『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【846】「世界平和の祈り」と、「みたままつり」

2006-12-04 21:57:04 | 思索
それで、私の使命なのですが、白光真宏会の維持会員になって、「世界平和の祈り」をすることなのだそうです。(^^;ゞ

けれども、それは「私」が特別な存在(笑)という意味ではなくて、ただ単に、そういう計画だというなのです。(^^;ゞ
それで、白光誌を読むと、それを思い出すので、心が落ち着いて、意欲が湧くのだと思います。(^^;ゞ

そして、維持会員としての重要な仕事の一つが、「肉体を離れた御霊」の浄めを行う「みたままつり」です。

そのようなことが、1993年の「みたままつり」についての、昌美氏の法話のテープを聴いてわかりました。
 そのなかのいくつかを、箇条書きします。(私の言葉で書きました)

★ 人間は、自他の魂の浄化のために存在する。
★ 御霊の浄化こそが、人生である。
★ 人間は死ねない。神と一体になるまで、死ねない。
★ 白光会員は、神の霊波動を、自分の肉体を使って表し、他の肉体人間に届ける働きをする人。
★ 御霊は、最後には、生まれ変わらなくてもよい存在になる。
★ どのような一生を送るのかは、自分で選んでいる。
★ 「繰り返すこと」で、性癖になる。これは、法則である。「世界平和の祈り」を繰り返せば、神の性癖になる。
★ 人間は、人種を選んで生まれている。その民族に生まれることは、みんなの犠牲と祈りによって、目覚めるためである。
★ 神は、人間を苦行のなかにおいて、真理に目覚めさせるまで導く。
★ 白光会員は、「世界平和の祈り」をするために、自らの決断によって、この世に降りてきた。
★ 祈る器を作ることが、五井先生の役目だった。
その器を使って、世界平和を成し遂げられるように導くのが、昌美氏の使命。
 
◆私の場合は、50歳過ぎて「世界平和の祈り」に出会うように計画されていました。
それまでの人生は、「世界平和の祈り」への伏線だったという気がします。(^^;ゞ

けれども、もしかすると、この「世界平和の祈り」もまた、何かの伏線(プロセス)なのかも知れません。(^^;ゞ
それは、私の守護霊さんのみが、知ることです。(^^;ゞ

私は、今を真剣に生きることしか出来ませんが、「世界平和の祈り」は、プロセスではないと思うのです。

たぶん、生涯、口にする祈り言葉だと思います。(*^_^*)

【845】ポジティブ思考=無限供給(必要なものは、そのときに与えられる)

2006-12-03 21:29:56 | 思索

それで、自分の「思い」を、いかに「ポジティブな思い」にしておくのかが、
私のテーマであると思うのです。

「呼吸法の唱名」で、『必ず、良くなる』という「思い」を信じる行(ぎょう)を続けていますから、
「想い」は常にポジティブなはずなのですが、ときおり、ネガティブな想念が湧き出ることがあります。(^^;ゞ

そういう時は、「呼吸法の唱名」をすれば、また、ポジティブ思考に戻れます。(*^_^*)

とにかく、自分を信じて、無限供給で、前向きに生きてゆこうと、心を決めることが肝心です。(*^_^*)

そのために、私がしているのは、白光誌を読んだり、昌美氏の法話テープを聞いて、
自分の使命を思い出すことです。(^^;ゞ

私の場合は、自分を鼓舞できるのです。(^^;ゞ

【844】心が、現実を創る。心がすべてを決める。

2006-12-02 21:45:36 | 唯識
今の現実は、「過去の思い」の積み重ねです。
「今の思い」が、未来を創ります。(*^_^*)

今の状況は、過去の思いと行為の結果です。
この「過去の思い」は、現世だけではなく、「前世の思い癖」の結果でもあります。(^^;ゞ
「今の思い」を変えれば、未来を造り変えられます。

「ネガティブな思い」は、ネガティブな現実を創り、
「ポジティブな思い」は、ポジティブな未来を造るのです。

そして、ポジティブな調和の響きの最たるものが、「世界平和の祈り」なのだそうです。

それが本当か否かは、実践してみた結果を検証するしか方法がないので、
3年ほど、「世界平和の祈り」をやっています。(^^;ゞ

実践してみると、なんとなく、納得できる感じがしますが、
実践していない状況と比べることは出来ませんから、客観的には説明できないのです。(^^;ゞ

それで、「信じる」という心の力が、モノを言う(笑)ことになります。(^^;ゞ

つまり、信じると実現するが、信じないと実現しない、ということなのです。(^^;ゞ

【843】『思い』だけが、ある(*^_^*)

2006-12-01 21:40:05 | 思索
【842】とは、どういうことかというと、「常に、『思い(意識)』だけがあり、『思い(意識)』が、すべて」ということなのです。 そして、その『思い』は、死んでも無くならないのです。

そして、これは、困ったことでもあるのです。(^^;ゞ
「死ねない」ということなのです。

自殺しても、死ねないのです。
自殺した「思い」が、そのまま続くのです。

「苦しい」と思って自殺した無明の思いが続くのです。
肉体という浄化装置がないので、自力で、「思い」を浄めることができないのです。

これは、とても辛いことなので、自殺しない方がよいのです。

死にたいほどの苦悩であっても、「消えてゆく姿」と「世界平和の祈り」で立ち向かってみるべきなのです。