歴歩

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豊中市・内田遺跡 縄文後期の集落と古墳時代後期の須恵器生産場所を確認

2012年02月02日 | Weblog
 豊中市桜の町の内田遺跡で、縄文時代後期の土坑2基と古墳時代後期の竪穴住居2棟、掘立柱建物4棟が見つかった。
 内田遺跡(東西400m、南北350m)は古墳時代後期~終末期(6世紀後半~7世紀初頭)に千里川の河岸段丘上を中心とした集落遺跡。
 発見された土坑2基はごみを廃棄するために掘られた穴で、一定期間居住した集落跡であると推定され、縄文時代後期には同遺跡周辺で集落が営まれていたことが確実となったとしている。 同市内では、野畑遺跡(西緑丘)以外に集落として特定された遺跡がなかった。
 古墳時代の須恵器生産に関わると考えられる建物群が見つかり、短期間に多くの建物が立ち並ぶ集落であったことが確認された。 昭和61年の初調査では、同遺跡周辺から古墳時代の建物群と須恵器を廃棄した土坑が多く発見されていた。 同市内の5世紀~6世紀に須恵器の生産や流通に大きく関与していた新免遺跡・本町遺跡の集落が、6世紀後半に千里川の上流に生産場所を拡大・移動したと考えられ、これに関連する遺跡とみられている。
 現地説明会は、2月4日(土)午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:1.30千里タイムズ、2.2産経新聞]

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