歴歩

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葛城市・石光寺 旧境内で白鳳時代の三重塔と見られる基壇跡が出土

2009年05月01日 | Weblog
 市教委が1日、葛城市染野(しめの)の石光寺(せっこうじ)旧境内で、白鳳時代(7世紀後半)の塔跡と見られる基壇跡が出土したと発表した。91年に見つかった弥勒堂(金堂)跡の南約30mの場所にあたる。
 現在の境内のすぐ南約20㎡を調査したところ、東西約4m、南北約2mにわたり土を固めた高さ約30cmの基壇の一部が出土した。
 基壇は一辺約8m、塔は一辺約5mとみられる。西側では雨落ち溝、基壇のものとみられる凝灰岩片、たくさんの白鳳時代の瓦などが出土した。基壇は上面が削られ、礎石は見つからなかったが、この場所が小字で「トウヤシキ」(塔屋敷)と呼ばれており、舎利孔のある塔心礎(170×135cm、厚さ60cm)がこの付近から出土したことから、遺構は三重塔の基壇の一部で、西端部分と判断した。
 16世紀の当麻寺(同市)の絵図に、同寺に当たる染野寺に本堂と三重塔が描かれていることなどからも、石光寺は創建時から塔、金堂をもち、中世末まで続く大寺院だったことが裏付けられたとする。江戸時代中期の地図には塔がなく、その間に失われたとみられる。
 当麻寺に現存する塔(国宝)よりひと回り小さい三重塔とみている。
 91年の石光寺境内の発掘では日本最古級の白鳳時代の石仏(高さ1・55m)が出土、文献通り同寺が白鳳寺院だったことがわかった。弥勒堂は東が正面とみられるため、石光寺は正面から見て右が金堂、左が塔の法隆寺式伽藍配置と考えられる。
 東が正面の法隆寺式伽藍は香芝市の尼寺(にんじ)廃寺などにもあり、葛城地方の古代寺院の特徴とも考えられる。
 同寺は天智天皇が創建にかかわったと伝えられ、国内最古級の白鳳期の石造如来坐像(凝灰岩製造、推定高さ155cm)が見つかっている。
 2日~6月21日に同市忍海の市歴史博物館で、遺構の写真パネルなどともに出土した瓦などが展示される。
[参考:産経新聞、朝日新聞、読売新聞、当麻石光寺と弥勒仏概報(奈良県立橿原考古学研究所編)/吉川弘文館]


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