歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

鳥取市・青谷横木遺跡 7世紀末~8世紀初めの木製の𤭯(はそう)が出土

2018年05月09日 | Weblog
 鳥取市の青谷横木遺跡で、「𤭯(はそう)」と呼ばれる木製の壺(7世紀末~8世紀初め)が出土していたことが分かった。 2015年度の調査で、山陰道とみられる道路遺構からほぼ完全な状態で出土した。ヤマグワ製で、底板にスギ材の円盤が嵌め込まれた構造で、表面全体に黒漆が塗られた。上部の注ぎ口の直径は約9cm。底部の直径が約10cm、高さは約12cm。胴部に直径2cmほどの穴が3カ所開けられていた。
 𤭯は、古墳時代に朝鮮半島からの渡来人が技術を伝えたとされる陶質土器「須恵器」で作られるケースが多いが、木製の𤭯の発見は全国的にも珍しいという。
 近くの常松大谷遺跡と、会下・郡家(えげ・こおげ)遺跡(鳥取市)からも木製の𤭯の一部が出土している。
[参考:朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 青谷横木遺跡
 𤭯(はそう)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥取市、青谷横木遺跡 「般若心経を書写」と記した平安の勧請板が出土

2018年04月18日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターが17日、鳥取市の青谷横木遺跡で、「承和12年(845)3月17日に般若心経34巻を書き写した」と記した平安時代の勧請板が出土したと発表した。 
 板は10世紀には田げたに転用されていた。 平成27年に出土し、昨年2月に勧請板と判明した。
 鎌倉時代以降の勧請板が、堅田B遺跡(金沢市)、松原内湖遺跡(滋賀県彦根市)でも見つかっているが、平安時代にさかのぼるものは珍しい。
 田げたは、長さ45.7cm、幅9.6cm、厚さ1.4cm。 板の作成者として「糸井広女」「糸井広成」(注1)「鴨取」の名前が記されていた。 3人は文献にはない名前で、未知の有力氏族が遺跡付近にいたことを示すという。
[参考:共同通信、産経新聞]

(注1)平城宮から出土した木簡に糸井人足、国足、廣庭の名が見える。

過去の関連ニュース、情報
青谷横木遺跡
松原内湖遺跡(彦根市)


845年、般若心経を書写と記す 平安の勧請板、鳥取で出土
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥取市・青谷横木遺跡 木札に如来像の墨絵

2018年03月18日 | Weblog
 鳥取市の青谷横木(あおやよこぎ)遺跡で、仏の顔とみられる墨絵の描かれた木札が出土していたことが分かった。厄払いなどの祭祀に使われた木製人形(ひとがた)とみられる。
 県埋文センターによれば、木札(長さ18cm、幅3・1cm、厚さ6mm)は女子群像の板絵がみつかったときと同じ2015年度の調査で出土した。 木札の上部に表情が描かれていた。絵に描かれた顔の特報や衣装の表現などから、仏教の如来像が描かれた可能性が高いとする。木札の年代や木の種類は不詳だが、出土状況から7世紀末から10世紀後半とみられる。
[参考:朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 青谷横木遺跡"


ふくよか仏の顔、木札に墨絵 7〜10世紀の如来像か
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥取市・青谷横木遺跡 「女子群像」板絵の材質は杉と判明 国内で制作か?

2018年01月22日 | Weblog
 鳥取市青谷町の青谷横木遺跡から出土した国内2例目とされる古代の女子群像(7世紀末~8世紀初め)を描いた板絵について、板の材質が日本固有種の杉だったことが県埋蔵文化財センターおよび奈良文化財研究所(奈良市)の調査でわかった。
 昨年9月10日に県埋蔵文化財センターが市内で開いたシンポジウムの中で、現時点での速報として報告していた。
 彩色については、顔料に含まれる鉱物の有無を調べたところ検出されなかったため、色付けせずに墨だけで描かれていたらしい。 同センターは、鳥取など国内で描かれた可能性が高いとしている。 同遺跡からは、杉でつくられた祭祀具や木簡も出土している。
 板材の「放射性炭素年代測定」の結果からは、推定をはるかに遡る「3世紀前半~4世紀前半」との結果が出たが、「年輪年代測定」では年代は特定できなかったという。 古い板を転用した可能性もある。
[参考:読売新聞、2017.9.12朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 女子群像を描いた、高松塚古墳と同時期の板絵が見つかる
 青谷横木遺跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥取市・青谷横木遺跡 古代「山陰道」から平安時代の柳の街路樹跡が見つかる

