歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

東大阪市・新上小阪遺跡 弥生時代中期後半の方形周溝墓確認

2009年05月15日 | Weblog
 府文化財センターは、新上小阪遺跡(東大阪市新上小阪地内)で弥生時代中期後半(今から約2000年前)の方形周溝墓を見つけた。
 方形周溝墓は、約7m四方。墳丘の端には、土器棺(長さ約70cm)1基が据えられていた。既に埋め戻された別の調査区からも2基の方形周溝墓が見つかっており、一帯は当時の墓域だったとみられる。周溝からは、流水紋と呼ばれる模様が入った珍しい弥生式土器や、台付きの鉢などをほぼ完全な形で検出。当時の中河内の文化力を裏付けるような流麗な土器という。
 23日午後1~3時に、現地と出土遺物を公開する。(少雨決行。)
[参考:毎日新聞、2009.3大阪市文化財センターHP]
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交野市・私部南遺跡 古墳時代中期の集落跡を確認

2009年05月15日 | Weblog
 府文化財センターは、私部南(きさべみなみ)遺跡(交野市私部南2など)で古墳時代中期(約1500~1600年前)の集落跡を確認。
 かまどの痕跡が残る竪穴住居跡や木製の腰掛けの一部を見つけた。
 第二京阪道の建設が進む私部南遺跡では、竪穴住居跡(約4m四方)2基を検出。1基には、内部で煮炊きしたかまどの跡が残っていた。周辺からは、滑石製の子持勾玉(約7cm)や、木製の組み合わせ式腰掛けの脚部分(高さ20cm、最大幅12cm)を発見。脚の表面には刃物で削った跡が残っていた。祭祀に使われた可能性もあるという。
 16日午後1~3時に、現地と出土遺物を公開する。(少雨決行。)
[参考:毎日新聞]

 前年度の発掘調査では、古墳時代中・後期の竪穴建物や掘立柱建物をはじめ井戸や溝などが発見され、それに伴い、滑石製子持勾玉が出土している。
[参考:2008.3大阪市文化財センターHP]
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松山市・中村松田遺跡

2009年05月15日 | Weblog
 松山市埋蔵文化財センターは14日、中村松田遺跡(同市中村)で3~4世紀(弥生時代後期~古墳時代前期)の人工的な溝が見つかったと発表した。石手川から水を引いて農業用水路などに使われていたとみられ、同時期の用水路としては県内最大という。
 同センターは、松山でも、この時代に大規模な土木工事が行われていたことを示す貴重な遺構としている。
 16日午後2時から現地説明会が行われる。
[参考:読売新聞]
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瀬戸市・紺屋田A窯跡 100個を超す四耳壺が出土

2009年05月15日 | Weblog
 瀬戸市文化振興財団・埋蔵文化財センターが12日、瀬戸市紺屋田町にある同市で最大級の窖窯(あながま)跡である鎌倉時代(13世紀前半~14世紀初頭)の紺屋田A窯跡から、100個を超す「四耳壺(しじこ)」が見つかったと発表した。
 紺屋田A窯跡は、5つの窖窯があり、中でも3号窯は、長さ約23m、幅3・4mと鎌倉時代のものでは市内で最大。窖窯は市内で約600基が確認されているが、紺屋田A窯跡のようにまとまって出土した例はなかったという。
 出土した四耳壺は、高さ30cmほど。中国・宋時代の白磁四耳壺をまねて、瀬戸地方では中世で唯一、灰釉を施した陶器の「古瀬戸」として生産された。本来は薄緑色の釉がかかっていたが、出土品では釉がはげ落ちているのが目立っていた。
 この時代の四耳壺は、墓の蔵骨器として出土する以外は、ほとんどが神奈川県の鎌倉市周辺から見つかっている。
 同センターは「耳型の飾りも何のためかよくわからないし、どんな用途だったかもはっきりしない。ただ、瀬戸から当時の都の鎌倉に向け大量に供給されたとみられるため、置物として権力者の力を示す『威信財』として使われた可能性もある」と話している。
[参考:朝日新聞]
過去の記事・情報
 瀬戸市・音玄窯跡、門前B窯跡 中世(13世紀)の瀬戸窯跡を発掘調査


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