*孫正義氏の出身、キャリア、
孫正義氏本人によると、朝鮮民族本貫の孫氏とは異なり、約1000年前に中国南朝の宋から戦乱を避け高麗へ帰化した一族の末裔とのことである。1947年に孫一族は朝鮮南部から船で日本へ渡り、正義の父である三憲によって、消費者金融、密造酒、パチンコを家業として財を築いた
*ご存じでない方々が多いのでボクの方がビックリしちゃうのだがが、安部首相の出身地の山口県熊毛郡田布施村は在日朝鮮人である、明治維新の原動力となった長州藩の中核的前衛部隊はこのそのものなのである、ボクがそのものというのは、明治天皇そのヒトが田布施村出身のも大室寅之介であるというが、長州藩では「玉」と呼ばれ、南朝系の血筋とされた、明治維新政府が南朝系を正統系天皇として、宮城前の広場に楠正シゲ像を建立した、像の寄付者は当時の住友家当主とされる、*以上は「日本のいちばん醜い日」鬼塚 英昭著を参照、
*日本のマルクス学者の源泉となった.京都大学の教授,河上肇も田布施村出身、代表的な出身人物は、首相経験者では伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介・佐藤栄作兄弟、安倍晋三、菅直人、戦後の閣僚では林義郎(元大蔵大臣)、高村正彦(元外務大臣)、田中龍夫(元通産大臣)、佐藤信二(元運輸大臣)など、その他にも野坂参三(元共産党議長)、宮元顕治(元共産党議長)など、党派を超えて広がるこれらの有力者はその一部である。*ウキペディア日本版
孫正義は在日韓国人実業家、安本(孫)三憲・(李)玉子の次男として佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落に出生。男ばかりの4人兄弟であった。 いわゆる通名は「安本正義」[6]。緑ヶ丘・第二幼稚園から北九州市立引野小学校に入学、福岡市立城南中学校に転入後、1973年に久留米大学附設高等学校に入学。
司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を愛読し、脱藩に憧れて渡米を決意し、夏休みを利用して米国カリフォルニア州にて語学研修のため4週間の短期留学。1974年に久留米大学附設高等学校を中退し、渡米(2月)。米国ホーリー・ネームズ・カレッジの英語学校(ESL)に入学。米国サンフランシスコセラモンテ高等学校の2年生に編入。3年生、4年生へと飛び級。高校卒業検定試験に合格したため、高等学校を3週間で退学(10月)。翌1975年に米国ホーリー・ネームズ・カレッジに入学。
1977年にカリフォルニア大学バークレー校経済学部の3年生に編入。さらに1979年、シャープに自動翻訳機を売り込んで得た資金1億円を元手に、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。インベーダーゲーム機を日本から輸入。結婚。1980年にカリフォルニア大学バークレー校を卒業。学位は、学士(経済学)。日本へ帰国後、会社を設立するために福岡市南区に事務所を構えた。
1981年、福岡市博多区に事務所を移し、コンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を設立。そして福岡県大野城市に「日本ソフトバンク」を設立。1983年における慢性肝炎での入院をきっかけに社長職を退き会長へ。1986年をもって社長職に復帰した。1990年をもって日本に帰化。
1994年にソフトバンク株式会社の株式を店頭公開。1996年には米ヤフーとソフトバンクの合弁でヤフー株式会社を設立。オーストラリアのメディア王ルパート・マードックのニューズ・コーポレーションと折半出資の合弁会社を設立し、テレビ朝日の株式の21%を取得するも、のちに朝日新聞の反発に遭って撤退するに至った。
1999年、証券市場の開設を企図し米国のナスダック・ストック・マーケットとソフトバンク株式会社が共同出資しナスダック・ジャパンプランニング株式会社を設立。翌2000年には大阪証券取引所とナスダック・ジャパンプランニング株式会社にてナスダック・ジャパン市場を開始。ソフトバンク株式会社が東京海上火災保険、オリックスとともに、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)の株式を取得。取締役に就任した。NTTドコモの第一期アドバイザリーボードのメンバーを1年程務める。
2001年からヤフー株式会社と共同でADSL接続サービスのYahoo! BBの提供を開始。以降、それまでのPCソフト卸、PC出版から通信に本業の軸足を移す。
2002年、ナスダック・ジャパン株式会社が業務を停止。大阪証券取引所によりヘラクレスとして改組された。2003年にあおぞら銀行の株式をサーベラス・キャピタル・マネジメント社に売却。2004年には日本テレコム株式会社を買収し、同社代表取締役会長に就任。2006年10月には同社の代表取締役社長に就任した。さらに福岡ダイエーホークスと福岡ドームをダイエーから買収し、福岡ソフトバンクホークスのオーナーに就任。続けてボーダフォン株式会社(現ソフトバンクモバイル株式会社)を買収し、同社代表執行役社長兼CEOに就任した。
2011年に東日本大震災が発生すると、義援金として個人で100億円及び2011年から引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額を寄付することを表明し2011年7月14日100億円の寄付が終了した。さらに福島第一原子力発電所事故を受け、自然エネルギー財団を設立[8][9]。『東日本大震災復興支援財団』を6月に設立[10]。
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