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奈良県上牧町・久渡7号墳 凝灰岩製の石棺の一部や土器が出土

2018年03月04日 | Weblog
 奈良県内市町村の埋蔵文化財担当者による2017年度の調査成果報告会が3日、宇陀市の市中央公民館で開かれ、上牧町の上牧久渡古墳群などついて発表された。
 同古墳群(3~7世紀)については、昨年6~10月に未調査だった7号墳や古墳時代前期の前方後円墳とされる1号墳などを発掘した。
 7号墳からは凝灰岩製の石棺の一部や土器が出土し、古墳時代後期の古墳であることが判明した。
 同古墳群ではこれまで7基が確認されていたが、新たに古墳時代後期の円墳とみられる8基目の古墳を確認した。
 また、1号墳の下層でも、1号墳より古いとみられる木棺を安置した石積みの埋葬施設を発見した。
[参考:読売新聞]

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 久渡古墳群
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奈良県上牧町・久渡2号墳 7世紀中頃築造 高市皇子の墓とは時期が合わず

2014年02月15日 | Weblog
 上牧町教委が12日、久渡(くど)古墳群の久渡2号墳(北葛城郡上牧町上牧)が、背後に周溝を持つ7世紀中頃の円墳(直径約16m、高さ3m)だったと発表した。
 終末期古墳(7世紀)にみられる丘陵の南斜面(東西約30m)を削って築造されており、最大幅約13m、最大高さ約5mの溝を築き、墳丘の背後を半円形に囲んでいた。
 埋葬部は横穴式石室で全長約9m、幅約1.2~1.9m。 後世の盗掘や採石で破壊されていたが、北西約4kmの明神山(王寺町)の輝石安山岩を加工せず、そのまま用いて築いており、天井石とみられる石(長さ1・6m、幅1m)や、奥壁・側壁の一部が見つかった。
 石室の床面には、3km西の高山石切場遺跡(香芝市)付近の石材と似た凝灰岩の破片を敷き詰めており、厚さ約20cm分が残っていた。 天井や壁の石材は赤茶色の自然石で、床(凝灰岩)の白色とでコントラストを造っていたらしい。
 そのほか、祭祀跡とみられる土器片や石組みの排水溝、飛鳥時代の平瓦片20点以上、刀や刀装具の破片、琥珀製の棗玉(なつだま)などの副葬品もあった。 棺や骨は見つからなかった。
 2号墳については、文献(注1)から天武天皇の皇子・高市(たけちの)皇子(654?~696年)の墓の可能性もあったが、年代が合わない結果となった。
 現地説明会は16日(日)午前9時30分~午後3時に開かれる。
[参考:読売新聞、産経新聞、奈良新聞]

(注1) 延喜式 三立岡墓/高市皇子。在大和国広瀬郡。兆域/東西六町。南北四町。無守戸。

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 久渡古墳群



キーワード: 久渡古墳群、久渡2号墳
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奈良県上牧町・久渡5号墳 6世紀末~7世紀初め築造、直径18mの円墳と判明

2013年03月14日 | Weblog
 上牧町教委の調査で、昨年、画文帯環状乳神獣鏡が出土した久渡(くど)3号墳の南に位置する5号墳は、6世紀末~7世紀初め築造の直径18mの円墳で、埋葬施設が二つあることがわかった。
[参考:読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
2012.8.2 久渡3号墳 画文帯環状乳神獣鏡が出土
久渡(くど)古墳群
 標高約70mの丘陵地に、古墳時代前期初頭から終末期の古墳7基がある。
 3号墳(1辺15mの方墳、3世紀後半)から、後漢時代の中国鏡「画文帯環状乳神獣鏡」が見つかった。和泉黄金塚古墳(和泉市)で出土した鏡と同型鏡。
 また、前年末5月末に3号墳の南側で、久渡2号墳(直径約16mの円墳、7世紀)が確認された。2号墳は高市皇子の墓の可能性もあるとしている。


キーワード
久渡古墳群、久渡2号墳、久渡3号墳、久渡5号墳
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奈良県上牧町・久渡3号墳 画文帯環状乳神獣鏡が出土

2012年08月02日 | Weblog
 奈良県上牧(かんまき)町が1日、宅地開発に伴う昨年11月からの調査で、標高約70mの丘陵地で古墳時代前期初頭から終末期の古墳7基を発見し、久渡(くど)古墳群と名付けたこと、そのうち古墳時代初期(3世紀後半)の3号墳(1辺15mの方墳)から、後漢時代に作られた中国鏡「画文帯環状乳神獣鏡(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)」が見つかったと発表した。 同時代の古墳は政権があったとされる奈良盆地東南部に集中しており、盆地北西部の同町では初めての出土。
 画文帯環状乳神獣鏡は、直径約14.2cm、約511gで、和泉黄金塚古墳(大阪府和泉市)で出土した鏡(重文)と同型鏡だった。
 一方、町は、3~5号墳の埋葬施設などを発掘中に計約46㎡を重機で破壊し、施設の構造や副葬品の配置などが分からなくなったと発表した。3号墳から出土した中国鏡も2つに割れていた。
 遺物などは5日午前10時~午後3時、町文化センターで一般公開する。

 また、昨年末5月末に3号墳の南側では、新たに飛鳥時代(7世紀頃)に築造されたとみられる久渡2号墳の存在が確認された。丘陵の南側斜面にあり、墳丘の背後に東西30m、高さ3mにわたって大規模に背面カットされた直径約16mの円墳と判明した。凝灰岩片も採取されこのような築造方法は終末期古墳の皇族などの墓の特徴とされるという。
 平安時代の延喜式に、2号墳のある地域周辺に天武天皇の皇子・高市皇子(654?-696)の墓が存在したとの記述(注)もあり、2号墳は高市皇子の墓の可能性もあるとしている。
 (注) 三立岡墓/高市皇子。在大和国広瀬郡。兆域/東西六町。南北四町。無守戸。

[参考:共同通信、毎日新聞、朝日新聞、読売新聞、産経新聞、奈良新聞、NNNニュース、読売テレビ、上牧町HP]

重機で発掘、銅鏡真っ二つ 奈良・上牧町の古墳で(朝日新聞) - goo ニュース

久渡古墳群の位置が、新聞情報および上牧町HPの情報ではよくわからない。読売新聞の記事にある写真から3号墳の位置を推定しみた。


久渡古墳群、久渡3号墳
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