*帰還解除区域への2.2年振りの、セイサンな旅路、コトバを拾いながらトリハダが立ってくる、チェルノよりは放射線量は少ない、といエセ学者連中に歩いて貰いたい、放射線量を低く計量する、あるいは計量した線量を操作する、それが日常化している、
*ローンを組んだバカリで住宅のローン残額は、1700万円、東電の査定してきた金額は、750万円、という記事もあった、恐らく、そのようなケースは1件ではない、海側では放射線量は早く飛散する、山側は遅れる、現状、放射線量が低いだけでは決められない、
同行した方が、そこから南側を向き、
「あれは第二原発の排気筒だよ」
・・・、そう言って、福島第二原発の排気筒を指さしました。
すぐ目の前に、富岡町と楢葉町にまたがる福島第二原発が見えました。
・・・何とも言えない気持ちになりました。
頭が真っ白になり、しかし、涙だけは溢れてきました。
福島第一原発と福島第二原発、同じ双葉郡内にあります。そのエリアに住む住民は避難生活をしています。
4人の幼い子供を抱えての我が家の避難生活も、約2年2ヶ月になりました。我が家は、福島第一原発から直線距離で約15km地点です。今も、居住が制限され、家には済むことはできません。
ただ、私の地元、小高(南相馬市小高区)は、2012年4月16日に、それまでの警戒区域が、避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域の3つの新たな区域に再編され、あれから、すでに1年以上が経過しました。 同じように、より第一原発に近い、浪江町や富岡町も、この4月に区域再編されました。
これによって、私は、4月19日(金)に3.11以降、はじめて浪江町に行きました。そして、5月11日(金)には、はじめて富岡町に入りました。
・・・とはいえ、南相馬市から、富岡町へ行くには、最短で行くには、国道6号線を南下するしかありません。浪江町、双葉町、大熊町を通過してはじめて富岡町に到達できます。双葉町と大熊町は、福島第一原発がある町です。放射線量も高く、区域の見直しもされていないので、原則立ち入りもできません。ここを通過しないと、南側からのルートを通って、3時間以上迂回しないといけません。 ・・・なので、許可をとって、双葉町、大熊町を通過して富岡町まで行きました。・・・
浪江町から、国道6号線を南下すると、双葉に近づくにつれて、線量計の数値がぐんぐん上がります。・・・でも、まだ、想定の範囲内です。
国道6号線付近は、海に近いエリアなので、山の方と違って、そんなに線量が高くありません。(・・・とはいえ、原発事件から遠く離れた地域に住む人にとってみれば、かなり高いとは思いますが・・・。)
線量計の数値が上がってくると、思わずそこから逃げ出したい気持ちになり、アクセルをより踏む足に力が入ります。双葉町を過ぎ、大熊町に入ると、線量計の数値は、ものすご勢いで上がっていきます。今まで、見たことのない数値です。
車の中だし、比較的線量の低い国道6号線でも、それでも、「ここにずっといてはまずい!」・・・と思う数値でした。 大熊町を足早に立ち去り、富岡町に入りました。桜並木で有名な夜の森には立ち寄ることができませんでした。同じ富岡町でも、この日私が持っていた許可証では、帰還困難区域のこのエリアには入れませんでした。
警察の検問を抜けて、富岡町の居住制限区域に出ました。線量は、小高よりは高かったです。第一原発からの距離が、寄り近いエリアだったので当然と言えば当然ですが・・・。
2時間半ほどで予定のスケジュールを終えたので、同行した方と、沿岸部に行きました。仏浜という以前はとてもきれいだった海岸です。小さいな港もあった場所です。
防波堤は決壊し、港はめちゃめちゃ、橋げたは道路と50㎝以上の段差ができていました。
河口と海の境目には、海鳥が沢山来ていて、天気も良く、海の潮の香りがとても心地よい日でしたが、その荒れ果てて、今もそのままの姿が目に飛び込んでくると、涙がこぼれました。 今、感じていることを上手に言葉で表現できませんが、
やっぱり、もう原発はいらないです。
日常生活を全て奪ってしまう原発はいらないです。 原発から遠く離れたところに住む方には、私のこの「言葉にならない思い」は分からないと思います。・・・でも、私は、今後二度と、こんな思いをする人が出てはいけないと思います。
日本中、世界中で、もう、こんな思いをする人を絶対に生み出してはいけない。そう強く強く思います。一人でも多くの方に、この発信が届きますように!みんなに届け!
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