歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

館林市・陣谷遺跡 古代の木製馬鍬がほぼ完全な形で出土

2019年02月18日 | Weblog
 群馬県埋蔵文化財調査事業団が発掘調査している陣谷遺跡(館林市楠町)で、古代の木製「馬鍬(まぐわ)」がほぼ完全な形で出土したことが分かった。 陣谷遺跡は邑楽・館林台地の北端部の湿地帯にあり、一月下旬、地表から約2mの粘土層・砂層から出土した。 馬鍬は田植え前の水田で牛馬に引かせて代かき作業をするための農具。古代の馬鍬が全体で出土したのは県内で初めてという。
 幅は約1.5m。台木には、長さ45㎝前後の木製の歯が13本装着され(1本は欠損し、近くにあった)、馬鍬を操作する2本の柄も50cmずつ残っていた。また、台木の両端には馬鍬と牛馬を連結するための引き棒を差し込む穴が残っていた。
 馬鍬は古墳時代の四世紀末ごろに大陸から伝来し、当時は幅が大きく、歯も長いのが特徴。 耕作時は牛馬が引く馬鍬の後ろに人が立ち、本体に付く二本の柄を両手で持ったが、柄の付き方も出土した物は古墳時代当時に近いという。
出土層の約1m上に1108年の浅間山噴火による火山灰層があり、古墳時代までさかのぼる可能性がある。
[参考:東京新聞、群馬県埋蔵文化財調査事業団HP]

過去の関連ニュース。情報
 馬鍬
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発掘された日本列島2011」(江戸東京博物館)

2011年06月15日 | 「発掘された日本列島」展

隠岐殿遺跡出土品(韮崎市)。 「発掘された日本列島2011」(江戸東京博物館)にて2011.6.14撮影

 6月11日から標題の最新発掘速報展が始まりました。
 このブログの中で採り上げた遺跡ニュース・情報と合致する遺物の写真を撮影したので、遡って追加しました。

 2009.6.14 韮崎市・隠岐殿遺跡 杭列の跡、勝頼の重臣が塀設置か
 2009.2.11 韮崎市・隠岐殿遺跡
 2010.5.29 東近江市・相谷熊原遺跡 縄文時代草創期の竪穴住居5棟と国内最古級の土偶が出土
 2010.7.1 稲沢市・一色青海遺跡 着色されたシカが描かれた弥生時代の土器が出土
 2009.7.23 氷見市・稲積川口遺跡 7世紀の柄つきの馬鍬が出土
 2009.11.14 茅ケ崎市・下寺尾七堂伽藍跡 第15次調査 大型掘立柱建物跡を確認 11/14現地説明会
 2008.10.25 茅ケ崎市・下寺尾七堂伽藍跡 伽藍跡遺構見つかる
 2009.6.17 徳島市・川西遺跡 川跡の川岸から鎌倉時代初期の国内最古の護岸遺構
 2009.3.13 徳島市・川西遺跡 13世紀の将棋の駒「本横」(奔王)が出土
 
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氷見市・稲積川口遺跡 7世紀の柄つきの馬鍬が出土

2009年07月23日 | Weblog

稲積川口遺跡出土馬鍬。 「発掘された日本列島2011」(江戸東京博物館)にて2011.6.14撮影

 氷見市教委は22日、昨年9~11月に同教委が調査した稲積川口遺跡(同市稲積)から、7世紀前半の農耕具、馬鍬がほぼ完全な形で出土したと発表した。北陸三県では初の出土、柄の部分も付いた状態での出土は全国初という。馬鍬は、田植え前の水田で牛馬に引かせて代かき作業をするための農具。
 柄は地面に水平に付いていた。長さ117・5cmのクリの木の台木に代かきをする木製の歯(60cm、装着状態で45~47cm)が11本、柄は2本あるうちの1本(52cm、同43cm)が付いていた。現在近くを流れる余川川の七世紀ごろの河道が見つかり、農耕具として使用後、川の護岸材に使われたとみられる。水中につかっていた状態が長かったため、腐食を免れたらしい。
 柄が地面に水平に付いたものは、馬鍬の歯が鉄製になる奈良~平安時代にほぼ消滅したとされる。地面と垂直に付いた柄のものは、1960年頃まで各地で使われた。
[参考:読売新聞、中日新聞]
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行田市・池守遺跡 最古(6~7世紀)の機織り部品出土

2008年06月07日 | Weblog
 行田市教育委員会文化財保護課は6日、同市中里の池守遺跡の地下約1m、広さ470㎡の沼地からから古墳時代後期(6~7世紀)の大量に出土した木製品の中から、最古の機織り機の部品が見つかり、機織り機の変遷を知る貴重な発見であることを発表した。
発掘した大半が沼地にあたり酸素に触れていなかったため木製品が腐らずに当時に近い状態で残った。
 出土したのは土製品(土師器や須恵器)や木製品、石製品等で、壊れて使用できなくなり投棄された遺物群とみられる。
 木製品は農具や紡織具、工具など約370点にのぼる。
このうち機織り機の地機(じばた)の部品が多数見つかり、「中筒受け」(長さ66cm、幅8cm、厚さ2.6cm)と呼ばれる縦糸を上下に分けて横糸を通しやすくする部品は全国2例目の発見。
同部品は山梨県平田宮第二遺跡で平安時代の遺跡から出土しており、今回の発見で地機の構造が古墳時代までさかのぼることができるという。
また馬にひかせて開墾した馬鍬(まぐわ=幅135cm、厚さ10cm、刃の長さ47cm))も出土し、刃の部分が刀状に加工された全国的に珍しい形態という。福岡県のカキ遺跡に次いで全国で二例目。
市教委は「現在の織り機とほぼ同様のものが出た。ほかにも機織りに関連した遺物がまとまって出ており、専門集団が集落を形成していた可能性もある」と話した。
発掘品は現在、東都文化財研究所(川口市)で保存処理をし、来年度には展示を予定。
調査概要は7月27日に県立さきたま史跡の博物館で開く遺跡発掘調査報告会で報告する。併せて、埼玉古墳群にある奥の山古墳の整備状況なども報告される。
<参考情報>
毎日新聞 埼玉新聞
コメント (1)
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