2017年02月22日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは21日、青谷横木遺跡(鳥取市青谷町)の古代官道「山陰道」跡から、平安時代のものとみられる柳の街路樹跡が見つかったと発表した。
 古代山陰道に並行した10世紀後半の盛り土約100mの区間で、18本の木の根や大量の木製の杭が2015年8~9月に見つかり、このうち8本の種類を調べたところ全てが柳と判明。さらに2本を放射性炭素年代測定したところ、9世紀後半~10世紀後半のものと分かった。木々は0.5~2m間隔で並んでいた。

 奈良時代の歌人・大伴家持が読んだ歌に、
「春の日に はれる柳を 取り持ちて 見れば都の 大路し思ほゆ」(万葉集巻第19 4142)
があり、平城京の朱雀大路には柳の並木が植えられていた。地方の街道にも街路樹が植えられていたことを裏付ける。実際に樹木が発掘されたのは全国で初めてという。

 青谷横木遺跡は青谷平野を流れる日置川の下流域にある。律令国家で敷設された山陰道の遺構約300mのほか、条里遺構や倉庫と見られる建物跡、出挙に関する木簡木製、祭祀具2000点以上も発掘されており、古代に官衙(役所)があったと考えられている。
 今月25日から鳥取市歴史博物館(同市上町)ので始まる発掘調査展で現地の様子を写したパネルや古代山陰道のイメージ図を展示する。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、NHKニュース]

過去の関連ニュース・情報"
 青谷横木遺跡
2013.9.6 古代「山陰道」とみられる幅9mの道路遺構が確認され、交通の要衝だったことがうかがえる。
 山陰道


平安時代の街路樹か 狭い間隔で並ぶ柳の木の根


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥取市・青谷横木遺跡 女子群像を描いた、高松塚古墳と同時期の板絵が見つかる

2016年12月16日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは15日、鳥取市青谷町の青谷横木(あおやよこぎ)遺跡から、7世紀末~8世紀初頭に女子群像を墨で描いた木板が見つかったと発表した。
実際に板絵(木片)が出土したのは2015年9月だったが、それから1年経って、女子群像が描かれたことが分かった。絵は集めると五つに割れた状態であった。復元すると、長さ約70.5cm、幅約15.5cm、厚さ約6mm。6人の女性が右から左へ進んでいる姿で、裳(も)などを纏っていた。
国内で古代の女子群像の絵が発見されるのは、国宝・高松塚古墳壁画(奈良県明日香村)に次いで2例目。同壁画と同時期に描かれたと推定されるという。
青谷横木遺跡付近一帯は地下水位が高いことなどから、木が腐食しにくく、それが今回の出土につながった。
専門家の見解では、唐に加えて高句麗(朝鮮半島)の影響も受けているという。
[参考:中国新聞、時事通信、読売新聞、産経新聞、毎日新聞、朝日新聞、共同通信]

過去の関連ニュース・情報
青谷横木遺跡


飛鳥美人?女子群像、板絵に 鳥取・青谷横木遺跡

「女子群像」の板絵発見=高松塚壁画に続き2例目―鳥取
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出雲市・斐川中央工業団地予定地内から島根県内最古のガラス玉が出土

2013年09月19日 | Weblog
 出雲市文化財課が18日、斐川中央工業団地予定地内(同市斐川町直江)で弥生時代中期(約2千年前)の竪穴住居跡からのガラス玉や、奈良時代の「山陰道」とみられる道路遺構などが見つかったと発表した。
 ガラス玉は透き通った濃い青(直径4・5~6・0mm、孔径1・0~2・5mm)で、5個が出土した。島根県で最古という。
 ほかに、鉄斧(てっぷ)が出土した。
 調査地南側の標高28mの尾根上からは側溝を備えた「山陰道」とみられる道路遺構(長さ60m、幅9m)が見つかり、「波板状凹凸面」などが確認された。県内で山陰道とみられる遺構は、松江市の松本古墳(松江市乃木福富町)に次いで2例目という。
 現地説明会は21日(土)午前10時と午後1時半の2回開かれる。
[参考:産経新聞、読売新聞、出雲市HP]

