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韓国江原道寧越郡・興教寺(世達寺)址 弓裔が出家した地、統一新羅末の瓦類が多量に出土

2012年12月16日 | 韓国の遺跡・古墳など
 中部考古学研究所は14日、興教寺(흥교사)場所に対する発掘調査を実施した結果、寺刹関連建物跡約10棟をはじめとする統一新羅時代から高麗時代瓦の破片と鴟尾(望瓦)、青磁片などの遺物を多量に収集したと発表した。
 興教寺は三国史記弓裔列伝によれば、王の側室の子として生まれた弓裔(궁예、857/861?-918)は、王の殺害命令を受けたが、乳母の助けで慶州を脱出し、この地域の実力者、箕萱(기훤)に寄託する前まで僧侶として生活した寺刹である。 興教寺は高麗時代の名前であり弓裔当時には世達寺(세달사)といった。
 世達寺あるいは興教寺は、その正確な位置が分からなかったが2004年文化遺跡分布地図を作成する過程で初めてその場所が分かり始めた。 特に今年5月26日にはその区域中で「興教」という字が書かれた高麗末あるいは朝鮮初期瓦が発見され、位置が事実上確定した。
 調査団は、統一新羅末期あるいは高麗初期に寺勢が大きかったことが窺える建物跡と遺物を確認し、さらに朝鮮時代建物跡も確認することによって興教寺が朝鮮時代に重修された可能性があるとしている。
[参考:聨合ニュース]
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