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渋川市・金井東裏遺跡 古墳時代の鎧を着けた人骨1体が出土

2012年12月10日 | Weblog
 群馬県埋蔵文化財調査事業団は10日、渋川市金井1827の金井東裏(かないひがしうら)遺跡の発掘調査で、約1500年前に噴火した榛名山二ッ岳火山灰層の下から武具である甲(よろい)(注1)を着けた古墳時代(6世紀初め)の成人男性の人骨1体が出土したと発表した。 実際に装着した状態で見つかるのは初めてという。
 (注)小札甲(こざねよろい)とみられるとしている。
 現地説明会は12日(水)午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:共同通信、報知新聞、産経新聞、FNNニュース、群馬県埋蔵文化財調査事業団HP、群馬県HP]

2013.4.24追記
 群馬県埋蔵文化財調査事業団と県教委は、金井東裏遺跡で昨年11月に見つかった甲(よろい)を着た人骨の身長が1.63mと推定されると発表した。 [参考: 読売新聞]

2012.12.13追記
昨日(12月12日)、金井東裏遺跡で現地説明会が開かれた。
 甲(よろい)を着たままで初めて見つかったことなどから新聞紙上でも大いににぎわい、現地説明会には2600人以上が参加した。
 これまで、出揃った情報を基に下記に整理してみた。

1.金井東浦遺跡の場所
 本遺跡(渋川市金井1827-1)は、榛名山・二ツ岳の約8.5km東にあり、吾妻川右岸の中位段丘上に位置している。
2.金井東浦遺跡の主な時代
 縄文~古墳時代、中近世
3.古墳時代の噴火の影響
 榛名山は古墳時代に大きな噴火を2回起こしている。 6世紀初頭に起こったFA (榛名二ツ岳渋川)の噴火、6世紀中葉に起こったFP(榛名二ツ岳伊香保)の噴火である。(注1) 過去の発掘調査で、FAの噴火の際、火砕流が最大15km先に及んだらしい。
(注1) 最近の調査では、FAの噴火を5世紀末(495年頃)に遡るものがある。[「榛名山で古墳時代に起こった渋川噴火の理学的年代決定」2009年 群馬大学理学部早川由紀夫教授、(株)パレオ・ラボ共同論文]
4.今回の発掘調査と噴火の関係
 本遺跡を含め周辺地域一帯には、FPの噴火による軽石が約2m堆積している。 この軽石を取り除いた面では、畑を区画する畔や道状遺構などが検出されている。 直径10㎝ほどの大きさの馬の蹄痕なども見つかっている。
 FP層の下には、FAの噴火による火山灰が約50㎝堆積している。この地層から、樹木の周りに石を配置したとみられる遺構が見つかり、周辺から甕や壺、焼土や炭化物・礫が確認され、中央に孔をあけた5㎜ほどの臼玉も出土することから、祭祀が行われていたと考えられる。(注2)
5.甲(よろい)姿の成人男性の骨などが出土した状況
 人骨(年齢不明)は上記(注2)の場所、厚さ約30cmの火山灰に覆われた溝(幅2m、深さ約1m)で確認され、後頭部付近が破損した頭骨と右大腿骨、左上腕骨、左右の足首付近の骨が確認された。 榛名山の方向を向いて、両膝を付き、うつ伏せの状態であった。 そばには鉄鏃十数本や別の甲もあり、乳児の頭の骨も見つかった。 山の神の怒りを鎮める儀式をしていた可能性があるとしている。
6.甲の種類、構造など 
 甲は高さ60cm、幅50cm。 長さ約5cm、幅2cm、厚さ1mmの短冊状の鉄製の小鉄板が相互に重なり合って出土した。 小鉄板を革紐で組み上げた小札甲(こざねよろい)とみられる。 有力者の古墳の副葬品として全国では少なくとも約300点が出土している。



キーワード: 金井東裏遺跡
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