過去の関連ニュース・情報
2013.9.6 鳥取市・青谷横木遺跡 9~10世紀の因幡国気多郡の地方支配を示す出挙木簡が出土
 古代の幹線道路「山陰道」と考えられる幅9mの道路遺構を確認。
2010.9.9 鳥取市・松原1号墳丘墓 弥生後期前葉(約1900年前) 521点の青色のガラス玉が出土
2010.9.5糸島市・三雲・井原遺跡 遥か遠い海から渡った黄色と紫色のガラス小玉
 出土したガラス小玉(弥生時代後期(1-2世紀))に、国内では極めて珍しい黄色と紫色の小玉が含まれていたことが4日、分かった。
2009.11.22 富山市・百塚遺跡 弥生時代後期~古墳時代の埋葬施設 ガラス玉が出土
 方形周溝墓の埋葬部分からは、直径3~5mmの美しい鮮やかな青色のガラス小玉が約70個見つかった。

追記 2013.11.30
 奈良時代の官道「山陰道」とみられる道路遺構について、文化庁と島根県教育委員会とで協議した結果、あらためて遺構の重要性を確認し、出29日、雲市が保存する方針を固めたことが分かった。
 尾根上を縦断する形で東西30m以上にわたって延び、地盤改良工事の凹凸面や側溝もはっきりと見られる。
[参考:山陰中央日報]




キーワード:杉沢遺跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥取市・青谷横木遺跡 9~10世紀の因幡国気多郡の地方支配を示す出挙木簡が出土

2013年09月06日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターが5日、鳥取市青谷町青谷の青谷横木(あおやよこぎ)遺跡から平安時代(9~10世紀)に住民の代表が行政に対し税の返納などを約束する国の制度「出挙(すいこ)」に関する木簡2点(注1)が出土したと発表した。 当時の因幡国気多郡に於ける、律令体制下の地方支配や祭祀に関して解明する貴重な遺跡としている。
(注1)木簡は破片も含め約300点出土し、文字が判別できるのは10点だった。
 出挙に関する木簡は、長さ約32cm、幅約4cmと長さ約36cm、幅約4cmの2点。
 赤外線カメラで解析したところ、1点には気多郡(注2)にあった「日置郷」の戸主が出挙の元利を9月中に進上(返済)する旨の内容が確認できた。 当時は行政が農民に対し強制的に稲を貸し付け、農民がそれを育てて収穫し、利子分を加えた稲を返納するシステムが整っていたらしい。 日置郷の地名が書かれた初めての木簡。
(注2) 『和名抄』に、大原、坂本、口沼(かぬ)、勝見(かちみ)、大坂、日置、勝部の7郷が記載されている。

 2点とも、同じ文の繰り返しや書き間違いがあり、実際に使用された木簡ではなく、役所側で作文し、農民に提出させていた可能性もあるとしている。
 住民代表が上部機関に提出する史料としては、紙に書かれた例はあるが、木簡としては国内初。
 このほか、祭祀に用いる木製祭祀具の人形や馬形などの形代や斎串が約3800点も出土。
 倉庫と見られる建物跡も見つかっており役所の倉庫施設があった可能性もあるという。 古代の幹線道路「山陰道」と考えられる幅9mの道路遺構が確認され、交通の要衝だったこともうかがえる。
 遺跡周辺は、現在の鳥取市気高町周辺を治めた「気多郡衙」の出先機関の場所でないかとしている。
 現地説明会が8日(日)午前10時~11時30分と午後2時~午後3時30分に開かれる。
[参考:読売新聞、朝日新聞、産経新聞、鳥取県埋蔵文化財センターHP]

キーワード:青谷横木遺跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする