『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2100】私(人間)は、「哲学」も「宗教」も超えている存在

2009-06-01 00:54:30 | 思索
一ヶ月ほど前に、以下のような文章を書きました。

■『もう、6年近くもこのプログを書いています。(^^;ゞ
 「哲学」についても、「宗教」についても、
出来るだけ客観的に、論理的に、公平に論じてきたつもりです。

けれども未だに、哲学か宗教かについての結論(笑)が出ません。(^^;ゞ

哲学と宗教は、論じる対象が違っていますし、
別次元の話であることはわかっているのですが、
なにかもうひとつ、スッキリしないのです。(^^;ゞ)』
。。。。。。。。。。。。。。。。

★その後、池田晶子さんの今回の3冊(今はまだ2冊)を読んでわかったことは、
池田氏の語っている「宗教(のイメージ)」は、
白光真宏会には当てはまらないということです。(^^;ゞ

むしろ、池田氏の主張(?)に合っているのが、「白光の教え」なのです。(^^;ゞ

「ご自分が神です!」と説いている宗教団体ない(笑)のです。(^^;ゞ

そして、自分を平安にする方法(悟る方法)が、
具体的に示されているのですから、私はそれをすれば良いのです。(^^;ゞ

私は、「こういう人生」を選んで生まれてきたようです。(^^;ゞ

私(人間)は、「哲学」も「宗教」も超えている存在なのです。

つまり本当は、一人一人が「教祖」なのです。

「世界平和の祈り」や「印」は、
「一人一人が教祖になる」(笑)ための道具なのです。