しょうげんじ)(大田市)
衣文線をきれいに整え、美しさを強調した「安阿弥様」に従い、羅髪はやや大きくなり、髪際(らはつ)線がうねるなどの変化をみせ、
鎌倉彫刻の一特徴である宋風の影響も感じられるそうです。
★阿弥陀如来立像(像高98.5) 心覚院(しんがくいん)(浜田市)
頭体主要部を一木作り、背面より内刳り(うちぐり)を施して蓋板をあてた像です。面部を割矧いて玉眼を嵌め衣文をきれいに整えた
流麗な美を感じます。
光背は挙身光、縁光は五材寄せで雲煙の透かし彫りがとても綺麗と思いました。台座はヒノキの彩色仕上げ踏割七重蓮華座です。
裏蓋板には建長7年の墨書があります。
★阿弥陀如来立像(像高90.0)清泰寺(せいたいじ)(江津市)
右手に胸上げ、左手には垂下し、両手とも第一・二指を念じて来迎印(らいごういん)を結び、低い肉髻((にっけい)に
小粒な螺髪(らはつ)を刻み、髪際((らはつ)はわずかにたわみをもたせ、明快な目鼻立ちを見せています。
頬には健康的張りを見せ、衣文も大小を交互にあらわすなど、
鎌倉時代の力強さと優美さをかねた像です。構造は頭部主要部を一材から造り、耳後ろの線で前後に割り矧(は)ぎ、
内(うち)刳(ぐ)りを施した後に割首にして、両肩を、右袖外側に別材を矧ぎ合わせ、手首を挿し込んでいます。
体内墨書銘によって文永7年(1270)に院豪とその弟子である院快、院靜、院好によって造立されたことが判明しました。
図録を見るたびに仏像の優美さに惹かれます。
★釈迦如来立像 天蔵寺(てんぞうじ)(邑南町)
髪を心円状に巻いた清涼寺(せいりょうじ)式釈迦如来像です。中国地方で始めて確認された変形の清涼寺(せいりょうじ)式
初釈迦如来像で、頭部のみを模刻した変形像のうちでは日本で最大の大きさを誇ります。大きく波打つように表された
着衣は重く感じられ、制作は13世紀後半とみられています。
(清涼寺(せいりょうじ)式とは京都・嵯峨野の本尊釈迦如来を模刻した像のことを示します)
★雨宝童子立像((うほうどうじりゅうぞう)(像高58.0) 正法寺(しょうぽうじ)(浜田市)
一木割矧造、玉眼、彩色像。小柄ながら頭体の均整が良くとれていてやや厳しいまなざしの表情や端正な体躯、
整えられた衣文は鎌倉時代の半ば以降の作風を示しています。
雨宝童子立像は天照大神の化身した姿とされ、神仏習合思想で造られた尊像であることを初めて知りました。
★薬師如来座像 東陽庵((とうようあん)(益田市)
ケヤキ材の1本造で彫眼、素地像ながら、膝裏に墨書銘があり、定延慶四年(1311)に「安阿弥陀仏流」と名乗る
在地仏師連法によって制作されています。
快慶(安阿弥陀仏)に繋がろうとした意識がうかがえます。願主は「藤原朝臣」です。
★薬師如来立像 宝福寺((ほうふくじ)(浜田市)
頭体主要部を一鋳製とし、両肩以下を別鋳造にして雇い枘(ほぞ)で接合しており、木彫像とほぼ同じ技法を採用されています。
鎌倉末時代末から南北朝時代の制作です。
★阿弥陀如来立像 極楽寺(浜田市)
衣に多数の衣文を刻み重厚な印象を受けます。もと、奈良県大和郡山市・超龍寺に安置されていましたが、当寺に移されました。
■室町~江戸時代
★地蔵菩薩立像(像高35.4)室町時代 西連寺(さいれんじ)(邑南町)
左手に宝珠、右手に錫杖(しゃくじょう)をとり、左脚を上にして結跏趺座する像です。
頭部は剃髪ながらわずかにうねらせた髪際線を墨で引き、丸い頭部に長めの目もとをしており、やや厳しい表情を見せています。
体躯は体幅が広く取られ肩の線も丸み帯、低い膝前が左右に広がっています。院派仏師特有の技法を備えた貴重な像です。
★十一面観音菩薩座像 観音寺(かんのんじ)(江津市)
曲髪を結いあげ、頂上仏面をつける髪筋刃細かく刻まれ、地髪部をマバラ彫りとし、菩薩面、瞋怒面、狗牙上出面の各仏面を配置して、
正面は舟形光背付の阿弥陀化仏をつけています。天冠台は紐一条が耳にかかり、三道彫出。条帛、天衣をまとい、
右手は肘を曲げて 膝前に置いて掌を上に向け、一・三・四指を軽く曲げ、左手は肘を曲げて胸前で水瓶をとり、
右脚を上にして結跏趺座しています。。
★女神立像(じょしんりゅうぞう)(総高126.0)江戸時代(1798年) 正法寺(浜田市)
遊行造像をなした僧侶木喰明満(もくじきみょうまん)の「御やと帳」に浜田市三隅に寛永十年(1798年)滞在したことが記されています。
未完成ながら像に全身にノミ痕を残し、フリル状の襟元をみせるなど木喰仏特有の表現が認められ、また口唇周辺に
摩損が認められるものの、 初度の諸国廻国事時の木喰仏特有の苦渋な表情を見せています。
★釈迦如来座像(総高87.5) 江戸時代(1798年) 龍澤寺(りゅうたくじ)(大田市)
木喰独特の丸いスツール状の台座に座し、丸い面相にやや苦渋の表情を見せています。 諸国廻国で刻まれた木喰の特徴を
良く示しており、81歳のときの作品です。「御やと帳」により10日で制作したことがわかり、本像の背面に墨書銘があるので
造仏後入魂・開眼したことが分かり、 石見における木喰の足跡を確認できる作品です。母から聞いたこともあり、お目にかかった仏像です。
★金剛力士立像(こんごうりきしりゅうぞう)阿形(あぎょう)(像高224.8)江戸時代(1667年) 正法寺(浜田市)
★金剛力士立像(吽形(うんぎょう)(像高239.3)江戸時代(1667年) 正法寺(浜田市)
刻銘から五穀上人法印昌盛が制作したことが判明。頭部、体部とも箱状に角材を組み上げてそこに彫刻を施し、
適宜部材を矧ぎつける単純な構造ながら、神楽面にも似た誇張された表情が極めて単純化されて、
抽象的な衣文や筋肉の隆起、 血管の浮き上がりなど素朴さに魅力を感じますが、今まで見たこともない力士像でした。
今回の展覧会を観て仏像の種類は知っていても、仏像の像容はあまり知識がないので、関心をもち調べてまとめました

私と仏像

初めて出会った仏像
修学旅行で行った奈良の東大寺の大仏と南門の仁王像です。授業で習い本物を観て感激したこと。
京都では三十三堂の国宝千手観音坐像と1000体の観音立像に圧倒されました。
心に残っている仏像
奈良の中宮寺の国宝菩薩半跏像です。法隆寺に行ったとき、隣接する中宮寺を従姉が案内してくれました。
思惟半跏の像は、飛鳥時代の彫刻の最高傑作であると言われています。
この像のお顔の優しさを評して「古典的微笑」の典型として評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで
「世界の三つの微笑像」とも呼ばれているそうです。
40年前のことですが、古典的な微笑にお顔の優しさ及び指のポーズに今も惹かれています。
もう一度拝観し、よく比較される京都太秦・広隆寺の弥勒菩薩(国宝)にも行ってみたいと思っています。