歴歩

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大津市・南滋賀廃寺 「錦寺」と刻まれた緑釉陶器片が出土 錦部寺?

2012年02月16日 | Weblog
 大津市埋蔵文化財調査センターは15日、大津宮(667~672年)と関わりが深い国史跡「南滋賀廃寺」(大津市南志賀3丁目)近くの畑から「錦寺」と「箆(へら)」で刻まれた9世紀末ごろの土器片が出土し、南滋賀廃寺の寺名が続日本紀に記されている『錦部(にしこり)寺』だった可能性が高まったと発表した。
 土器片は昨年5月、南滋賀廃寺の東約250mの畑で農作業中の男性が、多数の須恵器や瓦などとともに見つけた。 緑釉陶器(浅い杯か深めの碗)の底部とみられ、縦7cm、横6・5cm。外側に太文字で「錦寺」と刻まれていた。平安京に製品を供給していた京都の窯のものとみられる。
 同廃寺は大津宮中枢部の真北約400mに創建され、廃都後も平安時代末期(12世紀後半)まで存続したらしい。 宮の規模や構造を考える上でも貴重な遺跡とされるが、寺名は不明で、地名などから通称で呼ばれてきた。
 「続日本紀」には、藤原仲麻呂の乱(764年)で官軍に協力した見返りに恩賞を与える近江国の寺の一つとして「錦部」が記されている(注1)。土器片は、この寺が同廃寺とする説を裏付ける初の物証で、同廃寺は少なくとも奈良時代後半(8世紀半ば)~平安時代前半(9世紀末)まで「錦部寺」と呼ばれていたとみられるという。
 南滋賀廃寺は渡来系の豪族、錦部村主(にしごりのすぐり)一族が建てた氏寺だった可能性が強まったとしている。
 土器片は16日~3月15日、大津市埋蔵文化財調査センター(同市滋賀里1丁目)で公開される。土日休館
[参考:毎日新聞、読売新聞、京都新聞、朝日新聞]

(注1)続日本紀 天平神護二年(776)9月6日己未条に
 賜助官軍近江國僧沙弥。及錦部蒿園二寺檀越。諸寺奴等物。各有差。

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 2010.5.20南滋賀遺跡 大壁造り建物跡出土
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桜井市・茅原大墓古墳 前方部から「渡り堤」が出土

2012年02月16日 | Weblog
 桜井市教委は15日、同市にある国内最大級の帆立貝式前方後円墳・茅原大墓古墳(ちはらおおはかこふん、4世紀末)で、墳丘と外部を結ぶ「渡り堤」(長さ、幅各約7m、高さ80cm)が出土したと発表した。
 渡り堤は、近くの箸墓古墳(3世紀後半)などでも見つかっており、前期古墳にのみみられる構造。 墳丘に巡らされた周濠が最も狭くなった前方部の北東角で出土した。 両側の側面には10~30cm大の葺石が施されていた。
 このほか、葺石の状況から前方部と後円部の境の「くびれ部」も確認した。
 現地説明会は18日(土)午前10時~午後3時に開かれる。雨天の場合は19日に順延。
[参考:読売新聞、奈良新聞]

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 茅原大墓古墳
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