カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

ピッツェリア ソローノ

2012年06月19日 | 京都
「ピザと、ナイフ。」

ピザが予め切り分けられていない、その理由というのは、やはりそのラギオールの存在によるものだろう。
あえて用意された、良く切れる高価なナイフを駆使して、食べる人、自らの手によってピザを切り分けて貰いたい、そういう意図的な想いというのが、無言の内に感じられる。

だがしかし、やはりピザというものは、焼き上がってから如何に早く口に運ぶかというところで、その美味しさにかなりの差が出る食べ物であるのは言わずもがなであり、そんな類の料理が、テーブルに着いた時点で切り分けられていないというのは、言うまでもなく非常に大きなデメリットである、それは、原初的な絶対的真実であることに間違いはない。

つまり、ピザを美味しく食べる、それこそを第一義に考えるのであれば、そのラギオールの存在というのが、最も大切に為されるべきことというのを、実は邪魔している、残念ながらそういうことになるだろう。

客が自分で切り分けた場合、そのピザを自分の好みの大きさに決めることが出来る、それは確かなメリットではあるものの、しかしそれを優先して、成り行き幾らか冷めてしまったピザを食べる結果になる、そんなことであっては、そもそもが本末転倒なのであり、それは実際、ピザを提供する専門店として、優先順位を思い違っているとしか考えられない。
実際そこは、熱いピザを出来るだけ早く食べて欲しいという料理人のエゴを通しても許される、それどころか、意地でも通すべきところですらある。

いずれにせよ、少なくとも、ピザの提供に付随して、高価なナイフなどというものは必要ではない、当然のことながら、ピザという料理は、例えばタンドリーチキンとは、あらゆる面で、また違う料理である、それは明白である。
それが在るから、とりあえず使うというような事の成り行きに流されることなく、その辺りの意識を徹底することが出来れば、自ずとその店にファンは付いて来る、逆に言えば、そこを突き詰めないと、ポリシーのない緩い店だと認定されてしまう。

割り合いに悪くない雰囲気の新しい店が、中途半端な緩さ、それ故に、あっという間に無くなってしまうようなこのご時勢だからこそ、妙な事情と妥協が絡まり、眼と舌の肥えた客に見限られてしまう、そんな事態を招くよりは、例えば、騒がしい子供の入店は断るなど、そういう厳しさをキッチリと示す毅然とした態度というのが、結果的には、実は人気がなくなるどころか、本当に食べることに喜びを見出し、美味しい料理を理解してくれるという類の、料理店として最も望ましい客層を得る唯一の手段である、お節介ながら、おそらくはそう言えるのではないだろうか。

ピッツェリアソローノピザ / 烏丸御池駅二条城前駅烏丸駅



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